鍋尻山〜静かさ溢れる鈴鹿前衛の山

岳ノ峠付近から鍋尻山
平成21年 3月 7日(土)
【天候】曇り時々晴れ一時あられ
【同行】別掲


 伊吹山から鈴鹿の北部にかけては石灰岩質で色々な花が咲くことで有名である。例えば
藤原岳のフクジュソウ、伊吹山のお花畑などなど。早春のこの時期、山の会の皆さんも東
西南北、あちこち活躍されている様子。そんな中でのMさんの鍋尻山企画。霊仙山の南に
ある千m足らずの山だが、霊仙山西南尾根に近く、春先にはフクジュソウなどのスプリン
グエフェメラルが咲くという。小生にとって鈴鹿はほとんど未踏の山域。その中でもマイ
ナーな鍋尻山は勿論、未踏だ。少々体調に不安があるものの、先週の半国山で最悪期は脱
した感じで少しは歩く自信も回復している。廃村も興味あるところ、ここは手を上げてみ
ましょう。(笑)

 午前7時に集合場所の千里中央のローソン前を出発。多賀町の中心部から有名な風穴の
ある河内を過ぎ、芹川沿いに更に先へと進む。岩崖と川に挟まれた道幅一車線の狭い道だ
がこれでも県道なのだそうだ。霊仙山西南尾根の登山口である廃村今畑の更に奥にこれも
廃村の落合がある。川沿いの猫の額のような平地に軒を寄せ合っている十数戸程度の集落
である。もう自然に帰ってしまった建物も有る中で、多賀町の建てた集会所のような建物
のみが比較的新しい。その前には霊仙山に登るのであろう数台の車が既に駐車。尾張小牧
ナンバーの車も見えて、ここがもう名古屋に近い山域である事を示したいる。車を降りて
少し歩くと、こんな小さな集落にそぐわない立派な神社と、向かいには屋根の破風に「蓮」
と記された寺があり、ガラス戸を透かすと金色の光背が覗いていた。この辺りではこの時
期、フクジュソウやセツブンソウが咲く。我々にとっては珍しやかでも、ジモティーにと
ってはごく普通の花々なのだろう、格別の保護などもされておらず、何気なく咲いている
という風情がいい。セツブンソウはやや盛りを過ぎてはいても白い宝石をばら撒いたよう
で、フクジュソウはまだ陽が射さない為に黄色いパラボラを閉じてはいたが、鮮やかな黄
金色がほの暖かい春を十分感じさせてくれていた。

 こんな落合の集落を歩いてみて驚いたのは、小さな墓地に日露戦争の戦没者の墓があっ
たこと。こんな山奥にも召集があったことは日本の戸籍制度のきめ細かさ、すごさを感じ
させる。
妛原(あけんばら)登山口の鉄橋

 さて、本命の鍋尻山である。一度通り過ぎた権現谷林道の起点である妛原(山女原、あ
けんばら)の集落へ戻って路肩の膨らみに駐車。準備を整えて林道入り口からすぐの鉄製
の橋を渡る。よく見ると橋の鉄柵に『鍋尻山 ⇒』とマジック書きされたテープに気づく。
白梅が満開の空家裏に廻ると、石垣で補強された植林で、石垣の間に踏み跡がある。知っ
た人がいないとこの取付きはちょっと分かり難いだろう。しかし登るに従ってはっきりと
した道に変わる。しかも石段にしたと思しき自然石も残っているではないか。聞けばかな
り登った先に石仏が置かれているのだという。その参道だったのかそれとも在りし日に栄
えた保月への間道だったのかもしれない。滑りやすい中をジグザグに高度を上げて行くと、
権現谷とエチガ谷に両側から削られて痩せた支尾根の上に出て、河内の神社裏からの道と
出合う。少し辿ってみたがこちらもかなり厳しそうだ。(廃道だそうです) 後日、知っ
たのだけれども、昨年11月、登山者が数百m転落したとの連絡を受け捜索していた消防
の方も転落し二重遭難になったとか。それはこの辺りなのではないだろうか。それほど両
側は急峻。周囲も切り立ち、眼下に山女原の小さな集落や谷沿いの林道、かすかに谷川の
川音が上がってくる。尾根は石灰岩質の岩が露出し、枯山水の趣。その向こうに霊仙山の
西南尾根。南霊岳の三角錐が頭をもたげている。振り返れば山と山の間に琵琶湖も見える
ではないか。浮かんでいるのは沖ノ島らしい。そんな雰囲気に似合わない黒いケーブル線
が岩肌に延びている。追ってみるとどうも山崩れの探知機器用のケーブルらしかった。

