へろへろもへの、小谷山 |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年の夏休みも年に一度のアルプス詣。ギリギリで梅雨が明けたものの、普通なら梅雨 明け十日と言われる如く安定するはずが、例年になく大平洋高気圧の張出しが弱く、突然 の台風騒ぎに翻弄されることになった。まあ、目的の山にも登れ、その時は天候にも恵ま れたので大過なかったのだが....。そんなわけで夏休み最後は山行きの整理体操の意味で どこか低山にでもということで、少し気になっていた湖北の小谷山へ足を伸ばすことにし た。お盆の渋滞が懸念されたけれど、そちらはそれほどの事もなかったのだが、蒸し暑さ だけは半端じゃなかった。以前なら暑さももろともせずといったところでも、やっぱり寄 る年波には太刀打ちできまないようで....。(^^; 出かけようとすると機先を制するように雨が降り出した。まあ今日は少々の雨でも出か ける気でいたのだが、それでも少し様子見する羽目になる。小降りになったところで出発。 9時と遅い時間なので少々の渋滞は覚悟の上。大津先頭で15km、米原先頭で4kmと 2つの渋滞に遭遇したにしてはそれほど遅れもない。現地には11時半前に到着だ。 R365で湖北町に入るとすぐに案内板が出て、それに従うとまもなく小谷山の麓の駐 車場に着く。舗装路が続いていて車は標高300m近くまで上がれるようだが、そこはそ れ500m足らずの低山。幾らなんでも下から登らねば男が廃るというもの。(^^; 車 を麓においていざ出発だ。
情報が沢山あります。ラジオ、熊鈴を必ず携行せよ」とある。『ヒエッ』少々驚いたが、 待てよ、いつ頃の話なのだろう?そこで確めると4月である。今年としても4ヶ月も前の 話。それなら大丈夫だろう。とはいえ内心少々ビビっている我輩である。(^^; 草むしているので長い物とか出てくるといやだなと思いつつ、ツクツクホウシの鳴く急 坂を登る。ムッとする草いきれに無風状態。50mも行くか行かないうちから早くも汗。 かくもあらんかと手回し良く今日はウチワ持参。もうバタバタとあおぎっぱなしで進む。 するとすぐに舗装路と合流、それを10mほど登っていくと再び広い山道が現れる。 ほどなく間柄峠の標識。戦国中期、江南の六角佐々木氏が浅井氏を攻めた時、これを助 ける朝倉の援軍がここに布陣した所だという。その近くに白い標識が埋まっているのに気 づく。曰く「山頂まで2.4km」。へっ、思ったより山頂までは距離があるではないか。 ということはこの暑さがまだまだ続くの?早くも戦意喪失...しかかったけれど折角こ こまで出張っ来たのだからもったいないの精神が萎える心を何とか支えるのだった。(笑)
笙望峠はそこから間もなくで駐車場もある。説明板の近くに行って眺めると”笙”即ち 竹生島と琵琶湖が眺められていい景色。小谷山の麓に攻めてきた敵軍の動きが手に取るよ うに眺められたに違いない。 まとわりつくような蒸し暑さ。クラクラきそう。それにもめげず、再び大手道の山道を 辿る。ただ、勾配が緩まったので助かる。標高300mの標高点である『金吾丸』への分 岐も登る気力はなく左の大手道を行く。ここも大永年間、六角氏に攻められた時に朝倉氏 の援軍が陣を敷いた場所。その左手を巻いて行く大手道は車道終点に至り、大きな案内図 の奥に番所跡が現れる。 林道終点近くに車を置いたというカップルが登ってきた。女性はサンダル履き。これは 少し無理なんじゃないの?と成り行きを見ていたら、案の定、まもなく本丸手前の坂から 降りてきた。(笑) 番所跡から馬屋跡。馬洗池の堀割りを横目に進むと首据石という高さ1.5m位の大き な平らな石がある。裏切り者の首を切って曝したというが、確かに上部が平で、首でも置 かれた感じがする。この石のみならず、その辺りの土は沢山の血を吸った事であろう。
