干支オフ〜ねずみ岩尋ねて観音寺山

残雪の観音寺山北尾根。右奥の木立が三角点峰
平成20年 1月 3日(木)
【天候】晴れたり曇ったり
【同行】別掲



 平成も早や20年。子年。こだわる訳ではないが、ここ最近の初山は干支の山に登る事
にしているのであるが、”子(ね)”即ち”ねずみ”のつく山は意外に少ない。近畿で言
えば和歌山県の子ノ泊山の他は、たいていの読者諸兄も思い浮かばないはず。ところが年
末の忘年会で『ねずみ岩』なる岩が鎮座する山があるという耳寄り情報を入手する。それ
は一昨年に歩いた湖東の観音寺山(繖山)。その時は車での手抜きであったが、あらため
て地形図を見ると能登川から尾根続きに歩けるようだ。駅からも近いし、正月の”喰っち
ゃ寝”の運動不足を解消するには丁度良さそうな山。MLにも告知して集まっていただい
た4名ともども1月3日に歩いてみた。適度な残雪の中、琵琶湖と鈴鹿を楽しみながらの
観音寺山北尾根。『ねずみ岩』も見物し、古刹での初詣も終えて充実した山行となったの
でした。

 今回も鉄道での移動。新大阪8:34発の新快速で能登川へ向う。約束の2両目にはG
さんの顔もある。去年の年末からの寒波も一段落を迎えたのか風も収まり、大阪近辺は青
空が広がっている。年末から少々体調を崩し加減だが、この山日和なら大事無かろう。京
都を過ぎて、参加表明のTちゃんとその山仲間も加わり総勢は5名。ワイワイと山の話に
興じていると、何時の間にやら残雪で白く化粧を施した観音寺山が眼前に迫りっていて、
能登川までの1時間強の移動もあっという間だ。定刻の9:40、電車は能登川駅に滑り
込む。

 最初の取付き探しに時間を要するかもという懸念は、北向岩屋十一面観音の標識を直ぐ
見つけたことで解消される。猪子町を南西に貫く一本道を山に向かい、川を渡れば右手に
能登川高校が見えてくる。その突き当りを左にすれば岩屋観音の参道口だ。

北向岩屋観音の参道口の案内図


 チラホラと初詣に参拝するジモティの方が降りてくる。というより、健康の為に毎日こ
こを登って折られるといった方がいいような感じである。

 直ぐ右手に現れるのが岩船神社。なんでも白髭神が琵琶湖を渡る時に使用したという大
きな船形の岩が御神体だ。そして近くには自然の地形を利用した古墳もある。万葉にも歌
われた蒲生野も直ぐ近くだし、いずれ帰化人の長の墳墓なのかもしれない。

岩船神社。社奥の岩が岩船

 車道と分かれて長い石段が現れた。標高差60mを直線一気に登り切る勘定だ。今まで
は車道でゆるゆるだったからまだしも、正月の喰っちゃ寝生活に鈍った体には少なからず
きついものがある。そんな所へタイミングよく、
『急坂を 息を切らして登りきて 観音様に 逢うぞ嬉しき』
の石標が立つ。
雪化粧の北向岩屋観音。この右手の岩屋に観音堂がある

 汗が額を濡らしたところでちょうど雪の残る北向岩屋十一面観音の巨石群の前に立つ。
観音堂は巨石の軒先を借りるようにあり、靴を脱ぐのが邪魔臭いと罰当たりな私と違って、
律儀に覗いて来られたGさんによれば、小さな観音様が岩の割れ目に鎮座していたそうで
ある。地元の方がチラホラおられる観音堂の前は格好の展望台で、能登川の町の向こうに
雪を被る比良と琵琶湖が広がる姿は雄大である。ただ、湖北方面は灰色の時雨雲に覆われ
見晴らしは利かず伊吹の山並みまでは見ることが出来ない。

観音堂の展望台から見る能登川の街並み
と琵琶湖。中央は伊庭内湖

 観音寺山(繖山)への道は観音堂の向かって左手から延びていて、三角点は観音堂を蔽
う露岩のすぐ横で探す手間も要らない。通称、猪子山(点名『上山』267.5m)であ
る。道標があって、観音正寺へは4kmのハイキング。三角点にタッチしておいて、次の
伊庭山を目指す。

 それにしてもこの付近は山頂に岩がある山が多い。ざっと数えてみてもここ猪子山、太
郎坊、三上山、鏡山、岩根山などなど。当然、そこは磐座となり信仰の対象になったに違
いなく、大陸文化とあいまって独特の文化を築いていったように思われるが如何であろう
か。

 一旦下って登り返す。予想した以上に整備された道で、坂は擬木の丸太の階段である。
残雪は5cmくらいだろうか。余り大きくない杉桧の植林と雑木が混じる尾根道は至って歩
きよい。TVだろうか共同アンテナ設備の横を通り、「伊庭の坂落とし」神事が行われる
織峰三神社の裏山に当たるCa310mで小休止。暑い。上着を脱ぐ。Gさんから手製の干
し柿を頂く。子供の頃食べた田舎の干し柿と同じ懐かしい味がする。

