爽秋の木地山峠から池河内越

桜谷山から江若国境の稜線(高島トレイル)
奥は駒ヶ岳。その手前が与助谷山。
右の稜線が下った池河内の尾根
平成22年10月 2日(土)
【天候】晴れ一時曇り
【同行】たらちゃん、水谷さん


 過日、角川から湖北武奈ヶ嶽を歩いたことで、高島トレイルの未踏区間も残り少なくな
ってきた。その貴重?な残り区間で最長の区間が駒ヶ岳ー木地山峠間の尾根である。絶好
の山日和の今日はそこを歩いてみることにした。が、また少し未踏区間が残ってしまいま
した。(^^;

 午前7時に迎えに来てもらって、通いなれたR367を北上、朽木の中心地を抜けてし
ばらく走る。木地山の案内板に従って左折(西)、県道を10kmも行けば湖西最奥の木
地山集落だ。幾つか小字があって、その内の中小屋地区に高島市バスの木地山BSがある。
立派なトイレと川沿いに5、6台の車が駐められる駐車場が整備されている。9時前に到
着したのだが、いつ以来か、今日は久しぶりに幾組かの登山者を見かける。(^^; おりし
も京都からしい7名の中年男女パーティがスタートしていく。我々の後からも2台の車が
やってきた。静かな山里に場違いな賑やかさだ。

 団体さんに送れること1分。麻生川の上流に向かって出発。川沿いに並ぶ数軒の民家の
間を抜ける。薪が物置の壁に整然と高く積み上げられているのは冬が厳しい証拠だろう。
感心したのは、一軒の民家の前に置かれた風変わりな裸の夫婦の河童像だ。(一体、何に
感心したんだか?)(^^; でも、何の為に置かれてるんだろう?夫婦和合かな...。

一体、これは何なんだ?(笑)

 やがて民家は途切れて杉の人工林の中である。すぐの大きな二股は木に打付けられた道
標に従って直角に右折する。枝打ちや間伐などの整備が行き届いているので明るい林。切
り株のスギヒラタケが白い。

 右手に麻生川の流れの音を聞きつつ、左に林道が分岐し上がっていくのを過ごして、左
へカーブするとすぐにまた分岐がある。朽木村山行会の朽ちかけた道標があって、木地山
峠は左だと示している。ここで林道と分かれ、左股の沢(北谷)のやや荒れた川原のよう
な場所を抜ける。どこからかカラメルに似た香りが漂う。すぐ目の前にカツラの木があっ
た。

 徐々に山道らしさが出てきて、ゆるゆるとした登りは古道の風情を醸し出す。今利用す
る人はせいぜい杣人か登山者くらいだろうが、昭和の初めまでは木を利用した生活用具や
薪炭を運搬する牛馬や村人、商人が行き来したのであろう。それらを見つめてきたに違い
ない大トチノキが道ばたの斜面に株元に大きな洞を開けて立っている。一面、落ち葉の斜
面に一筋の踏み跡、まことに画になるなあ。

木地山峠に向かい北谷を行く

 古道は時に薄くなりつつも山懐に向かい、何度か北谷本流や支谷の渡渉を余儀なくされ
る。渡してある丸太は苔生し、沢の中の石も滑りやすく、おっかなびっくり。今日は水量
もやや多いようだ。雪の重みで圧壊されたような小屋を見て、何度目かの渡渉。ここにも
大きなカツラの木がある。冬、この辺りでビバークした山仲間もこの小屋の崩れた屋根を
覚えているのだそうだ。

 道標が出てきた辺りで北谷の流れから離れて、右手の小さな涸れ沢沿いの斜面を一気に
上がる。その先で休憩中の団体さんと先頭を入れ換わる。この付近から先はやや薄暗く湿
った感じがある。杉林に木地山峠へと道標を見て、やがて中華鍋の底みたいな窪地に出る
と、赤錆びた山仕事用のディーゼルエンジンが右に放置されている。炭焼き窯跡があった
のはこの辺りだったろうか。ジグザグに目の前の斜面を上がって、涸れ沢の左岸をほぼ水
平に進む。しばらく行った先の右の尾根に上がる明快な踏み跡が要注意だ。うっかりする
と我々の様にそのまま登ってしまう。古道ならこんな道のつけ方はしないだろうに、ひょ
っとして道が崩れて新たな踏み跡が出来ているのかと不審がっていると、下からMさんの
呼び声が聞こえる。やっぱり....。5mほど下で、やや下り気味の踏み跡を見落としてい
るのだった。(^^;

