今日は出遅れてしまった。近場の北摂で、しかも三角点を持つ山ということで、箕面の奥の明ケ田
尾山を目指すことにする。
登山口は豊能町の高山。キリシタン大名の高山右近の生誕地と云われる50戸程の集落である。
昼過ぎ出発。北摂霊園を過ぎ、1時間弱で高山到着。公民館の駐車場に駐車させてもらう。
高山で唯一信号のある交差点を西に横切ると直ぐに高札場跡がある。現存する高札には、太政官の
文字と慶応4年3月の日付。その横には20貫目ほどの花崗岩らしい俵型の力石。16才になった男
子がこれを持ち上げると一人前と認められたらしい。
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キリシタン禁制の高札場、その横に力石
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さて、高札場を後にして、真宗の西方寺を右に見て道なりに進む。しかし登山口の案内がない。地
元のおじいさんに道を尋ねながら歩を進める。
三高造園資材置場の看板の所で右に折れしばらく行くと、竹藪の横で薄暗い道が分岐している。ど
うも先程おじいさんが説明していたのはこれらしい。ナイロンテープが巻いてある。横には、「山で
ゴミを捨てること厳禁」の看板。
突然、ザワザワ、キューッという音。ドキッとする。何のことはない、竹が風に擦れ合う音だった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはこのことでしょう。
杉の植林帯の中の石だらけの道である。右は沢になっているが水はほとんど無い。左に緩くカーブ
すると、徐々に細くなった道は沢と合流というよりも、沢が道になっている。足下が濡れないように
注意して登る。一登りすると鉢伏山に続くらしい尾根に出た。腐食した道標がある。左は鉢伏山へ、
右が明ケ田尾山、石標が埋まっているがなんの標識かは不明。
辺りが灌木帯になり、地面は落ち葉でふかふかの絨毯のよう。踏みしめる毎にカサカサ音を立てる
のが何とも心地良い。所々にテープが巻かれてあり、それに従ってアカマツ、リョウブなどの間を行
く。尾根といっても眺望には恵まれず、頂上でもそれは同様であった。時折、木々の間から近くの山
が垣間見えるのみ。
木立の間をうねうねと倒木を避けながら進むと、間もなくあっけなく頂上。
頂上は尾根のコブといった感じで、三等三角点と幾つかの山名板がぶら下がるが、これらが無けれ
ば見過ごしてしまうに違いない。しかし、木の間隠れに妙見山が以外に近くに眺められたのが印象的
であった。
水を補給し、三角点をいつものように撫でた後、周囲を探索。
誰もいない。目についた生き物といえば、シマヘビが1匹、足音に驚いて逃げ出したのみ。静かな
一時であった。
さて、展望も楽しめないので、早々に下山とする。
再び戻った高山の集落。折角なので、マリアの墓を訪ねてみることにした。
府道を北へ300M、道が左へカーブする所にある民家の石垣横に手製の案内板。表示に従って坂
を登って行くと、民家の裏山というような小高い丘にそれはあった。4基の自然石の墓標に花が手向
けられている。説明によれば、江戸幕府の禁教令でも改宗しなかった2組の夫婦の墓とある。彼らの
死後、高山からはキリシタンはいなくなったという。江戸時代中期のことであったらしい。しかし、
茨木市の上音羽や忍頂寺といい、高山といい、隠れキリシタンの里は、都に意外に近い所にあったこ
とになる。
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マリアの墓と呼ばれる隠れキリシタン夫婦の墓
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来た道を戻り、信号横の自販機の缶コーヒーで一服していると、地元のおじさんが耕耘機でやって
きた。ジュースを買って飲みだしたから、お互い自販機前で並んで飲むことに。当然どちらともなく
四方山話と相成った。
高山は夏は良いが冬は底冷えして非常に寒いこと。この頃の栗は手入れをしないからおいしくない
こと。こんな山里でも都会からやってきて居を構える人がいること等々...。地元の方の話を聞く
のもなかなか面白いものだ。
失礼して、夕日の淡い光の中を車に戻る。
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高山の里の棚田と明ケ田尾山夕景
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山々に囲まれ、歴史に彩られつつも大都市近郊に忘れられたような長閑な集落、高山。すれ違った
小学生も挨拶してくれる。いつまでもそんな風情を無くさないで貰いたいものである。
【タイムチャート】
13:35 自宅発
14:20 高山公民館(駐車地)
14:25 高札場
14:46 鉢伏山分岐
14:53 明ケ田尾山山頂(619.9m 三等三角点)
15:08 下山
15:16 鉢伏山分岐
15:40 高山公民館(駐車地)