 前方に近づいてきた伊庭山へは標高差は40m。10分余りで到着。336mの標高点
ピークで地獄越以北では最高峰だが展望はない。東から石馬寺からの道が上がってきてい
る。

 伊庭山を降りるとほとんど水平の尾根道。その間にきぬがさ山トンネルの上を通ること
になる。雪の上に何か動物の足跡。どうもテンのようである。

 この辺りまで来ると観音寺山もようやく姿を見せ始める。瓜生山にある雨宮龍神社の前
は一寸した広場で、10cmくらいのバージンスノー。ここにもやっぱり露岩がある。石馬
寺からの参道石段を左に見て神社横を抜けると、地獄越への一気の下りになる。雪にちょ
っと注意。面白かったのは床がベニヤ板の手作り展望台があったこと。雪で滑るとそのま
ま粗末な手すりをすり抜けて転落の危険度大。でも雪をかぶった鈴鹿の山並みは美しく、
ここから見る瓜生山も意外に鋭角なのだった。

地獄越。典型的な峠だ

 地獄越は標高216mだから折角稼いだ高度を80mも吐き出さねばならない。しかし
地獄越は五つの道が交差してお地蔵さんも鎮座する昔ながらの風情が残る峠である。これ
も車道にならなかったからだろう。

 さてこれからが本日の最大の難所?観音寺山への200m強の登り。(^^; 数年前の山
火事で遮るものがないので夏はえらいことだろう。(登った人のHPを読んだことがある)
高圧鉄塔(東海幹線bQ49)下を通って、尾根に忠実に付けられた丸太階段を忠実に辿
る。雪がやや深い。登るに従って視界は広がり、右手には安土山、西の湖、琵琶湖が広が
り、左手は遠く鈴鹿の山並み。直下には一昨年利用した黎明の里からの車道がくねってい
る。そんな時、麓から正午のサイレン。食事場所をそろそろ物色しなければならないが、
展望良ければ風が気になり、風が防げる場所は展望が良からずというわけで、とりあえず
三角点峰まで行くことにしよう。
観音寺山北尾根から振り返る
中央が伊庭山、鞍部が地獄越

観音寺山北尾根から安土山と西の湖
奥は長命寺山の山並みと雪の比良連峰

 山火事から免れたのか雑木帯に入ると観音正寺からの道が左から合流してきて、見覚え
のある山頂に到着する。三角点標石の上に雪だるま。

 前回やって来た時は夏だったので視界はそれほどでもなかったけれど、やはり冬枯れ、
歩いてきた尾根に比ぶべくもないが、木立を通してそこそこの展望を得ることが出来る。

 昼食はこの山頂にて。Tちゃんがおでんと吟醸酒をボッカしてくれている。寒い時期は
これが一番。年末以来、体調今一なので惜しいかなアルコールは程々にしておく。(^^;;

 お腹がくちたところでお目当ての『ねずみ岩』探索。尾根を観音正寺方面へ向かうと、
すぐにY字路になる。どちらに向かっても観音正寺へ出るが、右は観音寺城址への道で前
回辿った道。今回は左へと進む。

 右に木立に囲まれた広場がある。馬渕丸とか呼ばれる場所だろうか。淡雪の残る細い尾
根道はやがて蜆石と呼ばれる巨石の前に出てきて、その脇を縫うように降りて行く。バサ
バサ音を立てて梢の雪が落ちてくる。単独行ならビクッとするところだが、そこは多人数
の強み。

 大きな石碑が現れた。大正時代に建立された「佐々木城跡」の記念碑だ。今を基準に考
えると、何処からも目立たないこんな場所にどうして立てたのか不思議だが、当時は観音
正寺の参道から見えたのかも知れない。ここでルートは奥の院とねずみ岩とに分岐する。
右に折れてねずみ岩ルートを進むもそれらしい岩が現れない。象の背中みたいな岩があっ
たがそれでもないようだ。と、下に駐車場からくる参道らしい道が見えてきて、ええ?結
局、分からずじまいかと参道へ降り立つと...。

なんだ。駐車場から観音正寺へ向う道沿いにあったのだった。一昨年に通った時には全く
気付かなかったが...。
見ようによってはガメラにも見える「ねずみ岩」
岩上の人と比べてください

 ねずみ岩は高さ4m、幅5mくらいの岩で、目を凝らせばこちらを向いたねずみに見え
る。岩の尖りが鼻先、岩の割れ目がヒゲに見えなくも無い。


 ともあれ、『ねずみ岩』が無事に見つかり干支オフの大義が全う出来て良かった良かっ
た。そこから観音正寺はすぐそこで、大きく右に廻り込むと仁王像が立つお寺の境内であ
る。