痩せ尾根。両側は100m以上の崖だ

 その支尾根も大きな杉が現れる頃にはやや広がってくる。この辺りに地蔵菩薩の石仏が
あるはずなのだが、惜しいことに見逃してしまった。

 その先は植林の杉林。小広い台地でこの辺りから踏み跡がやや薄くなるが、植林の境目
の縁をトラバース気味に登ってゆく。やがて杉林が尽きると今度は右手に向って杉林と雑
木の境目を辿ることになる。するとなんとそこには洗掘されたはっきりした道があるでは
ないか。何だかキツネに摘ままれた感じがしたものだ。ところどころにニョッキリ顔を出
す露岩を避けつつ進んで行く。途中で尾根へ直登する赤テープを見つけるが、踏み跡がは
っきりしていたので無視して先へ。ところがその先で忽然と道がなくなった。やっぱりさ
っきの赤テープが正しいのだろうか。まあ兎に角、高みを目指す事にするが、想像以上の
急斜面の上にキメの細かい黒土なので水気を含んで滑るわ滑るわ。登るしりからズルズル。
空はいつの間にやら灰色雲に覆われて強風が吹き荒れ始める。寒くなってきたと思う間も
なくバラバラと落ち葉を叩いて踊る小さな白い粒。アラレが降り出したのだ。振り返れば
今まで見えていた霊仙山の稜線も掻き消えている。泣きっ面に蜂とはこのことだ。滅茶苦
茶寒い。あったかいと思って少し薄着して来たのだが...。慌てて手袋をはめる。しかし雨
でなくて幸いだった。濡れていたらこんなもんじゃすまなかったろうなあ。(^^;

岳ノ峠付近の鹿遊び場

岳ノ峠付近から南霊岳。ここで見るとまるで近江の槍ヶ岳だ

 広々とした場所に出る。アラレも上がって少し青空も戻ってきた。岳ノ峠と呼ぶらしい。
鈴鹿に多い鹿遊びの台地というか象の背の様な所である。ゆっくりしたい所ではあるけれ
ど、なにせ峠は風の通り道。寒い。ようやく目の前には、まだガスが流れてくっきりとは
しないが鍋尻山の鍋を伏せたような山頂部。窪地には残雪も見える。この辺り、踏み跡は
ほとんどなく鹿の通る獣道程度。それでも山頂が見えているのでひたすらそれを目指して
進むことになる。右手は素晴らしい雑木林。だが、そんな景色を楽しむのも束の間。ここ
からが苦戦の第二ラウンドだった。標高差はほぼ150m。傾斜は急に増し、しかも土壌
はまたまた細かい粘土質でよく滑る。しっかりした立ち木や露岩を掴まないとズリ落ちて
しまう。登りやすい斜面を選りながらしっかりした露岩に足をかけ、斜めに斜めにとステ
ップを切りつつ体を持ち上げてゆく。藪がないので大いに助かる。

