東赤石山〜四国の春を初歩き

赤石山荘と少し顔を出す八巻山
平成21年 5月5日(火)〜6日(水)
【天候】雨のち曇り(5日、6日とも)
【同行】あかげらさん、水谷さん


【5月4日(月)〜銅山の里】

 本来なら四国の山は小生の選択肢には入っていなかった。なにせ交通費が莫大?橋の往
復に1万も要るようじゃ話にならないのである。それがこの不況対策で高速と橋の料金が
リズナブルになって、一気に視野に入ってくるようになった。そんな時の広島組との合同
オフ。行き先は別子銅山近くの赤石山系。最寄の市営施設に前泊し、東から西へ一泊二日
で縦走する山旅である。寡聞にして知らなかったが、ヤマケイの「大阪の山250」にも
記載されのある日本二百名山の一つ。アケボノツツジの名所だそうだ。

 5/4 10時。参加メンバをピックアップしながら、渋滞を避けつつ西宮北IC→中
国道→山陽道→明石海峡大橋→高松道→徳島道→松山道と進んで新居浜IC。明石海峡か
ら先は未知の道でちょっと新鮮。料金は2500円足らず。安いっ!!

 市民体育館で銅山の里自然の家の利用届を提出し、スーパーで買出しを済ませた後、足
谷川沿いの県道を南下する。新緑の山々が眩しい。その中に旧別子銅山の遺物がそこここ
に残る。マイントピアの近くでは廃線となった鉱山鉄道の鉄橋もそのままだ。

 鹿森ダムを過ぎ清滝トンネルを抜けてすぐの左側に狭い舗装路がある。これが銅山の里
へ通ずる市道。ヘアピンが連続する1車線の狭い蛇行道だ。ガードレールはあるが眼下の
谷は深く、路上には小さな落石も散見されて、市道というよりちょっと立派な林道という
感じ。これを5kmほど走って標高がおよそ700mに達すると、別子銅山の中枢であっ
た東平(とうなる)に出る。銅山の里自然の家は東平にあった中学校の跡地を利用して建
てられている市の建物だ。幾棟かあるキャビンはそれぞれ定員20人と広く、シャワー、
風呂、水洗トイレ付と至れり尽くせりの設備で、これで素泊まり1000円なのだからビ
ックリする。大阪近郊なら人気で予約も難しいだろうと思わせる。それほど立派な設備だ。

自然の家は東平中学校の跡地にある
背景は西赤石山の山並み

 午前中に着いて既に銅山越を歩いて来た広島組とここで合流。風邪の回復に大事を取っ
たKちゃん一家に会えなかったのは残念だったが、KさんやTさんらとバーベキューとビ
ール、濁り酒で盛り上がる。隣のパーティにはさぞうるさかったろう。この場を借りて陳
謝。m(_ _)m


【5月5日(火)〜東赤石山に登る】

 枕が替わると寝られないものなのだが、寝たのも早いこともあって案の定、真夜中1時
頃に目が覚めた。それからうとうとしていると3時頃だったか、あれえ、雨音が...。ムム、
山は大丈夫かいな?ちと心配。

 すぐ近くで啼くミソサザイの声に寝ぼけまなこを開ける。雨の音は一向に止まず。一同
どうするか思案投げ首。携帯で確かめれば予報はどんどん悪い方に振れていっている。目
の前に見える西赤石山の尾根がはっきり見えるので大降りはすまいが、なんとも悩ましい。
しかもその山肌がピンクに染まっているのはアケボノツツジだろうか。やっぱり近くで見
たいものだし、そんなこんなでふっきれず。朝食を終えて8時位まで粘っていると、思い
が通じたか雨が上がってきた。また出直すという広島組と別れて、まあ、とりあえず筏津
の登山口までは行ってみようということになる。これが結構長い山岳ドライブである。か
つては別子山村の役場があったというが今は寂れた弟地の集落を過ぎ、早明浦ダムへ向か
う道が現れると、直ぐにせとうちバスの筏津バス停がある。なんとトイレ付のバス停だ。
そのバス停の石垣上が登山口だが、道標はあるものの余り目立たないので、近くの観光案
内図とバス停を目印にすると良い。

