干支オフは寅の信貴山から鳴川峠 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明けましておめでとうございます。本年も宜しくご愛顧の程を。 さて、正月、SRC恒例の干支オフ。今年は寅歳。寅歳といえば信貴山。最近はラジオ でもスポットCMを流している。曰く寅歳寅の日寅の刻に毘沙門天王が出現した云々。更 に、某NHKの「往く年来る年」でも放映されたというわけで、今年はすんなりと行き先 が決まったのでした。所謂、信貴山と呼ばれる朝護孫子寺には、うん十年か前に父親と初 詣に来たことがあるが、山歩きも目的として来るのは初めて。近くの高安山には三角点も ある。三角点教の信者?としてもいい初詣の山になるわけです。(笑) 集合地点は近鉄大阪線の恩智駅。集合時刻の9時前に駅に降りると、待合室には既に今 日のリーダーのTちゃんらが居て、同じ電車で着いたメンバと合わせ遅刻者はなし。優秀、 優秀。(笑) 恩智と聞いて数ヶ月前に読み返した吉川英次の私本太平記を思い出す。楠正成の家老だ ったか、恩智左近なる人物が登場するのだ。高架の駅下にあった説明板によれば、やはり ここはその恩智左近所縁の土地なのだそうだ。それもそのはず恩智神社の神官だったそう な。Tちゃんが準備してくれた近鉄のテクテクマップを見ながら東の山際へ向かう。この 道は恩智越という古い道筋で、駅近くはご他聞に漏れず風情のない店舗が並んでいるが、 少し離れれば白壁や土壁に黒瓦の民家が残っている。途中交差する旧R170は東高野街 道と呼ばれたそうで、四つ角には土蔵の古い民家、そして古い石の道標が往事を偲ばせる。
やがてこんもりした式内社の恩智神社の森が見えてきた。長い石段を登った先、西向き の小高い台地に立派な社殿がある。正月の初詣客を当て込んで露店も2、3並んでいると ころを見ると、町内の信仰がいまだに厚いようだ。お神酒をいただけるようなのでかわら けで一献。空きっ腹がほの暖かくなった。 恩智越の道は神社の北側を伸びていく。信貴山へ詣でるのか、同じ方向へ向かうハイカ ーも結構いる。そこへ1台の軽四輪が現れた。「ゴミを捨てないように願います」と降り てきたジモティーのおじさん、竹箒を持ってしばらく同道。ハイカーのマナーが非常に悪 いと嘆いておられた。 最後の民家で右に折れるといよいよ山懐へ入って行くことになる。「イノブタに注意」。 イノシシに注意なら度々見かけるけれど、イノブタは初めてだなあ。(笑) そういえばあ ちこちに掘り返した跡を見かける。こういうあたりはイノシシと一緒だなあ。
を引く牛も馬も行き来できるような按排だ。道端に桜が植えられているほかは自然林が多 いのは意外である。ただ、展望にはあまり恵まれておらず、時折、八尾の空港や市街を始 め、大阪南西部が眺められるくらいだ。大阪空港の着陸コースなので飛行機の騒音も少々 艶消しである。 恩智から3.4km。峠と思しき辺りはいい山道が分岐しており、大阪環状歩道として整 備されている。JR関西線の高井田駅に出られるようで、これを利用すると生駒縦走の最 南端の大和川まで行けそうだ。そしてすぐに今度は高安山への分岐。これを左に過ごして 霊園の中の車道をトンネルでくぐり抜ける。ここまで来るともうほとんど傾斜はなく、葉 を落とした広葉樹の林や、昔は田んぼだったような湿地を見ながらの歩きである。が、1 0分もすると車道が現れ、石の古い道しるべはあるものの、その先で恩智越は新しい車道 と信貴山のどか村によって寸断されてしまったみたいだ。
