三国ヶ岳〜ついでにフラッと雪見の山へ

登山道途中の茶畑から見る雪化粧の三国ヶ岳
平成20年 1月13日(日)
【天候】小雪
【同行】別掲


 1月12日〜13日は山の会の新年会を兼ねたお泊りオフ。今回はLさんのご好意で、
丹波のログハウスに一泊させてもらってボタン鍋で新年会。例によって例のイノシシ屋で
ボタン肉を買い、例の地酒を手に入れ、地元のスーパーで食材を仕入れて、4時頃だった
か、ログハウスへ集合となる。そうして5時には早くも宴会が始まり、途中、地元のTさ
ん夫妻の来訪というサプライズもあって、戸外の氷雨が降る寒さもものかわ、中は暑いぐ
らいの盛り上がり。ビール、焼酎、日本酒と好きな酒を飲んでは祝杯を挙げ、皆さんの数
々の差し入れもあって、丹波の夜は盛況の内に更けていくのでした。年末年始にかけて調
子の出なかった私も、ここ数日はようやく体調も戻り加減、久方ぶりに美味しい酒を頂い
たのでありました。
ボタン鍋の準備に勤しむ面々

ボタン肉が充分煮込まれるまでじっと我慢の子

 しかしながらままならないのは天気である。12日、13日とも雨もよい。安全祈願を
兼ねて、あわよくば雲海も楽しめるのではと目論んだ最寄の安全山へ登る趣向も頓挫して
しまい、一夜明けた13日は仕様がないので近くのお寺巡りと蕎麦喰いツアーに切り替わ
る。でも、そのお蔭で、まったりとしたスローライフ。のんびりコーヒーを飲みながら、
ガラス越しにチラチラ降る雪を眺めているのもおつなものである。いつの間にか遠く近く
の山々の高みはうっすらと雪化粧である。

 お世話になったLさんにお礼のあと、まずは最寄の達身寺へ。ここは西国薬師四十八ヶ
所の札所で10年位前に訪れた事がある。丹波や播磨近辺は法道仙人が開創という寺が多
いが、ここは珍しく行基菩薩が開創したという、丹波の正倉院とも呼ばれる名刹。本堂が
萱葺き屋根というのも珍しい。(こんなだったかな?) 薬師巡りしていた時の記憶は全
く薄れていたけれども、最寄の施設「ときめ樹」、「やすら樹」の名は覚えている。人間、
とりとめの無い事だけは覚えているものだ。雨がみぞれに変わった今朝は深々と冷える。
お寺の本堂の板の廊下は、靴下を履いていてもぞっくりする冷たさだが、きっとこんなこ
とだけは時間が経っても覚えているのだろう。(笑)

十九山達身寺は今は曹洞宗の寺だ

 さて、宝物館には今に残る仏像が保管されている。いずれも、その時々の戦火に巻き込
まれ損傷しているが、毘沙門天が十数体あり、造りかけの仏像などもあることから、ここ
が仏師の工房だったという説。そして鎌倉の大仏師、快慶の故郷もここだったという説ま
であるそうであるが、流石に説明して下さった寺の女性も「これは夢ですが...。」と
笑っている。腹が出た達身寺様式の特徴といい、まあそれだけ不思議な成り立ちの寺では
ある。

 続いて訪れたのは円通寺。氷上町の清住から青垣町へ向かう県道へ出て北上する。東に
五台山から鷹取山、五大山へと続く灰色の中央分水嶺の山並みが恐竜の背中のように浮き
沈みすうのを眺めて、10分も走れば円通寺の案内板。左折すると、やがて山の麓に円通
寺の甍が見えてくる。

いかにも禅宗の寺然とした円通寺境内

 ここも曹洞宗の寺。紅葉で有名な寺らしく至る所にカエデの木が枝を広げている。聞け
ば青垣町の高源寺、山南町の石巖寺とあわせて丹波紅葉三山と呼ぶのだという。閻魔さん
みたいな道服を着た木造の像二体が仁王さんの代わりをしている山門をくぐり、石橋を渡
るとそこは内庭で、達身寺とは趣を異にして、こちらはいかにも禅道場といった雰囲気が
ある。天台宗から改宗した経歴を有する達身寺に対して、室町時代、足利義満が創建した
という歴史を持ち、最初から曹洞禅の法灯を伝える寺であることが影響しているのであろ
う。なんだかちょっといかめしいのは、やはり禅が武士階級の宗派であることと無縁では
なかろう。そしてぐるりと本堂を一巡り。裏の山の斜面には歴代住職の墓と共に、一抱え
もあるイトザクラとタブノキの古木が春を待っていた。

