カクレグラからイブネ〜これぞ鈴鹿の尾根を往く

アゲンギョ付近の雑木林。右はイブネへの道
平成20年 5月12日(日)
【天候】曇り
【同行】別掲


 あまりお邪魔したことがない鈴鹿の山域だが、地図を眺めているといっぷう変わった名
前の多いことに気付く。今回の舞台もカクレグラ、ダイジョウ、イブネなどと、どうして
こんな名がと思われる名前がついている。それだけでも興味津々だが、かてて加えてここ
はディープな鈴鹿が味わえるということで、地元滋賀県在住のSさんの御推奨のコースで
もある。過去何度かオフがありながら、その都度逸していたのがようやく今回、機会を得
てオフに参加することが出来た。20km近い長丁場に結構なアップダウンもあったが、
鈴鹿の奥深さと古道歩きの楽しさを心ゆくまで実感する一日となったのである。

 主催者泣かせの天候は土曜の夜も雨模様。しかし朝には上がるとの予報を信じ決行され
た今回の鈴鹿オフ。その当日も出発の7時にはまたパラパラと小雨が落ちるコンディショ
ン。少し不安も生じたが、滋賀県に入ると意外に空は明るく愁眉を開く。

 R421、所謂、八風街道から県道を南下すると鈴鹿の麓の集落甲津畑。寂れたイメー
ジがあったけれど、思ったより大きな集落である。鎮守の森や寺院、小学校もある。かつ
て千草越や鉱山開発で賑わった余韻がまだ残る感じがする。集落の中の狭い道を避けなが
ら、渋川沿いに山中へ延びる林道を辿ると、まもなく永源寺グリーンランドへ下る道と標
識が現れる。その辺りの路肩の広まった部分にはSさん達の車2台が既に到着している。

 今日は久しぶりに12人の大人数。林道を50mほど戻って、グリーンランドの取付け
道路をわいわいと下る。グリーンランドはイワナの里の名の如く渓流魚を養殖していて、
養殖池には大は50cm、小は15cmくらいの魚が沢山泳いでいる。それを横目に胡散
臭い奴らだと番犬に吠えられながら渋川の上流に歩いて行き、堰堤が見えた所で対岸へ移
ることになる。昨夜来の雨でやや増水した川は靴を濡らさずには進めないみたい。ええい、
ままよとばかりザブザブと渡ってしまう。(笑)

渋川を渡ると対岸に中部電力の巡視路標識がある

 対岸には中部電力の黄色い巡視路標識がある。当初はわかりにくいが、まもなく傾いた
鉄橋が現れ巡視路であることがはっきりしてくる。植林の下、昨夜来の雨もあいまって、
ジメッとした中に倒木も所々にあって、やや荒れ気味の踏み跡が谷の流れを左にしながら
高度を上げていく。やがて現れる谷の別れは右の谷に沿って行く。その頃だったか、絹を
裂くっていうほどもないけれど、「キャッ」という黄色い?悲鳴が上がる。「なんだ?な
んだ?」原因はなんとヒルだ。おっと自分の足元にも頭をヒクヒクさせた黒茶色い奴が。
ヒルの事は不覚にも全然頭になかった。そういえば鈴鹿はヒルのメッカなのだ。密度はそ
れほど濃くなかったが、気がつけばあっちにもこっちにもいるではないか。あーやだやだ。
早く沢から離れたいよう。(^^; その沢の水量も少なくなってきた頃、ようやく離れて山
肌を上がるようになりホッとしたのも束の間、今度はガスが這い上がってきた。

渋川に架かる傾いた金属橋を恐る恐る渡る

 ここまでずっと巡視路を歩いてきたが、普通の踏み跡と大して変わらず、そういう意味
ではあんまり巡視路らしくない巡視路ではある。しかしながら、曲がり角など要所には巡
視路標識が立っているから迷うことはない。いつのまにか風景は植林帯から雑木林に変わ
って山腹をトラバースするようになり、折り返しつつ高度を稼いでいくと、パッと開けた
所は伊勢幹線の鉄塔(L160だったと思う)下である。背の高い鉄塔だ。見上げればガ
スで頭頂部は煙っている。切り開きだからガスが晴れればいい見晴らしだろうに。更に巡
視路を歩き、もう一つの鉄塔横を過ぎると、小さなピークのT字路に出る。巡視路は左に
折れて阿ノ瀬山の方に延びるので、つられて曲ると反対方向に行ってしまう。要注意場所
の一つ。余り目立たないが木立に巻かれたテープが目印だ。ここを旨く方向転換すれば7
47m標高点は尾根道を10分も要しない。

