水無山〜弓坂から燃える秋堪能

水無山山頂北付近から燃える秋
平成20年11月15日(土)
【天候】曇り時々晴れ
【同行】別掲


 山の会の広島支部のメンバが来阪されるという。夜の街オフ(実はこっちが本命かも?)
もあるので歓迎オフは手軽で且つ秋が堪能できる所。そんな贅沢な場所だが、かねてから
Mさんが気に入っていて、古き良き時代の長閑な里山風景が比較的損なわれずに残ってい
る湖西の針畑川流域。舞台はその中でもほんの10年前までは郵便配達に利用されていた
という弓坂である。ここは前回のオフで登り残した所でもある。三角点峰も一つあるとい
うし、広島支部の方々とも久しぶりだし..。『三角点教』の信者としてはこれは行かね
ば。(笑)

 天気予報が二転三転して、幹事のMさんは大変だった事だろう。早朝6時頃ににわか雨
もあったけれど、8時に集合して空を見上げれば雲間に青い部分も見えるではないか。こ
れなら大丈夫だ。約束の時間の10分前、集合場所のローソン前に到着するともう皆さん
がお待ちかね。半年ぶりの広島支部のメンバの顔がある。

 大津付近で事故があり渋滞に巻き込まれたこともあって予定より30分くらい遅れたろ
うか。そんなことで当初、弓阪を古屋から能家(のうげ)までとのことであったが、車を
デポする時間が少しかかることもあって、峠の尾根を南にとって早坂を降りることに急遽
変更となる。これで20分程度時間が稼げるだろう。前回、早坂の降口が少し分かりづら
かったが、向かいにススキの荒地があった事を覚えている。ちょうどその前の路肩が広い
ので1台をデポ。5分くらい車を進ませて弓阪の前の2、3台は車をとめられる空き地に
やってくる。
弓坂の古屋側入口。右に札場が立つ

 登り口には「札場」と呼ばれる掲示板らしきものが立つ。愛宕山や庚申さんなどのお札
が貼られている。このお札、毎年貰ってくる人をくじ引きで決めるのだそうだ。これを「
代参」といい、今でも生杉や古屋ではこの風習が残っているということである。ただ里人
の高齢化でやがて消えゆく運命にあるとは少し寂しい限りである。

コナラ、アカマツなどの林の中、弓坂を緩やかに登る

 最初は杉林だ。すぐに抜けると右は浅い谷。辺りは鮮やかさの異なる黄色や赤のコハウ
チワカエデ、ネジキ、タカノツメ、コナラなどの雑木林。淡い日差しに透けて光る。足元
のオオイワカガミの赤みを帯びた艶々の葉も美しい。あちらこちらを見回したりカメラを
向けたりだから、我々の足もなかなか捗らない。こんな山道でもれっきとした村道、今は
市道なのだそうだ。その証拠に少し登ったところのカーブに『弓坂線』『朽木村』と書か
れた白い標識を見つける。これと同じようなことは過去にも経験していて、丹波市の五台
山の北の鴨内峠の山道には『県道○号』なる道路標識があったことを覚えている。それに
してもこれが市道とは驚きではある。
弓坂はこれでもれっきとした市道だ

 尾根の切り通しはオオイワカガミに覆われている。過ぎるともう前方には峠の尾根が見
え、右手の木の間越には古屋の集落や田圃が小さく覗く。もうこれだけ登ってきたとは全
くそんな感じがしない。落ち葉が分厚くおりしかれた峠はまもなくであった。

 多くの人々が行き来したのであろう。峠は切り通しの如く深く掘り込まれている。大き
な一本杉の下にはお地蔵さんの代わりの自然石がある。表面に刻まれているのは
表は『○ 称名八百万返 南無阿弥陀仏供養塔 金翁宗繁居士』
裏は『文政八年八月二十八日 六左衛門 古屋』。素人には岩谷峠の『○ 般若心経、地
蔵経 一石一字塔 寛政9年』と刻まれた一石一字塔と同じ筆跡に思える。同じ人が同じ
石工に頼んだのだろうか。但し、岩谷峠の塔は寛政年間のもので、弓坂とは約30年の隔
たりがあるのだが...。

弓坂の峠。南無阿弥陀仏と彫られた石が往時を偲ばせる

 小休止して峠を南に折れて尾根を行く。非常に歩きやすい尾根だ。PPテープが所々に
あり、雑木の枝も切られた痕がある。踏み跡もはっきりしている。少し傾斜は増すけれど、
ゆっくりとした登りである。そして登るにつれて周囲がみわたせるようになる。山肌は植
林の深緑と黄色に染まっているのとで好対照である。

 山頂に行くまでに腹が減って水無山の北東尾根、640m等高線付近で食事。用意を始
めていると風に乗ってチャイムの音が響いてくる。三国峠から根来坂への縦走をした時に
生杉の集落から聞こえた正午を知らせるチャイムだ。

