平群の裏山で軽くヤブ漕ぎ

平群道の駅付近から椿井城址。左が主郭のあった243m山
平成24年 1月14日(土)
【天候】曇り
【同行】別掲


 山友のSさんが、奈良県の中でもとりわけ古くから開けた土地に建つ古民家を譲り受け
たという。しばらく改修や整理作業にと忙しい時期を過ごされたことだろうが、それもよ
うやく落ち着いて、ご近所の里山案内程度の余裕ができたとのこと。昼は焼き鳥パーティ
もあるとのことで、一度見学に行きたいものだと思っていたところには渡りに船だった。

 近鉄の駅から10分足らず。某庵と名付けられた新居(旧居、はたまた別荘?)は築1
00年は優に超すという古民家。その太い梁や天井なども巧みに活かしてモダンに改築し
てある。南向きのガラス戸と部屋の間にある廊下(小生はそこでポカポカ日に当たりなが
ら昼寝をするのが夢なのである)。建物の真ん中にある薪ストーブ。極めつけは日当たり
のいい南側の部屋に切られた囲炉裏だろう。冬、そこで鍋なぞつつけば最高だなあ。建物
の周りは家庭菜園の畑以外はまだ更地に近いが、ブナやコナラの苗が植えてあり、数年も
すればいい木陰を作るだろう。毎週土曜の夕、某TV局で『人生の楽園』なる番組が放映
されているけれど、それに出てもおかしくない。憧れるなあ。

 そんな某庵のガラス戸からも見える、東の方、長々と南北に伸びる隆起が矢田丘陵だ。
最高峰の矢田山でさえ332mでしかない。しかし侮るなかれ。古い里山だけに枝道が錯
綜し、気をつけねばあらぬ場所に飛び出したり、ヤブに行く手を阻まれたりする。その矢
田丘陵、今は冬枯れで稜線付近の雑木林の風情がいい。あと3か月もすれば、萌木色に容
色を改め山笑う季節を迎える。今日はそのほんの西の端を歩かせてもらうことになる。

 平群町の保健福祉センター「プリズムへぐり」の前を通り、竜田川に架かる協和橋を渡
り、頻繁に車が行き交う県道を横切ると椿井の集落である。公民館前を左に折れ、道標に
導かれて今度は右に曲がると立派な笠石仏如来像だ。造立は鎌倉期まで遡るとされ、一段
くぼませた平面に横向きの如来像が線刻されている。顔は磨滅してはっきりしなくなって
いるが、裳裾の線彫りはまだ見事に面影を伝えている。同じく鎌倉期の作である室生の大
野寺の磨崖仏とよく似た造りだ。こんな路傍の石仏さえも、地方にあるような土臭さがな
く優美であるのは、流石に日本の仏教の発祥を成した大和だけある。

 やがて左手にしだれ桜のこじんまりとした常念寺が現れる。その路傍にあるのが椿井の
井戸だ。物部征伐のみぎり、聖徳太子に従がったある将軍が椿の杖を戦勝祈願に立てたと
ころ、たちまち芽を吹き、傍に冷泉が湧きだすという奇瑞があり、見事、物部氏を破った
という伝承があるという。聖徳太子神格譚の一種だろうが、地元の方々もよく手入れされ
ているのであろう。覗くと未だに澄んだ水を満々と湛え、その伝承もあながちと思わせる
ものがあった。
常念寺横に椿井の井戸。その奥に椿井城址の登り口がある

 キャンキャンと闖入者に驚いた犬どもの鳴き声に追い立てられながら、続いて右手の古
い墓地を見学した後、椿井城址への山道に取りつく。のっけからの急勾配は落ち葉が分厚
く積もって実によく滑る。しかし、道幅は一間近くもあってよく整備されている。地元の
老人会の手になるのか、随所にある頭に赤いペンキを塗った竹製の標識が導いてくれる。
それに従い道なりに行けばまもなく宮裏山古墳の南を向いた石室の前を通る。墳丘の面影
はないが直径10mくらいの円墳だったそうだ。

椿井城址への登り

 次第に幅を狭めながらゆるゆると山腹を巻いていた道が再び厳しさを増すと尾根上の小
さな峠に出る。地形図の209m標高点に近いあたりだろうか。眼下の木立の向こうの白
い建物は平群町の焼却場だそうだ。そちらに降りてゆく道はなく、左に折れて尾根上を行
く。コナラ、アベマキ、クヌギなどの木々が多く、ここも至る所が落ち葉の絨毯である。
麓から眺めた時に風情のいい冬枯れの稜線に見えたのはこれらの木々のお蔭であろう。

