『孤高の人』の故郷を訪ねてついでに観音山

清富付近から観音山
平成22年 9月23日(木)
【天候】晴れ時々曇り
【同行】単独


 「孤高の人」を再読している。単独行の文太郎と言われ、昭和11年、厳冬の槍ヶ岳で
31歳で夭折した加藤文太郎を主人公とした新田次郎の小説。その故郷が兵庫県の浜坂で
あり、遺品が記念図書館に展示されていると聞いて、小説所縁の場所も合わせて廻ってみ
ようかと思い立った。そしてこの浜坂は、若い頃は毎年、職場の同僚と一泊で泳ぎに行っ
たものだ。それから何年になるだろう。そんな懐かしさも味わってみたくて、この秋分の
日、出かけてみた。

 未明からピカピカゴロゴロ。大粒の雨が叩きつける。警報も出ている中、中止にしよう
かとも思う。だが、今まで数々経験したことだが、天気なんて目的地に行かないと分らな
いものだ。しかも元々、今日は山がメインではないので、少々の雨なら決行のつもりだっ
た。えーい。前線が南下中なら北の方はこれから天気回復だろうと、ここは前向きに考え
て、予定通り「孤高の人探訪ツアー」に行ってみよう。

 和田山辺りまではフロントガラスにパチパチ音が立つほどの、ワイパーも効かない大雨
だったが、湯村付近から空も明るくなりだして予想通り。但し、丹但国境の遠坂トンネル
ではえらい目にあった。というのは、トンネルに入った途端にフロントガラスが曇って真
っ白けになったのだ。トンネルの中の方が暖かくて、湿っているのだろう。ガラスの外側
が曇ったのだからデフロも効かず、一時はパニクる。要はトンネル内なのでワイパーを切
ったのがいけなかったのだ。(^^;

 さて、命拾い?をした後、浜坂に着いて、まずは相応峰寺(大峰寺)へ向かおうと、雨
で濁る岸田川を渡る。左折する所を直進してしまい、畑仕事の小父さんに確かめる羽目に
なる。聞けばやはりさっきの十字路を曲がるのだった。その道の突き当たりが相応峰寺で、
その裏山が文太郎が登った観音山だ。相応峰寺は奈良時代、行基が創建した天台宗の古刹。
本尊十一面観音は国宝で年一回開帳されるとのこと。ところが今居る所は里坊で本殿と御
仏はは山頂にあるということだ。というわけで、早速、池の奥から登り始めることにした。
すると、登山口に『熊目撃情報あり、見かけたら連絡して下さい』なんて掲示がしてある。
今年はどこでも熊目撃情報が多いのでちょっとビビる。とりあえず掛け声かけながらの登
りだ。(^^;

 高々、標高245mの低山というなかれ。ほぼ海抜0mからの正味の登りなので、結構、
登り甲斐があるのだ。本堂への参道なので、路傍には西国三十三カ所や四国八十八カ所の
石仏が置かれている。所々には「○丁目」と書かれた標識まである。歩き難い石ゴロ道は
うねうねと山上へ向かい、湿度が高く、額はすぐに汗ばんでくる。そして10丁目はとい
うと鐘楼『極楽の鐘』だった。

 ところで山頂はどこだろう。鐘楼の手前に「作善上人の墓」と標識があり、更に小高い
部分に登る小道がある。これかな?と勇躍、墓前へ立つけれども、それらしき標石が見つ
からぬ。うろうろしつつも「三角点教信者」?の目的は達せず、諦めて帰ろうかなと思っ
た時だった。手元のGPSが衛星を捉えたのだ。墓前からまだ200mも離れているとい
う。墓から降りて、鐘楼から更に続く道を行くと、浜坂を俯瞰する展望台に出た。

