三濃山から感状山〜西播は春の装い

三濃山山頂から南面。相生湾沖に家島群島が浮かぶ
平成21年 3月21日(土)
【天候】晴れ
【同行】別掲


 今年の2月であったか、播磨の伊勢山へ出かけた時、ミノコバイモの話が出た。感じで
は”美濃小貝母”と書くそうなのだが小生は対面した事がない。それが見頃という事でM
さんが企画した西播磨の花紀行。里山登りと併せて、ミノコバイモの他にカタクリやアズ
マイチゲなどの花所を駆け巡る企画である。絶好の好天に恵まれ、綻びたタムシバやミツ
バツツジに、はや、春爛漫の季節がそこまでやってきているのでした。

 本来、春分の日のはずだった企画は早朝の雨で順延。朝から日が射さないと花を開いて
くれないのが自然の花の気難しいところだ。企画したMさんにとってはGOかNGか難し
い選択だった事だろう。でもその甲斐あってか、翌日は快晴。いつものコンビニに集合は
7時。雲ひとつない。

 竜野西ICで山陽道を降りる。池田から100kmギリギリ。ETCの通勤割引では最高
に効率がいい。 (^_^) 播磨道の横目に北上して行くと、感状城址の大きな案内板が現れ
るから、後は羅漢の里に向かって走ればいい。右手、川向かいに神社が見えたらそれを目
印にすると瓜生の公民館前に7、8台はとめられる駐車場がある。ここが今日の下山地。
1台をデポしておいて、もう1台で播磨テクノラインを播磨科学公園都市へ向かって三濃
山トンネルを潜る。すぐに左折して配水施設への取付道路をドン突きまで進むと、三濃山
への最短の登山口だ。タンク施設の横に標識がある。それには黒のマジックで25分と括
弧書きが付け足されている。

播磨科学公園都市側の三濃山登山口

 標高も高いので200m足らずの登りである。暫くは左に浅い谷を見ながら、明るい雑
木林の中の丸太で補強された階段道で、歩き始めるや否や、プーンとヒサカキ独特の匂い
が我々を包む。外見は黒いが中は白い小さな花が鈴なりである。左方向へゆっくりと上が
って今度は右方向へ。現れた雑木の中の細い尾根道を行くと、コゲラだろうかドラミング
の音が聞こえる。
明るい雑木林の中を三濃山へ

 のっぺりとした鞍部に出ると前方に三濃山が見え始める。そして最後の登り。半国山の
山頂直下のような雰囲気がある。一登りで三濃山の頂の伐採地に出る。

 山頂には三角点の横にアカガシの巨木がある。周囲2m位はあろうか。その前には小さ
な石に榊が供えられているのはこの木がご神木なのかもしれない。もっとも、主幹は折れ
て一本の枝のみで生きながらえている状況で、周囲を囲われ保護されていて、側の黄色い
プラスチックタンクはカシの為の貯水タンクらしい。二代目の苗木も近くに植えられてい
るは万一を慮ってのことか。でも残った枝はなかなか元気そうである。
「老、赤樫より 気がついてくれてありがとう...」説明板の文句である。

三等三角点横にアカガシと保護施設が

 それにしても、ゴロゴロ積み重ねられた大きな石は何だろう。この頂を納経山とも呼ぶ
ことから、塚でも築かれていたのだろうか。今まで展望は全く得られなかったが、山頂は
南に大きく開けている。カシの前へ出ると相生市街から瀬戸内海方面の入江や家島群島が
見え、遥かに淡路島も霞んでいる。近くにはうねうねと山並みがあるが、土地勘もなくど
れがどの山だか....。海を見とれながらズリズリ南側斜面を降りて行くと、すぐに瓦葺の
立派な建物とお堂が台地に建つのが目に入る。おりしも数本の紅梅が満開で、辺りに馥郁
とした香りが漂い、まさに別天地の風情。お堂は山王権現堂。些かこじつけだが、山の名
はこの”山王”が祀られていたことから”三濃”に転化したのかもしれない。

紅梅が満開の山王権現堂付近.背景は三濃山

 植林帯の中を南に向って一本道があり、そちらにも建物がある。求福教寺の観音堂らし
い。秦氏の創建、弘法大師の開基などと諸説があるらしいが、観音堂から更に少し南にあ
る古いブリキ製の案内図には往時の求福教寺の境内図が描かれていて、幾つかの塔頭を従
えたかなり大きな寺であったらしいことがわかる。昭和40年代まではあった集落が廃さ
れた後は荒れるに任されていたというが、近年復興されたという。道理で屋根の瓦は新し
い。

 さて、ここから感状山への縦走だ。観音堂の前で道は二手に分かれる。杉桧林を西へ行
くと羅漢の里へ。感状山へは東方向へ巻くようにつけられた道を採る。左下に石垣が見え
隠れし、小さな流れもあって昔集落のあったのはこの辺りだろうかと思わせる荒地を見て、
暫くすると道は右に曲って行く。辺りは杉桧の植林帯。やや鬱蒼とするが、まもなく軽四
輪なら十分に走れるくらいの幅のある道になる。もっとヤブヤブした所だろうと予想して
いたから、些か拍子抜けの態。求福教寺への参道?それとも感状山の兵糧道だったのか?
想像するだけでも興味は尽きない。

