二上山〜「風の王国」の舞台を辿る

當麻町新在家より二上山雄岳、左奥は雌岳
                           平成10年2月 7日(土)                            天候: 曇り                                   同行: 単独       
 何かの雑誌(「山と渓谷」だったか?)に紹介されていた五木寛之氏の「風の王国」の 舞台、そして学生時代に拝聴した犬養孝氏の万葉集の講演の中で、印象に残っている悲運 の皇子、大津皇子。というわけで今回の山行は二上山。                 各地から登れるようだが、今回は「風の王国」の主人公速見卓の歩んだ道を辿ることに し、まず當麻寺(たいまでら)をめざす。                       西名阪道柏原インターからR165を南下するにつれ、右手に今日の目的地二上山の優 美な姿が近づいてくる。左は薄い靄のかかる、まほろばの大和盆地。           標識に従って、右折すればすぐに當麻寺。                      この寺は過去に二度ばかり訪れたことがある。白鳳期は推古天皇の御代、西暦605年 創建の古刹。中将姫の伝説で有名。また役の行者ゆかりの地でもある。その當麻寺の北門 前の駐車場に車を置き、案内に従って舗装路を西へ向かう。               當麻町の健康管理休養センター、ふれあいの広場と過ぎると、明治時代建立の當麻山口 神社の石の鳥居。左に折れて、當麻病院横の杉林のなかを導かれていくと、右の広場に傘 堂がある。名の通り傘のような姿をしている。置かれてあったパンフレットに拠れば、江 戸時代前期、時の郡山藩主本多政勝の菩提を弔う為に、1674年、郡奉行吉弘統家が建 てたという。300年もの長きにわたり、その姿を留めているとは、流石に奈良である。  左に山口神社の境内、そしてすぐに大池。水面にはカモが群れ、これから向かう二上山 の姿を映している。                                 新しくできた親水公園の中を過ぎ、左に釣り池、右に真言宗大竜寺を見送るといよいよ 山道にさしかかる。                                 竹藪から杉の林、左に初田川の谷を見つつ進む。かなり古くからの道らしく、路傍に地 蔵さんが並び、小さな滝には不動明王が祀られている。                 と、騒がしくなったと思ったら、地元の小学校の団体だろうか耐寒登山から帰る途中の ようだ。挨拶をかわしながらすれ違う。                         前方に建物。祐泉寺である。抹香臭い寺という感じはせず、邸宅の離れのような雰囲気。 その前で、道が二手に分かれる。左は岩屋峠経由で雌岳、右は馬ノ背経由で雌岳。「風の  王国」の速見卓は真っ直ぐ向かったはず。そしてここで歌碑を見つけるはずなのだが..。  沢沿いに真っ直ぐ馬ノ背への道を採る。木の門を抜け、岩を滑る初田川の沢沿いに登っ ていくと、岩の上に箕面勝尾寺で見たような町石がポツンと立っている。よく見れば、  「オッ。」あったではないか。                           「二上嶽南叡山修学院祐泉寺」。そして、                      「南無阿弥陀 佛の御名を呼ぶ小鳥 あやしや たれか ふたかみの山」        小説の通り、上部には穴が穿ってある。                      
沢の横にポツンと祐泉寺の石柱
 やっと登山道らしくなってきた。500m程度の低山と思って侮っていたが、なんのな んの、きつい登りである。汗が噴き出す。岩に穿たれた窪みを足がかりに体を持ち上げ、 沢を何度か横切っていく。(沢登りの実感を少々味わえる?)             と、左に女性の象徴?と思しき岩。その中からは清水が湧き出しているようで、側にはコ ップが備えられていた。                               ジグザグ道をいつの間にか、振り向けば大和盆地が拡がってき、山腹をかすめるように 傾斜が緩くなってくると、前方にも視界がパッと広がり、文字通り馬ノ背に出る。     西には河内のブドウ畑のビニールシートのだんだら模様、東は大和。ベンチも備えられ ていて一服するには良い所。茶店の建物もあるが生憎季節はずれなのか閉じられていた。  説明板があった。二上山はトロイデ型の火山で2000年前に噴火し、その石サヌカイ トは近畿一円の古墳の葺き石などに使われたという。古代には神南備山として尊ばれたに 違いない。フムフム。思わず古代に思いを馳せる。                   さて、汗を拭いた後、まず雌岳をピストンする。                   ところどころに置かれたベンチの横を5分ほどで山頂。桜が植えられており真ん中に日  時計。その前に三等三角点。珍しくも紅白に塗り分けられた測量棒がその上に立っていた。
雌岳山頂の三角点。奥は日時計