観音山山頂から日本海

観音山山頂から浜坂と矢城ヶ鼻方面

 目の前に、こどもの日には大きな鯉のぼりが泳ぐという大きなポールがある。相応峰寺
の里坊から上に見えていた避雷針と見まごうポールはこれだった。そこから赤い幟が並ぶ
参道を進んで本堂と観音堂の横に出て、右の高みに登る小道を見つける。うねうねと小暗
い小道を行くことほぼ50m。ほの暗さとワッと前面に広がる日本海との対照が凄い。岸
田川からの赤茶けた濁り水と海水とのコントラストがくっきりしている。左手には浜坂市
街があり、港の奥に最後に行くつもりの城山の半島が起伏している。その向こうは諸寄だ。
そして肝腎の三等三角点が展望地の真ん中に。やっと見つけて万歳三唱!!(笑)

 里坊に降りて雨も上がったので車で昼食。リアゲートを上げて雨除けとし、カップヌー
ドル。今日は暖かいものが美味い。

 次は、加藤文太郎記念図書館に向かう。相応峰寺への道すがら、その建物を見ているの
でスムーズに到着する。駐車場の横は掘割の堤。個々の民家の裏からその掘割へ出入口が
ある。昔は船を横付けして人荷を運んだりしたのだろう。なかなかいい風情だ。

加藤文太郎記念図書館

 図書館の2Fが加藤文太郎の遺品展示室と山岳図書コーナーになっている。正面に
『ひた吹雪く 北鎌尾根よ 命かまけ 積みしケルンの 高く志るしも』
「孤高の人」では藤沢九造で登場するRCCの会長藤木九三の追悼の歌と槍ヶ岳をバック
にした文太郎のレリーフを正面にしてガラスケースが並ぶ。

 頭上には文太郎がドイツ製のカメラで撮影した穂高連峰などの大きなパネル。ケースの
中には、手帳、多田繁治への葉書、カメラ、スキー、ストック、登山靴、ピッケル、著書
『単独行』が並び、遭難と遺体発見を伝える新聞記事が掲示されている。小説ではパート
ナーの宮村健(事実は国鉄鷹取工場勤務の吉田富久氏)に誘われて登攀し命を落とすこと
になっているが、『単独行』によれば、実は誘ったのは文太郎の方で、前々年に二人で冬
季穂高北尾根を敢行している。そういう意味で吉田氏は名誉回復してやらないと可哀そう
だ。因みに遺品展示室の入口のレリーフは吉田氏が勤務していた国鉄鷹取工場の社員が鍛
造したのだという。
加藤文太郎レリーフ

文太郎愛用の登山靴

文太郎愛用の品々

 階下に降りて、司書の若いチャーミングなおねえさんから訪問記念の絵葉書を購入する。
パンフレットもお付けしますというので貰ったら、これが殊の外、立派なもので、これが
あるなら絵葉書返そうかな。好意のおねえさんに向かってそんな理不尽なことはとても云
えませんけど。(^^;

 車はしばらく図書館の駐車場に置かせてもらって、後半は浜坂の街歩き。ダウンロード
したヤフーの地図を見つつ、まずは最寄の文太郎の墓へ向かうことにする。浜坂温泉の源
泉に指を付けて、あまりの熱さに飛び上がったりしながら、適当に街の中央方向へ歩き、
鮮魚店の横を小路を辿る。並ぶ民家の裏が高見墓地と分かっているのだがなかなか入口が
ない。ようやく小路があって、広い墓地へ入ることができた。お彼岸なのでお参りの人が
多い。そんな人々について歩いていたら、ザックを背負ったこちらの格好で判断されたの
だろう、水を汲んでいた地元のおばさんから一言。
「あっちの方よ」
「あっ、どうも」
指さす方を眺むれば目印のポール。右手に折れて、所狭しと犇めきあっている墓碑の間を
すり抜ける。加藤家の墓、そして文太郎・花子夫妻の墓。墓碑の側面には『冬山登山中 
槍ヶ岳北鎌尾根にて遭難す」とあった。それにしても仲が良かったのだろう。二人して同
一の墓に眠るのだから。羨ましい限り。(^^;; それにしても絶え間なく日本海から海鳴り
の音が聞こえてくる。泉下に眠る人たちにはいいBGMかなあ。

加藤文太郎墓所(高見墓地)

