大平山〜静謐の山から室生古道

唐戸峠の役行者像
平成20年 1月26日(土)
【天候】曇り時々小雪
【同行】別掲


 Sさんから室生の大平山へ行きませんかというオフの告知。桜の巨樹で有名な仏隆寺を
真ん中にして、三郎ヶ岳の北に鎮まる山だ。ここは未踏。まず手を上げておいた。ところ
が、それからの体調が良くない。息切れしてとても山には、てな具合で皆さんに迷惑をか
けるかも...。とりあえず医者に行き、薬を貰って様子見。大分ましになったけれどついて
行けるだろうか。少しく不安。でもまあ何とかなろう。人生、オプティミズムで行かなく
っちゃあ。(^^;

 金曜帰宅してPCを覗くと、体調不良でしばらくMLにご無沙汰している間に、鶴橋で
オフの後の街オフまで、あっという間に決まったらしい。うーむ。万全の体調でないのが
少し悔やまれるなあ。(^^;

 さて、当日。7:17鶴橋発の快速急行に乗って8:03榛原着。少し遅れるというM
さんを待つ間に、いつものコンビニで食料調達だ。駅前のロータリー横の空き地では、行
商の小父さんがお得意さんに魚や干物を天秤ばかりで目方売り。そういえば私の小さい頃
にも、家の近所にこんな小父さんが、”くろがね”だったか”ダイハツ”だったかオート
三輪で来てたっけ。ちょっと懐かしい匂いを嗅がせて貰った。

 今日は夕刻に街オフも控えているので、いつもの車ではなく、Tさん夫妻以外は全員電
車なのだ。タクシーを1台奮発して計2台の車で高井の集落から脇道に入る。初めてこの
辺りを訪れたのはいつだったろうか?そう、三郎ヶ岳へ登ったのが01年7月だからもう
6年半も前になる。でも車のガラス越しに展開する風景は、その頃とほとんど変わってい
ないようだ。田の畦や日陰に残された20日に降った雪の白さを目に焼き付けながら、前
方に摩尼山の尖峰が見え始めた頃、赤埴乙の四差路で車を降りる。

赤埴乙の四差路から大平山への里道

 風が無いので一見暖かい感じがするが、吐く息は白く、深々という言葉がピタリとくる
冬の大気だ。見上げれば、どの山も山頂近くは霧氷がへばりついているようで白い。元来
雪嫌いの私にとっては、このくらいが丁度良い。(^^;

茅葺の綺麗な農家。大平山の山頂からも望める

 ウォーミングアップをかねて、ゆるゆると林道を行く。右にカーブしていくと左手奥に
今から登る大平山の先端が覗いているはずなのだが、どれだか分からない。山の神の石碑
で左に折れる。刈り取られた稲田の向こうには、こんな奥にこんな立派な農家がと思える
ほどの農家があって、その前を抜け、しばらく進んだ辺りで左前方に赤埴配水場の建物を
見る頃、右手の植林の中の木に赤白のペンキが塗られているのが分かる。これが取り付き
なのだそうだ。
大平山への取付き。幹に塗られた赤白ペンキが目印

 こぶし大の浮石も多く歩き難いけれど、これはかなり古い道のようだ。杉桧の林の中だ
が、作業道にしては幅がある。勾配も緩やかで、ほぼ北へ一直線。大平山の西側の山腹を
巻きながら進んでゆく。やがて沢の源頭のような地形となって前にも斜面が現れると、踏
み跡はやや不明瞭になって右の斜面に振る。にわかに急傾斜。倒木や細い雑木のやや荒れ
た感触だが、すぐに痩せた笹が疎らに生える植林下となって、少し息を切らせると頭上に
コル上の撓みが見えてくる。大平山の西のコルだ。そのコルに立つと、西の尾根筋にも踏
み跡があり、コルを越えて明瞭な小道が北へ延びているのは荷坂へ抜ける道らしい。やは
り古い峠の間道という雰囲気が濃厚に漂う道である。

