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数年前に初めて八ヶ峰へ登った時に取付きとした五波峠。当時ついでに知井坂のお地蔵 さんを拝みにとも目論んでいたのに、山頂でビールを戴いたことから断念した思い出があ る。先日、八ヶ峰とは反対側の中山谷山を歩いた時に久しぶりにやって来たのが契機とな って、一度行かねばの思いが再び湧き出した。今回は若狭側の名田庄堂本から古道を辿り、 お地蔵さんを拝んで、八ヶ峰経由で五波峠へ降りてくるというプランを立てた。当初は自 転車で林道を下る予定だったけれど、SさんとHさんの賛同を頂いて車での下山に変更。 峠越えも昔に比べ随分と楽になったものです。(笑) 朝の五波峠に車は一台もない。代わりに色とりどりのカラフルなウェアを身に纏った中 年自転車野郎のグループがいた。数分後にSさんとHさんが乗った車がやってくる。車を 乗り換える間に自転車野郎たちと立ち話。なんでも東京からやってきたとかで、グループ の中のお一人が小浜出身なんだとか。今日は佐々里峠、花背峠を経て鞍馬を廻って小浜ま で大体170km走るそうだ。「ヒャーッ」と驚くのはまだ早い。なんとその自転車が1 50万と聞いて絶句。二の句が継げない。スポークをカーボンにすれば優に200万は超 えるのだとか。近々行われる沖縄の大会にも行くと云っていたから、うーん、余程、セレ ブでないとやってられん。小生、せいぜい近郊の山歩きでよかったなあ。(^^; さて、自転車野郎とはお別れして、名田庄の堂本へ向う事にする。車で林道を辿ると堂 本までは結構な距離だ。八ヶ峰と思しき山がやけに高く見える。堂本からではなく、逆に 五波峠から歩けば非常に楽なのであるが、古道を歩いたいにしえびとの汗を感じたいのも 今日の目的の一つ。標高差700mを林道で一気に下る。 堂本は南川へ注ぐ支流の槇谷川、染ヶ谷川、仁吾谷の合流点付近に出来た集落。山から 出て来ると、県道の染ヶ谷川側の路肩に格好の空きがある。向かいの民家に駐車の断りを 入れておく。そうして準備を終えて、さあ、歩こうとした時だった。国土地理院の白いポ ール。あれ?、三角点が・・・。といっても石標ではなく金属標識ではありがたみが薄い なあ。(笑) 四等三角点『染ヶ谷』89.4mであった。 登山口は石碑の横にあると聞いていたから、およそ50m、山側に戻ると、なるほど石 碑がある。昭和11年の産業道路開削碑らしい。その近くに八ヶ峰の登山口を示す「石碑 コース」の標識が立てられている。その右手、尾根の始まりにポッカリと薄暗い空間があ る。
左に染ヶ谷川。その中央が峠道のある尾根であるが、先人の知恵には脱帽するばかりだ。 それはつまり道の付け方にである。尾根に並行するかと思えば、ジグザグに巻き上がり、 また切通しを作っては向こう側に出てと、傾斜を感じさせない作りなのだ。それでいて何 時の間にやら眼下の川は小さくなっている。戦で坂が血で染まったので血坂、転じて知井 坂となったと聞くが、そんな感じは微塵もさせない穏やかな山道である。 それにしても数日前が嘘のように蒸し暑い。汗が首筋や胸元を伝う。おまけに蜘蛛の巣。 植林が何時しか雑木林になるとますます増えてくる。これが顔に絡むとまことに気持ち悪 い限りだ。トレッキングポールで払いつつ進まねばならない。 350m標高点のあるなだらかなピーク。道は山頂を避けて微妙にその右肩をほぼ水平 に過ぎてゆく。あまりに暑いので少し休憩。水は1Lで十分かと予想したが、こりゃあ、 足らないのではと思い始める。その場合はラーメンを作るのをやめて、その水を代用せね ば...。(^^; ちょこちょこ行く手を阻む倒木を避けながら進む。色とりどりのキノコがニョキニョキ と足元や斜面に顔を出している。標高は400m足らずだがもうブナが現れてくる。切り 通しに網の目のように白い根を曝すのも良く見ればブナである。(冒頭)
谷の源頭のような広やかな雑木林は気分がいい。道標に『巡視路』とあるが、これを過 ごして左にジグザグに上がり、まもなくポッカリと東側が開けた場所は高圧鉄塔の台地で ある。鉄塔には大黒部幹線bT55と標識がある。あの黒部ダムからやってきた送電線だ ろうか。それでふと思い出した。去年登ったポンポン山の西にある明神ヶ岳。その山頂の 東にあった高圧鉄塔も大黒部幹線だったなあ。すると京都西の変電所へ繋がっているのだ ろうか。それは兎も角、ここは実に展望が良く、休憩するにはもってこいの場所だ。眼下 にアプローチに使った県道が走り、目を上げれば遠くに百里ヶ岳らしい姿があった。 再び雑木林の中、少し傾斜がでてきたが緩やかなもの。200mばかり歩くと小松谷の 林道だ。ダートの林道は堂本の西の槇谷集落から上がってくるらしい。左に行けば五波峠 まで繋がっている。知井坂はこの林道を横切っているが、なんとここからはコンクリ舗装 の林道なのだ。左にあるシャクナゲは植栽らしいが、その先、土手に白いものがある。目 を凝らすとアキノギンリョウソウだ。初見参。ギンリョウソウと区別がつきづらいらしい が、幾分ほっそりしていて種のつき方や、花の廻りが異なっているという。まあ我々素人 にとって、一番の区別法は姿を見せる時期だろう。 やがて573m標高点ピークの東を巻いて、やや広まった場所に出る。大きな木が何本 もあってやや薄暗いが、福井県の案内板には『こもれび広場』とある。おりしも日が射し て地面がまだら模様。文字通り「木漏れ陽」だ。ここは八ヶ峰の直登コースとの分岐でも あって、『八ヶ峰1km、知井坂1.3km、堂本3km』の道標が立つ。勿論、我々は知井坂を 目指し直進。周囲はオオイワカガミの群落で、土手も道の下の斜面も艶々とした葉に覆わ れている。5月頃は一面のピンクだろう。
