有馬富士・加茂金毘羅山〜干支オフで北摂の里山徘徊

福島大池に映える逆さ有馬富士
平成26年 1月 4日(土)
【天候】晴れたり曇ったり
【同行】別掲


 今年も初歩きは干支オフ。午年は比較的、候補地が沢山ある。が、夕方からの『街オフ』
も考慮に入れるとなると自ずと交通至便な所に限られてくる。そこで選んだのはJR新三
田駅を基点にできる有馬富士。車利用の山と考えがちだけれど、麓の有馬富士公園までは
駅から一時間もかからずに行けるのだ。それに北摂の里山徘徊を絡めれば、それなりに充
実したオフになるかもと企画したが、なんのなんの。正月の腹ごなしどころか結構充実し
た歩きとなったのでした。

 新年早々集合したのは若干1名が遅参したけれど(笑) 総勢10人。まずはR176を
横切り、車の往来が頻繁な県道歩きを避けて次の信号を左折する。この辺りはまだまだ三
田米を産する田が広がっている。その向こうには城ヶ岡や加茂金毘羅山らしき里山が望ま
れる。田の中に稲藁で出来た巨大なムロのようなものがある。はてさて、何の目的で建て
られているのだろうか?

 目印の石灯籠を左手に見つけて右に折れる。更に突当たりの医院を左折すると村道は自
ずと川(大池川)沿いに遡行するようになる。八幡神社の参道を左に見て、落ち葉散り敷く
小道は雑木林の梢でホオジロの声を聞きながらのなかなかの風情である。

 やがて大きな岩盤が現れた。福島大池の南の畔。奥に茅葺の家と有馬富士。人慣れた鴨
の群れが水面に筋を描くと、水面の逆さ富士の姿が揺れる。

 有馬富士公園が整備されてからやってきたのはこれで二度目だったか。最初は三女を連
れてだから大して歩かなかったが、これほど整備されているとは知らなかった。笹の迷路
などは子供が喜ぶだろう。茅葺民家の横から運動広場を横切り周回道を進むと、左手にい
よいよ有馬富士の登山口が現れる。有馬富士も二度目。前回からは10年以上の月日が経
っている。今は遊歩道も整備されてまるで迷路のようだ。少しの急登を経て植林帯から木
の根が血管のように走る小道を行くとすぐに頂上広場だ。但し、頂上はまだ先で、この先
に有馬富士のハイライト、『わんぱく砦』が控えている。高低差20m位の岩場は適当に
窪みがあって登りやすい。山好きと見える若いご夫婦が子供を連れてザイルを使ったりし
て遊んでいた。
有馬富士への木の根道をゆく。この上が「わんぱく砦」の岩場
 岩場を過ぎると山頂はもうすぐそこ。地面に置かれた山名表示板に四等三角点『有馬富 士』。なんとなく見覚えのある風景が飛び込んでくる。待っていたかのごとく正午のサイ レンが流れてきた。今まで山の南側で無風だったのが山頂に上がると存外強く寒風が吹き 上げてくる。山頂すぐ南側がテラス状になっているのを幸い、福島大池や公園が広がる景 色を肴に昼食とする。
わんぱく砦付近から見た城ヶ岡(左)と加茂金毘羅山(右)
 下山は山頂の北西側から休養ゾーンの共生センターのある千丈寺湖方面を目指す。山頂 直下は急勾配だがすぐに落ち着くと周回遊歩道に出る。そこから小さなアップダウンが適 度にあるいい尾根道が整備されている。道には所々に番号杭があって、公園の地図と照合 すると現在地が分かる仕組らしい。もっとも、DLして持参した地図は字が小さすぎて老 眼の目に番号は判別困難だが...。(^^; 周囲はコナラやアベマキ、ソヨゴ、ミツバツツジ にコシダが下草といった典型的な里山の二次林か三次林で明るい。それらを透かして城ヶ 岡や台形状の金毘羅山が盛り上がっているのが望まれる。振り返ればこじんまりだがどこ から見ても端正な有馬富士の姿がある。
千丈寺湖への遊歩道から有馬富士
小さいが何処から見ても端正だ

 トントンと進んで杭番号191だかで千丈寺湖への近道分岐道標を過ぎてしばらくした
頃だったか。左側に意味ありげな赤い先行テープが巻かれているのを見つけた。当初はこ
のまま降り、千丈寺湖の湖畔道から真直ぐ南下する道を歩いて金毘羅山の取付きを探すつ
もりでいたが、これを利用すると上手くすればかなり近道ができるかもしれない。面々の
顔をみれば有馬富士のみでは物足りなかろうし、駄目なら戻ればいいし物は試しと衆議一
決。踏み込むことにした。

 意外やなかなかいい踏み跡が続く。テープも途切れずある。官林境界を示すと思われる
コンクリート杭があるので、もともとはその管理用の切開きらしい。踏み跡はすぐに短い
がそれなりに急な斜面を登っていく。全く視界は無い。ひとしきり登ると雑木の狭い山頂
で、分岐から凡そ10分。地形図の333mの無名標高点ピークと思いきや、なんと加茂
山と小さいプレートが立ち木に引っ掛けてあるのをGさんが見つけた。加茂は西のR17
6沿いにある集落だ。

