新龍アルプス〜初冬の山歩堪能

屏風岩より望む寝釈迦と呼ばれる新龍アルプスの全容

平成21年12月 6日(日)
【天候】晴れ
【同行】水谷さん


 新龍アルプスとはあまり耳慣れない名前だが、旧新宮町と龍野市の境になす南北に連な
る山塊につけられた名前である。以前何かで小耳に挟んだことがあって、どこか面白い所
はないかと探す中で今回の山行の対象となった次第。高さは500m足らずではあるもの
の、麓の標高が30m程度なので登ると意外に高度感があり、室町期に赤松氏の城があっ
ただけに展望も抜群なのだとか。さて、いかなる山歩となるだろうか。

 山陽道は龍野ICから揖保川沿いに北上し、先達のHPを参考にして、新宮町馬立の外
れの墓地の駐車スペースをお借りして早速準備開始だ。

駐車に利用した馬立山里公園

 取付きに選んだ市野保の集落への最短距離は、水の枯れた山根川沿いに北へ向かえばい
いのだが、墓地側の右岸はゴルフのグリーンもあるユニークな個人邸宅で通れないので左
岸を歩く。その道もすぐに尽きて造成地か土砂置場のような荒地になった。鹿が出没して
いるのか糞がいたる所に転がっている。その造成地を抜けると、今度はススキや雑草がは
びこる堤防である。わずかに鹿が作ったらしい獣道があるだけだけれど、前方の林道らし
い橋まではあと50m位なのでそのまま突っ切ることにしたが存外歩きやすい。ただ、上
空をカラスとトビが旋回していて、何か動物の死骸でも横たわっているかもとおっかなび
っくりだったものの、なんとか事なきを得る。(^^;

 橋を渡った所には祇園嶽50分と記されたオフィシャル道標がある。400m足らずの
山なのに時間がかかるものだと思ったが、その理由は後でおいおい分かってくることにな
る。
林道沿いにある水布谷登山口。祇園嶽まで2.5kmとある

 先達のHPには荒れた林道とあったがそれほどでもない。最初の道標から5分ほどで水
布谷の登山口を示す道標が現れた。ここから左の斜面に向かって高度差約300mの登り
だ。

 斜面の緩い部分は真っ直ぐ、きつくなると小さな曲折を繰り返しながらの明快な踏み跡
は、最近はあまり使われてはいないのか、コシダやウラジロが足元や踏み跡の両側に背丈
ほども繁茂する。その上、イバラが混ざっているので引っかかって大変。そんなことで一
気に汗が出てきた。もっと寒いと覚悟していたのに汗が目に入るほどとは...。道は小
規模な尾根上から右手(北側)の谷を見下ろしながらにいつの間にか変化する。そして下
にあった道標の所要時間の意味に納得するここからが大変なのだった。道が付けられた谷
の斜面の傾斜が厳しく、そこから倒れこんだ倒木だらけなのである。しゃがんで潜ったり
乗り越えたりと忙しいことおびただしい。05年に書かれた先達のHPによれば、その時
にはもう台風による倒木だらけだったそうだから、もう撤去されているだろうと多寡をく
くっていたら、あにはからんや、それからほとんど手入れされていないらしい。道の付き
方からして昔ながらの道のように思うが、今ではマイナーになっているようだ。(西のキ
ャンプ場から亀の池経由で上がる道が近畿自然歩道に指定されメジャールートになってい
るらしい)

 フィールドアスレチックを繰り返しているうちに、小さな崖に架けられた朽ちかけの丸
木の桟道も現れる。雑木の梢に『bP』の古い板切れがあるのは一合目の意味だろうか。
悪戦苦闘しながら『bR』の板切れが出る頃、谷を隔てた右前方にミニ鎧岳に似た姿の祇
園嶽と思しき岩峰が見え始める。今歩いている道が越えて行くらしい稜線上の峠も認めら
れるようになったが、なかなかそこへ行き着かない。倒木帯を抜けたと思ったらまた倒木。
表土もザレ土で良く滑る。それでもようやく行き着いたのはいかにも峠らしい峠。仮称十
字峠だそうな。道標もあって祇園嶽10分、亀山(キノヤマ)1.8km、50分とある。
まずは祇園嶽へピストンしよう。

古道の雰囲気プンプンの十字峠(仮称)
右が祇園嶽、左が亀山への縦走路

 祇園嶽の尾根はコナラ、クヌギのフカフカ道。頂上には昔、祠があり(山名の由来とな
った祇園社のことだろう)それを遷座したという記念の石柱と三等三角点がある。ミニ鎧
岳の露岩の上は流石に出城が置かれたというだけあって遮るものとてない大展望だ。登っ
てきた水布谷ルートも一目瞭然である。南側のこれから歩く新龍アルプスは亀山の向こう
はその陰に隠れて見通せない。

 山頂で小休止して景色を楽しんだ後は落ち葉に滑りながらも十字峠に戻り、今度は亀山
に向かって南へ進む。祇園嶽の山頂近くに城山城の出城が80m先にあると案内があった
が、目ぼしい物がないとのことなのでこれはパスした。

