低山日本一徘徊記〜天保山

                                
喫茶『山小屋』で頂ける天保山登頂記念の認定証
                           平成12年 8月11日(金)
                           天候: 晴れ
                           同行: 三女朋加


 問題:日本で一番低い山は何処でしょう?答えは大阪の天保山。一度は国土地理院の地
形図から消えたのだが、地元の方の奮闘で復活したという。しかも愛護する山岳会?があ
り、登山認定証まで頂けると云う。今月号のBE−PALにも紹介されており、こりゃあ
一度は訪ねておかねばなるまい。今年の2月に登頂?した蘇鉄山に続いての超々低山徘徊
記第二弾である。
 
 御堂筋からR172に入り西へ。大阪ドームを過ぎ、地下鉄大阪港駅下を右折すると、
すぐに巨大な観覧車とその奥に海遊館が現れる。観覧車の前の天保山交差点の右に見える
のが天保山公園。なるべく近い駐車場はと捜し、水上消防署の隣にそれを見つける。
「天保山に登りたいんですが」と駐車場の管理人のおじさんに訊ねると、「登山の準備し
てきたぁ?時々遭難する人おるよ?」と返された。大阪人はこれでなくては!(笑)

 許しをもらって駐車場の奥の階段を上がらせてもらうとそこは海。隣の水上消防署の裏
には赤い消防艇が停泊していた。
 
 公園の入り口からは60段程の階段が続く。この上が山頂だなと蝉時雨の中を登って行
くと、『ここは天保山山頂ではありません。山頂は右の階段を降りて記念石塔の下へ』と
の案内板が柵に取り付けてある。成程、右前方に、高さ10m程の石塔がある。堤防状に
延びた道を辿って行くと、石塔と公園の柵の間に三角点が顔を出していた。山岳会の『日
本一低い山天保山』の山名板が面白い。早速記念撮影しておく。

日本一の低山、天保山の二等三角点。左奥の海
の向こうにユニバーサルスタジオが出来ます
 柵の向こうは海が広がっている。そしてすぐそこに渡船場らしき桟橋がある。大阪にま だ渡し舟があるとは驚きを否めない。  ところで目印の記念石塔は何なのかというと、明治元年3月に明治天皇が観艦した所を 示す記念碑で、昭和4年10月に建立されたものだという。更に近くには『大阪築港の基 石』というものが置かれていて、西村捨三翁なる人物の像があって、翁が愛した『朝陽岡 』と呼ばれる石まで置かれてある。まぁ色々なものがあって好事家には飽きない所だ。    公園入口に戻ると、ブランコや滑り台があったので、しばらくチビと遊ぶ。  さて、登山認定証をもらわねばならない。三角点の所に旅館丸三の案内があったなぁ。 天保山の交差点を地下鉄大阪港駅方面へ向かう。しかし道路沿いにはそれらしい旅館はな い。しようがないので理髪店のドアを開け尋ねてみた。丁度客がたてこんでいたのだが、 向かい斜めのローソンの辻を入るのだとヒゲ剃り中のオバさんが親切に教えてくれた。
喫茶『山小屋』のある丸三旅館
 成程、ローソンの辻を曲がると旅館丸三は直ぐに分かった。純和風の造りで、茶房「山 小屋」天保山山岳会の看板があり、御気軽にお入りくださいとある。ガラガラと引き戸を 開けるとおかみさん。来意を告げ、名簿に記名していると、奥からBE−PALに写真が 掲載されていた橋本さんが現れ、黄色で幅10cm程の認定証を頂いた。 『あなたは、本日大いなるロマンとイチビリ精神を以て、日本サイテーの山[天保山(4.5 m)]に無事登頂されました。その快挙を称え、記念に登山認定証をおわたしします。』  頂きついでに座敷に上がり、炭焼コーヒーとアイスクリームを注文する。    山岳会は結構活発に活動しているようである。新聞、TVなど各種のマスコミに取り上 げられ、壁には所狭しとそのコピーやタレントの色紙が張られていた。中には、わざわざ 岡山から天保山に登りに来る人も居るそうである。上方の「いちびり」精神いまだ衰えず といったところか。因みに「いちびり」は「逸ぶる」が語源で、出来もせぬことに力を入 れることであるそうな。  そんな知識を仕入れて『山小屋』を後にする。港を中心に栄えててきた古い商店街と、 海遊館を始めとする若者の街とが渾然一体となった町。そして普通のイメージからはとて も山とは云えない天保山。しかし周囲より高くなったところを山と呼ぶという定義に従え ば立派に山。こんな街中の低山徘徊もたまにはいいものです。

   【タイムチャート】
   12:30自宅発
   13:20天保山公園前駐車場
   13:35天保山公園入口
   13:40〜14:10天保山山頂(4.5m 二等三角点)
   14:30〜15:00喫茶『山小屋』
   15:10天保山公園前駐車場
 

 
  天保山のデータ
   【所在地】大阪市港区
   【標高】4.5m(二等三角点)
   【備考】 もともと1831年(天保2年)に安治川を浚渫した際
に土砂を積み上げ出来た山で、一時は20mを越える高
さがあったそうです。1911年(明治44年)に三角
点が設置されましたが、周囲の状況の激変から、国土地
理院の地形図からもその名が消え、日本最低の山の称号
?も宮城県の日和山に譲りました。しかし、地元の有志
の運動で復活し、現在は日本最低の山として街興しに一
役買っており、山岳会から登頂記念の証明書がもらえま
す。



  トップページに戻る

inserted by FC2 system