梅雨明け十日、行者還岳
 
行者還岳のテラスから南を眺める。左の稜線が弥山(右)へと繋がる大峰主稜で奥駈道が走る
平成20年 7月20日(日)
【天候】晴れ
【同行】単独



 下界にいても暑いだけだから、今週もまたまた大峰へ。夏バテ気味で体力もなく、エッ
チラオッチラもしんどいので、お手軽、行者還トンネル西口から行者還岳へ。七曜岳まで
歩いて、大普賢岳から明星ヶ岳まで奥駈道を繋いだことにしようという算段だったのだが、
なぜか西口から奥駈道の稜線に上がるまでにもうヘロへロ、クタクタ。暑さで寝不足が響
いているのか知らん。七曜岳までは早々に諦めて、これで二度目の行者還岳の三角点だけ
は拝み、帰途は一ノ垰経由を採って、何とか行者還岳から明星ヶ岳までの奥駈道は繋ぐこ
とが出来たのだった。

 いつもの如く7時前に家を出る。天川川合から洞川への道と分かれて309号線に入る。
天の川の上流である川迫川に沿い、国道とは名ばかりの1車線のクネクネ道は、景色抜群
なのだが片方は岩壁、片方は川の崖で景観に見入る暇はない。対向車を避けるにしても、
1BOXカーは岩壁に擦らないように足元だけでなくルーフの方も気にしなければならな
い。夏休みに入ってキャンプや水遊びの連中も多い。対向車も数台あって二度ほどバック
を余儀なくされる。(^^; 山奥の行者還トンネルへ近づくに従って、運転の緊張がほぐれ
るのはどうしたわけだろう。(笑)

 トンネル西口近くにはもう弥山のオオヤマレンゲ詣らしい多くの車で、登山口近くまで
行ってみたが路肩に空きはない。しようがないので登山口から200mほどもと来た方へ
バックして、空いていた路肩に車を寄せる。

 ゴソゴソ準備を終えてお馴染みの登山口へ。古い堰堤横から入ってすぐの左斜面に踏み
跡がある。これが行者還岳への登山路だが標識はない。でも数年前に利用した当時より、
よほど踏み跡は明快になっているようだ。指導テープも増えているみたいである。

奥駈道への最短ルート入口

 斜面を登り始めると早くも左手にトンネルの出入口の上部が見える。のっけからの急斜
面である。どっと額から汗が噴出す。「ん?」何だかいつもより体が重い。暑さで寝不足
だからかなあ?このあと何度も立ち止まっては汗を拭うはめになる。

 取り付きで思った通り、踏み跡はすこぶる明快である。その踏み固めた地面にはヒメシ
ャラの白い花がポトリポトリ落ちている。弥山方面とはうってかわって私以外には誰も歩
いていない。静かなものだ。そして時折の涼しい風。フーッ。でも虫が多いのには閉口だ。
ことにブーンと蜂の羽音に似た音を立てる大きなアブと顔の周りに纏わりつくハエみたい
なブヨみたいのには弱る。団扇でペタペタと払っても追いつかぬ。

ミヤコザサが現れてきた。急勾配ももう少し

 はっきりした尾根に出る。岩がちの小さなピークを巻いて植生がシャクナゲからシロヤ
シオ、ミヤコザサに変わると頭上はるかに見えていた稜線は近い。以前にもあった倒木の
横を抜けると、稜線に出て奥駈道との合流点である。ここで道が明快になっている理由が
分かった。世界遺産に指定されたからか、以前はなかった『大峰奥駈道』と刻まれた立派
な石標が立てられており、トンネル西口を指す矢印がちゃんとついているのだった。

 小休止。お茶は2Lを用意している。セーブせずにガブり。そしてクリームパンで小腹
押さえ。行者還岳まではまだ2.9kmあるということだが、もう標高1400mの稜線
に乗ったので大きな登りはないはず。とはいうものの、のっけからの400m一気登りは
夏バテ気味の体にはきつかったのか、依然としてだる重い。「おい、おい、大丈夫かい?」
我ながら茶々を入れたくなる心境だ。

奥駈道との合流点。「トンネル西口」の札が下がる

 「折角登ったのに下りかい」貯金をはたく様な気持ち。下ったら登らなくちゃいけない。
と、何処からかバイクの音。そう、稜線の下には行者還トンネルが穿たれているのだ。降り
切った小さな鞍部からは1458mピークに向けての登りになる。短いミヤコザサが毛皮の
ように地面を覆うまるで日本庭園のような風景には目を奪われる。トウヒか何かの白骨木。
そこに一筋の奥駈道が延びる。1458mピークは針葉樹が生える小さな突起である。東側
に広がるのは大台ヶ原らしい台地状の山並みである。

