坂越でのんびりグルメハイク
 
平成19年 1月 8日(月)
【天候】晴れ時々曇り
【同行】別掲
茶臼山から宝珠山。奥に点名『高代』の峰


 青春18切符はハイカーにとってもなかなか重宝。遠くへ行けば行くほどJRを安く利
用できるのだが、しかし何といっても心おきなくアルコールを聞し召すことができるのが
一番だ。(笑) 今回はそれを利用してOさん御推奨の赤穂市は坂越まで出張り、海の幸を
堪能しようというグルメオフの企画。焼きガキにアナゴ、海老などなど。当然、アルコー
ル付き。勿論、山歩きもセットです。(^^;

 8時大阪発の新快速に乗れば、播州赤穂の一つ手前の坂越までは2時間足らず。坂越駅
は単線にプラットフォーム一つという変則駅。上りも下りも同じホームなのだ。次が赤穂
駅だからすれ違う必要もないからだろうが、こんな駅を見慣れない我々は少し面食らって
しまった。
JR赤穂線坂越駅。奥が播州赤穂方面

 駅前のロータリーから真っ直ぐ南へ。千種川の流れを渡って、R250を地下道で潜る。
左に折れて街中に入ると坂越小学校だが、校章は古い港に因んで『碇』のマーク。そして
市内の循環バスの愛称は『ゆらのすけ』。へ〜え、面白いねと妙に感心しながら歩を進め
るが、肝腎のコンビニがない。下山して海の幸を食べるのはいいのだが、1時過ぎになり
そうで、おにぎり程度は仕入れておく必要があるのだ。なんだかんだ云っている内に、食
料も仕入れずに『船岡園参道近道』の看板が立つ登山口まで来てしまった。幸い、ニリン
ソウさん夫妻がおにぎりを仕入れてくれていたので、一つ譲ってもらう事にして、幸さん
もお土産の饅頭持参とのこと。それでまあ何とかしのげるでしょう。(笑)。

千種川にかかる坂越橋から茶臼山

 民家の間の路地の階段を登るとすぐに鳥井地蔵堂。欄間には鄙には稀なほど精巧な彫り
が施してあって、左には二股大根に鼠。右にはカボチャが生き生きとしている。そこを過
ぎ、斜面に付けられた狭い生活道を民家の庭先をかすめるようにして進めば、真宗の寺、
妙道寺の大屋根や地酒の酒蔵を見下ろしながら、のどかな瀬戸内の海が眼前に浮かび上が
ってくる。
鳥井地蔵堂の欄間の彫刻。鼠と二股大根
左上は御影石製のお地蔵さん

 間もなく車道に出会い、道標に導かれてゆるゆると登っていく。坂越の町の裏山という
感じの森は温暖な為か常緑樹が多い。ヤマモモやカクレミノ、サザンカなどが枝を伸ばし
ている。やがて大きな右カーブで、左に『妙見寺古道 旧十六坊五庵道』と書かれた道標
に会う。小さな沢沿いの山道だ。山門があって、上の石垣にお稲荷さんの赤い幟が目立つ
辺りが船岡園らしい。どこかからでも歩けそうなので山門からまずは南朝の忠臣、児島高
徳の墓を見に行く。

枯葉の絨毯の東出丸から登る

 金属柵に囲まれた西向きに立つ五輪塔がそれらしい。今時、児島高徳といっても知らぬ
人が大半であろうが、戦前は皇国史観や戦意高揚の材料として知らぬものはなかったほど
だという。近いところではグアム島の横井さんが高徳の故事を口にして話題になったこと
がある。それは隠岐に流される後醍醐帝の宿舎の近くの桜の幹に『天、勾践を空しゅうす
るなかれ 時に范蠡なきにしもあらず』と刻んだとされることだが、高徳の実在を疑問視
する説もあるそうだ。