植林下の低いササを分けて大平山山頂直下の急登を行く

 小憩して息を整え、右の大平山へ向かう。露岩も現れて立ち木を掴みながらの結構厳し
い登りで、雪も消え残っており、少し足元に神経を使わねばならない。が、登るに従って
今日初めての展望が広がってくる。尾根の突端の偽ピークを越えると傾斜も緩んで、楕円
形をした大平山の山頂はすぐそこである。

 こんなどちらかといえばマイナーな山にもかかわらず、プレートだけは数枚掛かってに
ぎやかだ。隣の高峰山が『奈良百遊山』に選定されているので、縦走する人が多いのだろ
う。欠けのほとんどない綺麗な三等三角点が雪を被った地面中央にある。展望も期待ほど
は無いが、それでも南方面の木々が透けていて、高城山や三郎ヶ岳らしい姿がある。曽爾
の鎧岳に似た姿の山は袴ヶ岳のようだ。その奥は大峰の山々。そして取付きへ向かう際、
前を通り過ぎた綺麗な農家も眼下に眺められた。

大平山山頂の綺麗な三等三角点

 気がつけばなんとかここまで無事に来れたみたい。ちょっと安心。一息ついて東へ縦走
の開始だ。植林の間を少し下る。この先、地形図を見ても高峰山までは二つ三つのピーク
がある。心して行きましょう。(^^;

 植林とアセビなどの雑木の林の境目の笹原に踏み跡はあって、適度な間隔にの先行テー
プが目印である。倒木も結構多い。この山を良く歩いているSさんによれば、室生寺の五
重塔が大被害を受けた時の台風で倒れたものだという。それらの倒木をくぐったり、除け
たり。はたまた小さな岩尾根を登ったり。なかなか変化に富んだ山だ。その合間に時々西
が開けたり東が開けたり。その度に西の音羽三山や東の高見山が顔を出す。

残雪を踏んで高峰山へ向う

 もうそろそろ高峰山(たかむねやま)に着くはずだと思う頃。地形図を見るとよく似た
高さのダルなピークが3つほどある。どれが高峰山だか良く分からなかったのだけれど、
一番東のピークがそれだったとはプレートがかかっていて分かった次第。ここも前の2つ
のピーク同様、全く展望は無い。プレートにも、またエアリアなどにも標高は802mと
書かれているが、地形図を見る限り800mを表す太い等高線(2.5万図では等高線は
100m単位に太い実線で描かれる)が見当たらない。おかしいなと思ったことだったが、
百遊山のHPでは訂正がされてあり、やっぱり標高802mは誤りだったらしい。

 山頂で休憩していた時である。東側から人が来る気配だとMさん。まもなくTさん夫妻
が上がってきた。四差路でアクシデントのあったGさんを送った後、カラト峠から上がっ
てきたのだとか。ご苦労様でした。
高峰(たかむね)山の頂にて

 小休止。その間にさっき滑った拍子に作った手の平の小さな擦り傷を雪で洗って、Tち
ゃんに貰った絆創膏で応急処置をする。少しヒリヒリ。

 そのまま我々と戻るというTさん夫妻と合流して下山はカラト峠へ。高峰山の東側は急
斜面だ。残雪と浮石、泥でよく滑る。さっきのことがあるので慎重に足を運ぶ。再びなだ
らかになると、そこは低い丈の笹が茂る中、清らかな感じの良い尾根道である。その疎ら
な笹が繁る尾根上に直径1m弱ほどの円状に雪が消えて黒々とした地面が現れている箇所
が3つ並んでいる。何だかミステリーサークルみたいだが、どうも鹿が寝ていたらしく近
くには糞が転がっている。何もこんな所に、もっと風下の、風のこない場所があるだろう
にと思うが、鹿には居心地がいいのであろう。

 そんな植林下の笹の中に四等三角点。そこから3分位の地点に造林記念の石碑があって、
その石碑を見ると造林指導者”五鬼助何某”とある。大峰ではよく耳にする名だが、こん
な所でも活躍しているとは面白い。

