滝畑から紀見峠〜陽光燦燦のダイトレ |
岩湧山三角点付近からの眺め〜右に大和葛城山,中央は二上山、左手に霞むのは生駒山。左手の平野部に白くPLの塔が見える |
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曇りでやや薄ら寒かった土曜から一転、快晴の日曜日。今日は最近、大阪府県境の山々 の踏破に意欲を燃やしているMさんにお付き合いして和泉山脈のメジャー処を縦走する予 定。起点と終点がかなり離れているので、今日も公共交通機関のお世話になる。7時半と 比較的ゆっくりめに家を出て、無事、8:24の急行でMさんと落ち合う。 河内長野駅前のバスロータリー。金剛山行のバスはつり革客も出る混雑。滝畑ダム行は 小型バスなのでこちらも立ちの客が出る盛況である。 バスを降りるとぽかぽかと暖かい。花壇に植えられたリュウキンカの黄色い光沢のある 花がうららである。滝畑から登る岩湧山は二度目。最初は何年前だったろうか。立派なト イレの横から急斜面にジグザグにつけられた小道を登る。やがて千石林道を横切って、更 に植林の中を上がっていく。かなりの斜面なのだがうまく道がつけられていて、あまり息 も切れない。昔、ちょっと注意の要ったザレた斜面も今は木道が架けられて安心。 思ったより早くカキザコへ達する。道はここで大きく左に折れる。そして植林にお別れ して雑木の明るい小道になる。正に陽光燦々。プーンと鼻をつくのはヒサカキの花の匂い である。うむ。これを嗅がないと春が来た気がせんなあ。(笑) 日当たりのいい斜面にはウ グイスカグラのピンクの花が咲いている。
小さな流れの音がする。冬ならば寒々とした水音も、暖かくなると耳に心地良くなるか ら、人間の気分って不思議なものである。山道の曲がり角で大きなザックを下して休憩中 なのは、どこかの女子高の生徒と先生か?ボッカ訓練の最中らしく自分の身体くらいのザ ックをよっこらせっと持ち上げている。ご苦労様です。 千石谷を隔てた南葛城山の山並みを見たところで、『登り500段の階段』なる標識が出 る。確かに杉桧林の中の丸木階段は延々と続く。汗を拭き拭き登って雑木林との境を急と すれば、関電鉄塔(和泉線bV5)の下に出る。丸太のベンチがあるので水分補給に小休 止だ。ここで初めて河内平野を少しだけだが眺めることができる。 ここから先はしばらく植林と雑木の境を行く稜線のやや下を東に歩く事になる。流石に 稜線となると風が吹き上げてくる。その内に知らずにキトラ山を過ぎている。何の変哲も ない桧の生える高みで、プレートも何もなかったような。(^^; これでも離れてみれば、 立派に山の形状をしているのかもしれない。やがて、カヤトの斜面が現れた。前回、岩湧 山を訪れた時は、Sさんに案内していただいて、確かこの鞍部から南に千石谷へ下りたは ずだ。今は伐採された木がゴロゴロ転がっていて、ちょっと歩き難いように見える。 重機の音がするのはカヤト搬出用なのだろうか、林道整備の最中らしい。枯れたカヤト の原を登るに従って、左手に索道設備跡が姿を現し、振り返ればレーダドームを戴く三国 山が大きい。前方の沢山の登山客が景色を楽しんでいるのは岩湧山の西峰である。そこま での階段がなかなか急登で、シャリバテと相まってなかなかしんどい。ふうふう息を切ら せて西峰の方位盤。そこから少し東へ移動して三角点を越えた辺りは人が少ないので、そ こで腹ごしらえをすることにした。北側のカヤトの原は少し風があるけれど、何より景色 がいい。左手は大阪湾に関西新空港。滝畑のダム湖の向こう側に甍が覗くのは西国札所の 槇尾山施福寺である。眼下に見える山中の民家は横谷の集落だろうか。右手は金剛、葛城 からPLの塔。それにしてもここから見る生駒山は大きな丘だ。 先はまだまだ長いので食事は25分足らずで切り上げて、カヤトの中を下っていく。東 峰といわれる兼松新道との分岐との鞍部には、立派なバイオトイレが建っていた。 東峰を抜けた先で現れる古いコンクリート製の展望台は、植林が大きくなって今では全 く用をなしていない。