635mピークから眺めるパノラマ画像 |
天増川集落から轆轤山・三十三間山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所属する山のサークルも今度のオフで大小織り交ぜて100回目だという。その記念す べきオフは、公募の結果、江若国境は近年整備が進んだ三十三間山南尾根を辿るコースに 決定。雨の北尾根は以前歩いた経験があるが、今回の南尾根はそれ以上の大展望コース。 梅雨空には最後までやきもきさせられたけれど、幸運にも大した雨にも降られず、予想通 り素晴らしいコースを堪能できた。以下、山行記で紹介してみたい。 今回のコースは天増川集落から稜線に上がって徐々に高度を稼ぎながら、轆轤山を経由 して倉見分岐に出たら三十三間山をピストン。風神を見て倉見登山口へ下るというもの。 取付きの天増川の集落は幹線道路のR303から少し引っ込んで、天増川沿いに林道を少 し遡った所にある。地図を眺めると寺院も神社もあるちょっとした集落だ。例によって千 里中央駅近くのコンビニに6:15集合。湖西道路真野IC近くのセブンイレブンで、京 滋組と落ち合って、朽木経由で天増川に向かう。朽木ではよく時雨れることがあるけれど も今回もご他聞に漏れず小雨。それも寒風トンネルを越えると上がってやや明るくなった 空。この時期だ。雨さえ降らねばいいとしよう。
R303から林道に入り、天増川を渡って数軒の民家の前を少し進むと無断通行禁止の ゲートがあり、その手前に数台駐車できる広場がある。丁度、お寺の石垣の前である。下 山先の若狭町倉見へ車をデポするさかじんさんともぐさんを待つ間にぶらついてみる。観 音峯山でみたジキタリスやクサノオウが咲く坂道を登ってすぐ上に見える寺へ行ってみる。 寺は浄土真宗らしい。集落に活気があった往時が偲べるなかなか立派な建物だが、今は無 住のようで、庫裏と見える建物は集落の集会所にでもなっている風情である。建物の裏に あるのは昔の住職の墓でもあろうか。とって返して少し道路を辿る。軒先に鹿とイノシシ の頭蓋骨が無造作に置かれ、山の生活が一端を感じることが出来る。が、集落には人影も 見えず、梁が落ちた廃屋も目立つ。鎖に繋がれた犬も物憂く目をこちらに向けるだけ。こ れより上流にあった集落はすべて廃村になっており、ここもこの先存続するには少し深刻 に見えた。そうこうする内にさかじんさんともぐさんが戻ってきた。往復40分。山すそ をぐるりと回ると、やはりかなりの距離があるようである。
節約する為にしばらく林道を北上してから取り付くことにし、鎖のゲートを跨いで、夜来 の雨でじっとり湿った林道を天増川の上流に向かって遡る。右手を大きな音を立てて流れ る天増川は滋賀県で琵琶湖に流れ込まない二河川の内の一つで、寒風川と合流し北川とな って日本海に注ぐ川。来る時に越えた水坂峠が中央分水嶺になっているのだ。なかなか水 量が豊富で、釣り客にも知られた川なのだという。
数百mも歩いただろうか。左手斜面の杉の植林下に赤テープが現れた。標識などは一切 ないので見落とすかもしれない。本来取り付こうとした地形図の156m標高点付近の少 し手前だが、これでよかろう、かまわずよく手入れされた杉林を登って行くと斜面に平行 な明快な杣道に出た。更に進むと地形図で予想されたことだが支尾根の劇登りになる。落 葉樹に混じって照葉樹も多いのでやや暗い。道は杉林を縦横に歩かれるのを嫌ったのか、 植林と雑木林の境目に新たに付けられたらしく、古い道にはない直登で、その為に斜度は 半端ではなく、立ち木にトラロープが張られている。しかも斜面の土はよく滑る。標高差 は200m程度であるが、多湿、無風とあいまって、あっという間に汗だく。これは暑く なるぞ、もっと水を用意すべきだったと臍を噛む。しゃあない。ラーメン用の水を廻すこ とにするかあ。