 カラト峠にはここから右に折れる。南に張り出す小さな尾根を降りてゆく道で、最初は
山腹を引っかいたような幅の狭い部分もあって、滑ると危ない箇所もある。が、折り返す
ように降りていくと尾根道となって歩きよくなる。左手に見える大きな独立峰は高見山。
標高700m程度でも霧氷がある位だから、さぞかし大きい海老の尻尾が見られるのに違
いない。

カラト峠への下山道途中からカラト山
山頂付近は霧氷が付着している

 下山路に一箇所、展望の良い場所がある。中腹まで降りて来た時だ。岩がちの裸地の斜
面があって南側が開けているのだ。カラト峠を隔てて前方のなかなか形の良い山はカラト
山(唐戸山)だろうか。その9合目より上の雑木には白く霧氷の花が咲いているのが遠目
にも分かる。鹿避けネットが現れ、木製の扉をくぐって進む。もうカラトはまもなくであ
ろう。
獣よけの扉を開けるとカラト峠だ

 路面が白い林道が見えてきた。そしてもう一つ獣よけの扉を抜けると、古い役行者像の
祠があるカラト(唐戸)峠だ。東屋もあって、行き来する人々も峠で一息ついたのであろ
う。石像は風雨でかなり摩滅しているものの、賽銭なども供えられ、未だに信心されてい
る方がおられるようだ。ただ、この室生古道も情緒があるのもここまで。新しい林道が工
事中で、風情もへったくれもあったものではない。室生から高井へ林道(赤埴カラト線)
を貫通させるらしいけれど、全く税金の無駄遣いとしか思えない。日本全国至る所で、こ
ういう類の工事が蔓延しているのだろうなあ。このあと室生古道を下って、東海自然歩道
を北へ進んだ室生口大野付近でも、あんまり必要の無さそうな橋脚工事。あれも今話題の
ガソリン税なんだろう。潤うのは土建屋ばかりなのだけれど...。福祉の金も不足して
いるというのに、こう思ってしまうのは私だけであろうか?

 愚痴はこのくらいにして閑話休題。道標には室生寺4.5km、仏隆寺1.1km。今は花
もないし面白みはないが我慢して北へ向かおう。

雪を被る林道を室生寺方面へ

 雪が凍った林道を歩くのは非常に神経を使うもの。ともすればツルリと滑ってしまう。
水が湧き出している部分は大きなツララもぶら下がる。大阪に比べればよほど寒いのだろ
う。雪の上にはここ2、3日、一人二人の足跡しかなく、鹿やウサギなどの野生動物の足
跡の方が多いほどだ。

 竜鎮渓谷への林道分岐を過ぎると古道を髣髴とさせる遺物があちこちに散在する。牛頭
天王の石碑だとか、石地蔵だとか...。更に所々には林道に寸断された旧道が消え残っ
ている。そんな中にあるのが腰折地蔵だ。下半身に霊験あらたかだといわれる背高1.5
mくらいはありそうな大きな石仏だが、名前の通り腰の辺りで斜めに切断されている。

 ここまでくると室生の集落が眼下に現れる。新建材の家が無く、黒い瓦の大和民家が多
くてまことに落ち着いた風情がある。中でも枝垂桜の近くの蔵のある民家は立派で、こと
にその白壁が美しい。そして辻には山の神の石碑が置かれている。
都都逸に曰く「触らぬ神に祟りはないが 触らにゃ祟る山の神」ってね。(笑)

 西光寺。腰折地蔵近くの道標にもあったから大きなお寺なのかと思いきや、融通念仏宗
の無住のこじんまりとした寺である。地域の人々が大事にしておられるのだろう、塵一つ
ない。が何と言っても目立つのは樹齢3百年といわれる大きな枝垂桜だ。冬枯れで今はひ
っそりとした境内も、春には花見で、本堂の片隅に宝暦年間の石碑と共に立つ大きな石地
蔵もびっくりするくらいの人出があるそうだ。もう昼過ぎだ。軒先をお借りして風を避け、
ここで昼をしたためることにした。