いい感じの場所だ。再び現れた鉄塔の足元を過ぎると、知井坂の鞍部が見えてくる。もう 直線では400mも無いだろう。そして次の鉄塔はすこぶる展望が良い。だが土地勘のな い悲しさは多田ヶ岳や飯盛山などが見えているのだろうがどれがどれやら?涼風に吹かれ ながら展望を楽しむ小休止だ。ミヤマママコナの赤紫の花が咲き乱れている。
斜面下のトチノキの大木に気を奪われている内に水場の前にやってきていた。石の方形 の手水鉢と石の樋。今でもチョロチョロと樋を伝って水が溢れている。地下水らしいので 少し口に含んでみた。美味い。手水鉢には奉納した人々の名が刻まれているが、苔に覆わ れて良く判らない。帰宅して調べてみたら、「願主 舩 小濱名田庄志中 樋 願主八原 喜右衛門 世話人 山田 忠治郎 享和二年戌六月」と刻まれているということである。 享和2年は1802年にあたるから2百年以上もここで旅人は喉を潤した事になる。良く 枯れずにあるものだ。因みにこの水場も知井坂を越える弘法大師が旅人の為に錫丈を当て て作ったという言い伝えがある。 水場から道は左に回りこんで、八ヶ峰への道を分けながら南へ行く。クマザサのヤブだ ったというが、今では全く枯れてしまって薄茶色の軸にその面影を求める他ない。ほとん ど水平となった広い尾根の真ん中辺りに、知井坂の標識がポツンとあった。その先50m も行けば下りとなり、丹波側の美山町知見への道が続いているのだが、そちらを覗いたS さんたち、そちらもなかなか魅力的ということであった。
たお蔭で、知井坂の標識付近を確かめると八ヶ峰方向に踏み跡があり、尾根を5mも辿れ ば小さな切開きがあって難なくお地蔵さんの石仏が見つかった。江戸時代のものであろう、 錫杖と宝珠を持つ典型的なお地蔵さんで、向って右には宝篋印塔の断片がある。それにも 仏が二体刻まれているのであるが、摩滅して仔細の程は不明である。丁度12時。頃合い も良し、石仏の前で昼食とした。
小一時間のランチタイムの後は石仏の前から元の道に戻らず、ササ枯れの尾根をそのま ま辿ることにする。古い踏み跡に出たが直ぐに消え加減。尚も尾根筋方向に進むと知井坂 からの踏み跡と合流する。これは関電の巡視道でもあってまるでハイウェイだ。10分少 しで高圧鉄塔(大黒部幹線bT60)の切開き。さっき小休止した鉄塔が目の下に見える。 ここから少し傾斜が厳しくなって階段が現れた。満腹に息を切らせて山頂に近づくと子供 の声が降ってくる。鉄塔からほぼ5分くらいか。数年ぶりの八ヶ峰。シンボルの松が一本 立ち枯れている。染ヶ谷から来たらしい家族連れが楽しそうであった。 一説に越前・近江・丹波・丹後・山城・河内・摂津・若狭の八カ国が望めるので、八ヶ峰と名が ついたとも云われるが、秋晴れなら摂津の深山や加賀の白山まで見えるというから、あな がち誇張ではなかろう。それほど四周が見渡せる。が、やや湿気が多くて白っぽく、頭巾 山や長老ヶ岳、青葉山なども見えていたのだろうが、確信を持ってこれだとははっきりせ ず仕舞であった。
もいなくなった。我々も五波峠へ向かって出発したが、こちらも笹が枯れていて、数年前 に歩いた時は腰くらいまであったのが嘘のようだ。Ca760mピークを登り返すと698 m標高点まではまもなくである。 染ヶ谷への分岐がある辺りは尾根が広がり、ガスが出れば少し分かり難い所だろう。し かしこの付近の雰囲気は素晴らしい。コナラやアカマツなどが混交した二次林。木漏れ日 の下はいつまでもじっとしていたい場所でもある。
知井坂よりも五波峠への道の方がかえってアップダウンが多い。Ca760mピーク、6 98mピーク、そして708mピークの肩と何度もアップダウンを繰り返す。しかし、ブ ナも混じった自然林は気持ちよい。708mピークの肩では、振り返ると前衛にCa760 mを従えた八ヶ峰の姿がある。
止めのバー横に出ると、家族連れが来ていて今日はここで一泊するのだろうかテント張り の真っ最中である。それを横目にこちらは一息入れて荷物整理。シャツを着替えてデポし たHさんの車で堂本へ下る。途中の染ヶ谷のキャンプ村はもっと寂れているのかと思って いたのに、結構流行っているらしく、朝も多くのテントを見かけたけれど、今もテント準 備の人が多い。そうだ、明日も休日なのだった。 10分ほどで再び堂本。ここでお二人とはお別れとなる。小生もこのままR162経由、 堀越峠越えで帰途につこう。美山の道の駅の南で往路と合流し、亀岡でそれほど混む事も なく、急ぐ事もなし、箕面のトンネルもパスして帰宅する。 初秋に歩く静かな古道、知井坂。四季を通じてそれぞれ趣きのある山歩きが出来そうだ。 いつか美山側からも歩きたいものだ。同行のお二人、有難うございました。 ■同行 さかじんさん、ひろぴぃさん(五十音順)
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