湖北春色〜山本山から賤ヶ岳縦走 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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山本山山頂から琵琶湖に浮かぶ竹生島 右は葛篭尾崎、手前は尾上の港 |
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琵琶湖周辺は魅力的な山々が取り巻いている。その中で江若を分かつ山々は支脈を琵琶 湖の東北岸に走らせ、その一つは長々と余呉湖を隔てながら賤ヶ岳から山本山を最後の高 まりとして湖北の野に没していく。呉枯ノ峰から見たその姿はさながら「寝たる姿や山本 山」。聞けばその尾根道を湖北町など近隣の自治体が『湖の辺の道』として整備している という。そこで今回は昔風にいえば3里(12km)を優に越える長丁場(小生にとっては) を縦走。春霞の中、途中の雨が心配されたが幸い降られもせず、ひねもすのたりの琵琶湖 を眺めながら、歴史に彩られた低山を歩くのはなかなかいいものでした。 いつものごとく7時に千里中央を出発して、途中、深草BSに寄ってランナーさんと合 流し、8:35 JR河毛駅前の駐車場に着く。近くの林で鹿が鳴き、人影といえば長政 ・お市像の前で記念写真中の観光客一組だけののどかな駅だけれど、待合室もトイレも新 しく綺麗で気持ちよい。目の前の小谷山のたなびく稜線が優美だ。
のだろう。初老の運転手と話を交わしながら小さなマイクロバスは集落を巡っていく。そ れに連れて前方のもっこりとした山本山が近づいてくる。津里の集落で降りて突き当たり を右に折れると山本山の登山口がある宇賀神社が鎮座する。遊具が置かれた小広場を横切 って登る参道脇には、満開のトキワイカリソウ。幸先いいぞと期待を抱かせるが、咲いて いたのは実はこれだけだった。(^^;
山本山まで0.8km。ヤブツバキの林の中をゆるゆると登る道は若宮山古墳を見る頃、 鞍部で山本からの道を合わせてようやく登り基調となる。枯れた赤松が多くなり、ほとん どは伐採されて整備されているものの、放置された赤茶けた幹や葉を見るとやはり荒涼と した感じがする。 傾斜が増し、つづら折れになった道は辿るに従って背後の視界が開け、学校の校庭では クラブ活動らしい人影が走る。規則正しい碁盤の目の如き田畑が若草色なのは都会近郊で は珍しくなった麦が植えられているのであろう。足元には早くもスミレ類がアメジストを ばら撒いたように花をつけ、プーンと匂うは鈴なりのヒサカキの花。春の里山はこれでな くてはいけません。(^^;
確かに山上は結構広い台地であるが、平安期頃に二の丸や本丸を置いたとは考えにくく、 やはり戦国時代に小谷城を守るべく砦として広げられたのであろう。広場の周囲には土塁 跡が残っていて、二等三角点がその高みに置かれている。そして砦が置かれたのもむべな るかな。その見晴らしは素晴らしく、水鳥公園や尾上の家並の先に広がる琵琶湖の葛篭尾 崎から竹生島にかけての景観は一幅の絵を見るようである。これを見れば、ここが天孫降 臨の舞台であるという説があるのも頷ける。面白かったのは小さな台上に“見当杭”と呼 ばれる一本の角柱が立てられていて、説明には江戸時代の測量基準点に等しいものとあっ たこと。伊能忠敬もやって来てこれを見たのだろうか。(笑)
更に北に向かう。間もなく現れる「馬のけりあと」は単なる石の窪みなのだが、辺りが 古戦場の舞台だっただけに、何だか由緒正しきものと思ってしまうから可笑しい。ほぼ平 坦な道は所々に城の名残らしい空堀跡を越えてまっすぐに延びる。雑木の枝先は芽出しを 控えて薄緑色。目立つ黄色い花はクロモジらしい。相変わらずヒサカキの匂いの中だ。木 々の間からは琵琶湖が顔を出す。 南北に長い山並みだけに峠が多い。熊野越、西野峠、古保利越、山梨子越など。今はト ンネルなのだが、昭和30年代まで片山集落の子供達が東の古保利小学校へ通学するのに 越えていたという熊野越を過ぎると、尾根を利用した数々の前方後円墳が現れる。古保利 古墳群と呼ばれる古墳群だ。尾根の東に物部という集落もあるから、軍事を司った古代の 豪族物部氏に連なる一族の墳墓なのかも...。昔から残る地名はいいものだ。想像の翼 をどんどん羽ばたかせてくれる。 最低鞍部は西野越のCa150mだ。ここからは近江の青の洞門といわれる西野水道に下 る事が出来る(0.6km)。今は新しい水路に役目を譲っているが、懐中電灯や長靴を貸 してもらって探検できるのだとか。その西野越を過ぎると199m標高点ピークでここに も大きな古墳がある。ここを下るとまた峠。阿曽津千軒と西野を結ぶ道が横切り、西野側 は地道である。狭かった尾根はここから広がり、Ca320mへの、標高差でいえば170 mの少しきつい登りはジグザグで、振り返ると山本山へ続くアップダウンが直線状に並ぶ のが目に入る。 Ca320mのジャンクションピークからは高月町と木之本町の町界尾根だ。昼食は赤尾 への分岐を少し北へ過ぎた辺りで。天候の悪化を示すように風が向きを変えて俄かに強ま ったので、その風を避ける場所を探したのだが、雑木が防風林の役目を果たしてくれる。 丁度、クロモジの花の下である。