せとうちバスの筏津バス停横にある東赤石山の筏津登山口

 雨は止んだらしく空も幾分か明るくなったようだ。それならと決行することになって出
発準備を整える。ここ筏津の標高は手元で694m。山頂まで約1000mの標高差だ。
日頃のあってもせいぜい5、600mの標高差の山とは異なり、少々骨がありそうだ。(^^;
体調を優先して自然の家から西赤石山をピストンするというMさんと別れて、手入れされ
たヒノキの植林下の道に入る。時折、巻き上がるように登って行くものの、傾斜はしばら
くは緩く、等高線沿いに山腹を巻いていく感じで進んで行く。ただ、頭大の石が転がる道
は歩き難い。

 北陸電力の巡視道を兼ねた瀬場への道を右に過ごすと小広い場所に出る。自然石を積み
上げたような所もあって、古い電柱らしきものも見かけたから、以前は何か建物でも建っ
ていた雰囲気がある。付近はハタザオ系の白い花が満開だ。ワチガイソウを見たのもこの
辺りだったと思うが記憶が曖昧である。

 次第に水の騒ぐ音が近づいてくる。瀬場谷だ。道も狭くなって崖に付けられた桟道も現
れる。一際、水音が激しくなると右下はるかに白い帯が垂れる。八間滝だ。高さは30m
位はありそうで、三段に別れて水量豊かに落ちる様はなかなかに迫力がある。それを見つ
つ小休止。暑くなってきた。長袖シャツを脱ぐ。

新緑に染まる八間滝

 登山道は平坦と一気のつづら折れを繰り返しながら続く。緩急があるのであまり疲れな
い感じがする。植生も人工林と自然林がかわるがわる現れる。松が混ざる人工林の下の沢
にはヤマシャクヤクの群生が見られる。イチリンソウや白いスミレ。これはシコクスミレ
だろうか。なんだか白系統の花が多い。

 遙か下だった瀬場谷が直ぐ横に近づく頃、滝の懸かる手前を5m程の桟橋で渡る。その
先が瀬場谷分岐で、赤石山荘(左俣コース)と東赤石山直登(右俣コース)の分岐となる。
とりあえずは左俣コースを選択。

華麗に咲いたツクシシャクナゲ

 雨が降れば水が流れそうなゴロゴロ石を伝って更に巻き登る。左手にまた滝が見える。
山陰にツクシシャクナゲが綺麗に咲いている。シャクナゲは咲くに従って白っぽくなるの
だけれど、ここのは色が濃い感じがする。そしてまた現れた桧林の中をつづら折れ。この
辺りが一番きつかったんではなかろうか。地形図を見ると等高線はえらい混みようである。
しばらく喘ぐと、このルートで初めて開けた場所に出た。南側が一望で、三角錐の山、目
立つ山があるも何が何だか、惜しいかな全く同定できない。(^^;

 ふと目を下にすると丸みを帯びた花弁の濃いピンクの花が落ちている。あら、アケボノ
ツツジだ。見上げると高い梢にチラホラと花が残っている。そして瀬場谷のV字を成す対
岸の山肌にもピンクの花がある。トサノミツバツツジも鮮やかに赤紫の花をつけ、それぞ
れ華やかな印象を与えているのに比べその周囲はまだ浅葱色。そう、下はもう若葉の季節
なのにこの辺りはまだ芽出しを始めたばかりなのである。

アケボノツツジ

トサノミツバツツジ

 等高線の混んだ部分を抜けたのか傾斜が緩む。すると前方に突兀とした岩山がようやく
姿を現す。八巻山だろうか。確かに東赤石山の名の如く山肌が赤っぽい。しかし、まだま
だ周囲の稜線ははるかに高い。瀬場谷の流れ近くに降り、岩の間を抜けて桟橋を渡る。こ
こが日本庭園風の第一渡渉地点だ。この時点で何時の間にやらもう13時近く。そろそろ
食事でもというわけで、ほぼ第一渡渉地点と第二渡渉地点の中間点付近、瀬場谷川のほと
りの岩の上で行動食を摂る。気温14℃。パラパラと小雨が来たが直ぐに止む。