 恒例、Tさんのお抹茶を二杯も戴いて、30分ほどの大休止後は更に南へ狭い尾根を辿
る。更に周囲への視界が広がる。多分、三国峠や百里ヶ岳が見えているはずなのだが、ど
れがどれだか。(笑) 300m程度歩いた先、少し小高い台地へと上がると水無山の南向
きの無傷の三等三角点が出迎えてくれた。点名は『早谷』。2、3枚の小さなプレートが
架かる目立たないこじんまりした場所である。大きなブナやコナラが生え全く展望は無い。
それはともかく五体倒置礼で御神体?の三角点の標識を迎える。(笑)

 概して東側は杉林、西は自然林だが、その自然林はほぼ黄色一色。普通なら紅葉するは
ずのコハウチワカエデまでが、少し遠慮したのか黄色く色づいているのだった。なかでも
ウコギ科のタカノツメが目立つ。三裂した大きな葉は明るい黄色を呈して、地面が白っぽ
い黄色に染まっているかと見紛うほどである。広島のKさんはこれだけのタカノツメの群
落は少し珍しいほどだとおっしゃる。気づかなかったが、ほう、今まであまり気に留めな
かったが、そんなものなのかと感心する。

タカノツメの群生が黄色に染まる

 南からやや西に振って、Ca610mの鞍部から登り返して、Ca640mの二つの小さな
ピークを越えて徐々に高度を下げていく。良く手入れされて枝打ちされている杉林、手入
れがされていなくて、眼の辺りに枯れ枝が出ていて危ない杉林と場所によって種種雑多の
植林が今までに現れてきたが、やがて割に明るい斜面の先に鞍部が見えてくる。三週間ぶ
りの早谷越の峠だ。
三週間ぶりの早谷越。もうすっかり秋だ

 3週間の間に早谷越の周囲の山の木々の色あいは大きく変化し、ほとんど緑一色だった
雑木は黄色を主体として、赤や茶が混ざった綾織りへと移ろっている。黄白色に光ってい
るのはタカノツメの落ち葉が降り積もっているのだった。深まりゆく秋を実感する瞬間で
ある。日本庭園を思わせるような木々の配置。風が吹くとあちこちでホロホロと落ち葉が
舞い落ちてゆく。柔らかい曲線を描く谷の源頭の落ち葉の絨毯も幾分、分厚さを増したよ
うである。陽だまりのコナラの幹は暖かいのであろう、スズメバチが樹液を吸いにやって
きている。動きが流石に緩慢なので助かる。

日本庭園を思わせる

 前回は長靴だったのだが、今回は山靴。おかげで道が崩れて斜面に戻りつつある部分も
あまり滑らずに済む。まあ、一度通過しているので余裕があることもあるだろう。今回は
それほど肝を冷やすこともなく数箇所の難所を抜ける。細い尾根の突端からつづらに植林
の谷へ降り、細流を跨ぐ。何処からともなく漂ってくる甘い香りは頭上高くにあるカツラ
である。道端に落ちていた葉っぱを鼻に持っていくだけでも焼いたカラメルみたいな香り
がした。
三週間前と比べてください

 植林下、右手の細い流れに沿っていくと木々の間から白っぽい地面が見え隠れ。と、ま
もなく県道に飛び出す。前回はメモを忘れた降り口最寄の電信柱の標識b今度は覚えて
おこう。『針畑 174 外10』であった。

 白いススキの穂が覆う荒地の前に、デポしたMさんの車がある。弓坂の入口前の我が車
を回収して、これで今日のオフの昼の部は無事終了。さて締めは千里中央での街オフだ。
千里ICの事故渋滞に巻き込まれながらも何とか6時半には宴会に合流できた。燃えるよ
うな秋の雰囲気、古道に三角点峰。使ったエネルギーの割に盛り沢山のしっとり良き山歩
きでありました。



■同行 鴨ちゃん、研さん、だめちゃん、たらちゃん、ととろさん、もぐさん


【タイムチャート】
7:50千里中央駅ローソン(集合地)
11:05〜11:15弓坂古屋側入口(駐車地)
11:44〜11:52弓坂峠
12:05〜12:37水無山北西尾根(昼食)
13:00〜13:05水無山(680.7m(三等三角点))
13:00〜13:05天上ヶ岳分岐
13:45〜13:50早谷越の峠
14:37県道出合



水無山のデータ
【所在地】滋賀県高島市朽木
【標高】680.7m(三等三角点)
【備考】 江若国境の百里ヶ岳から南にに延びる尾根に位置する三
角点峰です。あまり目立たず展望はありませんが、この
辺り一帯は懐かしい里山風景がまだ色濃く残り、昔から
の古道も幾つかあって、春の芽だし、秋の黄葉、冬景色
とそれぞれ風情を醸し出してくれます。尚、三角点名は
『早谷』です。
【参考】2.5万図『古屋』



   トップページに戻る

inserted by FC2 system