れ、まもなく江若国境の稜線上に出られることが分かる。汗を拭いながら稜線に出れば風 が...とそれを励みに登るが登った先でもほとんど風は無し。だが、湿度は高いが気温 が案外低いようで、じっとしているとやや寒いくらいになる。稜線に出た所は384m標 高点の南、凡そ200m付近で、Ca360mの小ピーク。10分もするとその384m標 高点を通過する。 ゆっくりとうねりながら徐々に高度を上げていく稜線には先行テープがあって、道も意 外やことのほか明快で迷う心配も無い。ハウチワカエデの群落や、コナラ、ミズナラの雑 木林は、鹿や熊、イノシシ、木地師の活躍する場であったろう。但し、広い台地状の部分 では、ガスが出ると判り難いかもしれない。そんな平坦な尾根は401m付近からややき つい登りになって、東南から来る支尾根と合する付近はしばらく厳しい。ここにも天増川 林道から上がってくる踏み跡があるようである。が地形図で確かめればかなりの劇登りみ たいで、このコースはちょっと遠慮したい。(笑) 右(東)に大きく屈曲する付近に来る。この付近には近くまで倉見峠から林道が上がっ てきており、福井県側の杉林の中へは、そこへ導くらしいテープがついている。植生も少 しずつ変わり始め、マツカゼソウがそよぐ、低木ばかりの荒地の様な箇所が増えてくる。 右手には635mピークらしい高みが現れる。 ヤマボウシが多い。その白いガクがひらひらと風になびく。そして低いブッシュを抜け ると、ポッカリと高い木がほとんどなくなった。草原にけものみち。鹿の糞がバラバラ。 周囲は大パノラマ(冒頭の写真)。なんでこんな喬木もない風景になったのか?一説に拠 ればここが季節風の通り道で、強風が関が原へと通り抜けていく為に大きな木が育たない のだという。所謂、風衝草原。確かに山頂や風上側には人間の腰ほどの高さも無いツゲや ヤマツツジが生えるのみ。それも風下側にかしいでいる。至る所には鹿の糞が散乱してい る。何処でも歩けそうだが、やっぱり付けられた踏み跡の方が歩きやすいとさかじんさん。 ツゲなど丈の低い木でも、あれば歩き難いものだ。鹿も同じと見え、足跡を残している。 一筋の道を忠実に辿って前方に大きく柔らかくうねる轆轤山に向かう。右手はるか下の 天増川の谷からは沢音が上がってくる。今のところ雨や雷のの心配もなさそうで、ゆっく りと至福の感触を確めながら登っていく。
轆轤山はこの辺りの最高峰でもないが、山頂にヤマツツジの赤い花が目立つ大きな露岩 があって、一寸目立つ存在だ。その岩の傍に転がる木柱には「轆轤山、三角点『大石谷』 今津山上会」とある。その面白い名前はやはり木地師に関連するのだろう。実際の四等三 角点は岩からやや離れた場所にある。この轆轤山からはさっきの635m山より更に大展 望が広がる。西に三方五湖。更に西には小浜湾。蒼島らしい島影は竹生島に似て、それが あたかも琵琶湖のように錯覚される。予定下山地の倉見の集落に若狭カントリークラブ。 嶺南牧場。碁盤の目のような水田。まるで鳥になった気分だ。西を見れば天増川の深い谷 を隔てて、ガスを被る湖北武奈嶽や三重嶽の山脚が大きい。北にはこれから行く三十三間 山までの草原の稜線に踏み跡が続いている。この風景はここから東に位置する大谷山にも、 遠く台高の三津河落山の風景にも似ている。うーん、ダイナミック。今までの疲れが吹き 飛ぶようだ。 我々以外には誰もいないので山頂は占領状態。その露岩に陣取ってガスが湧き、ガスが 流れるのを眺めながらの贅沢な昼食だ。少しビールをお裾分け頂いたり、プチトマトを頂 いたり。山の食事はまことに美味い。