新龍アルプス縦走路から祇園嶽の山頂の岩を眺める

十字峠を登った辺りから新龍アルプスの稜線
右が亀山、奥は点名「佐野」。左に播磨灘が光る

 十字峠からの登り返しからは”粧う山”そのものといった祇園嶽の全貌が見られる。こ
こで道は二手に分かれるがCa320mピークを越えると合流する。途中、ロープ場などが
あるが、さっきのアスレチックに比べたら雲泥のルンルン気分のプロムナードだ。あっと
いう間に377m標高点。左から馬立からの大手道ルートが合流してくる。こうしてみる
と馬立という地名も、城に関係するようだ。

 南無阿弥陀仏の名号が彫られた自然石の立派な供養碑(何の供養碑だか忘れた)を見て
とても蛙とは思えない蛙岩を過ぎると亀の池の分岐だ。池まで縦走路から5分程度らしい
ので、ここは少し寄り道して行こう。途中すぐにある亀岩は見る角度によっては海亀に似
ていて、さっきの蛙岩よりは余程それらしい感じがする。その亀岩から少し下ると前方の
木立越しに水面が現れる。近畿自然歩道の道標があり、池の畔を進んでいけば自然に池の
堰堤に出る。存外大きな池は澄んだ水を満々と湛えている。ふもとの集落の貴重な水源と
いうが、どこからこれだけの水量を得ているのだろうと考えると少し不思議である。

 分岐へ取って返す。しばらくすり鉢状の広場の中の平坦な道が続く。それが少し上がり
勾配になるとすぐに尾根に出て、目の前の視界が再び広がる。展望所だ。右手の林の中に
トタン葺きの小屋がひっくり返っているのは東屋らしく台風か何かで飛ばされたものだろ
う。

 ヒサカキが多い林の中を亀山(城山)の頂に向かって一頑張り。ゆったりした斜面を上
がり、木立の中のぽっかり空いた小広場には四等三角点。ここも先程の展望所に劣らず展
望がいい。まだ11時過ぎだが、ここは風もないので景色を肴に早めの食事とした。

点名「佐野」から眺めた亀山

 亀山からは右の尾根に引き込まれないように注意しながらのだらだら下り。その先は杉
林のうす暗い平坦地である。辺りは確かに人為的に削って平らにしたふうがあって、素人
目にもいかにも城があったという感じがする。その中心、縦走路の左手の低地に見える石
碑は、ここに城を構えた播磨守護の赤松氏の供養碑だ。ここは嘉吉の変で将軍足利義教を
弑した赤松満祐の居城だったそうで、赤松満祐父子はこの城で自刃したそうな。そういえ
ば以前、温泉巡りをしていて東条温泉を訪れた時、近くの安国寺で義教の首塚と伝えられ
る宝筺印塔を見たことがある。そんなことを考え合わせると、なんだか杉林のほの暗さと
あいまって、鬼哭啾啾としたふうに感じられてくる。つわものどもが夢の跡か...。

城跡にあった嘉吉の変の供養碑

 この平坦な地形の為に、テープや道標がないと分かりづらい。クランク形に曲がりなが
ら進むと杉林も尽きて、再び明るく分かり易い道になる。この付近にも曲輪の跡のような
堀切が見受けられる。そして次第に右手が開けてきて、アンテナを頂いた的場山がようや
く姿を見せる。徐々に尾根は細ってきて、左手も見え始め、389m標高点ピークでは大
パノラマである。揖保川がくねる新宮の街並みの北遠くには、明神山や笠形山が姿を見せ
ている。段ヶ峰らしきなだらかな高原の左のアンテナの山は暁晴山だろう。

Ca389m標高点ピークからの新宮の街並み
中央奥にピラミダルな明神山、右端に笠形山が見える

 この389mピークと点名『佐野』が置かれた383mピークの間が新龍アルプスのア
ルプスたる所以か。(笑) Ca280mの峠を挟むので、ほぼ100mのアップダウン。
これは大キレットだ。(笑) これでもか。もういい加減下り止って頂戴。やっと着いた
鞍部からこんどは緩急繰り返しながらの登り返しだ。サルトリイバラのルビーに似た赤い
実やネズの低木が目立つ。またまた一汗かいたら四等三角点『佐野』が埋まる383mピ
ーク。その少し先にある鉄塔は西播線bR7だ。佐野からの兵糧道コースの出合となって
いる。関電巡視道だから手入れされた道は里へ降りる最短コースかもしれない。立てられ
たってオフィシャル道標には亀山まで55分、的場山まで30分だそうだ。

 この辺りまで来ると西側も開けてきて相生や赤穂の街並みや御津アルプスと呼ばれる山
並みも目に入り始める。光るは播磨灘。洗われた分岐は左にとって、的場山のアンテナを
目指して進むのみ。標高差で50mほどを下った後は、しばらく緩々とした尾根歩きが続
く。それがが再び登り基調になれば最後の的場山だ。