カクレグラ山頂。中央の立ち木に『隠ー』の山名板がある

 747m標高点からはまた細い尾根。イワカガミを眺めながら最後に山肌に取付き、歩
き易い所を選んで行き着いたカクレグラは、水谷岳とも呼ばれる二等三角点の山だ。6畳
程度の狭い山頂は、そこだけが切り開かれており、潅木の間には今から歩く予定のダイジ
ョウやその手前の標高点ピークが、ラクダの背の如く上下してはずなのだがとは、今日案
内頂いているSさんの言。また山頂北側には永源寺湖畔の佐目から上がってくるいい道が
ある。本来、こちらの方がメインルートなのだろう。取付きから2時間。小休止。

 カクレグラから次の目的地、タイジョウへの尾根に乗るには少しだけ注意が必要だ。ま
あ、コンパスを確認すればなんていう事もないのだが、ついウカッとすると、前述の明快
な北向きの道に引き込まれてしまう。ここはカクレグラ山頂から一旦、スイッチバックみ
たいに来た道を戻るような感じで東南尾根に乗る必要がある。丁度往路を右下に見おろす
感じである。最初はユズリハやアセビなどが繁って踏み跡も薄いが、ヤブがないので歩き
やすい所を選っていけば、やがてケモノミチみたいな踏み跡が現れる。後は幾つか迷い易
い不明瞭部分があるものの、まずは尾根を外さぬように注意しながら歩けば良い。但し先
行テープはほとんどないから念の為。

源頭の初々しい緑に包まれる

 地形図どおり左手にザレた崩壊地が現れる。木がある程度繁ってくれているのでいいが、
裸地だったらかなりの高度感だろう。

 20分と少しのアルバイト。ほぼ南東へ一直線の尾根はアップダウンを繰り返しながら
徐々に標高を下げていく。その尾根がやや東へ降り始める頃、「向平降口」なる標識が9
62m標高点ピーク手前の木に架けられているのを見つける。ところで『向平』とはそも
どこなのだ?962mピークの西尾根の広やかな部分か?そして、当の962m標高点ピ
ークには『向平西』の標識が木にくくりつけてある。「向平」ねえ。まあ、そんな詮索は
後廻しにして、少し早いがここで昼食タイムだ。

 やれやれ、ザックを下ろしてラーメン用の湯を沸かしている最中である。今度はHさん
の悲鳴が....。またまた何事か? スパッツを外したらヒルに血を吸われていたらしい。
ひょっとして自分もか?慌てて靴を点検。あれ?左足のスパッツのゴムの止めが...と
思いきや、おもむろにモゾモゾ動き出すゴム。黒いゴムバンドは実はヒルが2匹、スパッ
ツの縫い目に直線状にへばり付いていたのだった。「ギョエーッ!」 (@o@) 思わず手で
摘まんで捨てる。結局、ヒルはこの2匹のみで事なきを得る。更に一行で被害にあったの
はHさんただ一人だったらしいと判明。Hさんの血は美味しいものとヒルも見てとったの
だろうか。(笑) 失礼。

 先は長いので昼食タイムは12時前に早めに切り上げて、午後の部の始まりだ。962
mピークの東のピークに登り返す。『向平東』のプレートがある。その下りはやや尾根が
広がっていて、しかも踏み跡がなく迷い易い。しかしながら急降下部分をこなしてしまう
と再び細い尾根になって分かりやすくなる。

 左に再び崩壊地。痩せ尾根を歩いてピョコンと飛び出たような911m標高点ピークを
喘ぎながら越える。一旦、下った鞍部からは午後の部でもっとも急なタイジョウへの標高
差170m余りの登りである。昼食後で些かしんどいが、左右の緑の谷の源頭部は見惚れ
てしまうほど若緑が綺麗である。