 続いて鐘ヶ坂を越えて氷上から篠山へ移動。昼食は名代蕎麦処。GさんやSさんなど蕎
麦にはなかなかうるさいメンバ揃い。今回は篠山の中心部から北寄りの多紀アルプスにほ
ど近い一会庵へ。看板など一切出ていない店で、車道から目に付く萱葺き屋根の一軒農家
の周囲にやたら駐車が多いのでそれと分かる程度だから、普通はスーッと通り過ぎてしま
うであろう。もう沢山の待ち行列。外も寒いが家の中も息が真っ白なほど寒い。皆さんそ
れによく耐えていらっしゃる。小さな薪ストーブと火鉢しかないところ持ってきて、天井
が無く天井裏の隙間からは飛雪舞う寒空が見えているのだから。そして待つこと1時間。
蕎麦切りを食すこと、たったの10分。(笑) 昆布と魚の出汁が良く効いたそばつゆでし
た。
篠山瀬利の手打ち蕎麦の店

 日が射せば小金ヶ岳などでもと話していたことだけれど、雪は止むこともなく
「これじゃあちょっとねえ」
というわけで、なんとなく新年グルメオフもここでお開きということに。それぞれ車に分
乗して帰途に着くことになった。けれど遠路はるばる奈良からやってきたTちゃんも居る
ことだし、折角の機会なのにこのまま登らずに帰るのも勿体ない。手軽に往復1時間程度
の山はないものか。頭の中で物色する。そうする内に、羽束山が良かろうと結論が出たの
は篠山と三田の境目近くで、母子(もうし)を抜けて県道を南下することにしたが、この
県道は昔、家族旅行で篠山へ泊まった時に永沢寺から抜けた際に使った道のはず。でも今
はもう全く記憶が無い。

 母子。当時も風変わりな名前の集落だと思ったことだったが、やはりいわれがあって、
その昔、舒明天皇の御世、この地で亡くなった猫間中納言の供養の為に妻子が当地にやっ
てきて庵を結び、春の野で摘んで朝廷に献上した野草を、母子の境遇を憐れんで母子草と
呼び慣わし、転じてその地を母子と読んだとか。こんな言い伝えがあるのも面白い。

 一旦、降り止んだ雪は山に入るに従って再び強さを増してくる。それと共に高度が上が
ると木々は白さを増して一面の銀世界だ。ちょっとした展望所があったので車を止めて出
てみる。周囲は枝々に新雪が付着して、冬枯れのくすんだ色から一転、華やかな色一色に
染められた雑木林だ。ここが峠かと思ったら、立っていたオフィシャル道標にはこの先に
美濃坂峠の表示。少し車を進めるとすぐに東屋のある美濃坂峠に着く。

 ここには近畿自然歩道の案内板と道標があって、それには三国ヶ岳0.5kmとある。行
がけの駄賃ならぬ帰りがけの駄賃にピークハントしていくには時間的にもちょうど手頃。
ただ、手元にあるのはコンパスのみで、地図の類は当然用意しておらず、案内板の概念図
のみ。それも南北逆転して
記述されてあるのに、戻ってきて初めて気付く有様なのだったが、近畿自然歩道なら途中
の道標もあろうし、こんな感じで空身で行っても問題なかろうというわけで、羽束山から
方向転換して、雪もよいの中、荷物は車に置いて出発だ。

雪が舞う美濃坂峠

 その時だ、いきなりつんざく音。間違いなく銃声だ。案内板にはマツタケ時期と共に猟
期は危険なので山に入るなとの注意が書かれていたけれど...。ハンターに囲まれたト
ラウマを持つ身としては少しく不安がよぎる。服装も黒のアノラック姿。ここはNさんら
と少し大きな声で喋りながら行きましょう。(^^; 最初は茶畑の作業用農道で軽四輪の轍
も残る道である。白いお茶の花が雪を被って冷たそうだ。そういえば母子(もうし)はお
茶で有名なのである。