 第二渡渉地点。ここまで来ると瀬場谷も大分水量が少なくなる。それでもザーザーと水
音は高く、水の豊かな山である事が分かる。地形図を眺めると、この先が最後の急登だ。
大分くたびれて来たけれどもう一息だと励ます。ササが現れるが登山道の周囲だけは綺麗
に手入れされていてありがたい。そしてまた石のガラガラ道になって石車に何度も乗りそ
うになる。やがてモミかシラベかトウヒだか鬱蒼と薄暗い針葉樹林の下。ここにもシャク
ナゲがあるがここは花がついていない。短い針葉樹林帯を抜けると目の前に岩と石だらけ
のアルペン的な風景が広がった。少し曽爾の屏風岩に似た八巻山の岩壁が立ちふさがる。
細い枯れ沢のようなガラガラした道を辿って権現越とのT字分岐を左に折れると、やっと
赤いペンキ塗りのトタン屋根の山荘が見えた。

 扉が閉まっている。といってもヒモで縛ってあるだけだったが。予約も入れてあるので
解いて入ってみれば誰もいない。管理人室には張り紙。所用で下山したとのことで料金は
封筒に入れて投函してくれとの由。見ればポストの如く扉の上部に細い隙間があった。

 赤石山荘は個人所有だがなかなか広い山小屋で、大きな炊事場もあり、数部屋を合わせ
れば40人以上は泊まれそう。だが、部屋に蛍光灯はあるがつかない。管理人がいないので
自家発電設備の在り処も分からず。そもそもその自家発電設備があるのかな?指定された
部屋に入ると、あれ?蝋燭を使ってくれと百円ショップのローソクと共に書置きが・・・。
げげっ?ローソク生活?こりゃ昔の電力事情が悪いとき以来だなあ。暗くなれば明かりは
この蝋燭と手持ちのへッデンだけかい。こりゃあ、夜が長いわ。(^^; そうでなくても部
屋の広さに比べて窓が小さいので部屋が薄暗い。ちょっとへこむなあ。

 とりあえずザックを下ろして大きく伸びをする。コーヒーを沸かして一息ついて、戸外
を見れば雲が切れたのかえらく明るくなっている。これなら展望も期待できるのではない
か。夕暮れまでにはまだたっぷり時間もあることとて、東赤石山へ登ってみることにする。
空身にカメラのみ。何と楽なことか。

 戸外に出るとガスが取れて北側に峨々たる八巻山が屏風を立てたように屹立しているの
が良く分かる。歩いて来た道を少し戻り、T字分岐を直進して八巻山の裾を更に東へ歩く。
大きな石がゴロゴロしていて歩き難い道だ。ここでも所々でアケボノツツジが花を付けて
いる。この高度ではまだ蕾の方が多い。これに比べてトサノミツバツツジは旬のようだ。
北摂で普通に見られるコバノミツバツツジよりも鮮やかで濃い印象がある。群生している
鋭い棘のある植物は何だろう。アリドオシかもしれない。こんなブッシュに入り込んだら
最悪だろう。やがて権現越方面との分岐が現れたら、登山路はようやく高みに向かうよう
になる。そこここに大きな岩が折り重なる。中には鷲が天空を睨んでいる様な面白い形の
ものもある。その岩を良く見ると蛇の目模様が幾つもついている。後で分かったがヒメコ
ブトリハダゴケという地衣類なのだった。

山荘の東付近から八巻山

 適度にある赤テープを追って行くと、今日、我々以外に宿泊するただ一組のパーティで
あるご夫婦が降りてくる。道を誤って八巻山から登ったという。遊ばせて貰ったと笑って
おられたが、埼玉から遠路はるばる。今日は笹ヶ峰から縦走してこられたという。健脚な
方達だ。とても真似は出来ません。(笑)

 あと10分くらいだというご夫婦の言葉に力を得て、ツクシシャクナゲの群落を抜ける
と、しばらくでやっと尾根に出る。八巻山との分岐、赤石越だ。ここを東に折れるとまも
なく岩の重なる下に出て、その折り重なりの頂が東赤石山の山頂であった。