 さて、高徳の墓から元へ戻ると妙見寺の観音堂があるが、その付近からの生島の眺めは
素晴らしい。ほんにひょっこりひょうたん島そのものである。南向きで暖かいし、ポカポ
カしてくるので防寒具を一枚脱ぐ。
観音堂からまるで「ひょっこりひょうたん島」
に見える生島。左端に御旅所がある

 奥の院を経て更に登っていく。この辺りは宝珠山八十八箇所の参道であちこちに石仏が
置かれている。幾度か車道に寸断されるが、のどかな山道が今も整備されている。登りき
った所が茶臼山で、NHKの坂越TV中継所のTVアンテナが、八十八箇所の第二十九番
国分寺の石仏の前にデーンと鎮座している。ただ、景色は少し降りた広場の番地の辺り、
国旗掲揚棒の横が一番良い。端正な尼子山に悠然と流れる千種川や赤穂市街。カキの養殖
筏が浮かぶ坂越湾から家島群島や瀬戸内海。そしてやはり眼下に生島がぽっこりあるのが
印象的である。東にはこれから向かう宝珠山があって、中腹を登る人の姿も眺められる。

 八十八箇所の参道は間もなく新しい五輪塔が五基並ぶ場所に出る。児嶋高徳の義父和田
備後守の自刃場所なのだという。五輪塔の間隔が微妙に異なっているのが面白い。ここか
ら宝珠山までも石仏の参道で、登り返した潅木に囲まれた宝珠山の山頂には第51番伊予
石手寺の石仏がある。
宝珠山から分岐ピークへ向かう

分岐ピークへの登り。手前が宝珠山
奥は茶臼山で赤穂市街が覗く

 宝珠山から先はウォーキングコースから外れるので細い山道かと思っていたけれど、な
んのなんの、それまでよりも広くなり、地道の林道ほどもある。おりしもサザンカの薄紅
い花が満開だ。気候が温暖な所為でツゲ、ソヨゴ、ヤマモモやウバメカシが多く、やはり
この付近も常緑樹が多い印象を受ける。

 151m標高点を過ぎ、快適道にあっという間に分岐のピークに達する。ここから先は
相生市と赤穂市の境で左に見える独立峰が点名『高代』。予想した通り、関電巡視路が分
岐のピークから延びている。折角なので三角点ハントに寄り道して行こう。

 関電巡視路はやはり快適。しかし、意に反してどんどん下る道。かなりの急傾斜で注意
しないと滑りやすい。やっとやや荒れ気味の最低鞍部に着けば今度は登り返し。こちらは
さっきとはうってかわって高い木がない。駅から眺めて不自然に思ったとおり山火事があ
ったらしい。焦げた立ち木があちこちにある。それでもシダやツル植物に混じってナラ類
の若木が認められ、自然の逞しさが感じられる。振り返れば分岐のピークから緩やかな尾
根筋が望められ気持ちよい。

 もう少しで頂上部へという手前に分岐。関電の巡視路標識は右に折れる。真直ぐの道は
5mも進むと火事で焼け残ったらしいブッシュに消えている。それでも探すと薄い踏み跡
がある。GPSの指す方向に歩きやすい所を選んで進めば、思いがけず切り開きに出た。
関電の標識がある。巡視路に出たのだ。しかし、三角点は巡視路に単純にあるほど甘くは
なかった。そこで巡視路から離れてブッシュの中を探すと、まず、色褪せた赤白棒が倒れ
ているのを発見。2mほど離れてお目当ての、綺麗な三等三角点が見つかる。プレート類
は珍しく皆無である。

 元へ戻らず、出合った巡視路を歩いてみる。この巡視路を利用して分岐のピークの尾根
筋に復帰できないかと考えたわけだが、そうは問屋がなんとやら。直ぐの高圧鉄塔台地に
は相生火力線bTとあったが、肝腎の巡視路は袋小路である。取って返して今度はbSの
立つ台地へ。この付近も山火事の跡で中山連山や播磨アルプスの桶居山などと同じ光景が
広がる。繁茂するのはサルトリイバラとシダ、ノイバラ類。所々に炭化した立ち木のみ。
そんなわけで、bSの台地も袋小路で下へ行く巡視路はなかったけれども、周囲が見渡せ
しかも下に作業道が見えるものだから、近道してここから下山してみるかということにな
る。

山火事の跡を降りる。眼下に道が見え、
楽勝に見えたのだが...

