三嶽〜新緑の中で昼食を

山頂手前の台地にてムシカリの花
平成26年 4月26日(日)
【天候】晴れ
【同行】単独


 前半の天候不順の帳尻を合わせるべく、GW前半まで好天が続くという。今日もすばら
しい日和だというので、新緑の中でのんびり昼食でもとドライブがてら出かけたのは篠山
の三嶽。もっと歩くつもりが例のスタミナ不足で帰りの登り返しを嫌がって、ヒカゲツツ
ジがもうほとんど終わりだったことも手伝って、結局、三嶽の西の岩場の上まで。南の瑞
穂町、南の篠山、西の氷上にかけての萌黄色のさざ波のような山並みを眺めながらの食事
は、相も変わらぬカップラーメンと助六ではあるが、至福の味わいでありました。

 前日に用意をしないものだから今日もバタバタ。やっと9時前と遅い出発。この頃、ど
うも6時なんていう早立ちはとても不可能だ。(笑)

すぐに地獄の階段歩きが待っている
 もうフジの花房が大きくなっており、田んぼにも水が引き込まれていて、あっという間 に春爛漫という感じである。道は意外に空いていて、下道でも1時間半程度で大タワの駐 車場に到着。7、8台の先着車がある。駐めた隣は単独おねえさん。小金ヶ岳から県道に 降りてから三嶽に廻るそうだ。小生には残念ながらとてもそのパワーは無い。
能勢氏の居城だった丸山城址
 もうフジの花房が大きくなっており、田んぼにも水が引き込まれていて、あっという間 に里は春爛漫という感じである。道は意外に空いていて、下道でも1時間半程度で大タワ の駐車場に到着。7、8台の先着車がある。駐めた隣は単独女性。小金ヶ岳から県道に降 りてから三嶽に廻るそうだ。小生には残念ながらとてもそのパワーは無い。  桜も散り、急に勢いを増した陽気に誘われて、薄赤色をしていた山の木々の芽先も一気 に明るい緑に変身して照り輝いている。とりわけ登山道の途中にあるイロハモミジの緑は 綺麗である。そのモミジの大樹を過ぎるとお馴染み『地獄の階段』が始まる。何段あるの だろう。500段は優にありそう。お助けロープ場も何箇所かある。しかし、難所はここ だけ。単独行の気楽さ、何度か息を整える為に適当な所で立ち止まり、フーフーいいなが らも次のあそこまでと目標を追っていくと、いつしか傾斜も緩む。『三嶽平』とでもいえ そうなゆるい平坦地に出る。ムシカリだかヤブデマリだか純白の花があちらこちらで風に 揺れている。ここまで来ると山頂の無線施設のアンテナが見え隠れする。小金ヶ岳の全貌 が見渡せる東の展望岩を踏んで小規模な桧林。日光に当たって発する桧独特の香りを嗅ぐ。 左下の東屋の屋根を見つつ役の行者の岩室を抜けると、ベンチを兼ねた大きな方向表示板 のある見慣れた山頂である。  山慣れていなさそうな男女ペアが一組。その内に西から一組の中年ペア。西の覗から上 がってきたそうな。ヒカゲツツジは残っているかと尋ねたら、少しあるとの返事。それで はと西の展望岩付近まで降りてみたらほとんど花ガラや茶色に変色したものばかりである。 ここは標高も高いのであわよくばもう一度と内心思うところはあったけれど、まあ、ヒカ ゲツツジは今年は向山で堪能したからいいやと思い直して、西の展望岩で昼食とする。こ この岩上は登山道からほんの少し離れていて邪魔にならず、しかも1、2名が座れるとい う、ランチタイムには格好の場所なのである。更に西方向に遮るものがなく展望抜群の場 所。熱いラーメンをすすり、緑のグラデーションの山並みを眺めながら贅沢なコーヒータ イムを過ごす。最高です。気に入りました。 (^_^/~~  1時間近く岩上にいたと思うが、一切誰にも遭わず。静かなものだ。再び山頂に戻り、 ブラブラと降りることにする。爽やかな風が吹き抜ける中、東の山々を見ながら下る。ザ レた部分もあるので足元には注意なのだが、それでも石車に乗ってしまい危うくという場 面があった。くわばら、くわばら。戻った駐車場。隣の女性はまだ山の中らしい。(笑)  まだ日は高い。行きで見かけた丸山城址の標識が気になったので帰路寄ってみる。
能勢氏の居城だった丸山城址