山を歩いていると、ちょくちょくこんな造りっぱなしの代物を見受 けるが、いかにももったいない税金の使い方の一つであるなあ。 さて、五ツ辻から錦命水と呼ばれる水場を抜ける。山陰には数日前の雪が残るが、今日 の光は温かい。やがて現れる南葛城山へ分岐する道沿いに阿弥陀山と呼ばれる山がある。 今日はその阿弥陀山にも足跡をつけて行こうという算段。南葛城山へは新しい林道と旧道 とがあるが、どちらを採っても50mも行けば合流する。阿弥陀山の取付きを探しながら、 所々コンクリート舗装の道を道なりに300mばかり進む。すると注意書きの看板が幾つ か立つ辺りに踏み跡らしきものが見つかった。 きっとこれだろうというわけで、踏み込んで見ることにした。赤プラ杭があるところを 見るとその為の切開きだろう。しかしそれも次第に怪しくなって獣道同然となり、それも 消えてしまう。植林されたヒノキの若木は枝が払われていないので非常に歩きにくい。そ れを避けて比較的歩きやすいカヤトの枯れ跡を辿り、うるさい雑木枝を払いながら、なん とか最高所と思われる背の高い杉の白骨木が立つ辺りにやってきた。が、三角点が見つか らない。昔、ちはや園地でもらったダイトレの地図には△のしるしがあるのだが...。 あちこち捜索するも手掛りなし。すると若い立ち木に「阿弥陀山」と書かれた小さな木札 をMさんが見つけた。仕様がない。口惜しいが阿弥陀山登頂これでいいとするかあ。(^^; (帰宅して調べると阿弥陀山には三角点はないのだった。三角点探しを適当な所で切り上 げて結局は良かったことに)
というような気もするが、ダイトレのすぐ横なのに誰も来ないのだろうか。展望も視界も ほとんどないヤブ山だからか目立たないプレート一枚とは少々寂しいが、そんなことで早 々に下山ということになって、往路を忠実に下ろうとしたが、ウロウロしたので来た道が はっきりしなくなった。それらしい方向すなわち南東方面へ歩きやすい所を辿って進むが、 茨やモミジイチゴのトゲが混ざるブッシュに行く手を阻まれる。ヤブの薄い箇所を探して 行きつ戻りつするも埒が開かない。そこでヒノキの植林下は枝が邪魔なものの茨類は生え ていない。下枝を避ける為、中腰でしんどいが、とにかくコンパスで確認しつつ南方向へ 突っ切ることにしたのが幸いして、まもなく植林を抜けて林道脇へ飛び出せた。フーッ!。 取付いた場所から50mほど西、真新しいゲートとフェンスのある別の林道横であった。
短時間だったけれど久しぶりにヤブ山で遊ばせてもらったねなどと雑談しながら分岐に 戻る。というわけで40分ほど道草を食って、再び東への旅へ。林道を少し南へ歩いて、 紀見峠への道標に従う。 根古峰はダイトレ道に大きな道標がある。左斜めの高みに向かって緩やかに30mも登 るともう山頂近くで、南海電車の中百舌鳥と橋本をつなぐ大きな無線反射板が二つ立つ。 無線の通信状態を良くする為、周囲が大きく伐採されているが、さて三角点はどこだった っけ。初めてきた際もかなり探したはず。その時は夏で半ズボンだったので、探し回る間 に枯れ木で腿に擦り傷ができた事は覚えているのだが、肝腎の三角点の位置はまるっきり 忘れている。結局、あったのは反射板の東側っで赤い切れがぶら下げてある。(^^; 山頂からまっすぐ南に進むとすぐにダイトレ道だ。軽四輪なら楽に走れるくらいの幅広 道で、時折、和歌山側もチラチラ眺められる。杉ヒノキ林の中に三合目の標識がある。6 58m標高点の辺りだが、三合目とはどういう意味だろうか。岩湧山の三合目という意味 ならば、少し標高が高すぎるような...。(^^; ここは根古谷を通って紀見峠駅へのシ ョートカット道がある。南海電鉄の古い道標も立つ。もちろんここはダイトレを通って紀 見峠へ。(笑) 道の曲がり鼻に、砥石谷の林道へ出て北の天見にエスケープするルートの分岐標識があ る。ダイトレの案内地図では、分岐は経塚を経て更に北に進んだ地点辺りのはずなのであ るが、まだ経塚は見ていない。どうも新しくルートが変更されているようである。