 『敵もさる者、引っかく者』。イバラの抵抗はなかなかのものである。だが、あそこま
であと100mも下ればと未練が湧き、なかなか引き返せない。しかし、最後の降り口が
崖状なのと、燃えなかった部分が激ヤブみたいなので、先行するもぐさんもようやく諦め
がついたようで、撤退した方が良さそうな結論となる。結局、bS鉄塔まで戻り、腹ごし
らえの時間とした。

 青春切符は利用者が揃って帰らねばならない。18時には大阪へという水谷さんが先に
下山していることもあり、ちょっと急がねばならない。ニリンソウさん夫妻にはランチタ
イムを少し焦らせてしまったかも知れないが、15分程度の休憩でbS鉄塔の台地から戻
り、左(西)へ延びるの巡視道を進む。点名『高代』の9合目付近を丁度一周した感じで、
往路の『高代』手前の分岐に戻り、休憩もそこそこに往路を『分岐の峰』へ急いで戻る。
分岐から10分少し。『急がば廻れ』とはこのことだなあ。(^^;

bR鉄塔の峰から山火事跡が痛ましい
点名『高代』。鉄塔付近で昼食

 分岐の峰からは階段道だ。左手にさっきまで難渋していた鉄塔付近が見える。鞍部から
登り返すと左側に分岐道がちょくちょく現れるが、全て石川島播磨重工の造船所の敷地内
に降りる道で通行禁止とある。という事は、あの山火事の山から見えていた道は石播の作
業道だったみたい。『怪我の功名』。突き進まなくて良かった様だ。(^^;

 bR鉄塔の立つ208mピークも展望がよい。歩いてきた宝珠山方向もいい眺めだ。こ
の付近から関電のフェンスが左に現れる。東に相生火力発電所があるのだ。尾根道が広く
刈り込まれているのは、山火事の防火帯だからであろう。関電のフェンスの向こうもササ
が刈り込まれて、その向こうに相生湾や発電所の巨大な煙突もニュッと顔を出す。

縦走路途中から鍋島。カキの養殖筏が
見える坂越湾。遠くは家島諸島

 尾根は緩やかなのは結構だが、なかなか標高が下がらない。右にゆっくりカーブしなが
らまだまだ続く。それでも小さなピークを登り切ると、一気の下り。「さこし船岡を良く
する会」が設置した道標が下を指している小さな鞍部に出る。ようやく尾根から下る所に
行き着いたらしい。(笑)

 ところで尾根の先に小さな高みがあって、どうもそこに四等三角点『小島』があるらし
い。おりよく関電のフェンスにそこだけ扉がある。針金でくくってあるだけなので、外し
て中に入らせてもらう。ササが刈ってあってすこぶる歩きよい。あっという間に高みに行
き着いたが、まさか人間が来るとは思っていなかったらしく、一頭の大きな鹿が慌てて逃
げていく後姿がある。鹿に代わって高みの主となり、あちこち探す内に、ササの刈り取り
際に半分欠けてしまった悲惨?な三角点が見つける。展望も無いので三角点にタッチし、
証拠写真を撮った後は皆さんの後を追うべく、早々に来た道を戻る。

 『みかんのへた古墳』なる面白い名の古墳との分岐を過ぎ、薄暗い竹やぶを抜けると、
何処からか話し声が聞こえてくる。先に下りたメンバだろうかと思えば、地元の方が道標
を取り付けている最中なのだった。挨拶して更に降りていくと、民家の間の狭い路地にな
って、洗濯物を干した横を海岸沿いの車道に飛び出した。『小島〜坂越遊歩道入口』の標
識がなければとてもと取付きとは分からないだろう。(笑)

