蟹ツアーついでに進美寺山

日高町江原付近から進美寺山(右)
平成23年11月26日(土)
【天候】晴れ
【同行】単独


 毎年恒例となっている会社の旧職域メンバでの日本海方面への親睦蟹ツアー。ここ3年
ほどは諸般の事情で不参加だったが、今年は久方ぶりに参加することにした。

 ところで何時からかこの蟹ツアーにかこつけて、いい機会だからと但馬や丹後、丹波北
部の低山に登ることが通例になっている。今までに登ったのは三岳山、高竜寺ヶ岳、磯砂
山、依遅ヶ尾山、由良ヶ岳、弥仙山等々。あらためて数えてみれば色々食い散らかしてい
るものだ。(^^; 今回は円山川沿いにある旧日高町の進美寺山(しんめいじやま)にして
みた。実はかなり以前になるけれど、ネットの古いお仲間のたじまもりさんから、何かの
ついでに一寸稼ぐにいい山だと勧められていたのを思い出したのだ。標高400m足らず
の低山ながら歴史のあるいい山らしい。ちょっと早めに家を出て寄ってみることにした。

 8時半過ぎに自宅を出る。冬型の気圧配置も緩んでこの土日とも行楽日和という予報通
り青空が広がる。高速料金を節約しようと地道で三田まで走って舞鶴道に乗り、春日から
和田山へと走る。R9を避けて円山川の右岸沿いの県道2号をしばらく北上すると、東か
ら山並みが延びてくるのが眼に入ってくる。その端に盛り上がる端正な峰が進美寺山らし
い。新しく出来たバイパスでその進美寺山の下をトンネルで抜けると赤崎の集落である。
ほとんど人通りのない村はずれの路肩の膨らみに車を置かせてもらう。

 集落に入ると角の公民館の壁に進美寺への道案内があるので迷うこともない。車一台が
やっとという狭い路地はすぐに坂道になる。ある農家の門の前で小父さんが何やら作業中
だったので声をかけてみる。台風の影響で登れなくなっているのではと危惧したからだが、
小父さん曰く、神社の前に電柵が仕掛けてあるが、日中は切断してあるので扉を開けても
大丈夫。まあ登れるだろうということであった。

 まもなく六地蔵の祠が左手に。その先が伊久刀神社だった。神社のこじんまりした石段
前に確かに電柵が長々と仕掛けてある。でも扉なんて無いよ。小父さん。 (^^; よく見
ると引っ掛ける為に鉤状になった取っ手があるのに気がついた。金属部分に触れないよう
に外す。(^^;
伊久刀神社。進美寺の護法神社だ

 小さな境内のこじんまりした神社だけれど、れっきとした式内社だそうで、軒の彫り物
はなかなか精巧。進美寺を守る護法神社だったとのことだ。その神社の神輿庫だろうか建
物横から右の沢沿いの山道に降りる。ほんの最初はコンクリートで良かったがすぐに土の
道、それもイノシシに掘られたのか掻き回したような泥濘。獣の足跡だらけで、さながら
鹿イノシシの泥パック温泉みたいだ。しかもさっきまでここに何かがいたのか獣臭が非常
に濃い。と、測ったように鹿の警戒音が鋭く木魂する。結局5mほどであったけれど、滑
るわ滑るわ、こんなひどいのが続くのなら諦めて帰ろうかと、思ったくらいである。(笑)
右に小さな古い砂防堤がある。左にひねた笹の中に石段。雑木には『進美寺道』と標識が
かかっている。

 進美寺は行基が開基したとされる天台宗の古刹。播磨近辺には法道仙人が開基という寺
が多いが、但馬もこの付近までは影響が及ばなかったらしい。(笑) 但馬有数の寺は戦国
期の戦火の中で一時衰微していたのを江戸時代に歴代の出石藩主が再興し、山頂の白山権
現堂は文政年間に仙石久利が寄進したもの。残念ながら山上の寺は無住になったが、赤崎
集落に里坊があり、納経などはそちらで頂けるという。湿った落ち葉が分厚く積もった道
はそんな歴史を感じさせるように深く洗掘されて、緩やかにつづら折れを繰り返す。その
うちに杉や樫などの常緑樹で薄暗かった周囲も落葉樹の林に変わって明るくなって、こち
らの気分もよくなった。里に近い低山なので色々な生活音が上がってくる。救急車のサイ
レン、JR山陰線を走る列車のレールの音が一際、山の空気を振るわせる。

 登り始めてから15分ほどで露岩の上に置かれた最初の丁石仏に会う。五丁と刻まれて
いたと思うが、木の間からは赤崎の集落が覗く。そしてまた凡そ15分登った所で、九丁
石仏と共に石の道しるべが現れた。「左 進美寺観音堂 右 山頂、白山権現』とある。
まずは進美寺へと左を採ることにする。