のどか村でトイレ休憩。テクテクマップは少し戻って車道を朝護孫子寺へ向かうようだ が、それではあまりに風情がない。Sさんがのどか村のゲート前から竹やぶに向かう小道 を歩いたことがあるとのことなので、そちらを選択。これは関電の巡視路になっていて歩 きやすい。しかもコナラやツツジの雑木林。途中の鉄塔下からは眼下に多宝塔など信貴山 全域が見渡せる。中央でこんもりと小高いのが信貴山の最高点の雄岳らしい。 やがて小道は車道を陸橋で越えると斜面を下ってとっくりダムの細長いダム湖の前へ出 る。結構揺れる100mはあろうかという吊り橋を渡り、右に折れて更に左に折れるとも う寺の前だ。12年に一度の寅歳。駐車場の空きを待つ参拝の車の列。その先の橋の前で は境内の道が狭いのか入場制限していて、今度は参拝者の列だ。待つ間に土産物屋で焼い ている草餅を頬張る人を多く見かける。
ている人。途中の祠に参る人などでごった返す。その中を泳ぐようにようやく行き着いた 本堂では本尊の毘沙門天像を開扉していると聞くが、人も多いし時間もなくて見られそう にない。名物戒壇巡りも諦めて、高安山へのルート途中でもある雄岳へ回ることにする。 雄岳には信貴山縁起絵巻に描かれているところの空鉢を祭るお堂がある。参道から折れ て約700mの道のりだそうだ。下山してくる人は一様にブリキ製のポット様の小さなバ ケツを提げているのが面白い。
結構きつい登りはつづら折れていく。数多の朱塗りの鳥居細い参道を参拝者と肩を並べ て、思った以上に息を切らせてようやく山頂。お堂の前からは南に金剛、葛城、岩橋山が 一直線に行儀よく居並ぶのを見る。それからお堂の周りを一回り。下山者がバケツを持っ ていたのは、祠の周囲の玉垣の上に置かれた蝋燭の入った容器に、火を消す為の水を入れ て持って上がるのだった。なるほど。ふーん。 お堂の石畳の参道横、ハイカーがたむろする小さな広場には、下剋上の典型として教科 書にも登場する松永久秀が築いた信貴山城の本丸があったのだという。説明板を眺めれば、 尾根筋を利用したかなり大規模な山城だったようで、織田の大軍を50日も支えたという のもよくうなずける。 広場から少し下がり、高安山へのハイキング道を脇に少し入った杉木立で昼食を摂った 後は、植林からいつの間にやら明るい雑木林の中に変わった中を高安山に向かう。ほとん どアップダウンはなく、弁財天滝から信貴山へ行く道と分かれて西へと歩く。信貴生駒ド ライブウェイを横切ってまもなくだったか、広い道の十字路に出た。高安山の三角点はこ のあたり。すると切り通しの横から茂みに吸い込まれる小道にテープがある。ちょうど一 元の宮という宗教法人の作業小屋の裏になり、周回するように50mも進むと、弱い小笹 に囲まれた二等三角点の高安山山頂に出た。残念ながら展望はほとんどないが、茂みを通 して白亜のレーダードームが望める。大阪側からもよく見えるランドマークである。もと 来た道を下りていくと、さっきは気づかなかったがもうヤブツバキの花が咲いていた。
か大災害を予測して、それが外れてから信者が減って今は千人くらいだとか。それにして もこんな施設を維持しているのだから宗教法人のパワーは凄い。 さて、一元の宮の施設から北へと進もう。どこまで行くかは時間との相談。何せ夕方か らは鶴橋で新年会なのだ。とりあえず十三峠までは行くことにしようと一決。縦走路はほ ぼ信貴生駒スカイラインに沿って進むのだが、微妙に車道を外して道がある。車道を横切 る所は危険防止の為であろうトンネルになっている。身の丈を越えるササヤブの繁みもあ るが、きれいに切り開かれて、景色は見えないものの風防止には絶好である。また、歩い てみて意外だったのは植林がほとんどないことだ。冬枯れの自然林が非常に美しい場所も ある。下りになると南北方向に見る生駒山が徐々にではあるが近づいてくるのが分かる。 そのうちに、円形の大きな施設が現れる。大阪空港の着陸進路下にある旧建設省の航空灯 台らしい。横を抜けていく縦走路からは大きな照明灯の列が空を睨んでいた。 生駒には大阪と奈良を結ぶいくつかの重要な峠がある。十三峠も鳴川峠もその一つで、 平群への林道を過ごすとまもなくまずは十三峠に到着する。昔ながらの石の大きなお地蔵 さんが今も西向きに立っている。