龍王山・巻向山・白山〜青垣の山々縦断

帰途の近鉄大阪線の車窓から巻向山方面
平成22年12月19日(日)
【天候】晴れ
【同行】別掲


 2010年ももう師走。光陰矢のごとし「Time flies like an arrow」中学だった
かで習った諺が歳ふる毎にしみじみ思い出される今日この頃。SRCの定例会も本年最後
となった。その掉尾を飾る定例会は恒例忘年会付きだから電車で行ける所ということで、
今回は大和高原である。

 もう20年以上も前になってしまうけれど、桜井には仕事でしばらく通ったことがある。
いつも利用したのは近鉄桜井駅で、それに隣接するJR桜井駅は鄙びたローカル駅だった。
だから今、大きく様変わりしているのも当然か。(笑) でもよく見るとまだまだローカル
色は消えていない。その一つがふと目についた枕木。この頃はとんと見かけない木製なの
である。しかし、防腐剤に浸された昔の栗製の枕木とも少し違うような気もする。こんな
ところにもやっぱり輸入材が使われているのだろうか。ちょっと淋しい気もする。間もな
く入線してきた2両編成のワンマンカー。山の辺の道を歩くらしいハイカーも混じって、
車内はほぼ満員である。
JR桜井駅の桜井線線路の枕木はまだ木製です

 現地集合地の柳本駅は桜井から数えて三つ目。かなりの人が下車した。駅前はクリスマ
スのイルミネーションが飾られているが、商店などは何もない。んなこともあろうかと、
江坂駅前のコンビニで食料仕入れておいて良かった。(笑) 9時半、次の目的地、天理ト
レイルセンターを目指し駅前ロータリーを東に向かって出発する。多くのハイカーは黒塚
古墳に吸い込まれたようで、その東になるとバタッと歩く人が減る。寡聞にしてよく知ら
なかったが、三角縁神鏡が出土した3世紀頃の有名な古墳らしい。近世は織田氏末裔が藩
主だった柳本藩の陣屋がおかれたという。確かに環濠を持つこんもりとした丘は陣屋に利
用するに格好な地形だったろう。天理教の教会の前から桜井と天理を結ぶ国道を横切ると、
大和高原の山並みが目の前に迫って来、麓に巨大な崇神天皇陵が見えてくる。その北側に
立派な天理トレイルセンターの建物がある。湯茶の無料接待、パンフなども貰えるようだ。
その玄関先でTちゃんから今日のコースの簡単な説明がある。長谷寺駅までの長丁場。当
世流行りのパワースポットも巡るんだとか。さて、いかなる場所か興味津々。

 HPを紐解いてみたら、龍王山へ登ったのは1998年の勤労感謝の日だから12年ぶ
り。長岳寺の山門を抜けてしばらくは寺の境内を歩く。途中で左にクランク状に柿畑の間
の農道を行くのだが、この取り付きの記憶が全くない。当時も寺の坊守さんに道を教えて
もらったが、なぜか登山口に小さな石仏があったことだけは鮮明に覚えている。その石仏
と古いオフィシャル道標は今も健在であった。

 桧林の中の深く洗掘された道を行く。中腹に長岳寺の奥ノ院があって、その参道だった
のでお参りする人が多かったのであろう。山頂まで展望はしばらくお預けの山道であるけ
れど、その代り随所に置かれた石仏の所在無げに歩く人を見つめている顔を見ていくのも
楽しい。

 Tちゃんが配布してくれた近鉄のテクテクマップで云うところの不動石仏と箱型仏の前
で休憩。HPには前回もここで休憩したとある。やっぱり人間というもの、休憩したい間
合というものがあるようだ。(笑)

 奥ノ院の分岐。大きな不動石仏が置かれているらしい。前回は下山時に寄ってみようと
したけれど、台風の後遺症による倒木の嵐で断念したのだった。右に採っていくと、山腹
を巻く道に変わる。お蔭で少し展望が効くようになり、三輪山方面や大和三山が南や西南
に覗く。

 横穴式古墳の石室らしい洞穴がぽっかり空いていたりするのを覗いたりした後、再び木
々で薄暗くなった先、直角に右に折れる辻の奥に大きな石仏が見えた。背丈が1.5m位
はありそうな不動明王の石仏であるが、やや磨滅したからか恐ろしい面貌ではなく青年と
云ってもいいような風貌をしており、柔和な感じがするお不動さんである。

長岳寺の奥の院の
若々しい相貌をした不動明王

 奥ノ院といっても往古は建物があったのかもしれないが、今はその痕跡もなく、石仏以
外にはやや荒れた感じのする場所である。道に戻って右に大きく曲がりながら行くと、柳
本からのもう一本の道と合流する。前回下った谷筋を行く道だ。そして俄かに桧の若木の
鬱蒼としてトンネルのような薄暗さの中に入る。枝打ちがされていないから余計に光が通
らない。傾斜が緩んで明るい所へ出た時は正直ほっとした。そこは車道との出合で、公衆
トイレがある。すぐに田竜王社の前に出る。龍王山が雨乞いの山だったことを示す社だ。
祠の後ろの杉がのたうち回る昇龍に見える。