 さて、元の小路に戻って喫茶「ブンブン」の角を曲がって新温泉町役場を左に見る。J
R山陰線の踏切を渡るとR178。行先表示板に宇津野神社の名を見る。案内だと600
mほどだという。今歩いているのは神社の裏参道にあたるようだ。B&G海洋財団のプー
ル横を曲がると立派な鳥居が見えた。カーン。甲高い音はゲートボールの打球音である。

 護国神社を左に、鶏碑(品種改良に取り組んだことを顕彰する記念碑らしい)を右にし
てよく掃き清められた宇津野神社へやってくる。こんもりした山の懐に入り込んだような
神域を進むと目当ての急な石段。小説ではここでまだ少女だった花子の鼻緒を手拭いです
げ替えてやるシーンの舞台である。どの辺りに座っていたのかなぁ。やっぱり下から数段
くらいのところで、鼻緒が取れてべそをかいていたんだろうなあ。何となく赤い着物を着
た少女が目の前のすぐそこに座っている様な気がした。本殿前。「二礼、一拍手、一礼」
正式のお参り作法に則って拝礼。そのあとグルーっと一巡り。

宇津野神社石段

 再び、浜坂の町中をうろうろとして図書館へ戻る。青空が広がり日が射してきた。雨な
らば止しにしようかと思った城山園地にも寄ってみよう。新田次郎の文学碑はマルワ渡辺
水産海産物売り場のビル前の交差点にある。松林の向こうがサンビーチ。よく泳ぎに来た
所だ。素人釣りをした港の岸壁も大きく変貌して脳裏に残る面影はほとんどなかった。

 城山トンネルを抜け、R178との出合を浜坂方面に戻り、ユースホステルの案内板に
従って脇道に入る。うねうねと400mも行けば城山園地の駐車場である。途中、若葉マ
ークの車とすれ違い、他にも1台くらい車があるかと思っていたが皆無。突端に立てば諸
寄港が一望で、荒々しい日本海に騒ぐ波の音が聞こえてくる。右に鎖ゲートのある城山へ
の道(三角点がないので登らなかった。(^^; )を過ごして1.5車線はあろうかという
ほぼ平坦な遊歩道を行く。近畿自然歩道に指定されているのだが、海水浴場への小道なぞ
は雑草ぼうぼうで、一度整備されたきりで放ったらかしのようだ。190mピークの内懐
で道は半島の西から東に移って、一気に明るくなる。そしてまもなく大きなカーブが現れ、
そこが浜坂を見はるかす加藤文太郎ふるさとの碑が立つ小広場だった。石碑の石は岸田川
の上流から採取されたものだという。松の木が邪魔していたが、観音山が真正面にあり、
浜坂港が眼下にある。きっと文太郎の生家も見えることだろう。記念碑の位置としては申
し分ないのではなかろうか。
城山園地から諸寄の海

岸田川の石に刻まれたという記念碑

 というわけで、駆け足でぐるーっと回った『孤高の人』加藤文太郎の故郷、浜坂。やは
り中止せずに来てよかった。「して後悔するより、しない後悔の方が大きい」は山でもい
える格言だ。一山登れたし云うことなし。日本全国、いいところが一杯あるのを再認識。
それにしても高速代が池田から遠坂トンネル料金を入れても850円は魅力でした。


追伸:「剱岳」を撮った木村監督が次回作には加藤文太郎を主人公に撮るという話があり
   ます。本当でしょうか。本当ならまた見に行かねば。



【タイムチャート】
7:45自宅発
11:00〜11:10相応峰寺駐車場
11:10観音山登山口
11:30〜11:40作善上人墓
11:42〜11:45展望地
11:50〜11:53観音山(245.0m(三等三角点)
12:15観音山登山口



観音山のデータ
【所在地】兵庫県美方郡新温泉町(旧浜坂町)
【標高】245.0m(三等三角点)
【備考】  岸田川を隔てて、浜坂(新温泉町)の北東にそびえる
里山です。加藤文太郎がよく登った山であり、『孤高の
人』では結婚式の前にも登り、式に遅刻して周囲をやき
もきさせたとあります。山頂に相応峰寺の観音堂があり、
国宝の七面観世音菩薩像が安置されています。
【参考】2.5万図『浜坂』



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