 能勢町の地黄付近でR477のバイパス道を南下すると、右手に北から張り出してきた 尾根の先端が迫ってくる。斜面が伐採されて丸山城址と大きな標識があるから見落とすこ とはない。麓の駐車スペースがある。車を降りて山を見上げるとなかなかの険しさである。 雑木で作った階段道がつづら折れに頂上へといざなう。地形図で見ると標高281m、比 高は40mあるようだ。鹿避け扉を開け閉めして早速上がっていくと土塁跡の標識が現れ る。一本だけ残された大きな杉の木の下を行き、宝くじ桜の苗木の植えられた斜面を再び 爪先上がりに登っていくと、また鹿除け扉があって、小広い平坦地になった二の丸跡へ出 る。  能勢妙見の住職が揮毫したらしい碑と白龍大神を祭った小祠がポツンと建っていて、地 形図に丸山神社とあるのはこれらしい。そしてその背後、一段高い部分が本丸跡である。 更に本丸の下の北側には空堀跡らしい遺構も残っている。砦というレベルではなく大分規 模は大きい。それもそのはずで、寡聞にして知らなかったが、この丸山城は能勢氏が築城 し、地黄城に移るまでの本拠であったということである。城跡に立って眺めると能勢氏を 支えた広闊な田地が広がり、東に歌垣山から能勢奥の院、妙見山と続く山並みが見通せな かなかの眺めである。そして足元を見下ろすと、これが崖のように切り立っている。楠正 成ばりに丸太でも落とすと寄せ手に結構なダメージを与えられるのではないか。(笑) 本 丸から北へ歩くと三ノ丸跡。戦で亡くなった人々の供養の為なのか、永年の風雨に表面の 磨滅が激しい石仏が一体置かれてあった。
磨滅した石仏が一基ポツンとあった
 丸山城址を降りて川沿いに南に50mばかり歩くと西に見える岡の麓に清普寺がある。 能勢氏の菩提寺と案内にあるのでここにも寄ってみる。日蓮宗のお寺。能勢氏中興の祖能 勢頼次が能勢一円を日蓮宗に改宗したことによる。石段を上がったこじんまりとした山門 は丸山城の遺構だそうだ。よく見ると能勢氏の家紋の矢筈十字が刻まれている。  フラッと境内の石畳に足を入れると、庭の手入れをしていた小父さんが声をかけてきて いろいろと教えてくれる。親切にも清普寺の縁起を記したパンフまで頂く。ありがとうご ざいました。
能勢氏の中興の祖、能勢頼次の五輪塔
能勢家の家紋矢筈十字が彫られている。
矢筈が細くまるで十字架に見える
 境内には能勢家累代の墓所があるが、まるで高野山の奥の院に来た見まごうばかりの、 高さ2mはありそうな石の五輪塔がずらりと並ぶのは壮観である。なかでもやはり能勢頼 次とその正室のは大きい。面白かったのはその向かいの板碑型の墓。彫られた十字がまる でクルスのようである。能勢氏がキリシタンだったという説もあながち根拠の無い話では ないのはこんな証左があるからだろう。この他、境内には鎌倉期の作といわれる薬師如来 石像もあるので拝んでいく。  小父さんに礼を云って境内を出ると、左前方すぐそばに丸山がこんもりと盛り上がって 見える。丸山城と清普寺が一体となっていることが良く分かる。田んぼでは田植えの準備。 辺りはまもなく蛙の声に包まれることだろう。半分大人の遠足みたいな春の一日でした。
【タイムチャート】
08:40自宅発
10:15〜10:25大タワ(駐車地)
11:05東の展望岩
11:12〜11:25三嶽(793.4m 一等三角点『三岳山』)
11:30〜12:35西の展望岩(昼食)
12:40三嶽
13:13大タワ(駐車地)栗柄分岐

■今回のコース軌跡は採取していません


三嶽のデータ
【所在地】兵庫県篠山市
【標高】793.4m(一等三角点『三岳山』)
【備考】 篠山盆地の北の壁ともいうべき多紀アルプスのドーム型
をした主峰で、往古は中腹に大嶽寺が建立され、修験の
山として栄えましたが、大峰との争いに敗れ衰退しまし
た。北の栗柄、南の瀬利、丸山、火打岩、東の大タワ等
のルートが有ります。近年、南麓にクリンソウの群生地
が発見されました。

■関西百名山 ■近畿百名山
【参考】国土地理院電子地図



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