民家の路地の間に入口が

 目の前はお椀の様な小島。細川幽斉が歌に詠んだといういわれのある鍋島で、これが小
島という地名の起こりかな?防波堤沿いに車道を歩いて間もなく先行メンバーに追いつく。
タイミングよく、再会場所の海の駅『しおさい市場』の手前である。

 客でごった返す場内に入ると、なんとOさんが車で駆けつけて、水谷さんと順番取りを
してくれていて、お蔭でスムーズに焼きガキを口に。プリプリとして口いっぱいに海の香
りが広がったのだった。

 海風が海の駅で少々アルコールを入れて火照った頬に心地よい。ひょっこりひょうたん
島に良く似た生島は岸からほんの50m位の近さだ。大避神社のお旅所という小さな建物
が建つ背後は、鬱蒼とした照葉樹林である。そこには秦河勝の墓所があるというが定かで
はない。その向こうは坂越湾で、遠く小豆島らしい島影が霞んでいる。ブラブラ酔い覚ま
しがてら歩いて、大避神社の参道前から地酒忠臣蔵を売る酒屋に寄り、T字路を曲って石
畳の目抜き道へと入る。両側は家並みを保存しているらしく、古い家々が続く。豪壮な奥
藤酒造の建物やその隣のこれまた立派な真宗の寺妙道寺を見ると、昔の栄華、賑わいが髣
髴としてくるようだ。昔、木戸門があった場所には石標が立ち、「右大阪、左城下」と刻
まれているのにも歴史が感じられる。今日は時間が無いけれどももっとじっくりと散策し
てみたい。そんな思いにさせる町並みである。

 木戸跡からOさんの車で駅まで送ってもらう。草津行の新快速の時刻まで30分。その
間、駅舎でコーヒーブレーク。Oさん、ご配慮有難うございました。

 坂越の駅の駅員さんは珍しく妙齢の女性。18切符に押印してもらうもぐさんも、なん
となく嬉しそうである。やがてやってきた電車。ひとしきり今日の反省会?をした後、静
かになったと思ったら、皆さん、舟を漕いでいたのでした。今日も無事グルメオフは終了。
みなさん、今年も元気でいきましょう。



■同行 呉春さん、幸さん、ニリンソウさん夫妻、水谷さん、もぐさん(五十音順)

【タイムチャート】
7:10自宅発
7:55JR新大阪駅発
9:40〜9:50JR坂越駅(赤穂線)
10:10鳥井の地蔵堂
10:36妙見寺奥の院
10:49〜10:55茶臼山(Ca160m)
11:10〜11:12宝珠山(182m)
11:30分岐の峰(Ca240m)
11:46〜11:50関電巡視道分岐(bS)
11:56〜11:58点名『高代』(280.3m 三等三角点)
12:05高圧鉄塔(相生火力線bT)
12:10〜12:35高圧鉄塔(相生火力線bS)から下山敗退(昼食)
12:42関電巡視道分岐(bS)
12:53分岐の峰(Ca240m)
13:10高圧鉄塔(相生火力線bR)の峰(203m)
13:24四等三角点『小島』分岐
13:30点名『小島』(118.4m 四等三角点)
13:33四等三角点『小島』分岐
13:39小島登山口




宝珠山のデータ
【所在地】兵庫県赤穂市・相生市
【標高】182m
【備考】 赤穂市坂越の集落の北に位置する里山で、妙見寺観音堂
四国八十八箇所の石仏が散在しており、西隣の茶臼山か
らの瀬戸内海の眺めは素晴らしく一見に値します。妙見
寺観音堂には南朝の忠臣児島高徳の墓所があり、船岡園
として大正の初めに整備されました。坂越の東の小島登
山口まで足を伸ばすと海を見ながらの縦走が楽しめます。
【参考】
2.5万図『相生』


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