 二階建の庫裏の辺りで小さな人だかりがあるのは、寺で生まれた生後一ヶ月の子犬が3
匹、愛嬌をふりまいているからである。チラホラ山に上がってくる初詣客に混じって、折
角なので本堂に参る。白檀の大きな千手観音の手から五色の紐が延びて本堂の大黒柱に結
ばれてあるのは何なのだろう。観世音が住むという補陀落浄土とこの世を結ぶ縁の象徴な
のだろうか。

 観音正寺の本堂を後にして、境内の濡仏坐像の横から観音寺山城の本丸跡へと向う。こ
の道は以前歩いた道。分岐を左に直角に折れて、良く整備された道を50mも進めば、大
手道らしい長い石段の下に出る。幅は二間ほどか。雪解けで濡れた石に注意しつつ、少し
喘ぎながらもよっこらさっと体を持ち上げれば、本丸跡の大広場に出る。うすくらい中に
サザンカのピンクの花がぽっかり浮かぶ。初めて知ったが、城は織田信長のものになった
後も存続しつつも、明智光秀によって安土城が炎上した際に燃え落ちたとのことである。
以後、ここに城が再興されることはなかったという。

観音寺城本丸への大手道の石段

 さて、下山。三角点に戻って北腰越に出てもいいけれど、このまま桑実寺へ下りた方が
早そうだ。ただ、桑実寺は通行料が必要。なんだか二上山や若草山みたいだが、正月の事
だしここはお賽銭代わりということで..。(^^;

 「食い違い虎口」といわれる石垣を抜けると谷へ降りていく古道もあるが、桑実寺へは
杉林の山腹を辿る道らしい。昔からの西国巡礼道らしく、『十丁』と刻まれた丁石もある。
地形図通り、すぐに自然石の石段が現れる。小さな流れを渡ると下から現れたのは初老の
ご夫婦だった。通常の靴で良く上がってきたものだ。「あと25分くらい。でも滑らない
ように」と注意申し上げる。
観音正寺参道を桑実寺へ下る

 桑実寺らしい甍が見えてくる。質素な門があって潜ると呼び鈴に良くある電子音がなっ
た。入山料は300円、ついでだから南北朝時代に建てられた本堂見学。

 桑実寺から山門までまだ石段は続く。これがまた雪解けと苔でよく滑る。左は小さな谷
川。危うくズルッと行きかける。正月から怪我していてはシャレになりません。(笑)

 この石段は西南西にほぼ一直線に下っているが、ふと気づくと三上山が真正面にある。
桑実寺の創建は奈良時代に遡るというが、本尊の薬師如来は琵琶湖から現れたというし、
三上山は近江平野のいずれからも望見できる神奈備山だし、やはりこれを強く意識して参
道を造ったに違いない。尚、参道途中には子安地蔵、山門には南北朝時代の珍しい石仏
あって、歴史好きには格好のハイキング道である。

鄙びた桑実寺山門

 桑実寺から下山すると、後はでかい一本道。振り返れば観音寺山塊が西日を受けて長大
に全貌を現して横たわっている。安土駅までは1.8km。ブラリ30分の道のりである。

 丁度、16時。安土駅に到着。24分まで電車なし。到着した電車は適当に空席があり、
全員着席。新快速の方が早く大阪に到着するけれど、会社での日々のように急ぐわけでも
ないし、このまま乗り換えずにいきましょう。本日、お付き合い下さった皆さんに感謝で
す。今年も良い山歩きが出来ますように。



■同行 あやさん、呉春さん、たらちゃん、ちかさん(五十音順)

【タイムチャート】
7:50自宅発
9:40〜9:50JR能登川駅
9:58〜10:00北向観音参道口
10:22〜10:30北向観音堂
10:31猪子山(267.5m(四等三角点))
10:47〜10:52Ca310mピーク
11:02〜11:05伊庭山(336m)
11:23〜11:28雨宮龍神社(瓜生山(Ca300m))
11:40地獄越
11:48高圧鉄塔(東海幹線bQ49)
11:55須田不動分岐
12:23〜13:10繖山(観音寺山)(432.5m(二等三角点))
13:19佐々木城址分岐
13:30佐々木城址
13:35〜13:40ねずみ岩
13:45〜14:15観音正寺
14:20〜14:25観音寺城址
14:50〜15:00桑実寺
15:30桑実寺山門
16:00JR安土駅



繖山(観音寺山)のデータ
【所在地】滋賀県蒲生郡安土町、東近江市
【標高】432.5m(二等三角点)
【備考】 安土山の東に連なる山塊で箕作山や太郎坊の北に位置し
新幹線からもよく姿が見える山です。近江守護六角佐々
木氏が繖山のほぼ全域にわたって城を構えていましたが、
戦国末期六角承禎の時代に織田信長によって滅ぼされま
した。西の山腹に桑実寺、北に石馬寺、山頂近くに西国
札所の観音正寺などの古刹があり、四方の麓から登山路
があります。
【参考】
2.5万図『八日市』



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