涼風吹く奥駈道。ミヤコザサが揺れる

 湿気の含んだ岩がゴロゴロ転がる辺りは記憶がある。その時も咲いていたミゾホオズキ
が黄色い花をつけている。あの時は犬を連れた小父さんがいたっけ。それを抜けると再び
尾根筋に復帰する。実をつけたクサタチバナの群落を掻き分けながら進むと、植生の研究
でもしているのか、ビニール紐で畳一畳分を囲ったような場所がある。それを過ぎた辺り
だったかプーンと何やらガスの臭いが漂ってきた。その正体はバイケイソウである。独特
の生臭いような、プロパンガスのような一度嗅いだら忘れないなんとも形容しがたい匂い
なのだ。ことに1486m標高点付近は凄い。見渡す限りのバイケイソウ。こりゃ、まる
でバイケイソウ畑だねえ。
まるでバイケイソウ畑。ガス臭い匂いが立ち込める

 1486m標高点からはヌタ場の横を通ってまたしばらくは下り。前方にようやく行者
還岳の姿が捉えられるようになる。東西方向から見ると魁偉な姿も、南北から眺めれば少
し平凡な姿である。右手には恐竜の背中に似た凹凸を示す大普賢岳が雲をたなびかせてい
る姿がある。奥駈道はそこを通って吉野まで通じている。まあ凄い距離の修験の道ではあ
る。

行者還岳が見えてくる。ここから見ると普通の山

 11時半過ぎ、小坪谷分岐到着。所謂、天川辻である。昭和初期、高圧鉄塔が建てられ
た時に奉納されたらしい石地蔵があるが、肝腎の高圧鉄塔が撤去されていて、その跡地は
東を展望するには絶好の地になっている。(下の写真) 林道やドライブウェイで出来た
白い崩落の跡が痛々しい限りだ。

高圧鉄塔跡地付近から東。中央に大台ヶ原、左の円錐形の山は和佐又山。右奥に見える鋭い山は何だろう

 行者還岳の方から高低入り混じった法螺貝の音色が聞こえてくる。修験者の一団が歩い
ているらしい。今日最初に遭遇した単独登山者の小父さんがやってきたので聞いてみたら、
もう直ぐこっちへやって来るということだったが、行者還小屋の前に着いてみれば30人
あまりの坊さんの集団が弁当を使っている最中である。チラッと見たところによれば京都
の醍醐寺派の皆さんのようである。とすれば真言宗の方々だ。

行者還小屋と行者還岳

 人が一杯なのでここで休憩するのは諦めて先へ進んで行者還岳へ。山頂の東麓をヘつる
ように進む。途中にある靡の一つらしい岩の奥には金剛蔵王と刻まれた石が祀られている。
修験道の仏、蔵王権現は岩から湧出したと聞くが。この岩、良く見れば女性の秘所に似て
いなくもない。ということは蔵王権現は大地の秘所から生まれたという事になろうか。

行者還岳直下の女性の秘所にも似た靡

 そこからもしばらくは山腹を巻いて、目の前に現れた梯子階段を30mほど登る。足元
に気をつけながら上がった先はミヤコザサの茂る尾根で、奥駈道は更に北の大普賢岳へ向
うのだが、行者還岳へは左に折れて尾根をしばらく辿らねばならない。ふと見た雑木林に
は幹を下に降りてゆく鳥の影がある。幹を下る鳥はこれしかいないということで、鳥の名
は良く判らないが、多分、ゴジュウカラだろう。

 ゆっくりとした登りの行者還岳山頂はシャクナゲに覆われた中央にある。錫丈と三等三
角点が置かれているが、展望は皆無。が、シャクナゲを掻き分け少し南に行けば、傾いだ
山頂の崖の上に出られ、こちらは展望抜群で歩いてきた緑深い稜線が一目で見渡せる。そ
して視界の半分を占めるのは弥山の大きい姿である。(冒頭の画像)下に屋根のみが見え
る行者還小屋付近からは、食事を終わって歩き始めたのか「六根清浄」の唱和する声が響
いてくる。まことに”大峰に来た”を実感するひと時だ。

 南の展望テラスへ行ったり、うろうろしている内に下山方向がはっきりしなくなって、
あらぬ方向へ行きかけてしまった。再度、山頂へ戻って周囲をあらためて見回し、90度
違う方向に赤テープを発見する。(^^; まあ、人間の感覚っていい加減なものだ。登って
きた時に目星をつけていたのだけれど、山頂から少し戻った道外れの、少し開けた感じが
あるシロヤシオの古木の下で食事とする。

 食事でバテはだいぶ解消したけれど、それでももう七曜岳方面に行く気はなく、奥駈道
との出合いで体は自然に右に折れる。梯子の所には水場があるので(行者還小屋泊まりの
時は、ここで水を補給すればいいようだ)手の平で受けて飲む。ああ、甘露、甘露。