で展望はないが、山頂を過ぎて北に丸木の階段を降りていくとようやく隠れていた台形型 の賤ヶ岳が姿を現わす。高月町塩津線bQ2の鉄塔の横を抜け、降りた所は山梨子越の峠。 真下をR8の賤ヶ岳トンネルが貫く場所だ。更にここから丸太の階段道を登る。ここも赤 茶けた松や伐採された松が多い。右手に木之本町の町並みが望め、呉枯ノ峰や己高山が青 く霞んでいる。368m標高点を抜けた鞍部にはリフトの山上終点がある。冬季休止中だ とばかり思っていたら営業していて、ちらほら観光客が行き来している。ここは十数年前 に一度、渡岸寺の十一面観音を訪ねるついでに来たことがあるのだが、こんな感じだった かな?記憶が薄れてはっきりしない。琵琶湖を見晴るかすベンチで一息入れる。
無縁仏の小粒の古い五輪塔や歌碑を眺めて、100mほどの坂を上がれば、やっと眺望 絶佳の賤ヶ岳の山頂である。リフト付近と違ってなんとなく見覚えある風景。ことに戦い に疲れた部将の甲を脱いだ像は覚えている。三角点は余呉湖を俯瞰する芝生広場の端にあ る。そこからは行市山から若狭方面の山々や、右手にはこれから辿る大岩山や岩崎山の連 なり。すなわち賤ヶ岳の戦いの舞台の全貌が一目瞭然なのだ。北にわだかまる山々を越え れば、柴田勝家の本拠北ノ庄まではほんの十里足らず。ここで勝利した後、秀吉が一気呵 成に攻めたのも、ここから見晴らせば納得できる。そして南に目を向ければ湖北平野。小 谷山から生憎笠を被っているものの、伊吹山や霊仙山、更には三上山がぽっかり盛り上が る湖東平野も望める好展望。戦況を見るにこれほどのところは無いという感じだ。
ても分かるように、すぐにほとんど傾斜のない杉林の尾根が東北方向に続く。349m標 高点で一之宮橋への道を分けて再び北に向いた道は徐々に高度を下げてゆく。一寸分かり にくい四等三角点『大沢』にタッチして5分も進めば『猿ヶ馬場』。『猿』とは秀吉のあ だ名のことだろう。敗走する柴田勢を追っていた秀吉が、主戦場が余呉湖畔に移ったので、 賤ヶ岳に移るまでここに本陣を置いたという。中川清秀の戦死した大岩山に近いのは弔い 合戦の意味もあったのかもしれない。 猿ヶ馬場からまた5分足らずの首洗池は道から50mほど離れた杉林の中の窪地にあっ て、直径1m位の水溜りだ。あまり綺麗な水ではないが、チョロチョロと細流が沢を下っ ていく所を見ると湧き水らしい。言い伝えによれば賤ヶ岳の麓にある大音の民が、柴田勢 から守るべく中川清秀の首をここで洗って麓へおろしたというが、それほどおどろおどろ した感じはしなかった。 まもなくダート林道に出る。ここら辺り一帯が大岩山らしく、やがて『青嵐大岩山』と 彫られた石とともに右手に登っていく小道があり、広場に立派な石碑と鉄柵に囲まれた宝 筐印塔がある。これが摂津茨木城主中川清秀の墓だ。ここ大岩山に砦を築いている最中、 柴田方の佐久間盛政に攻められ落命したのが賤ヶ岳の合戦の発端。いわば秀吉の天下取り の為に一命を投げ打ったともいえる。立派な墓は百回忌に当たる天和2年に、子孫で、荒 城の月で有名な豊後岡の城主中川久恒が建てたものだ。
小憩の後、大岩山を後にして林道に復帰する。その林道が右にカーブする辺りで、余呉 駅(1.7Km)への道は直進する。植林帯で足元がぬかるんでいるが直ぐに明るくなって、 松林の尾根道に変化する。今にも降り出すかと思われた空も再び明るくなる。暫くすると 余呉湖に降りていく葛篭折れの道との分岐。どちらも余呉駅には1.1kmだというが、完 全縦走する為にはここは直進。だが、ここからが一番大変だった。(爆) 急げば余呉駅 14:36発の列車に間に合うのではないかとなったからだ。その次の列車までは40分 ほど待たねばならず、もぞもぞしはじめる都会人の性。その後はまるでクロスカントリー 顔負けのスピード。時速6kmはあっただろう。お蔭で何処が岩崎山だか分からず仕舞いで、 あっという間に余呉駅が見えてきたのだった。 江土の登山口付近は鐘楼があると思ったら赤い鳥居もあり、等身大の地蔵菩薩らしい石 像が民家の庭先に佇んでいるという、信仰が生活の一部となっている感じがする。そのお 地蔵さんの横をすり抜けて車道に出る。時計を確かめると、列車の時刻にはまだ15分近 くある。これで一安心。振り返れば点々と雪と見まごうタムシバが、赤みを加えた山肌に 純白の彩りを添えている。
えばガラガラ。停車したので待っていても扉が一向に開かない。「レレレ?」そう、乗客 が自らボタンを押して開けるのだった。(^^;; 動き出した電車の車窓からは、歩いてきた 稜線が一目瞭然。さっきまであそこにいたと思うとこれまた感慨無量の面持ちがある。J Rの駅三つ分。我ながらよく歩いたもんだ。 帰りは地酒をゲットしに木之本へ。更にサンインシロカネソウ、バイカオウレンに対面 しようと湖西経由をとる。幸い、今年も機嫌よくそれぞれ顔を見せてくれ、今日を締めく くってくれた。春の湖北路、充実の一日、同行の皆さん、有難うございました。
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