東赤石山山頂。岩にヒメコブトリハダゴケの白い円形模様

 天候はやはりまだすっきりとは行かず、ガスが邪魔をするがそれでも素晴らしい展望だ。
岩の上ではそのガスの晴れ間を30分待っていたという先着の中年兄さんが一人仁王立ち。
加古川からバスと電車で来たそうで今日はテント泊だという。良くご存知で北西眼下に見
える市街地を教えてもらう。手前が新居浜、向こうが西条。市街地の先は燧灘、即ち瀬戸
内海である。南や西は山また山の重なり。石鎚山などが見えているのだろうがどれがどれ
だか。その内におやっ?日が射してきた。八巻山が次々湧くガスを跳ね返すように立ちふ
さがっている。その向こうに西赤石山らしき高みや兜山に続く尾根がある。明日はそちら
へ向かうつもりだが、天候はどうだろう。このまま晴れ間が広がってくれればなあ。ひと
しきり展望を楽しんだ後は、そうそう忘れていた、三角点だ。が周囲を捜したけれど見つ
からぬ。岩の間に白い棒とセメントで固めた跡があったので、ここにあったのだろうと一
人合点。(実はもっと東にあったらしい。三角点教の信者としては、かえすがえすもGP
Sを持ってこなかったのが悔やまれた。(^^; )

東赤石山山頂から八巻山

 寒くなってきたのでそろそろ引き返す。アラフォー兄さんはまだ山頂を独り占めするら
しい。それにしても新居浜市のHPにある登山案内の所要時間はうそばかり。山荘から東
赤石山まで10分なんてとんでもない。それは尾根上の八巻山分岐からの時間で、40分
は見て置いたほうが良い。登山口から山荘までも2時間半とあるが、これも+1時間は見
ておく必要がある。もう少し正確に書いてもらいたいものである。

 結局、小屋で宿泊するのは我々を入れて5人のみ。暗くなる前に夕食を摂ったら、布団
を敷いてもう寝るだけ。その布団。これが面白かった。幅は普通だがなにしろ堂島ロール
のように長くて4mくらいもあるのだ。??。折り畳んで寝るのかな。まあとりあえず、
二枚に折って毛布をかぶって...。でも少し眠たいものの、こんな早くから寝たら早朝
覚醒、中途覚醒気味の小生、深夜に目が覚めてそれからどうしようもないだろう。それで
蝋燭を2本立てて、なんだかんだだべっていることにしたが、それもせいぜい8時半くら
いまでだった。

 やっぱり目が覚めた。真っ暗だ。もう2時頃かとへッデンで照らすとなんとまだ11時
前。下界ならまだテレビのお時間。ヒエーッ!これから7時間近くどうするべぇ。転々と
する内になんだかサーッという音が聞こえ始める。エェッ?雨?微かだった音は次第に大
きくなって、はっきり屋根を叩く音に変わる。それが耳について離れなくなり寝られなく
なる。雨音は強弱を繰り返して鳴り止むことがない。こりゃ、明日は無理かも。これだけ
降れば沢も増水しているだろう。谷筋の登山路の渡渉は大丈夫か少々心配になってくる。


【5月6日(水)〜悪天に撤退】

 それでも少しは眠ったのか、気がつくと窓の外は次第にほの白さを増してくるようであ
る。5時過ぎ。依然として雨は止まない。窓の外は濃いガスだ。朝食をとって好転を待つ
ことにする。同宿のご夫婦は小降りの間にと、先に筏津に向かって出発していったけれど、
我々はもう少し様子見を続ける。すると徐々に雨音が納まってきた様子。しかし濃いガス
は変わることなく視界は3m先がせいぜいである。こうなれば仕方がない。明日は仕事だ
し、手間取る事は許されないこともあって、未知のルートは採らず一度歩いて記憶が残っ
ている往路を忠実に戻ることに決定。レインウェアとスパッツ、ザックカバーをつけて7
時過ぎ、外に出る。