 前方にタイジョウらしき山影がようやく見えてくる。しかしこれが一筋縄でいかないの
だ。ゴロゴロ石が積み重なった場所に出たが、そのまま進むと大岩が行く手を阻むとのこ
とで、左の山肌をトラバースして北の尾根に移ることになったのだが、これが難所なのだ
った。マサ土と化した斜面は前夜の雨と相まって良く滑る。滑ればそのまま10mほど斜
面をドロドロになって落ちる破目になる。いささかへっぴり腰で、良く言えば慎重に歩を
進めれば、そこはヤマシャクヤクの園でもあったのだけれど、気付いたのは足元に余裕が
出来てからだった。残念ながら花期には早かったが白い蕾がそこここに、後数日もすれば
ポッと浮かぶ白い花びらの中の、黄色いシベが見られたにちがいない。

 北の尾根も最後は距離は短いものの劇登りで、踏み跡といえばケモノミチのみ。斜めに
ステップを切りつつようやく1061mの頂上へ。『大丈』と刻まれた山名プレートが架
かったガスに霞むシャクナゲの山頂はことのほか狭いものであった。

ガスとシャクナゲに囲まれたタイジョウ。『大丈』と書く様だ

 タイジョウから1084mまでは、両側が深く厳しい落ち込みで、その間の痩せ尾根は
小刻みなアップダウンが続き、存外、歩が進まない。シャクナゲの枝先に身を入れながら
の場所もあり、木の根元を掴んでの下りもある。前方に1084m峰の影。ここを越えれ
ばもう大きな標高差はない。
ホンシャクナゲの花盛り

 1084mピークの周囲も堂々たるシャクナゲの群落だ。裏作なのか花はほとんどつい
ていないが、6畳位の広さに枝を広げたものが多く、一斉に咲けばさぞ壮観であろう。そ
の裾を廻っていくと、うって変わって広やかになった尾根は、下草もないハウチワカエデ
やリョウブの雑木林でまことに歩き易い。どういう意味なのか『アゲンギョ』と呼ばれて
いる台地である。南に下った峠とも呼べない鞍部にはプレートがあり、左に佐目峠を指差
している。
「順調に来たし、折角なのでイブネへ行きましょう」
というSさんの言葉。順調にここまで来たという証しに勿論依存はない。左の佐目峠方向
へ折れる。

 こちらはこれまでとはうってかわって明確な踏み跡があリ、テープも頻繁である。元は
笹でも繁っていたのだろうが、今は枯れて草原状態。大きな木もなく潅木が所々に立つ。
樹冠の幅が5mはあろうかというアセビの大木は花盛りで、雪を被ったみたいに白い。イ
ヌツゲは鹿に食べられて自然のトピアリー。その間を進めばたまに現れるのはカエデなど
の林である。そんな林から下ってくると場が開け、広場に大きな石がデンと鎮座し、そば
に佐目峠の標識がある。峠とあるから鞍部ではあるものの、所謂、「峠」という感じはほ
とんどしない場所だ。石は巷によくある柳生十兵衛や弁慶の一刀両断石みたいに中央で二
つに割れているのが面白い。ここを過ぎると再び登りだ。なんだか明神平の桧塚奥峰への
道を彷彿とする風景である。そういえばここも同じ三重県だ。

佐目峠。大きなお尻のような...

 かなりの距離を歩いてきたので気付かないが足もくたびれているのだろう、ちょっとし
た登りも速度が落ちる。えっちらおっちらって感じかなあ。古い小屋か何かの朽ちた残骸
の横を抜けて、ガスが流れるなだらかな斜面を登りきるとサッカーでも出来そうな平原の
台地が現れた。その真ん中に『イブネ』の山名板。ポツポツ立つ木は良く見れば蕾をつけ
たシロヤシオ。ガスがなければ御在所岳や雨乞岳など鈴鹿の中核の山々がデーンと見える
のだそうだが、残念ながら望むべくもない。しかし、鈴鹿の良さを今に残す場所に来れて
良しとしようではないか。