 田竜王社から100mばかり林道を進むと、右に山道があって龍王山の山頂へと誘って
くれる。緩い坂道の先にある山頂は広場になっていて、初めて登った時もあったアスレチ
ック施設が健在である。西側の大和平野を見ながら、ここで大休止とした。

 山頂の南東の方角に小道が下りているが、これが巻向山方向への道。城の曲輪の遺構だ
ろうか人工的な土盛りや堀跡らしいものが雑木の中にある。いい雑木林だと思ったの束の
間、細い桧林になった。

 15分足らずで舗装された林道出合。あまり目立たたないが手製の標識が辻角に置かれ
ている。ここを左に折れてしばらくすると右(南)に水平に桧林を行く細い山道の分岐があ
る。黄色いテープが目印だが、これは少々見逃しやすい。しかも直進する林道が広いので
やや不安になるところでもある。(^^; 倒木が行く手を遮ったりするけれど、山仕事の作
業道でもあるようで明快、道なりに進めば最後はやや笹が被るけれど、地形図にもある四
角い小さなため池横の舗装路に飛び出した。 周囲は刈り取られた稲田。用水路に沿って
いく。

 割に大きな道標のある四つ辻。それに従って右に折れればすぐにまた二股。ここは右の
道。よく確かめると雑木にテープがあるのがわかるだろう。ここも笹が被っていたりする
が、勢いがない笹なので、鈴鹿のような手強さはない。時折、通過する車の音が聞こえて
くれば笠峠はすぐそこである。

笠峠の車道へ出てきた

 近頃、町おこし有名になった笠そばや笠荒神へ向かう車道が通る峠には、車の立ち上ら
せる埃まみれになった荒神の看板や道標があるのみ。周囲より少し低いというだけであん
まり峠という感じはしない。ちょっと長くなった隊列をここでまとまらせて、向かいの桧
林を登る。道なりに辿ると分岐を示すテープが現れた。注意深く見ると直進は初瀬山、右
に巻向山だとわかるが、雑木がかぶっていて目立たないのでうっかりすると見落としがち
だ。ヒサカキのような細い木をかき分けて、ほとんど水平の落ち葉の小道をまたしばらく
進む。まもなく尾根道左手下に社殿らしきものと池が木立の間に見えてくる。地形図にあ
る池のほとりにある神社らしい。と、そこへ降りていく小道と石の鳥居がある。神社へ降
りれば白河(しらが)に出る林道があるはずだ。

初瀬山と巻向山の分岐。見落とさぬように(笑)

 小道はやがて幅が広まってくるが、巻向山に向かってやや登り勾配になる。この辺りは
淡々と歩いていくのみ。やがて林道から左(東)の高みに巻向山への道標が立つ。オフィ
シャルのものだからさぞかし立派な道が....。とは行かず、細々とした踏み跡があるのみ。
ちらっと葛城山方面が見える程度の展望しかない小さな尾根を3分も辿れば、これも展望
のない巻向山の三角点に行き着く。頂上に登ったという気にもならない地味な山頂ではあ
るが、三角点教信者としては三角点が置かれている限りは素通りすることはできないので
ある。(爆) こんな地味なのに結構、来る人はあるらしく、プレートがちょくちょくぶら
下がっていて賑やか。ただ、戦前に置かれた旧漢字の石標は綺麗に四つの保護石に守られ
て欠けもない。頭を撫でてから来た道を引き返した。

巻向山頂の三角点
綺麗に保護石が残っている

 林道はやがて再び桧の人工林沿いになる。ここはひたすら道なりに進むのみ。南から西
へ方向を変えて、やがて広場が見えてきたら奥不動寺の境内下の駐車場である。その手前、
林道の車止めのロープ横に白山の道標がある。それに従って、小さな沢筋みたいな窪みを
急登する。ここもオフィシャル道標があったわりには自然のままの踏み跡だ。(笑) 少し
汗をかいて5分も登ると、眼前に白い裸地が忽然と現れる。花崗岩のようで風化が激しく
歩くだけでもザラザラと礫が落ちてゆく。登りはいいが下りはよほど気を付けないと....。
裸地は南向きの一部だけのようで、標高点は裸地からまだ150m先らしい。ここまで来
たら最高点まで行ってみなければということで、東側の茂みに入っていく。幸い同じよう
に考える人がいるらしく、細い踏み跡と先人の古いテープが残っている。後は忠実に尾根
を外さぬように行くのみ。プレートも皆無で何処が山頂だか分からないが、とりあえずG
PSに従って、一番高そうな小さな高みを486m標高点の位置だと見做そう。(笑) こ
こも展望はゼロに近い。木の茂みの奥に巻向山らしい山影がほの見えたのみである。