 思わぬことに加茂山頂には四つの踏み跡が交わってきている。登路の他に北西方向から
も上がってくる道があり、南、そして西へ降りる道がある。鞍部の平坦地は西方向なので
西に下りる道を選択。境界杭もこちらの方向に伸びる。ぐっと一気に降りて鞍部からまた
登り返す。聞こえるのはわれわれの話し声と野鳥の鳴き声のみ。里山独特の明るく静かな
のがいい。地形図を見ると尾根は西から南へと延びていて踏み跡はそれを忠実にトレース
していく。しめしめ、ショートカットはうまくいきそうだ。

こんな冬枯れの踏み跡が続く(加茂山西の稜線にて)
 ほぼ水平の尾根道はやがて一気に急斜面を下っていく。落ち葉が分厚く積もっているの で足をとられる人が続出。しかも安易に立ち木を握ったら茨が巻いているという具合で油 断がならない。かく云う自分も踏み下ろした足が滑って股裂き状態になった。痛っ!  そんな悪戦苦闘?も終えて、思惑通り平坦地に出てこれたようだ。地形図の三叉路の所 で飛び出した場所にはテープや紐の目印が巻かれてあるが、こちらを起点にするにはかな り注意して探さねば分からないだろう。この平坦地、住宅地にでもするつもりであったに 違いない。コンクリートのU字溝が設置された二間幅はある道も整備されていたようだ。 しかし、一帯は今や自然に帰りつつあるようで、サルトリイバラや名も知らぬ雑木に占領 され、野鳥の天国になっている。廃道を西に移動し、道が北と西に分岐する辺りで現在位 置を確認する為に、持参したタブレットの地図アプリを稼動させる。予想通り変形四叉路 地点に居ることが分る。それにしてもタブレットは画面が大きく、地形図の確認に重宝す る。文明の利器万歳!だ。(笑)  カラマツかメタセコイヤらしき林(養生林か?)を右に見て、加茂金毘羅山の取付きを 探しながら廃道を更に西に移動する。イバラみたいな棘のある植物に抵抗されながら進み、 肩ほどの高さの笹に覆われた箇所を抜けると廃道も途絶える。するとやや右手、溝ほどの 小川を越えると明瞭な踏み跡が現れた。今はほとんど廃道然としているも、よく踏まれた 形跡があり、昔は集落と集落を結んでいた古道らしい。依然、取付きははっきりしないも のの、経験上、おそらく峠に行けば取付があるに違いないと、道も歩き易いのでそのまま 辿ればやがて峠と思しき地点に出た。神崎林業所有地と書かれた標柱が繁みに半分倒れて いる。見れば予想通り、南の城ヶ岡にも北の加茂金毘羅山へもうすいが踏み跡らしきもの があった。  峠越えもいい踏み跡が続いているが、金毘羅山には三角点があり、山頂の金毘羅社まで 行き着けば古い参道があるはずで下山も楽。ということで、一息入れて北側の加茂金毘羅 山を目指すことにする。すると数m登った所で人一人通れるはっきりした踏み跡が現れ、 適度に先行テープもあった。  ひとしきり登るうちにやがて小さな岩場に出た。視界が広がり目の前にでんと城ヶ岡が ピラミダルな姿を現す。東方向には辿ってきた有馬富士や加茂山も望むことができる。も う頂き(Ca310m)かと思われたが、そこは金毘羅山の谷を挟んだ東側の尾根で、西側に まだ数十mの高低差がある高みが見える。あれが三角点峰だろうと痩せた松の木や赤い実 をつけるソヨゴの間を縫うように、一旦北向きから西へと方向を変えながら、谷を迂回し ていく。踏み跡の傾斜も有馬富士から見た形状そのもので、饅頭型をしているからそれほ どきつくもなく思った以上に歩が捗る。そしてポンと飛び出したのはなんと金毘羅社の裏 手の繁みからであった。
山頂の金毘羅社。新しい注連縄は今も信仰を集めているらしい
 金毘羅社は社殿や金属製の鳥居の注連飾りが新しいところを見ると、今でも地元の人々 の信仰を集めているようだ。ただ、社殿と思しき建物は中が物置みたいになっており、そ の横の石の祠が本殿らしい。鎖で扉を開閉できなくしているのは罰当たりにも盗む輩が居 るのか。ところでなぜここに金毘羅社が鎮座しているのだろうか。慶左次さんの『北摂の 山』(下)にはこの山が天狗が休む大きな松がある山だったといい、些か牽強付会にすぎる かもしれないが、金毘羅権現の眷属が天狗ということから祀られたのかもしれない。  まあ、こんな詮索はこの辺にしておいて三角点である。社殿向かって右にPP紐があっ て踏み跡がある。ほとんど水平の踏み跡を辿ると200m足らずで見晴らしのない切開き があって、そこに綺麗な三等三角点『加茂』が埋まっていた。二、三の登頂プレートのみ の静かな山頂だが、そこから更に10m奥へ向かうと南向きの露岩がある。