 ガスが流れる山小屋の周囲は雨だれで小さな川になっており、それが合流して登山道は
泡立つ川状態。滑らないようになるべく濡れないように歩くのに時間がかかる。雨に直接
叩かれるのがいやなので、早く木々の下に入りたかったが、なんとか霧雨の内に針葉樹と
シャクナゲの林に潜り込む。それを抜けると右手から水の騒ぐ音が高い。笹薮を透かして
白い流れがほの見える。大丈夫かなと内心穏やかならずだが、沢の流れ全体が見通せる場
所で眺めると、意外や水は濁っていず、岩も流れに沈んでおらず頭を出しているではない
か。水量は流石に若干増えてはいるけれど何なく第二渡渉点は渡れそうだ。水を吸収しや
すい礫質であると同時に、雑木の山の保水量の大きさのなせる業だろうか。ホームグラン
ドの大阪近辺の山ではこうはいかない。ホッ。それよりも怖かったのは桟道で滑ること。
断続的に十数個の桟道が続くのだが、第一渡渉点の桟道と大きな濡れた岩が一番滑って剣
呑だった。

 ガスも第一渡渉点を渡る頃には薄れてくる。雨もあがってその雨に洗われた新緑が眩し
い。昨日、昼食をとった岸の岩を踏んで、第一渡渉点も無事過ぎて、ここまで来ればほぼ
もう安心だろう。谷向こうのアケボノツツジに目をやる余裕も出てくる。

 次第に明るくなってくる。振り返った後方の山の上部は白い帳の向こうで、未だに視界
が閉ざされているのが分かる。やはり下ってきた方が正解だろう。小休止。圏内となって
携帯電話が通じるようになった。自然の家のMさんをコール。予定変更と車の移動を依頼
する。上手くいけば降りた頃に車がやって来ていることだろう。

明るい緑に覆われた登山道

 明るくなった光を反射して石がキラキラ金色に光る。周辺は名だたる銅山だった所。黄
銅鉱といわれるものだろう。そんなことどもを話しながら、意外に早く赤石小屋と東赤石
山コースとの分岐に到着、滝のかかる谷川にかかる最も長い桟道を渡る。往路で見かけた
ヤマシャクヤクの群生地だ。ほころびかけた蕾は思ったより沢山ある。イチリンソウやシ
コクスミレらしいスミレも咲いていてなかなかの風情であった。

 登ってくる初老のグループとすれ違い、10時ジャスト、登山口着。観光案内図を見る
Mさんの姿がある。薄日も射した登山口は時折通る車の音以外は静かなものである。

 マイントピアで一風呂の案もあったが、連休最後の振替休日、明日は会社。渋滞の懸念
もあって寄り道せずに帰阪ということになる。早めに動いたこともあってラッキーなこと
に中国道で8km程度の渋滞に遭った位で乗り切れた。それぞれ家まで送って、4時には
帰宅。初めての四国の山遠征はかくして無事大団円。天候がままならず当初の予定は全う
できなかったけれど、二百名山はクリアできたし、初の四国の山歩き、まあ善しとしまし
ょう。同行の皆さん有難うございました。



【タイムチャート】
【5月5日】
10:25〜10:30筏津登山口(694m)
11:16〜11:20八間滝展望地
11:45〜11:50瀬場谷分岐
12:30〜12:37南方向の展望地(小休止)
12:47第一渡渉地点
13:05〜13:15第一渡渉地点と第二渡渉地点の中間地点(昼食)
13:33第二渡渉地点
14:05〜15:25赤石山荘
15:35権現越分岐
15:55赤石越(八巻山分岐)
16:05〜16:15東赤石山(1,706.0m(二等三角点))
16:35権現越分岐
16:45赤石山荘(泊)
【5月6日】
7:12赤石山荘
7:32第二渡渉地点
8:07第一渡渉地点
9:00瀬場谷分岐
9:22八間滝
10:00筏津登山口



東赤石山のデータ
【所在地】愛媛県新居浜市
【標高】1,706.0m(二等三角点)
【備考】 西日本の最高峰石鎚山から東に派生する法皇山脈の主峰
です。流紋岩系の橄欖岩の鉄分が酸化し赤い色を示す為、
名がついたと思われます。山頂は岩が折り重なった峨々
たる山容を示し、四国一のアルペンムードを醸し出しま
すが、オトメシャジンやマツムシソウなどの高山植物が
咲く花の百名山でもあります。南西麓付近はかつては日
本有数の銅産地であった別子銅山がありました。
■日本二百名山
【参考】2.5万図『別子銅山』『弟地』



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