 左手が開けて三国ヶ岳らしい高みが左前方に見え始める頃だった。前からオレンジ色の
ジャケットをを着た犬連れの小父さん。銃は抱えていなかったけれど一目でハンターと分
かる服装である。ちょうどいい。猟の状況を聞いてみよう。すると小父さんは快く、今日
の猟はもう終わって歩いても大丈夫なこと。下から追い上げたが、引っかかったのは鹿1
頭だったことなどを話してくれる。さっき、銃声を聞いたことを告げると、下でも別グル
ープが猟をやっているのだそうだ。山頂の向こうに道はないのでピストンになるよとも親
切に教えてくれる。元よりその積りでございます。(笑)

 人懐こい犬と小父さんと別れるとまもなく、小さな峠に出る。農道はそのまま降りてゆ
くが何処に出るのだろう。道標は左手に折り返すように登れと指示している。山頂まで0.
4km、美濃坂峠まで0.1km?もっと歩いたような気がするけど...。(笑)

雪の花咲く三国ヶ岳への道

 ジグザグを茶畑沿いに抜けると、ようやく山腹を辿る山道だ。木々という木々は白一色
だ。どこかの地方で小枝に餅を塗りつける風習があったように記憶しているが、そんな感
じに雪が纏わりついている。古い何かの機械が放置されている横を抜け、赤松の目立つ雑
木林に入る。赤い木切れの道標は母子小学校のもの。昔、体育の一環で登っていたのかも
しれない。やがて踏み跡は左にカーブしてにわかに斜度を増す。落ち葉と雪に注意してい
ないと滑るほどだ。鈍った体でぜいぜいいわせながらも、キーンと冷えた空気が心地よい。
一気に50mくらい登っただろうか。汗が出る寸前のタイミングで前上方の松の梢がごう
ごうと風に鳴っているのが耳に入る。山頂に着いたらしい。低い笹の間を抜けると小さく
東西に長い三国ヶ岳の山頂である。

三国ヶ岳山頂にて筆者(画像提供:Nさん)

 二等三角点と展望図が雪を被っている。6cm位の積雪だろう。二等が置かれるだけあっ
て、本来ならば北に多紀アルプス、南に三田市街や北摂の山々が眺められるのだが、勿論
この天気では望むべくもない。寒いので登頂写真を撮って、一息入れたら下山だ。東に下
りる踏み跡もあったが、帰宅して調べるとこれは母子に降りるものだったようだ。

 行きは遠く感じるが帰りはアッという間。降りて東屋で一息ついてコーヒーブレーク。
コーヒーを飲みながら眺めると茶畑の向こうはすぐ母子の集落なのだった。美濃坂峠とは
いっても母子から見れば、数十m登れば行き着く所。それだけ母子が高い所にある証左だ
が、篠山から登れば2〜3百m標高差はあるであろう。東屋近くには『左 三田街道、右
 中野村』と刻まれた大正10年の石標と、嘉永年間の馬頭観音碑がある。行き倒れた牛
馬も多かったのだろうか。尚、太平三山の愛宕山への道は、東屋の車道を渡った向かいの
茶畑の横の踏み跡がそれであろう。

 相変わらず雪は降ったり止んだり。当初の安全山へは行きそびれたけれど、新たな三角
点もゲットできたのと共に銀世界も堪能できて満足、満足。ボタン鍋に蕎麦の新年グルメ
オフに新たな一山を追加して、充実のオフも終了。JRで武田尾のトンネルを抜けるとそ
こは雪とは無縁の青空が広がっている。同行の皆さん、本日も有難うございました。



■同行 たらちゃん、なかいさん(五十音順)

【タイムチャート】
13:55美濃坂峠(登山口)
14:03道標のある分岐
14:18〜14:25三国ヶ岳(648.2m 二等三角点)
14:42道標のある分岐
14:50美濃坂峠



三国ヶ岳のデータ
【所在地】兵庫県三田市、篠山市
【標高】648.2m(二等三角点)
【備考】 篠山盆地の南に東西に延び、丹波と摂津の境をなす山塊
の一峰です。愛宕山、中尾ノ峰と合わせて太平三山と呼
ばれ、北にある龍蔵寺を中心とする修行の山であったと
いわれますが、三田側の母子から見るとその険しさはあ
りません。美濃坂峠からは近畿自然歩道が通じ、簡単に
登れますが猟期はハンターに注意です。
【参考】
2.5万図『篠山』



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