平成10年 3月 8日(日)
天候: 晴れ
同行: 単独
昭和14年、親父は旧陸軍篠山第70連隊に入隊したそうで、演習で盃ケ岳に良く登ら
されたという。また、以前、ユニトピア篠山を訪れた時、連隊敷地?を示す古い標識が有
ったような記憶がある。強者どもが夢の跡?を求めて今日は篠山の盃ケ岳。
県道篠山川西線から篠山町瀬利までは三岳への道と一緒。多紀連山から流れ出す畑川の
ほとりで小休止する。一点の雲もない晴天、風は冷たいものの日差しはもう春。そこここ
で農家の人は畑仕事。ひばりが鳴いている。畑川の堤防には点々と白梅が咲く。
やがて、人家が増え出すと、左に兵庫県篠山合同庁舎が見えてきた。その前が産業高校。
そこを過ぎた空き地に駐車させて貰う。
最初の四つ辻に道しるべがある。右篠山、左柏原。その横には岡野村道路元標と刻まれ
た石標も歴史を感じさせてくれる。
まもなく神姫バス産高前バス停。その側に篠山五十三次の案内板。篠山70連隊跡とあ
る。大きな記念碑も立っている。両脇に赤煉瓦を漆喰で固めた門柱。ここにいつも歩哨が
立って警備していたそうだ。親父もかつてここを幾度となく通ったに違いない。そして奥
には一本の高木。戦時中も敷地内を見つめていたのだろうか?
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旧陸軍第70連隊のレンガ作りの営門 |
次の角を左へ曲がると、左側はずっと土塁になっていて、下は石積みになっており、所
々には門の跡と思しき門柱が残っている。連隊跡はかなり大きな敷地だったようである。
さて、篠山町のHPへ電子メールして教えていただいた登山口は東浜谷とのこと。まず
はその東浜谷をめざす。
敷地跡を過ぎると、のどかな畑の中の路となり、道端には点々と青い花。
オオイヌノフ
グリだ。タンポポも鮮やかな黄で彩りを加えている。前方には盃ケ岳が迫ってきた。
やがて青い水をたたえる浜谷池。確かメールによるとその奥から登るのだっけ。と捜す
までもなかった。浜谷水辺の森の案内板と地図があった。左の春日神社からも登れるよう
だが、まずは林道から遊歩道を進むことにする。これが省エネ的には正解でした。
山腹をジグザグに切った新しい遊歩道、折り返し点にはベンチも置かれ、ハイカーには
有り難いものの、赤土むき出しで、土砂が少々崩壊している所もあり、山にとっては少々
無惨です。
あずまやで一服。なかなかの景色。西南方向の白髪岳、松尾山が美しい。下には篠山の
町並みが箱庭のようだ。八上山がほんに富士山の形に見える。又、帰りに寄ることにして、
再び遊歩道へ。
山頂へ200mとの道標にでくわすと、ここで遊歩道は終わり、踏み跡に変わる。アカ
マツ、ヒノキ、ミツバツツジなどの雑木が主で明るい。しかし結構きつい登りだ。木の根
が浮き出した踏み跡をエッコラセと体を持ち上げていく。尾根に出て傾斜が緩んだからも
う頂上かと思いきや甘かった。最後の胸突き八丁は重いボディブローのようでした。親父
もあごを出したかな?
北側が伐採された頂上は楕円形の広場。真ん中にぽつんと祠が一つ。何が祀られている
のか分からないが、供えてあるお札を見ると、学問の神様のようだ。社の裏には平たい石
が沢山あって、その一つには学業が進むようにと地元の小学生の願い事が書かれてあった。
助六弁当とお茶、食後の伊予柑を喫した後は、お目当ての景色鑑賞。これが思いの外素
晴らしい。北摂、丹波の山々のオールスターが居並んでいる。しかも春なのに空気が澄ん
でいるからなおのこと。
まず北に鋸山、西ヶ岳、三岳、小金が嶽の多紀アルプス。東南に深山。双眼鏡では深山
宮の鳥居迄見えたから驚き。そして弥十郎が岳、大野山、木の間越しに三国が岳。西に千
が峰。北西に夏栗山から三尾山。なんと、夏栗山の肩には白い雪を戴いた氷ノ山が霞んで
いるではないか。思いがけない眺望を暫し堪能する。
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左 山頂より北西方向を望む。中央は夏栗山、右に三尾山。氷ノ山は残念ながら写っていませんでした
中央 山頂より北東方向に見える多紀アルプス。左から西が岳、三岳、小金が岳。手前は藤岡ダム
右 山頂より南方向の北摂山系を見る。左から深山、弥十郎が岳。右手前の富士山似の山が高城山 |
時間の経つのを忘れていたら体が冷えてきた。下山にとりかかる。
西に行けばユニトピアへも下れるようだが、駐車地まで2kmは歩かねばならない。マ
イカー登山の悲しさ?来た道を下る。
先程のあずまや、地元の家族連れが昼食中。出会ったのは後にも先にもこの方々だけの
静かな山歩きである。篠山町、西紀町などの合併話など雑談の相手になっていただいた。
さて、「お先にと」失礼して、旧道と思しき踏み跡を行くことにする。ところがこれが
急傾斜。こちらから登っていればえらい目にあっていたところだ。雨が降ればえぐれた部
分は沢どころじゃなく、おそらく滝になるんでは...。 (^^;
コシダ、ウラジロの茂る急傾斜の尾根沿い、明るい灌木帯から鬱蒼とした林の中を下れ
ば、春日神社の境内へ降り立つ。応永16年(1409)創建の古社。そして二抱え程も
あるモミと思しき大木とシイタケのホダ木の横を過ぎれば、先程の水辺の森に戻る。
ブラブラと駐車地へ戻り、煙草をくゆらしながら白髪岳方向を見ていたら、篠山行きの
バスが通り過ぎた。ただし乗客は誰もいませんでした。
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篠山町野尻付近から望む白髪岳と松尾山 |
そして最後に感想。
盃ケ岳は決して高い山ではないのだが、丹波の山の例に漏れず、その姿の割には結構急
峻。30キロもの背嚢を背負っての演習は、それも、満足な登山道もないとしたら、親父
も大変だったろう。ましてや現代人にはとてものこと耐えられないでしょう。脱帽です。
それにしても親父の足跡を求め、早春の丹波路を堪能した1日でした。
【タイムテーブル】
9:06 自宅発
10:55 篠山産業高校前
11:00 出発
11:20 浜谷池
11:40 あずまや
11:55 盃ヶ岳山頂(501m)
12:40 下山
12:50〜13:15 あずまや
13:25 春日神社
13:50 篠山産業高校前