日本で最も低い一等三角点の山が大阪府は堺市にあるという。少し前に新聞にも掲載さ
れ話題になった、その名も蘇鉄山。今日は寒さも緩んで暖かい。話のタネにドライブがて
ら午後から出かけてみることにした。
御堂筋からR26を南下して大和川を渡ると、やがて右手に大浜公園が見えてくる。毎
年夏に「大漁夜市」を開催している場所は確かここだったはずだ。大浜中町の交差点を右
折し、公園駐車場に車を入れる。
なかなか広い公園である。まず駐車場のおじさんに蘇鉄山の存在を聞いてみる。すると
向こうの小高い所ではないかと判然としない。とりあえずそちらへ向かう。
池(ひょうたん池と呼ぶらしい)が見えてきた。その周囲は綺麗に手入れされた松の疎
林となっていて清々しい。東屋が合ったので自販機で購入した缶コーヒーで一息入れる。
目の前に小高くなった丘がある。でも蘇鉄が植わっていないなぁ。「??」
池に架かる小橋を渡って斜面を上がって行くと、コンクリートの台があって誰かが遊ん
だあとなのかマツボックリが沢山。下のチビがその中の一つを拾う。
斜面を登りきると頂上は広場になっていて、説明板があり、その前に千丈寺山にもあっ
た通常より大きな一等三角点が埋め込まれている。恒例の、その頭を撫でる儀式を執り行
ってから説明板を読んでみる。
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日本最低の一等三角点の蘇鉄山山頂 |
蘇鉄山は幕末に黒船来航に備えて台場(砲台)を築いた名残で、明治12年(1879)
に大浜公園として市民に開放されたのだという。明治・大正期は一大歓楽地で、海水浴、
水族館、料理旅館、はては少女歌劇まであったという。当時すぐ近くにあったであろう海
岸線も埋め立てられ、今はそれらを想像するだに出来ない。
蘇鉄山の南東300mのところに御蔭山という丘があって、以前はそこに一等三角点が
あったという。それが削られることになって、昭和14年現在地に移ったのだそうだ。そ
の頃は南に俎石山、北に大阪城、東に金剛生駒、西には六甲まで一望だったというが、今
見えるのはリーガロイヤルホテルや高速湾岸線の無粋なコンクリートのみ。
因みに、御蔭山は天保年間に水路浚渫の土砂で作られた山で天保山とは兄弟とか。
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山頂北の日本庭園のような岩組 |
岩が埋まるところからエノキに似た大木が枝を広げている下に降って右に廻ると、真新
しい道標。『日本で最も低い一等三角点 蘇鉄山』とある。新聞に掲載された頃に建てら
れたのだろうか、それをバックに記念撮影。
その周囲を見渡すといろいろ面白い物が目に入る。『擁護璽』と彫られた碑。裏を見て
も行書で書かれていて不得要領。後で判ったがことだが安政大地震の教訓の碑だとか。明
治36年の第五回内国勧業博覧会に明治天皇が行幸した記念碑。その頃に水族館が造られ
たらしい。更にそこだけ削り忘れられたような高さ2m程度の高み。実は台場を築いた際
の石垣跡。まるで荒俣宏の世界だなァ。
ブランコなぞの遊具は無いものかと北に向かう。何やら階段がある。手摺に『乙姫橋』。
なんと橋だという。川でもあるのかと思いきや、下は公園の中の道路。そして降りたとこ
ろにこれまた何と『猿山』が...。(@o@) アカゲザルが20頭程飼育されている。昭和
30年代に水族館が再興された時のこれも名残なのだろうか。当時、堺市は自前の動物園
を所有するつもりだったのかも知れない。
第一次南極越冬隊と苦楽を友にしたカラフト犬の慰霊像を見物していると、チビは目聡
くブランコと滑り台を見つけてそちらへ。それをカミさんに任せて、こちらはふと目に入
った『旧堺灯台』の案内標識につられて見物に行くことにした。
大浜相撲場の横から阪神高速の下の陸橋を進むと海が見えてきて、高速道路の高架脇に
白い灯台が場違いの様に立ち竦んでいる。外装工事中なのか養生用のシートが懸けられて
いたので、近くまで行くのは止しにした。
再び、遊具広場。陽が翳ってきたのでここを辞し、近くの南宗寺に寄ることにする。
南宗寺は大永2年(1526)開創の臨済宗大徳寺派の大刹。千利休を始めとする千家一
門や、武野紹鴎等、茶道に所縁のある歴史上の人物の墓があることで有名。境内に入ると、
都会の喧騒もここまでは紛れ込んでこない。塵一つ無く掃かれた中を、重要文化財の大雄
宝殿、その天井に描かれた狩野信政の八方睨みの龍、古田織部作という枯山水庭園等を見
学して帰途につく。
立春も過ぎ、寒さも一息ついた建国記念の日の午後。本来の目的以外にも、色々と見聞
できた日本最低一等三角点の山『蘇鉄山』探訪記、それにしても大浜公園は不思議な場所
でした。
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