 このイブネから500m東が『クラシ』。でもイブネとほとんど同じような風景らしい
から、展望も得られないようなので今回はパス。イブネ踏破(そんな大げさなものじゃな
いけれど)の記念の写真を撮ってもらったりして10分ほど休憩したのち、明るい内に駐
車地へ戻りたいのと吹きぬける風が冷たいこともあって、お名残惜しいけれど戻ることに
なる。ハルリンドウだかタテヤマリンドウだかの蕾がまたおいでと挨拶しているようであ
った。
霧のイブネ。中央はシロヤシオ

 アゲンギョに戻って左(南)方向に舵を切る。杉峠へと木に括られた手製の札が目印で
ある。ここも下草のない潅木帯。すぐに『杉峠ノ頭』と名づけられた1121m標高点を
過ぎる。徐々に南に向きを変えた小道はガスに潤むハウチワカエデの樹林を抜けて台地に
行きあたる。ここも鈴鹿核心部の展望台で、目の前は雨乞岳のはずである。そこから見覚
えのある大杉が立つ杉峠まではほんの少しで、アゲンギョからも存外近いのに驚いた。

二度目の杉峠は幻想的な風景

 杉峠。千草街道探索の会の説明板が新しく立っている他、以前に比べて少し整備された
ような様子だ。以前、武平峠から雨乞岳を目指してここにやって来た時は、東から来て南
へ向かったのだが、今回は北から来て西へ向かうことになる。その当時も甲津畑への道標
があったと記憶していて、どんな所なのか思いを馳せたものだったが、今日そこを歩くこ
とになるとは少々感慨深い。
谷間の沢筋に咲いていたヤマシャクヤク

杉峠付近の千草越の古道

 今歩いている杉峠を東西に通過する道は千草越と呼ばれる古道である。古い道らしく峠
の近くではジグザグ道で傾斜を緩めている。深く洗掘された道は、ヤマシャクヤク、ワチ
ガイソウ、ルイヨウボタンなどの野草で彩られた道でもある。ハウチワカエデの大木が多
いので秋が深まればまさに錦秋の風情であろう。人間の頭大の石がゴロゴロ転がる道を2
0分程で『一反ぼうそう』と呼ばれる、幹の直径1.5m以上はあるミズナラの横だ。枝
を広げた広さが一反ほどもあるということで名づけられたとのことであるが、杉峠の案内
板にその名があった時は『一反もめん』の親戚かと首を捻ったものだ。(笑)

『一反ほうそう』と呼ばれるミズナラの大木

 長い道のりの途中には鉱山の跡の石積みや廃村跡が説明板と共に現れる。谷には水量豊
富な滝もかかる。まるで歩く人を飽きさせないようにしているみたいだ。蓮如上人の一夜
泊まりのカマドなんていうのもある。天台衆徒の迫害から逃れて一夜隠れた跡なのだそう
だ。ここまでやってくると流石に地形も広やかになって、周囲も手入れされた杉林となり、
カマド跡付近は小園地に整備されてトイレや休憩小屋みたいなものも建てられている。そ
の先の塩津の廃村跡は大峠の分岐点にあって、その名からも、この道が伊勢の塩を運んだ
道であることを表している。それにしてもこの険しさの中を人力のみで重い物を運ぶとは。
とても現代人には真似できぬことではある。

 さて、蓮如の遺跡から下流はダートの林道で歩も進む。薄暗い杉林の下に祠が見えてく
ると桜地蔵。真新しい祠のガラス障子の中を覗くと、涎掛けをまとった三体の石仏が鎮座
している。昔は桜の木があったそうだが、今はシャクナゲが取って代わっている。鉱山が
あった頃は鉱山主の尊崇が篤かったそうだ。

桜地蔵。今は桜はなくシャクナゲが植えられている

 549m標高点は桜地蔵の近くにあり、ようやく杉峠から行程の3/5位をやってきた
ことになる。それにしても長いなあ。しかし考えてみれば、この林道の距離分だけ尾根を
歩いてきたのだから我ながら凄いわ。ようやる!(^^;