 行者還小屋前にはもう誰もおらず、行者還岳の上の青空に白い雲が流れるばかりである。
また高圧鉄塔跡に上がって景色を愉しむ。南東方向に峨々たる鋭い山並みが気になるが、
なんという山なのだろうか。

 快調、快調。といっても平坦な時だけだ。(^^; 少し登りでもあったなら、途端にスピ
ードは鈍る。1458mピークで再び小休止。大台方面を見ながらクリームパン。お茶。
ヘロへロしているが、食べられるだけましかあ。

 14時過ぎ。トンネル西口出合に戻ってきた。ここから下れば最も速く下れるが、折角、
来たのだし、少しは奥駈道を繋いで帰らないと。その時だ。すぐ後で突然、ガサガサと物
音。ギョッと振り向けば、鹿らしい茶色い体と白い尻の毛のシーンのみが網膜に残る。ほ
んの一瞬の出来事であった。前方からまたブオーッと法螺貝の音である。

 そのトンネル西口出合から2分もあれば1472m標高点である。ミヤコザサの茂るだ
だっ広い感じの場所で、昔は何か建物でもあったような雰囲気がある。そこからほとんど
高低差はなく、ササが茂る荒地の中に、出入口の扉もなく荒れた小屋が立つ一ノ垰に出る。
小屋の前に錫杖が置かれてある所を見るとここも靡の一つなのか。奥駈道の重要なエスケ
ープポイントらしく、ナメゴ谷橋まで1時間、トンネル東口の上北山村側までは40分と
ある。上北山村の民宿の稚拙な案内板まであるのが面白い。

一ノ垰の避難小屋。荒れている

 小谷林道への道を左に分けて、奥駈道は笹の中を右に曲っていく。道は南から西に振り
始め、1516m標高点のある尾根筋は通過せずに北側を巻いてゆくようで、高みに登ら
ないでよいので嬉しい限り。再び尾根筋に復帰すると4,50mの緩やかな登りだ。前か
ら人声が降ってくる。エッチラオッチラ、気力を絞って登りつめると見覚えある「奥駈出
合」なのだった。

 木株にどっかり。フーッ。疲れた。おもむろに、ザックを広げ、残ったクリームパンで
レギュラーコーヒータイム。ああ、至福じゃぁ。その間にも続々と弥山方面から登山者が
戻ってくる。行者還岳方面とはえらい違いだ。20分ほども涼風に吹かれた後、多くの弥
山登山者にまぎれてトンネル西口へ向って下山する。ここも油断するとズルリと滑る急勾
配。言わぬこっちゃない。嗚呼!

 左右から沢音が聞こえてきた。岩の横を巡って階段を下り、定番、木橋の架かる沢に降
りて顔を洗う。少し水量は少なくなっていたが、しばらく手を漬けていると手が切れるほ
どの冷たさだ。ついでに「よくぞ男に生まれけり」上半身裸になって、タオルを冷水につ
けて体を拭くと、これがまあ息を吹き返すように気持ちがいい。そんな所へ単独おじさん
が降りてきた。
「オオヤマレンゲ、咲いてましたか?」
弥山から戻ってきたらしい小父さんに声をかける。
「一本だけ咲いてましたよ」
「それはそれは」
咲き遅れたのがあったみたい。さぞかし登った皆さんは満足だったに違いない。

 豊中では体温より高い37℃もあったそうである。暑いはずだ。涼風が吹く尾根上は気
温23℃。へろへろながらも愉しんだ大峰奥駈道。それにしても、バイケイソウの匂いが
いまだに鼻について離れないのでした。ううっ。


【タイムチャート】
6:50自宅発
9:35〜9:45行者還トンネル西口(駐車地)
9:47トンネル西口登山口
10:35〜10:43奥駈道トンネル西口出合
11:031,458m標高点ピーク
11:241,486m標高点ピーク
11:38天川辻
11:42行者還小屋
12:07〜12:15行者還岳(1,546.2m(三等三角点))
12:20〜12:50奥駈道合流点付近(昼食)
13:10行者還小屋
13:351,486m標高点ピーク
13:49〜13:521,458m標高点ピーク
14:10奥駈道トンネル西口出合
14:121,472m標高点
14:15一ノ垰
14:40〜15:00奥駈出合
15:35トンネル西口登山口



 行者還岳
【所在地】奈良県吉野郡天川村
【標高】1546.2m(三等三角点)
【備考】 大普賢岳、弥山、八経ヶ岳と続く大峰山脈の主稜線上に
あり、山頂を巻いて南北に奥駈道が通じています。どこ
から見ても判別できる特異な姿をした鋭峰で、あまりの
険しさに行者も引き返したというのが名前の由来で、山
頂南のテラスに立てば、弥山を始めとする大峰核心部が
一望です。
■関西百名山
【参考】2.5万図『弥山』、エアリアマップ『大峰山脈』



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