 左にいよいよ水が無くなってきた谷を見つつ、更にほぼ水平の道を進む。その沢の源頭
近くでようやく対岸に取りついた道は、古い峠道の典型的な道のつけられ方をして、つづ
ら折れで急斜面を登っていく。にわかに明るくなった先がこれで二度目の木地山峠だ。祠
に入った地蔵さんの柔和な顔が今日も迎えてくれている。

若丹国境の木地山峠。中央分水嶺が走る
左、百里ヶ岳、直進は上根来、右が駒ヶ岳

 団体さんが追いついて来て賑やかになった木地山峠を後にして、いよいよ今日のハイラ
イト、中央分水嶺である江若尾根の歩きが始まる。まずは今日の最高地点である桜谷山へ
の標高差約150mに取付く。これが結構きつい登りである。とはいえ胸突き八丁という
わけではないので、まだ周囲を見渡しながら登る余裕がある。概して、滋賀県側は植林、
尾根上と福井県側は自然林だ。その自然林は錦秋というにはまだまだ早いが、中でもムシ
カリは真っ赤な実を成らせ、部分的に赤くなった枝葉のものもあり、シデだろうか、ハラ
ハラと風に黄色い落ち葉が二つ三つという風情もある。そうしていつの間にやら傾斜が緩
むと、丸く広い桜谷山の山頂に至る。展望は思うに任せないが、大きなブナの木の近くに
南側が開けた明るい場所があって、我々はここで大休止。倒木に座って湯が沸く間、展望
を楽しむ。西に百里ヶ岳。中央遠くには比良の武奈ヶ岳が霞み、優美な蛇谷ヶ峰が横たわ
る。東の江若尾根沿いには与助谷山があっていい尾根が中小屋に下っている。その向こう
の高みは駒ヶ岳だろうか?そして南方向の山々のひだの中に出発点の中小屋らしい集落が
認められた。

 日差しも柔らかくなり、そろそろ熱いものが嬉しい季節。ラーメンを啜っていると、木
地山峠で休憩していた団体さんが通り抜ける。今日は駒ヶ岳迄行かれるとのことである。

 小一時間程度ゆっくりした後、桜谷山の東側に出て斜面を下る。高島トレイルが走るな
だらかな江若尾根が目の前に展開する。そして下った先は日本庭園のような風情で、ウリ
ハダカエデやハウチワカエデが多いことから、あと一月もすれば素晴らしい色合いになる
ことだろう。そんな中、小窓のように福井側に間隙があって、上中の平野の向こうに若狭
湾の島影が浮かんでいるのが見えた。一方、滋賀側に見える蛇谷ヶ峰の向こう側はもう琵
琶湖なのだ。日本海と琵琶湖のの間が存外狭いことを実感する。

 この付近の江若尾根は殆んど起伏がなく、距離があってもあまり時間はかからない。シ
ダ原を抜けて、あっという間に765mピークの手前に達する。この辺りは小さな二重山
稜になっており、その間の窪みが尾根を越えて南へ下る谷の源頭をなしているという、ち
ょっと面白い形状をしている。

 だいぶ与助谷山らしい山影が近づいてきた。そして今回のコースで最も素晴らしいのが
この与助谷山西側の尾根のブナ林だろう。太い大物はないものの、まるで整然とした並木
のようで清々しい。
与助谷山へのブナの並木道?

与助谷山山頂にて

 間もなく着いた与助谷山も広くてなだらかな丸い感じのする高みである。ここは木地山
峠と駒ヶ岳のほぼ中間地点で、木地山(中小屋)への分岐道標が立つ。(中小屋2.3km、
駒ヶ岳2.4km、木地山峠2.8km)このまま駒ヶ岳方面へ向かってもいいが、地形図を
眺めると与助谷山から南に下る尾根が何とも魅力的に見えて、これを下ることにした。

与助谷山南尾根にて

 ブナ、ミズナラが主体の柔らかい尾根は落ち葉でフカフカ。思わず転がって降りたい衝
動に駆られるくらいである。極楽、極楽。ところが、極楽はすぐに暗転。杉の人工林に代
わってしまう。それでも尾根上は自然木が若干残されている。なぜ皆伐されず残されたか
は一本の大きなブナを見て判明した。伐採した杉材を下す滑車とワイヤの支点や支柱にさ
れるのだ。ワイヤが放置されたブナはそのワイヤを幹深く巻き込み、喰い込ませて何とも
痛々しい。けれど、ワイヤを巻かれて道管を遮断されて枯死したミズナラもあることを考
えると、その生命力には舌を巻く。その時だったかタイミングよく鹿の物悲しい甲高い鳴
き声が響いた。
ワイヤが喰い込んだブナの幹