ねたであろう大広間跡は150坪はあろうという平地。今は侍の声の代わりにツクツクホ ウシが鳴くばかり。その奥の数m高い台地が本丸跡で、現在も野面積みの石垣が残ってい る。ここも数十坪はある台地で広葉樹が繁る静かな場所だ。 この後、小谷城は直線状に中丸、小丸と続いていく。真っ直ぐな尾根の地形をそのまま 利用し、規模を大きくしていったことが分かる。もっとも、元々は小谷山の山頂に大嶽城 という本丸があり、それが下ってきたというのが真相らしいが...。
やや盛りを過ぎたイチヤクソウが十数本。石垣の崩れらしい大石が転がる道を上がると 山王丸。元、山王神社があった場所という小谷城の搦め手である。この辺りが地形図でい う398m標高点。小さなピークになっていて左手前方に小谷山本峰がこんもりと蟠って いる。本峰の懐に木々の緑の覆いのない岩壁が見えるが、かのお市の方もここから朝な夕 な眺めたのだろうか?ロマンです。(笑)
ツツジが蕾をつけているが、暑くてあんまり見ている余裕がない。おい、おい折角登った のにという感じで案外、下りがある。露岩に滑らないようにと注意しつつ六坊跡。久政時 代に統治の便宜を図る為に寺をここに集めたのだというが、あんまり広い敷地ではない。 この付近が雑然とした感じで木々が繁る清水谷の源頭部らしい。中部北陸自然歩道の道標 が立ち、谷沿いに下る道がある。これを左に見て、標高差100mの最後のきつい丸木階 段にかかる。何度も云うが。いやあ、暑い! この丸木階段がなんともつらかった。団扇フル回転、タオルもフル回転。10段登って は噴出す汗を拭く。そして薄日が射してきた。「....」。眼がくらんできた。(^^; そし てこんな時にクモの巣にからめられるほど嫌なことはない。今日は誰も歩いていないと見 えて、やたらあるのだった。 上に行くほど両脇から少し生えこむが道はしっかりしている。山頂手前にポッカリとし た空間があって、白く霞んだ伊吹山が眺められる展望地がある。こんな里山でこの暑さだ から、伊吹山なんかに麓の神社から登ろうものなら死ぬんじゃないか?お盆の前に登ろう なんて邪心を起こした時は雨で諦めたのだが、今更ながら登らなくて良かったと思う次第 である。
さて、清水谷分岐から15分。ようやく大嶽城跡のある山頂に到着する。思わず三角点 の前で「フーッ」と溜息をつく。 あたりは人工的に整地した跡がある台地で大嶽城址の標識はその中央にある。土塁や曲 輪の遺構も残っていて、城好きには堪えられないだろう。1573年、小谷篭城戦で織田 軍に攻められた際に家臣の裏切りにあい、この大嶽城を攻め落とされては、さしもの難攻 不落の小谷城も如何ともし難かったろう。
小休止して今回はここで引き返す。 下りは早く、すぐに清水谷分岐に戻る。この清水谷にも家臣の屋敷が並んでいたそうだ が、それにしても戦国時代の城なり館があった場所は、山懐に入り込んだこんな地形(美 濃方面で云うところの”洞”)が好きなのだなあ。朝倉氏の越前谷もこんな地形のはずだ。 一方を閉じればサザエが蓋を閉じるが如く防御できるからなのであろう。 本丸前の桜馬場。立派な浅井家家臣慰霊碑の前に、座るに格好の石があるのでそこで遅 い昼食にした。食事中の間にもちょくちょく登ってくる人がいる。車なら本丸まで10分 も歩けばよいだけ。しかし大嶽城までという殊勝?な人は皆無のようである。(笑) 下りは結構涼しい風がある。どうも登る時には追い風、下る際には向かい風になるよう だ。逆ならどれだけ助かったか。 往路には無視した金吾丸に登ってみる。地形図では300m標高点の場所だ。こんもり した丸い感じの広場。振り返って本丸方向を眺める。今は木々に覆われているが、往時は 堅固な建物を眼に出来たに違いない。草いきれの充満する小道を下れば往路の大手道に合 流して、望笙峠を過ぎれば、駐車場までは10分ほどである。 嗚呼、暑い。標高差400mがこんなにきついとは。車のエアコンとコーラでやっと人 心地。年々、夏の暑さが堪えます。年寄りじみた感想で締めくくる小谷山へロヘロモヘノ の顛末でした。
|