鍋尻山斜面の清浄な雑木林

 徐々に傾斜が収まると丸い鍋尻山の山頂が見えてきて、そこは三等三角点と山名板、琵
琶湖方面を示す道標の立つ大パノラマの場所である。北に雄大な霊仙山。その向こうは伊
吹山のようだ。南東には雪を被った鈴鹿の最高峰、御池岳と藤原岳がどっしりとある。そ
の他にも、北鈴鹿の主だった山々が眺められているのだろうがよくわからん。(笑) 西は
長浜市街に琵琶湖の湖岸線が眺められ、遠く朽木方面の山々も霞みつつ凹凸を繰り返して
いる。丈の低い叢林が生えているにも拘らず、これだけの展望が得られるのであるが、山
頂を少し南に降りた辺りからは南方向が更に素晴らしいということなのでそちらに向かい、
再び展望に酔い痴れながらカレンフェルトの横に陣取って昼食とした。あれだけ吹いてい
た風も南側に下りた途端にほとんどなくなるから不思議だ。

三等三角点の鍋尻山山頂。絶好の好展望地だ

展望地から残雪いただく御池岳、左奥は藤原岳

鍋尻山山頂から春日を浴びる霊仙山

 車をデポする時間がなかったので鍋尻山ピストンに予定変更となったのが、あのズリズ
リ斜面を体験してはとても引き返して下りる気にはなれず、当初の予定通り保月へ降りる
ことになる。少し林道歩きが長くなるけれど早春の景色を楽しみながら歩くのもまた一興
だろう。食事しながら眺めている景色の内、下方の浅い谷状になった辺りに保月の集落が
あるとのこと。目を凝らすと物置小屋と思しき建物が木立の中に隠れるように在るのが分
かる。直線距離ではほぼ600m。しかもかなり標高が高い場所にあるので標高差は20
0m程度。鍋尻山だけに登るのならこちらからが楽勝だ。とはいえ、降下点が分からず少
しうろうろする。食事の場所からもう少し南のほうへ下ってみても踏み跡は皆無。一旦、
食事の場所に戻って、見つけておいた最後の赤テープの周りを確めると、10mほど下っ
た斜面の細い木にピンクのPPテープが巻かれてあるのに気づく。保月に向かってほとん
ど直降下していくようだ。こちらは北斜面ほどきつくもなく案外楽に下れる。とはいえ安
心は禁物。油断すると尻セードだ。

 食事の場所にもあったけれど、所々に青いネットが被されているのが点々とある。どう
もブナを植林したようである。急坂にトラロープが用意されているのはこの作業の為らし
いが大いに助かる。やがて斜面は緩くなって桧や杉の植林の中となって、薄かった踏み跡
も作業道となってはっきりしてくる。

 地形図上の二俣に出て右に曲ると道は益々明瞭となって深くえぐれた感じとなり、古い
生活道の様相を見せる。やがて建造物が木の間越しに透かせるようになってきて、飛び出
した場所は神社の横、杉峠への車道との出合である。鍋尻山と私製プレートが電柱に懸け
てある。近くにあった鹿駆除の立て看板は去年の秋のものである。そういえば至る所、鹿
の糞だらけだったような...。(笑)

保月の登山口。電柱に「←鍋尻山」のプレートがある
下の建物は八幡神社

 保月(ほうづき)は伊勢や美濃から多賀大社へ参詣する道が通じていて、明治初期に
は300人が暮らしていたという。かつては脇ヶ畑村の中心地で役場や中学校もあった
のだというが、その名残は脇ヶ畑小学校跡地の石碑(小学校跡とあるが、小学校はもう
少し上の高台にあったそうだ)や、今なお立派な八幡神社や照西寺があることからも偲
ばれる。廃村だというが、夏季には戻ってこられる住民もおられるようである。学校跡
地には公衆トイレ。これは学校の便所を残したものだ。