 この付近から郭の跡が頻繁に出てくる。土塁の跡や土橋などの遺構が残る。椿井城はそ
の昔、戦国時代末期、後に石田三成の家老となる島左近が筒井順慶に仕えていた折、梟雄
松永弾正久秀の信貴山城に対する為に居城したといわれるが、真偽のほどは定かではない
そうだ。規模は南北300mにわたるとされ、南から北に歩いていくと、いくつかの堀切
があり、それは高さこそ3m程度であるものの崖状を呈し、ロープがないと昇り降りが大
変だ。主郭があった台地は狭いが、西の平群谷が手に取るようで、久秀の信貴山から生駒
山へと続く山並みが段のように続くのが一望される。特にここから見る信貴山は立派な独
立峰だ。
椿井城址からの眺め。眼下に平群の街並みが

 この辺りの最高点が243m標高点ピークで椿井城の主郭があったらしい。西麓の春日
神社から延びる大手道もある。ところでここには面白い物がある。何の木だか幹に大きな
コブが出来て、あたかもコアラが昼寝をしているように見えるのだ。地元の奈良新聞にも
取り上げられたその名も『こぶりん』という。確かに、見れば見るほど不思議な自然の造
形ではある。

243m標高点ピーク付近。椿井城の主郭があった
斜めの木に『こぶりん』がうずくまる

『こぶりん』の拡大写真

 ピークを更に北に進むと、先程の大手道を降りてゆくのが正規ルートらしく、郭跡らし
きものは残ってはいるがもう今までの様な道らしいものはない。右手に白石畑集落の所有
らしい棚田が見えたが、それも木の茂みの向こうに消える。地形図の等高線の詰まり以上
の激下り斜面だ。足を踏ん張る毎にザザッと土が崩れていく。木々に掴まって木の根元に
足をかけて何とか踏み留まる。蔓に足を絡め取られて抜くのにも苦労する。こんなことな
ら鉈を持って来たら良かった。(笑) 傾斜が緩んだ時、ようやくヤブランが青黒い実をつ
けているのに目が行く余裕ができた。(笑) 

 平坦になったと思ったら、そこは大きな石が転がる間をチョロチョロ水が流れる小さな
谷である。すると下流20m右に杉林が見える。杉林ということは必ず作業道があるはず。
谷から這い上がると小さな平坦地になっている。膝丈くらいのシダに覆われた中、平坦地
を横切ると、小橋が出てきて良く踏まれた道に飛び出した。地形図を見ると白石畑と平群
の中心部を結ぶ道だ。川を示す水色が引かれている谷の上部ということになる。結構長い
間格闘?したように思うが、時計を見ると30分くらいの時間だったようだ。地形図で確
認しても歩いた距離は知れたものだ。冬枯れでみっしり茂ったブッシュではなくまだ歩き
良い方だったけれど、ヤブ漕ぎはやはり時間がかかるものだ。(^^;

 道は下るごとに幅広になり、右手に長いコンクリート階段を見る頃にはオフィシャルの
道標も出てきた。それには松尾寺とあり、ジモティでもあるPさんによれば、松尾寺はこ
こから存外近いのだという。確かにここから西に出たあたりの村道との辻には、松尾寺を
示す古い石の道しるべもあり、信貴山や平群からの最短の裏参道として使われてきたに違
いない。現在は近畿自然歩道にも指定されているようだ。

 目の前には道の駅がある。振り返ると243m標高点ピークと歩いてきた起伏が手に取
るようである。地元産品をあれこれ物色。中には地酒を購入した人もい合町だが、あとは
竜田川を渡ってSさん宅へ戻るのみ。有線放送のメロディが正午を知らせた途端、急に空
腹を覚える。結局2時間ほどの山歩だったことになる。

 Sさん宅には娘さん夫妻もやってきていて、思い思いの酒も持ち寄っての賑やかに焼き
鳥パーティ。長男君にも遊んでもらいながら日の暮れるまで時を忘れたのだった。




 ■同行: 幸さん、たらちゃん、二輪草さん夫妻、ハムちゃん、ペンギンさん夫妻、
      水谷さん(五十音順)



【タイムチャート】 
9:45Sさん宅発
9:55〜9:58笠石仏如来像
10:00椿井の井戸
10:10椿井城址登山口
10:22小峠
10:27南の郭群址
10:46〜10:50243m標高点ピーク(主郭址)
11:20白石畑への谷道
11:25〜11:30水道施設の階段前
11:45平群道の駅



椿井城址のデータ
【所在地】奈良県生駒郡平群町
【標高】243m
【備考】
矢田丘陵の南西部、平群の町を西に見下ろす付近に椿井
城址があります。土着の豪族椿井氏によって戦国初期に
築造されたといわれますが、石田三成の家老となった島
左近によって築かれたとの説もあります。南北300m
東西100mの規模を持つ山城で、現在、調査が進めら
れています。
【参考】
2.5万図『信貴山』



今回のルート参考図 (提供:Mさん)

トップページに戻る

inserted by FC2 system