分岐白山権現と観音堂の分岐にある。九丁仏が立つ

 山腹を巻く道はほとんど高低差がない。右に大きくカーブする所が尾根の突端のようで
薄い踏み跡が認められる。ここを廻り込むとやや昏い林が続き、山壁と反対の左側はかな
りの落差で落ち込む傾斜だ。木々の薄い所から望まれるピラミダルな山は尾根続きの須留
岐山らしい。やがて小庭の池ほどの水場。色づいた数本のカエデの下、朽ちかけた木橋を
渡ると、六地蔵だか六弘法だかの坐像の座る祠の横から進美寺の境内に出た。ここも鹿イ
ノシシの運動場なのだろう。あちこちに糞が転がっている。

 昔はユースホステルにもなっていたらしい大きな庫裡。何時頃無住になったのだろうか。
まだ使えそうな消火器も置かれている。庫裡の東側から林道がやってきているのは地形図
にも記載のあるものだろう。反対側、五段程の石段を登ると小振りな山門がある。身の丈
2mはある左右の阿吽像も少し淋しそうな風情。その仁王像に護られた観音堂は修復中な
のか雪囲いの為なのか、壁が派手な色のビニールシートに覆われているのが風景にそぐわ
ない。本尊は下山したのだろうか。寺から山頂の権現堂へ行く小道を探したけれどはっき
りしなかったので先程の分岐まで戻ることにした。

進美寺観音堂。黄色の覆いは雪囲いらしい

 頭上に見えている急傾斜のザレ場を直登するのかと思ったら、左につづら折れのいい道
がついている。今までとは一転、ゴロゴロした石の重なる歩き難い道だけれど、乾いてい
るので助かる。何度か切り返しながら尾根らしき所まで上がると石の鳥居が現れた。鳥居
の裏手からいい道が合流しているがこれが寺からの道だろう。しかし、寺の境内のどの辺
りからやってきているのだろうか。興味ではある。

 鳥居からはやや細い尾根上をいい雰囲気の小道が伸びる。途中に西側がぽっかりと空い
た展望地があり、眼の下に蛇行する円山川の流れが見て取れ、視線を上げれば三川山、蘇
武岳、妙見山と続く1000m級の山々がある。白く目立つ建物が但馬ドームでその辺り
が明日行こうと思う神鍋高原だ。北に転ずれば但馬空港の滑走路や来日岳らしい独立峰が
目立つ。

 切り開きの中に白い壁の建物が見えた。江戸時代に勧請された白山権現堂を守る保護建
屋である。覗くと本物の権現堂の小祠がある。この権現堂の背後の藪が刈られ、例の白い
三角点標柱と新たに置かれた四等三角点がある。但し、標石ではなく、基準点のように金
属プレートである。やや展望が効くのはこの三角点の辺りのみで、それも西方向が少し望
める程度である。登る途中にあった展望スペースの方がいい景観なのでそちらまで戻るこ
とにした。

金属プレートだった進美寺山の四等三角点

 まだ1時過ぎなのに初冬の陽はもう心なしか赤っぽい。しばし西の眺めや尾根から北の
展望を愉しんで、来た道を下る。一度歩いた道は勝手がわかっているので往路より短く感
じるものだ。あっという間に分岐。例の泥田は存外滑ることもなく、小半時もかからずに
神社の境内であった。

 赤崎の集落内をブラブラと車に戻る。お茶でのどを潤しあとは一路、蟹の宿に向かうの
み。市街地を避けて但馬空港取付道路経由で竹野の中心へと出て、海沿いを数km走ると目
的地の民宿だ。一番乗りで、3階の部屋から入り口を見下ろしていると懐かしい顔がやっ
て来る。皆で一杯交わした後は、積もる話は後にしてとりあえず風呂で一汗流すことにし
よう。今夜は長い。


【タイムチャート】 
12:00〜12:07赤崎集落北(駐車地)
12:15〜12:16伊久刀神社
12:44〜12:45観音堂分岐
12:50〜12:56進美寺観音堂
13:01観音堂・白山権現分岐
13:06石鳥居
13:12〜13:15進美寺山(360.6m(四等三角点))
13:21石鳥居
13:25観音堂・白山権現分岐
13:40伊久刀神社
13:50赤崎集落北(駐車地)



進美寺山のデータ
【所在地】兵庫県豊岡市(旧日高町)
【標高】360.6m(四等三角点)
【備考】
出石町の西、東西に延びる山並みが円山川に沈み込む手
前で堰き止められたように盛り上がる山塊が進美寺山で
す。中世には山頂に進美寺があり、隆盛を極めたとのこ
とです。尚、東の須留岐山から縦走路があります。
【参考】
2.5万図『江原』



展望地から西方向。中央の白い建物が神鍋山の但馬ドーム
奥の山並みは右から矢次山、三川山、蘇武岳、妙見山

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