 それにしても今年はキノコが多い。あちこちの朽木や地面からポクポクと。中には食べ
られるものもあるのだろうが、食い意地の張った吾輩でもこればっかりは....。(笑)

 新しい道標が現れた。「池河内越」の文字がある。ガイドによれば、池河内越は与助谷
山の西側の鞍部を通るとあるのだが....。台地のようにだだっ広くなった杉林の中、64
9m標高点を通過。シカやイノシシの「スーパー銭湯」みたいな二つ連なったヌタ場を見
る。つい最近も来場?しているらしく、泥に新しい足跡、糞が転がっていた。

 尾根の中間地点まで来たようで再び現れた道標には中小屋1.1km、与助谷山1.2km
とある。辺りはまた雑木林となって傾斜が厳しさわ増す。この付近だったか、直径1mは
優に超えるであろうアカガシらしい巨樹が2本。この近在の主のような存在はいいランド
マークになる。

 細くなった尾根を下るに従って、西に聳える百里ヶ岳が随分高くなってきた。緩やかに
なった尾根に、ハナヒリノキやアセビの茂る間にはっきりとした踏み跡が現れた。と、朽
ちた木製の鳥居がポツン立っている。近くにあった道標によれば愛宕神社跡だそうだ。石
灯篭が立っていたらしい礎石の石組跡が木の葉に埋もれている。鳥居の先は神社の参道だ
ったのだろう、明快な小道が細い尾根に残っている。この風景どこかで見た覚えがあると
思ったら、そうそう、ポンポン山の西の樫田地区にある樫船神社の参道に似ているのだっ
た。

 やがて林道のコンクリートの白い路面が左下に現れて、右手にもログハウス風の民家の
屋根がちらつきだす。小道は数m下に近づいた林道へ降りるのだが、尾根の始端まで行っ
てみようと頑張れば、20m位で廃屋横の林道始端に出た。テープや案内標識らしきもの
はなく、ここが池河内越の始点とは分からないだろう。因みに隣に現れた林道は今回の尾
根の東隣の尾根を巻く林道のようである。

中小屋に戻ってきた。中央の繁みが池河内越の突端

 戻り先を間違えてまた西へ向かいかけたのを慌てて逆方向へ。お寺(長泉寺)と神社を
左の高台に見て、小川が流れ込む辺りで小さい子供の声がした。廃屋も目立つ中小屋の村
には珍しい。祖父母に連れられた女の子だった。聞けば近くの公園に勤める息子さんが、
すぐそこの古い二階家を借りて移り住んでいるのだとか。道理で若い人が乗ることが多い
HONDA車が止まっている。横を流れる小川に繁茂するクレソンは以前、上流に植えた
ものが大水に流れたものだそうだ。「世間とは逆に年寄りが田舎に住む息子の所へ来るん
です」と笑っておられた。

 出発地点の木地山バス停まで戻ってくると、我々も去年下山に使ったことがある駒ヶ岳
西尾根からか駒ヶ越からか2組、3組と登山者が戻ってくる。往路で一緒だった人達はや
はりまだ帰ってはいなかった。時間があるので帰路途中に見かけたアトリエに寄ってみる。
人物画はなく海と森の絵が大半だったが、無造作に掛けられた大きな絵が300万もする
のには目を丸くしたのだった。(^^;

 またまた1.5kmほど未踏区間が残ったが、地蔵峠−三国峠間を含めて、後日また埋
めることにしよう。何度来ても心地いい駒ヶ岳周辺の山々と森である。



【タイムチャート】
7:00自宅発
8:50〜9:05木地山BS前(駐車場)(標高307m)
9:30木地山峠分岐(道標)
10:10倒壊小屋跡
10:48〜10:53木地山峠(Ca660m)
11:15〜11:56桜谷山(825m 昼食)
12:28765m標高点ピーク
12:43〜12:52与助谷山(Ca750m)
13:15649m標高点
13:50愛宕神社跡
14:05池河内越登山口
14:15木地山BS前(駐車場)(標高307m)



桜谷山のデータ
【所在地】滋賀県高島市(旧朽木村)・福井県小浜市
【標高】825m
【備考】 百里ヶ岳の北方、古道が通る木地山峠の更に東北方向に
位置し、中央分水嶺をなす江若国境の標高点ピークです。
山頂は広く、南方の展望に開けており、百里ヶ岳、比良
山系では蛇谷ヶ峰、武奈ヶ岳などが眺められます。
【参考】2.5万図『古屋』



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