 織田信長を狙撃したという杉谷善住坊が隠れた岩を右にしてカーブを曲ると、前方で先
行していたSさんらが立ち止まって目を凝らしている姿があった。枯れた梢に止まって綺
麗な声でさえずっているのはオオルリだそうだ。聞きなしの有名なものは少しはわかるが、
今のがコガラだシジュウカラだなどといわれても、音痴の私にはどれも同じに聞こえてし
まう。(^^; 逆光なので彩りははっきりしなかったけれど綺麗な鳥だという。それにして
も、ジョウビタキもそうだったと思うが近くに人がいるのに逃げないもんだなあ。あれ?
まだ鳴いている。

 水がはるか下を流れる深い谷の対岸に林道が見えるようになり、長〜い林道歩きも終点
に近い。その林道が橋でこちら側にやってくるとやがて合流点だ。今まで歩いてきた林道
岩ヶ谷線のここが始点で説明板がある。それによれば、昔はこの道を使って鉄輪のはまっ
た大八車で鉱山から掘り出した鉱石を運び出したそうで、鉄輪に砕かれた石で道がきらき
ら光っていたという。そんな賑わいを今からはとても想像できない。それより驚いたのは、
なんとポルトガル語の注意書きがあることだ。近在の工場などに働きに来たブラジル人が
入り込むこともあるのだろうか。時代も変わったものだ。

林道岩ヶ谷線始点に出てきた

 さて、グリーンランドに置かれていた車はここまで回航されており、これ以上、車道を
歩かなくて大いに助かる。(歩くと1kmはあろう)先行していたMさん、Sさんが気を
利かせてくれたらしい。大いに感謝。ザックを下ろして節約していた飲料を一気飲み。フ
ーッ。

 今思えば長かった。そして良くこなして歩きました。約18km、7時間。無垢の鈴鹿
をゲップの出るほど堪能した感じ。この山域を紹介していただいたSさんに感謝です。ま
たまたフーッ。

 甲津畑に出てくると青空が覗いている。西に傾いた日が雲間から天使の階段を下ろして
いました。



行程図はこちら

■同行 きたやまさん、さかじんさん、幸さん、修さん、スナフキンさん、なかいさん
    ハム太郎さん、ひろぴぃさん、まきたさん、みずたにさん、ランナーさん
    (五十音順)

【タイムチャート】
7:00千里中央駅ローソン(集合地)
8:25〜8:35甲津畑グリーンランド前の林道(駐車地)
9:24〜9:28高圧鉄塔(伊勢幹線L160)
9:51鉄塔巡視路分かれ
9:58747m標高点
10:45〜10:57カクレグラ(水谷岳)(990.3m 二等三角点)
11:29〜11:52962m標高点ピーク(向平西)(昼食)
11:02〜12:02Ca960mピーク(向平東)
12:25911m標高点ピーク
13:03〜13:10タイジョウ(1,061m)
13:45〜13:521,084m標高点ピーク
14:09アゲンギョ(Ca1,120m)
14:16佐目峠
14:30〜14:36イブネ(1,160m)
14:581,121m標高点ピーク(杉峠頭)
15:05〜15:10杉峠(1,042m)
16:32〜16:34桜地蔵
16:40549m標高点
17:15林道岩ヶ谷線起点




カクレグラ(水谷岳)のデータ
【所在地】滋賀県東近江市(旧永源寺町)
【標高】990.3m(二等三角点)
【備考】 鈴鹿中部の西端に位置する山です。主稜から外れている
為、登る人は少ないようでその分静かな山歩きが楽しめ
ます。甲津畑、佐目などから登るコースがありますが、
甲津畑からは谷沿いになる為、夏場はヒルに注意です。
イブネのデータ
【所在地】滋賀県東近江市(旧永源寺町)
【標高】1,160m
【備考】 鈴鹿山脈の中部、雨乞岳の北に位置し、山頂は平原の台
地を形成していて、雨乞岳や御在所岳をはじめとする鈴
鹿中部の主だった山々を展望することが出来ます。古道
が走る杉峠経由で4時間の道のりですが道はしっかり。
今回のカクレグラからのコースは踏み跡も薄く、テープ
もほとんど無く、コンパス、地形図必携です。
【参考】
2.5万図『御在所山』,『日野東部』


   トップページに戻る

inserted by FC2 system