 ガイドにある通り、眺望は絶佳この上なし。360度の大パノラマ。西には大和三山と  都祁高原、音羽山方面。優美な三輪山も霞んでいる。南は葛城、金剛の峰々がたたなづき、 東には河内平野。晴れていれば大阪湾から六甲も一望だろう。北にはこれから向かう雄岳 がどっしりと構えている。速見卓がヒロイン葛城哀に初めて遭遇したのは確かあの辺であ ろうか。                                     「大坂を 我が越え来れば 二上に 黄葉(もみじば)流る 時雨降りつつ」                                    万葉集 詠み人知らず  馬ノ背に戻り、雄岳へ。                            
雄岳への登山道から雌岳と奥に重なる葛城、金剛の山並
 一転、クマザサの中の岩ゴロの静かな道に変わる。次第に雌岳が眼下に下がっていく。 ジグザグのえぐれたU字型の溝から、霜柱が溶けたのか湿った道になると、「二上神社境 内、協力金200円徴収」の札。でも係員も小屋も閉まっていました。          延喜式内社の葛城坐二上神社の社の奥に大津皇子の陵がある。聡明故に謀反の疑いをか けられ非業の最期を遂げた天武帝の皇子である。                  
雄岳山頂、悲運の大津皇子の陵
 大津皇子の姉、大伯皇女の歌                           「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世と我が見む」   合掌     丁度正午。陵の前の朽ちたベンチの横で食事とする。小生の他は3人組のグループ一組 が神社の向こう側に居るのみ。静かである。例の如くカップヌードルとおにぎりの昼食、 食後のコーヒーを例によって湧かす。                         いつの間にか空は厚い雲に覆われてきた。卓もここで霧に巻かれている。そろそろ下山 としようか。                                    先程、陵を一周した時、その横に山道が下っているのを見つける。丁度登ってきた方が あったので念のために聞いて見ると、思った通り近鉄二上神社口駅からの道だという。速 見卓は竹内峠へ下るのだが、小生は駐車地のこともあり、この道で下山する事にする。   ミツバツツジや葉の落ちた広葉樹の間の階段状の落ち葉が敷き詰められた小径、野鳥が しきりにさえずる。目の前には白黒まだらの小鳥、コゲラ?、トラツグミ?        雑木から鬱蒼と繁る杉の暗い間を抜けると分岐、左が畑から二上山駅、右が二上神社口 への道である。                                   ついに雨が降り出してきた。先を急ぐことにする。一組の夫婦の組を追い抜いて、竹藪 が見えてきたと思ったら、朽ちた白壁の神社があった。天羽雷命神社。ふと見ると、木の 根方に協力金200円を徴収するに至った経緯が書かれてあった。何でも、ハイカーが増 え、それに比例して建物の痛みも激しくなったという。文化財、自然は大切にしなければ いけません。                                    ボタンの石光寺から旧道を當麻寺へ戻る。流石どっしりとした大和式の民家が多い。地 酒の蔵元の杉玉、鎌倉時代のものという中将姫の十三重の塔をブラブラと見学しつつ、當 麻寺境内の散策で締めくくる。久々に訪れたまほろばの地大和。春とはいえ、葛城の峰に は名残り雪、桜の蕾はまだまだ堅いのでした。                   
    【タイムチャート】      9:45     自宅発      10:35     當麻寺北門前駐車場(約110m)      10:40     出発      10:50     傘堂      11:05     祐泉寺分岐      11:35     馬ノ背      11:40〜50   雌岳山頂(474.2m)      12:02     雄岳山頂(517m)      12:40     下山           12:54      分岐      13:05     天羽雷命神社      13:30     當麻寺北門前駐車場



   二上山のデータ
   【所在地】雌岳 大阪府南河内郡太子町・奈良県北葛城郡當麻町
         雄岳 奈良県北葛城郡當麻町
   【標高】 雌岳 474.2m(三等三角点)
        雄岳 517m 
   【備考】 金剛葛城山系の北に位置するトロイデ型の死火山で、その特異な姿
        と飛鳥、藤原の都からは西に当たる為、現世と黄泉との結界をなす
        と考えられ、雄岳の山上には大津皇子の陵、西の麓の大阪府太子町
        には推古帝の陵、小野妹子の墓所、聖徳太子の墓所のある叡福寺が
        あり、近つ飛鳥とも呼ばれています。又、南側の竹内峠は難波と大
        和を結ぶ古代の官道、竹内街道が通っています。
        アプローチは近鉄南大阪線の二上神社口駅、二上山駅、當麻寺駅
        いずれからも登山道があります。また屯鶴峯からダイヤモンドトレ
        ールを辿る事もできます。道もしっかりしており、ボタンの當麻寺
        等と組み合わせたり、歴史探訪ファミリーハイクには最適でしょう。
        ■近畿百名山■関西百名山
    
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