縦走路には適所に写真の様な道標がある

 ほとんどアップダウンはなく、472m標高点ピークへの登りが一番きつかったくらい。
尾根道という割りに展望がきかないのは尾根がやや広い所為だろう。しかも感状山に近づ
くに従って複雑な地形になるので、テープや道標がないと本来、位置取りがなかなか難し
い山でもある。いつしか植林も途絶え、シダの繁る洗掘道を登って標高点ピークを過ぎる
と、小さな雑木が繁る荒地からやがてアカマツの林の尾根。秋はひょっとするとマツタケ
で留山になるかもと思わせる。434m標高点のすぐ北側に赤白鉄塔(播磨線bP5)が
立つ。三濃山の山頂からも望めた鉄塔はここだ。その鉄塔横の赤っぽい土色をした裸地で
小休止。

 少し荒れた雰囲気のあるシダの道。少し高みに上がると、左手にCa410mのピラミダ
ルな峰が目立つ。道の側に大きなタムシバの白い花が早くも八分咲きである。

 鉄塔(西播線bT6)が立つ辺りは羅漢の里からの道との二差路。立派な道標もあって
迷いようがない。東にこんもりと西山がある。一旦、沢に降りてチョロチョロ流れる小沢
を朽ちた木橋で渡って登り返す。シダが両側から繁る道は関電巡視路も兼ねている。西山
の三角点まで来ると、地形図でも分かるように明瞭な尾根道で、感状山まではほぼ一直線。
感状山の最高点の西側を巻いて南側に出て高みに向かと、直ぐ上で標識に出会い、広々と
した台地に飛び出す。感状山城のI曲輪、本丸跡だ。

 建武期、朝廷側と袂を分かった足利尊氏を追撃する新田義貞勢に対して、赤松則祐がこ
こでその軍勢を喰い止めた為に、足利尊氏の反攻が成功したことから、後日、尊氏から感
状を得たことが山名の由来という。まずは最高点となっているのT曲輪(本丸)跡へ出る。
流石に山城があった場所なので展望は抜群。東は龍野を区切る新龍アルプスと呼ばれる山
々。アンテナが林立するのは的場山。南は海が見えて明るい。北は歩いてきた稜線。ただ
し、休憩した赤白鉄塔は眺められるが、その先の三濃山は見えないようだ。

感状山城址に立つ筆者(画像提供:Tちゃん)

 T曲輪の礎石に座って昼食。うらうらと日が当たり、昨日までの風も嘘のようで暖かい。
曲輪の崖下にはマメザクラらしい小さな花がもう咲いている。山肌に白いのはタムシバの
花らしい。そして石垣の隣にはもうコバノミツバツツジの薄紫の花。何時の間にやら春爛
漫の風情ではないか。なのに誰もいない。贅沢に我々だけで独り占め。京阪神近郊ならこ
うは行かないところではある。

自然石の石垣が残る『I曲輪』(本丸址)

 尾根を巧みに利用して作られた南の曲輪から往時の大手道。少し荒れたジグザグ道は大
手門跡を経て、二の丸か三の丸跡のような広場に出る。大きなアカガシが幹を伸ばしてい
て、その奥にいたカケスくらいの大きな鳥が慌てて姿を消した。右下に小さな堂舎の屋根
が望める頃、大手道は分岐する。右に折れてそのまま大手道を降りていくと羅漢の里へ出
るらしく、先ほど見えたお堂がそれだろう。直進するのが地形図の点線路で尾根を辿って
いく道なのでこれを利用する。

 非常に傾斜の緩い道は尾根を少し東に外しながらほぼ一直線で南に向かう。ヒサカキ、
ヤブツバキ、アセビ、ミツバツツジが目立つ林を抜けて行く。チラチラと枝を透かして見
えるのは能下の集落だろう。下り道をどんどん飛ばして、はるか下だった民家も瓦の1枚
1枚がはっきりするようになると、鹿避けフェンスが現れる。扉を抜けるともうそこは神
社の裏である。
八柱神社正面。向って右に登山路がある

 降りて来た所は八柱神社の拝殿横である。流石に赤穂に近いだけあって、拝殿には赤穂
四十七士氏の武者絵が掲げてある。その他にも国定忠治だとか歌舞伎題材を採ったものが
多い。皆同じ作者なので地元の絵の愛好者が供えたのだろう。稚拙だがなかなか面白いも
のである。橋を渡れば公民館の駐車場。車はやっぱり我々の1台のみ。ここまで誰にも遭
わなかったから当然か。(笑) 

 さて山歩きに続いては、今日のもう一つの目的である西播磨の花行脚。朝に走った道を
再び使って車を回収に行き、まずはレッドデータブックの絶滅危惧種に指定されているミ
ノコバイモの見学へ向かう。私有地の山裾に生えているのだそうで、目印も一切出ておら
ずここでも所在地の詳細は割愛する。