白山の花崗岩質の露岩帯

 案の定、おっかなびっくりでザレ場を下る。雨水によってザレ場に刻まれた小さな溝を
伝って降りるのが楽だ。

 境内へ登る石段の両側に翻る赤い幟が鮮やかな巻向山奥不動寺の前の駐車場。その南の
高みに「黒崎」と書かれたオフィシャル道標がある。(帰宅後調べたら、降りる予定の出
雲の西にある集落の名前であった。)すぐに二差路が現れ、直進すれば黒崎。左のトラバ
ース道がパワースポット?ダンノダイラへの道らしい。ほぼ等高線に沿った小道で、何だ
か古い道のような洗掘された大きな溝と合流する場所に早くも『野見宿禰顕彰会』の説明
板が現れた。ダンノダイラに近づいたようだ。(笑)

 ここがダンノダイラだと説明板がある。そもそもダンノダイラって何? 「壇」のあっ
た平地という意味ではないかとはTちゃんの説だが、案外そんなものかも知れない。よく
わからないが、詰まる所、今は麓に移っている出雲集落が昔はここにあったのだという。
現在は一面の桧の人工林だが、確かに南向きの緩い斜面で日当たりは良さそうだ。人工的
な溝(小川)もあって、見逃したが付近には注連縄を巻いた磐座もあるそうだ。昔、年に
一度、出雲の住民が麓から上がってきてここで飲み食いする風習があったということだが、
この磐座の祭祀と関係があるのかもしれない。

 さて、説明板から南にテープがあるが、笹が覆っているので100mほど西へ戻って、
桧林の中を下る道を採る。木に巻きつけたピンク色だったかのテープが目印だ。道は東
に曲がって山腹を巻いてその後ほぼ一直線に降りていくが、多分この辺りでさっきのダ
ンノダイラ直下から降りてきて合流するのだろう。道はどんどん太くなって、最後はコ
ンクリ舗装の林道。一直線なので傾斜はきつく、膝にすこぶる悪いだろうがその分あっ
という間に、棚田のある里に降り立つことができる。

 田畑の間を長閑に縫って、伊勢街道の旧道を十二柱神社へ。創建時は未詳らしいが、旧
出雲村の村社でなかなか立派な神社である。鳥居横に野見宿祢の塚といわれる巨大な五輪
塔があり、相撲に所縁がということからか、両脇の狛犬の台を力士が支えるという凝った
造作が施してあった。
流石に野見宿祢に縁の十二柱神社
狛犬を支えるのは力士です

 今日の山歩はこれで終わり、後は長谷寺駅まで戻るだけなのだが、実はここから駅まで
が最も疲れたのである。国道沿いに歩き、右に長谷寺駅と案内が出るが、そこから登り返
すのに疲れる、疲れる。近鉄は初瀬川の谷のかなり上を走っているのだ。以前、町石道を
歩いた時、登り返しにめちゃくちゃしんどい目をした南海高野線の上古沢駅を思い出した。
(笑) やっとこさプラットフォームが見えた時には心底ホッとしたものである。山より疲
れるわ。でもこの後は梅田に出て忘年会。ちょっと喉を乾き気味にして会場に向かえたと
思ったらこれもまた良しですか。(笑)




■同行 裏人さん、さかじんさん、幸さん、たらちゃん、二輪草さん夫妻、ハム太郎さん
    ひろぴぃさん、水谷さん、もぐGさん

【タイムチャート】
7:20自宅発
9:16〜9:35JR柳本駅(集合地)
9:50〜10:00青垣トレイルセンター
10:35〜10:43石箱仏と不動石仏
10:57長岳寺奥の院分岐
11:03〜11:05長岳寺奥の院不動石仏
11:20〜11:25田龍王社
11:32〜12:02龍王山(585.7m 二等三角点)(昼食))
12:25林道出合
12:35舗装農道出合の池
12:53〜12:54笠峠
13:00初瀬山・巻向山分岐
13:23〜13:27巻向山(567.1m 三等三角点)
13:43奥不動寺
13:57〜13:58白山(486m)
14:06〜14:15奥不動寺
14:25〜14:30ダンノダイラ
15:40近鉄長谷寺駅



龍王山のデータ
【所在地】奈良県天理市
【標高】585.7m (二等三角点)
【備考】
古い火山と言われ特異な形状をしている曽爾高原周囲の
奈良盆地の東にたたなづく若草山、春日山、巻向山、三
輪山とともに大和高原を形成する山です。麓を古代の官
道、山の辺の道が通っており、また、山上には中世の頃
ら土豪十市氏の山城がありましたが、戦国期の1568
年、松永久秀に攻められ落城し破却されたということで
す。西麓の古刹、釜の口大師長岳寺は、春のツツジとそ
うめんが有名です。交通は近鉄大阪線桜井駅から奈良交
通バスで上長岡下車。
巻向山データ
【所在地】奈良県桜井市
【標高】567.1m (三等三角点)
【備考】
龍王山の南南東、三輪山からは東に位置する大和高原の
一峰です。大和高原自体がなだらかで、且つその中央部
にある為、展望もなく独立峰としては目立ちません。そ
れでも立ち寄る人は多いようです。山の辺の道から龍王
山経由で長谷寺へ抜けるハイキングコースが一般的です
が、道が錯綜している為、地図とコンパスは必携です。
【参考】
2.5万図『桜井』『初瀬』



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