脇ヶ畑小学校跡。実は中学校の跡地という
後ろは公衆トイレで元は学校のトイレ

左は照西寺と鐘楼。右が教職員宿舎

 出船山照西寺の立派な鐘楼も梵鐘はそのまま。その横の平屋の入り口が二つある変わっ
た建物は教職員住宅だったとの事で、最盛期には10人ほどの教職員がいたとか。流石、
旧脇ヶ畑村の中心地。道路沿いに二十軒あまりの家はあるいは朽ち果て、あるいは雨戸を
閉ざししているが、それほど暗いイメージはない。それは前述したように全くの廃村では
なく、夏に戻ってくる住民がいるからだろう。真っ直ぐ東に歩いて集落が尽き、高圧線の
下を潜ると谷が開け、左下にアサハギ谷が見えてくる。地図上ではショートカットを目論
みたくなる所だが、実際に来て見たらとても無理。谷の対岸の林道は遙か下、忠実に林道
をたどって行くしかない。道路の上には点々と岩肌から崩れ落ちたまんまの落石に落木。
仰げば数十mの崖から落ちてきたらしく、見るからに脆い岩肌だ。陰には所々まだ雪が残
る中を進んでようやく権現谷との出合の落岩橋。古い道標には消えかかった文字で五僧と
ある。五僧はここから山道を行くしかないそうである。それにしても毎日、五僧から小学
生が保月の小学校まで通学していたというが、当時はこんな林道もなかったはずだし、雨
の日なぞ、並大抵じゃなかったろう。(@o@)

 距離は長いがアップダウンもなく下り一辺倒の道なので思ったより楽だ。左の権現谷は
伏流水の涸れ谷である。ミソサザイが大きな声でさえずっている谷筋をひたすら下って行
く。途中、白谷との合流点辺りからようやく水流が復活。薄い青色の綺麗な水だが、惜し
むらくは家電製品などの粗大ゴミが捨てられていることだ。どうも業者の仕業のようだが、
モラルの低下は行き着く所を知らないようだ。

急峻な崖下をぬって権現谷林道を
起点へ (画像提供たるるさん)

 幾たびか通るのが怖いような絶壁の下を抜ける。崖上にフクジュソウが咲き、元行者の
洞窟、巨岩の下からの湧水を眺めたりで、結構飽きない林道歩きである。距離にしてざっ
と8km、2時間の行程であった。左へスーッと曲った先に民家が見えて、と思う間もな
く往路の鉄橋が見えてきた。

 車に戻る前に、みんなで往きで見つけておいたカンゾウを収穫。酒の肴。翌晩、サッと
湯掻いて今回は酢醤油でいただいた。しゃきしゃきそれでいてやや甘い。美味であった。

 目的の早春の花も多く見られ、かつ静寂に包まれた自然豊かな山を堪能し、締めは千里
中央で泡タイム。春宵一刻値千金。あっという間に充実の一日は過ぎて行ったのでありま
した。



【タイムチャート】
7:00千里中央ローソン前(集合地)
9:00〜9:25廃村落合
9:35〜9:40権現谷出合付近(駐車地)
9:43権現谷に懸かる橋(取付き)
10:05〜10:07西尾根出合
11:20〜11:25鍋尻山北の鞍部
11:57〜12:05鍋尻山(838.3m(三等三角点))
12:10〜12:34鍋尻山南の展望地(昼食)
13:15保月登山口
14:10落岩橋
14:30白谷出合
14:52元行者窟
15:20権現谷に懸かる橋(取付き)


■同行: あかげらさん、かなぶんさん、たるるさん、水谷さん、もぐさん


鍋尻山のデータ
【所在地】滋賀県犬上郡多賀町
【標高】838.3m(三等三角点)
【備考】
霊仙山の南部に連なる鈴鹿前衛の山で、山名のごとく
鍋をひっくり返したような山容です。伊吹山や霊仙山
と同じく石灰岩質の山で花にも恵まれた山です。北麓
に河内風穴があります。登山コースは主に南麓の保月、
北麓の河内からがありますが、道標はありません。と
くに河内からは途中がほぼ廃道となっており、地形図
とコンパスは必携です。
【参考】
2.5万図『彦根東部』、『高宮』



鍋尻山周辺で見られた花々
セツブンソウ
雪割草とも呼ばれるミスミソウ
フクジュソウ

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