 アンテナ設備の取付け道路を横切ると丸木階段。これが結構長い。だいぶ脚も疲れてき
たのか上がらない。「よっこらせ」心の内で掛け声をかけてようやく山頂。ベンチと案内
図と三角点。山頂南の芝生の小広場には数組のハイカーが憩いながら素晴らしい景観を楽
しんでいる。鶏籠山に龍野、姫路、赤穂や相生の市街の向こうには播磨灘。家島群島、小
豆島、淡路島。遠く四国らしい青い山影もかすんでいる。明石海峡大橋に雌岡山らし高み
も眺められる。ほんの500m足らずの山でこれだけの景観が得られるとは、本当にコス
トパフォーマンスがいい。(笑)

 一息入れて、道標に従い両見坂へ下る。案外濃い木立の中の道は、必要以上には整備さ
れておらずいい感じ。しかし最初はいいが後半はすごい急坂である。登るのもかなりきつ
いだろう。そんな中、少し傾斜が緩んで小さな踊り場になった部分に三脚にデジイチをセ
ットしたお兄さん。屏風岩近くの揖保川鉄橋を渡る姫新線のハバタン列車を狙っているの
だそうだ。鉄道ファンも色々だが、所謂「撮り鉄」の部類。いいのが撮れればいいが。

 大きな石燈籠が現れたら両見坂だ。ここからは鶏籠山への登路があるが、なんだか説明
板だけで満足してしまい、城跡見物には行かず仕舞いとなってしまった。

両見坂の石灯籠。左の道から降りてきた

 両見坂より南は小京都と呼ばれる龍野の旧市街から上がってくるので散策する人も多い
ようだが、北側は杉桧林の中のやや荒れたつづら折れの急坂道で、短靴ではいささか厳し
いだろう。かけ声が聞こえてくるのは龍野実業の生徒の声で、その建物が木立の間から見
えるけれど、近畿自然歩道に指定された道はそこへは降りずに水平に北へ向かう。やがて
昔、隠し田だったかのような棚田状の平坦な箇所に出て、折り返すと民家の前である。近
畿自然歩道の道標はあるがこちらから登ると少し取付きを入った辺りでまごまごするであ
ろう。民家の前を少し下ると日蓮宗の龍光寺である。小刹であったが、門前の獅子像と本
堂の欄間の龍が見事であった。道標にあった三坂神社は龍光寺の横である。

 さて、下山口から車のある馬立まではまだ1時間ほどテクらなければならない。三坂神
社横から北へ折れる。すぐにR179に合流して栗栖川を渡り、埃っぽい国道とは分かれ
て、川の左岸堤防を歩くことにする。左手は傾き始めた柔らかい陽光に映える黄葉の山肌。
川では網を仕掛けているおじさんが居る。オイカワを捕っているんだそうだ。近くではダ
イサギがこちらも負けずに魚を狙ってじっと水面を見つめていた。

 細い橋が架かっているので渡ると、元は赤松氏の菩提寺だったという興聖寺。右に兵糧
道登山道の登り口がある。不思議だったのはこんな所に城門のような石垣と石段が残って
いてお地蔵さんが二体置かれていることだった。こんなのを発見するのも国道沿いじゃ難
しい。裏道を歩いているからこそである。まもなく蛍の郷、馬立集落に入り駐車地の墓地
に戻る。下山地から約50分の行程であった。

 山道具を仕舞った後は、龍野の旧市街で地場醤油を土産に帰路につく。久しぶりのガシ
ガシ歩き。といっても教理的には大したことはないが、山を降りてもまだ少し膝が笑って
いました。新龍アルプス。なかなか拾いものの山であります。



【タイムチャート】
7:00自宅発
8:45〜8:50馬立山里公園(駐車地)
9:00道標のある橋
9:05水布弥道登山口
9:42十字峠
9:50〜9:55祇園嶽(340.4m 三等三角点)
9:58十字峠鉄塔(西神支線bQ0)
10:12377m標高点
10:20〜10:25亀の池
10:34〜10:35展望休憩地
10:51〜11:16亀山(城山 きのやま)(458.0m 四等三角点)
11:23〜11:24城山城本郭址
11:37〜11:40389m標高点ピーク
12:05〜12:06四等三角点『佐野』(382.7m)
12:35〜12:40的場山(394.2m 三等三角点)
13:03〜13:05両見坂
13:20龍光寺
14:10馬立山里公園(駐車地)



新龍アルプスのデータ
【所在地】兵庫県たつの市
【標高】最高点 亀山(きのやま)(458.0m 四等三角点)
【備考】 旧龍野市と旧新宮町の市街の西側に連なる山系です。3
50m〜450m程度の低山ですが、遠くから見れば釈
迦が寝た姿に見えるとか。また赤松氏の城跡や古墳群な
ど数々の歴史に彩られ、播磨の山々や瀬戸内海の展望に
も恵まれているわりに、静かで面白い山歩ができます。
尚、龍野市は播州の小京都で散策に最適です。
【参考】
2.5万図『龍野』



縦走路からのパノラマ。左がたつの市街、中央は的場山。中央奥の播磨灘に家島群島、右手には薄っすらと小豆島


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