そんな ことや、この辺りでは道もクランク状に曲がっていることもあいまって、方向感覚が少々 狂わされる感じがする。更に、現在の道は古い道標で示されるルートとも違っていてやや こしい。ともあれ、道標に沿って平坦路を進むとしばらくで、杉ヒノキ林の中に現地点の 目印となる葛城第十七番経塚の祠があった。 ダイトレ道は現れた細流に遮られて折れ、流れに沿ってゆっくり下っていく。するとま たクランク上に折れて木橋を渡る。流れに沿って直進する道もあることから、これが本来 のダイトレの地図に描かれた道らしい。テープがつけられていることからすると、廃道か も知れないが歩けないことはなさそうである。 再びの登り道は少し長い。ちょっと疲れてきたなあ。(^^; 短いがこんな尾根の乗越が 何度か現れる。そんな乗越を一つクリアした右手のに現れたのがボ谷ノ池。窪みに溜まっ た大きな水溜めという感じであるが、水草が茂ってほとんど水が枯れている。ランドマー クになりそうな大杉が一本そびえ立つ池の堤を辿って、再び乗越を越えれば目の前は忽然 と大きな材木置場で、その取付け道路に降り立つことになる。ややじめっとしたその取り つけ道を20mほど進んで再び右手の雑木林の中の山道だ。この辺りの雑木がなかなかい い。樹の種類はなんだろうか。すっくと林立する白い幹の風情が素晴らしい。と言ってい たのは最初だけで、長々続くだらだら登りにやや辟易した頃、後ろには根古峰。根古峰も ここからみれば円形の堂々とした山容をしているではないか。しかしこちらから登るのは、 はるかに高いスカイラインを見つつだし、あの長い階段の登りだし、結構大変であろう。 (^^; 赤白の大きな高圧鉄塔と古い鉄塔の基礎の残骸がある。この辺の地面の下に南海電車の 紀見トンネルが走っているはずだ。タイミング良く、トンネルを出た電車の音が下から聞 こえてきた。 天見富士の台形型の山容を左に見てしばらくすると紀見峠への最後の下り。山腹を徐々 に下って大きくU字に折れて谷に出る。ここでも古い道標とはルートが異なり、新ルート は尾根を巻く。その尾根を迂回すると少し遠方に旧R309の車道が目に入る。その内に 車道は一気に近づいてきてハイキング道を吸収してしまう。ここまで岩湧山から7km。フ ーッ。でも紀見峠の駅まではまだ1.8kmの道のりがある。それもアスファルト。(^^; なお、ダイトレの金剛方面への続きは、車道を50m進んだ右側から続くようである。
うに行き来する高野詣の旅人や紀州藩の参勤交替などでにぎわったことだろう。ここは文 化勲章を受章した数学者岡潔の生誕地でもある。その石碑の横、白壁がまぶしい土蔵の前 の白梅が馥郁とした香りを放っているのが印象的である。 車道を横切ってコンクリートの急坂を下る。荒れた感じの竹やぶを抜けると田園風景と 新興住宅街が混ざる風景が展開する。所々の道標に従い進めばまもなく国民宿舎の紀伊見 荘前。坂を下ればやがて地蔵寺の橋に出る。古い木橋が下に架かっているのも風情がある。 入り組んだ狭い路地風の道を行けば、すぐそこは紀見峠駅の小さな駅舎の前であった。 のどが渇いたなあ。おっ!駅の目の前が酒屋。ザックにはお茶の残りがまだたっぷりあ るのに、眼の前の自販機で缶ビールを買ったのが運の尽き。電車の中であんまり酔うわけ にもと、レギュラー缶に抑えたのもいけなかった。少々物足りなくなって、Mさんに「も う少々チクッと引っ掛けて・・・」と持ちかけ、難波に着く前に新今宮で途中下車とあい なる。なんであんな所に酒屋があったの? 新今宮となれば新世界です。新世界となればジャンジャン横丁の串カツですか。八重勝 とかダルマっていうメジャー店は長蛇の列。通天閣通りのとある店で串カツと生ビール、 角ハイボールで溜飲を下げたのでありました。しかしなんとビリケンが街に溢れているこ とか。あとは地下鉄の天王寺まで酔い覚まし。お付き合いいただいたMさんに感謝です
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