江戸期に大和側の福貴畑の人々が建立したということで、 平安期には在原業平も越えたとか、天理教の教祖の長女も布教の為にこの峠を越えて大阪 へ出たとか、いろいろな話が伝承される古道の峠。好きだなあ。(^^/ ここは暗峠と違って狭いけれど車道が峠を越えていて、大阪側に駐車場もあることと、 夜景がきれいな為に、いいデートスポットにもなっている由。今も何台かの車が止まって いる。デートを楽しんでいるのだろうか。 さて、ここを降りて近鉄服部川駅へのハイキングコースを下る選択肢もあったが、もう少 し進める時間の余裕もありそうなので、次の鳴川峠を目指すことにした。 峠の名前の由来となった十三塚横を通過。歩道橋を渡るとやがて丁字ヶ池が左に見えて くる。鐘の音が聞こえてくるのは、この先の「鐘の鳴る丘」の鐘の音だろう。この頃にな ってくると、だいぶ足も疲れてきたのか、丘への短い登りも少しきつい。(^^; 案外、ア ップダウンが多いので、ボディブローのように効いてきているのだ。それで展望台にも登 らず、一休みしただけで先へと進む。少し車道と離れて明るい雑木林。小さな台地のベン チからは音羽山塊や矢田丘陵が指呼。若草山の茶色い冬枯れの芝も見ることができる。北 側には生駒よりその手前の大原山が大きく高くそびえる。 野外活動センターの園内の一部なのか、キノコのシェルターがポコポコ出てくるように なると鳴川峠も近いと手元の案内地図は示す。東屋のある辺りは大阪側が絶景で、六甲や 北摂の山々まで見通せる。眼下にしている花園ラグビー場ではちょうど高校ラグビーの真 っただ中だろう。すぐそこに歓声が聞こえてくるようである。
鳴川峠のお地蔵さんは首切地蔵と呼ぶそうだ。確かに首のところが一直線に切れている が、今も花が手向けられ、地元の信仰の厚さがしのばれる。十三峠2.2km、暗峠1.4 kmとあって、案外、暗峠まで近いんだと思ったが、もう3時半近くとなって、今日はここ で縦走路と分かれて瓢箪山駅へ下山である。 お地蔵さんは上の方にあって、奈良側の千光寺へ抜ける道とは立体交差。下の道で急坂 を30mも下ると車道を横切る。ここにも道標が立ち近鉄奈良線の瓢箪山駅までは3.1 km。およそ後1時間弱の行程である。下るに従って、つる草が多く、やや荒涼とした風情 の鳴川谷も徐々に流れる水音がし始める。往時は旅人の喉を潤したに違いない所々にある 湧き水も、今は生水は駄目の注意書きだ。 隣から谷が合流する場所は少し小広くて昔は水車小屋があったそうな。六甲にも芦屋川 上流には急峻な地形を流れる水を利用して水車が多くあったといい、それに使われた石臼 も残っているという。風と共に水は江戸時代以前は日本人の使えた最大の動力である。製 粉などに大いに役立ったろう。 砂防ダムでできた池の下からは鳴川は渓谷状となる。ごつごつした岩の間を水が落ちて いくが、やはり思った通りそこには行場があって、霊光院という真言宗のお寺がある。楠 正行がここで死んだという言い伝えもあるという古い寺らしいが、あまり一般には公開さ れていないようだ。左右が廊下状を呈した岩の所為で辺りはほの暗いが、それを抜けると ようやく民家の屋根が見え始める。なんだか墓地を造成して途中で倒産したような中途半 端な墓地があったり、急坂を造成したような新興住宅地があったり。こりゃあ、少なくと もバイクがなきゃ暮らせないなあ。などとしゃべりあう内に古い街並みも出てきて、旧R 170を横切ると、もう駅は遠くない。道は自然に商店街へと導いて、瓢箪山稲荷の鳥居 を見てアーケードを行くと瓢箪山駅前である。 ちょっとまだ慣れずに不思議な感じがする三宮行の電車が来た。東花園駅では高校ラグ ビーの優勝候補、東福岡高校の連中が乗ってきた(後日、優勝した)電車はやがて暮れな ずむ鶴橋駅へ。焼き肉の匂い漂う駅前を抜け、某お好み焼き店で打ち上げ&新年会。ビー ルが美味い。今年も無事に健康で山歩きができますように。みなさん、お疲れさまでした。 ■同行: アラカシさん、裏人さん、呉春さん、幸さん、たらちゃん、二輪草さん夫妻
|