ここからの眺 望は高々360m足らずの低山とは思えない素晴しさで、北摂西部の山々が文字通り指呼 にできる。(最下部のパノラマ画像参照)すぐに同定できるものだけでも東に大船山から羽 束山、有馬富士、途中のCa310m峰に荒地のカラマツ(またはメタセコイヤ)林も見える。 目の前の城ヶ岡に福島大池、あそびの王国の『鬼ヶ富士』と呼ばれる猫の頭みたいな建造 物も認められる。更に古宝山から大峰山。六甲山塊の山上部は雪雲の中である。そして三 田市街のウッディタウン、フラワータウンの高層マンション群など文字通り手に取るよう である。  暫く憩って金毘羅宮に戻り参道を下る。少々荒れてはいるが、自然石を利用した段差な どもある幅1mはある道はやはり歩きやすい。こちらも分厚い落ち葉がフワフワと弾力を 放つ。  湧水で道がぬかるむ藪なかに、先達のHPにもある交通標識を転用した古い錆びた案内 板がかけられていた。判読し難くなっているがなんとか『石 金毘羅宮参道』と読める。 「石」?ではなく正しくは「右」。錆で消えているのだ。(笑)  廃物置がある。近くには大昭和製紙所有林の古い看板。ふーん。大昭和製紙(現日本製紙 )が所有しているんだと初めて知る。そういえば奈良の大峰の奥などで王子製紙の横断幕な どを良く見かけたものだ。和泉山脈では南海電車、瑠璃渓辺りでは能勢電鉄。この近辺に はキリンビールの社有林もある。結構、各会社、固定資産持ってるんだ。(@。@) 閑話休題。  緩やかな下りなのでどんどん歩は捗る。途中、参道を登ってくる時には間違えるかもし れないY字路(参道は左)が一つある。やがてなんとなくバイクや車の騒音が聞こえてく るようになったと思ったら、動物除けの緑色の金属の扉が見えてくる。と同時に林からも 飛び出して、前方には赤みを増した薄日の下、民家と冬枯れの三田の田畑が広がっている。 北側に小さな溜め池と墓地を見て村道に出ると農作業倉庫横に金毘羅山登山道と記された の木柱があり(先の金属扉にもマジックで登山道と書かれている)、R176はもうすぐ そこであった。
加茂金毘羅山の表参道口。左に登山口の標柱があり
入ること約50mで緑の獣除けフェンスがある
 あとは駅前へと戻るのみ。喧噪な国道を避けて農道を適当に南へ向かう。JR福知山線 の線路に沿いつつ、ほぼ30分弱ほどで新三田駅前に着いた。新年会を開くに時刻も良し。 だが、残念なことに野暮用があって、吾輩は参加あたわず失礼することに。駅前で解散の 挨拶をして干支オフは無事終了。参加の皆さんありがとうございました。今年も健康で歩 けるように願いたいものです。
【タイムチャート】
10:00〜10:20JR新三田駅
10:55福島大池
11:35有馬富士登山口
11:45頂上広場
11:45〜11:55わんぱく砦
12:00〜12:40有馬富士(374.0m 四等三角点『有馬富士』)
13:20加茂山分岐
13:28〜13:32加茂山(333m)
13:50〜13:52無名ピーク(Ca300m)
14:02〜14:05鞍部の平坦地
14:25〜14:32加茂金毘羅山・城ヶ岡間の峠
14:45〜14:46山頂東の松のピーク(Ca320m)
14:58〜15:15加茂金毘羅山(356.4m 三等三角点『加茂』)
15:40〜15:45金毘羅宮参道入口(登山口)
16:10JR新三田駅


■同行:裏人さん、呉春さん、幸さん、たらちゃん、二輪草さん夫妻、ハム太郎さん、
    ひろぴぃさん、モグさん(五十音順)
■今回のルートはこちら


有馬富士のデータ
【所在地】兵庫県三田市
【標高】374.0m(四等三角点『有馬富士』
【備考】
三田市の北部に聳える低山ですが、円錐形の秀麗な山容
の為、良く目立つ山です。南麓は三田市が有馬富士公園
として整備しており、道標も完備されています。
近辺には西国札所の播州清水寺、番外花山院があり、そ
の花山院の御詠歌に「有馬富士 麓の霧を海とみて波か
と聞けば小野の松風」と詠われています。
加茂金毘羅山のデータ
【所在地】兵庫県三田市
【標高】958.0m(三等三角点『加茂』)
【備考】
有馬富士公園の西側、地形図にも表示のある城ヶ岡の北
側に相対する山です。山頂の東南側の展望岩がらの眺望
は絶佳です。また山頂部に金毘羅宮があり西の加茂から
参道があります。尚、記載のルートを辿る場合は地図と
コンパスは必携です。
【参考】
2.5万図『三田』



加茂金毘羅山の展望岩から南方向の展望。北摂西部の山々が一望

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