 栗林の小さな斜面。よく見ないと見逃してしまうような想像したよりはよほど小さな植
物である。黒百合と同じ仲間だけれど、高さはせいぜい15cmくらいだろうか。釣鐘状で
薄茶色に斑点がある花も地味で直径1.5cm程度だ。それでも笹状の葉を交互にして立ち
上がるのはやはりユリ科の植物である。ここには他にもアマナやユキワリイチゲ、イチリ
ンソウ、コンロンソウなどが咲くと地主らしい小母さんがいちいち説明してくれる。先日
は富山大の先生も調査に来たんだそうだ。保護されていて徐々に個体数も増えてきている
ようだが、人間との共存無しには生きて行けない生物でもある。今後も絶滅しないことを
祈るばかりだ。

ミノコバイモ(白花)

 続いては旧三日月町弦谷のカタクリ。ここは幟も出ているので分かりやすい。集会所ら
しき建物の前が臨時の小さな駐車場になっている。集落の生活道路を20mも行くと、ジ
モティーのおじいさんが孫の女の子2人と番をしているテントの前だ。

 ここも栗林の急斜面。幅20m、高さ15m程度の斜面に百数十株があるようだ。土が
肥えているのか赤坂山などより花がかなり大きいように思える。まだ蕾ながら珍しい白い
カタクリもある。ところでカタクリは種子を蟻が運ぶという不思議な生態をもつという。
セツブンソウは双子葉植物なのに双葉は一つしかないというし、そもそもキンポウゲ科は
ガクが花弁の代わりをしているという変り種。スプリングエフェメラルと呼ばれる花々は
生態もエフェメラル的ではある。
カタクリ

 最後はもう少し西へ足を伸ばして岡山県の英田へ。ここは少し遠かった。間道を近道し
ても小一時間はかかったと思う。近くの英田サーキットでは今日はレースがあったらしく
広い駐車場は夥しい車、車、車。レースが終わってこれらの車の渋滞に巻き込まれては一
大事。早めに見物を済まさなくては。(笑)

 ここにはセツブンソウ群生地の案内板がある。これまでと違って協力金200円也の有
料ではあるが金を払うだけの値打ちはある。この時期、もうセツブンソウは花が散りはて
ていたけれど、それに代わって満開だったのはアズマイチゲである。直径3cmくらいの白
い花は清楚。それが一面に咲き乱れている様はなかなか圧巻なのである。200坪ほどの
敷地にジグザグに付けられた道のあちこちで思い思いの花をデジカメに収める皆さん。と
ころが生憎、小生のは電池切れとなり、数枚写したところでシャッターが下りなくなって
しまった。 (T_T) ところで今見ているアズマイチゲ。小生にはキクザキイチゲ、イチリ
ンソウなどと区別がつきにくい。どれも白い花、キクザキイチゲなぞキクザキイチリンソ
ウの別名もあるくらいだし。「嗚呼、ややこしや、ややこしや」悩むのは止そう。

アズマイチゲ

 あちこち飛び回っているうちに大分日も傾いて、空気もやや橙色を帯びてきたようだ。
道路が混まぬ内に引き上げましょう。渋滞は12kmとのことであったが、6時前、明るい
内に無事、池田IC。自宅に車を置いて、泡タイムには7時過ぎに合流したのでありまし
た。同行の皆さんに感謝です。



■同行: あかげらさん、幸さん、たらちゃん、水谷さん

【タイムチャート】
7:00千里中央ローソン前(集合地)
9:00〜9:06播磨科学公園都市第二配水池前(駐車地)
9:30〜9:40三濃山(508.6m(三等三角点))
9:42〜9:44山王権現社
9:48〜9:52求福教寺
10:10472m標高点ピーク
10:30〜10:40赤白鉄塔(播磨線bP5)
11:11〜11:12鉄塔(西播線bT6)
11:24〜11:25三等三角点『西山』(339.3m)
11:43〜12:10感状山(305m)(昼食)
12:52八柱神社(車デポ地)



三濃山のデータ
【所在地】兵庫県たつの市、相生市、赤穂郡上郡町
【標高】508.6m(三等三角点)
【備考】 播磨科学公園都市の南に連なる山々の最高峰です。
山頂直下に山王権現社、その少し下に求福教寺があ
り、周辺には数十年前までは集落があったようです。
山頂は南に開けており、相生湾や家島群島、淡路島
等が望めます。また樹齢数百年といわれるアカガシ
があり保護されています。
感状山のデータ
【所在地】兵庫県相生市
【標高】305m
【備考】 三濃山から南に派生する尾根が羅漢谷と能下谷に区
切られる中で最後の盛り上がりを見せる山です。建
武期、赤松則祐が新田義貞勢をここで喰い止めたこ
とで足利尊氏から感状を得たことが山名の由来とい
われます。今でも山城の遺構が残り、三濃山よりも
更に素晴らしい絶景が得られます。
【参考】
2.5万図『三日月』、『二木』



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