 腰折地蔵の祠横にあった案内図では東海自然歩道は室生山上公園付近を横切っている。
西光寺を下った辺りから伸びているようだが、公園に直接出る方が近道なので、Mさんの
先導で、一旦戻って新しい車道の側壁を行くあぜ道みたいな小道に入る。民家の庭先と畑
を過ぎると、杉林になって古い道が現れた。それは冬季休園中の山上公園の中へと導いて
行く。それに従い道なりに進むと雪が残る小さな太鼓橋で、それを渡ると弘法の井戸の案
内と共に山の中に吸い込まれる石畳道がある。これが東海自然歩道の石畳の道だ。道標に
は室生口大野まで4kmとある。
東海自然歩道入口

門守峠への羊腸の道

 植林の中、徐々に傾斜を増す道は存外厳しく、食後の体には少々きつい。息を切らしな
がらジグザグを繰り返して登った先が門守峠。自然歩道とクロスする尾根沿いに踏み跡が
あるが、「止山」の表示があるのは何でだろう?

 門守峠からはもうほとんど登りはない。しかし、下り勾配の自然石の石畳は残った雪と
滲みだした水が苔の付着した石の間で凍っていて、何気なく足を乗せると危ない。足元に
気を使うのでかえって登りより疲れる。今日は一日中足元ばかり気をつけているみたい。
周囲は山陰で日もあまり射さないやや荒れた感じの植林で、こんな風景がずっと続くから、
20分も歩き続けていると飽きてしまう。里に出るのを今か今かと思う内に、横の流れも
だんだん豊かになり、ようやく傾斜も緩んで林道終点に出る。この辺まで来ると桧林も手
入れされている様子で明るくなり、車の音も聞こえはじめると前方に赤い欄干が見えてく
る。エアリアにある一乃渡橋だ。ああ、長かったあ。(笑)

やや荒れた感じのする自然歩道

 あとは県道を進み、国道をくぐって、室生川沿いに大野寺方向へ。見覚えのある茅葺の
大和民家の前を抜ければ大野寺の磨崖仏はすぐそこだ。プロのカメラマンらしい小父さん
が大きなカメラを抱えて川原で撮影中であったが、オフシーズンで他に観光客はいない。
弱弱しい日の光にせせらぎの音も心なしか寒々としている。そうして近鉄室生口大野駅に
着いたのは15時過ぎである。電車を待つ間に、とうとう曇り空から小雪が落ちてきたの
に、電車が阪奈を隔てる山を抜けると、なんと青い空が広がっていたのだった。日本は広
いわあ(笑)さあ、あとは鶴橋でテッチャン鍋だあ。(^_^/


■同行 幸さん、修さん、たらちゃん、知さん夫妻、水谷さん(五十音順)

【タイムチャート】
8:03〜8:20近鉄榛原駅
8:40〜9:00赤埴乙の四差路
9:16〜9:20赤埴配水池前(登山口)
9:40大平山西の峠(Ca640m)
 9:53〜10:00大平山(711.5m 三等三角点 )
10:36〜10:40高峰山西のピーク(Ca790m)
10:45〜10:56高峰山(Ca790m)
11:07四等三角点『』 768.8m
11:10カラト峠分岐
11:25〜11:33カラト峠
12:34〜13:03西光寺(昼食)
13:20室生山上公園芸術の森(東海自然歩道入口)
13:35門森峠
14:20林道終点
14:34一乃渡橋
15:05室生口大野駅



大平山のデータ
【所在地】奈良県宇陀市榛原区
【標高】711.5m(三等三角点)
【備考】  宇陀市(旧榛原町)の古刹仏隆寺の背後を形成する山
並みの主峰です。仏隆寺を中心に南に対峙する高城山や
三郎岳に比べてマイナーですが、東の高峰山と繋げて歩
けば3時間ほどの静かな山歩きが楽しめます。
高峰山のデータ
【所在地】奈良県宇陀市榛原区
【標高】Ca790m
【備考】 大平山の東およそ1kmにある山で、似た高さの三つの
ピークの内、最も東のピークですが展望はありません。
奈良百遊山の一つに選定さていますが、なぜ選ばれたの
か少々不可解でもあります。
【参考】
2.5万図『大和大野』



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