00m、約2kmの行程には草原の記号が記されている。その至る所にヤマボウシの群落が あって、今は盛りと花をつけている。そのヤマボウシの樹林の中に池塘がある。霊仙山で は同じような池が水乞いの池になっていたが、ここはどうなのだろう。 尾根道をガスが急速に動く。視界が閉ざされたり、開けたりを繰り返す。そんな中、ゆ ったりしたアップダウンを進むと、遠くに見えていた三十三間山もすぐ間近になってくる。 風衝草原が一段落して低い木々の間を行くようになると倉見分岐は近い。その倉見分岐で 一休み。ここからは三十三間山へピストンだ。単独のお姉さんが降りてきた。今日初めて 出会う登山者。上に誰かいる?と尋ねると小父さんが一人上がっていったとのことである。 ゆっくりとした傾斜のある潅木の繁みを抜けると、ここも背の低い笹と草原が広がる。 やはり周囲が一望。前方はガスが流れる三十三間山本峰と南峰である。ようやく樹林帯が 現れ、ここにはブナもある。最後の登りを喘ぎ、少し高度を稼ぐと、まもなく傾斜も緩ん で樹林の中のぽっかり明いた見覚えある空間に、木柱と三等三角点がある。さっきお姉さ んが言っていた人だろう、単独小父さんがラーメンを美味そうに啜っている。ジモティの 小父さんらしい。休んでいると何処から登ってきたかと尋ねてきた。天増川の集落からだ と返すと、すかさず時間はとの問い。食事を入れて4時間くらいだろうの答えにふんふん 頷いていた。 15分ほど憩って引き返す。ついでに南峰はどんな感じだろうと薄い踏み跡に踏み込ん でみる。本峰からは200m位。明快な踏み跡が途中から現れすぐに消える。雪が多いか らだろう樹木は撓んで伸び、株立ちの大きなブナがある。下れば天増川林道に出るらしい が、黄色いテープが一つだけ見つかったのみで、他にはテープは見つからなかった。初心 者は踏み込まない方が無難なようである。
さっきから叫び声が聞こえていたけれど、大学生のピクニックパーティの声だったよう だ。草原の稜線付近にワイワイ愉しげに10人位の若者が集まっている。その内の一人に 集合写真のシャッターを頼んだら、こちらも頼まれた。(笑)
る割りにあまり体には当たらない。再び潅木の繁みに入るとその雨もほとんど当たらない。 倉見分岐のすぐ下には『風神』の石碑がある。『風神』がここに祀られたのも木も育た ぬ風の強さと無関係ではあるまい。天保三年霜月建立の銘がある。別の面には『国家安全 悪風退散衆病悉除如意吉祥』。病が流行らぬようにとの祈りが刻まれている。天保三年と いえば天保大飢饉の前年。それまでも不順な気候が続いていて、流行り病も多かったのだ ろう。ここまで担ぎ上げてくるのも大変だったろうが、それだけ庶民の切実な願いが込め られているように思えるのだ。
風神をあとに急坂を下りる。緑濃いブナやミズナラの森なのだが、滑らぬようにとあん まり周囲を見渡す余裕がない。それでもガスがたゆたう中に日が射し始めて、いい雰囲気 なのが分かる。『夫婦松』の展望台まで降りてきて、だんだん初めて来た時のことを思い 出してくる。枯れた松。あの時も天候が芳しくなく、やっとここで初めて三方五湖が眺め られたのだった。うむ。うむ。(笑) 山腹から谷へ、良く手入れされた大きな杉林をジグザグに降りていくと、次第に水音が 高くなり、『最後の水場』と標識にある渡渉地点に出る。パイプからは水は出ておらず、 沢水を飲むのはどうかなと思え、顔を洗うにとどめる。 三十三間山まで3kmの標識地点。林道と落ち合うと、後はポクポクと杉林を歩くのみ。 山ノ神か何かを祀る祠への橋を右に過ごして、前方が明るくなれば倉見の集落は近い。杉 林を出て5分もかからずに水洗トイレもある駐車場に出る。我々意外に車はなく、山上の 若者達は何処から上がってきたのだろう?どうでもいいけど、また雨が降ってきた。 今日も無事に終わった100回記念の江若尾根オフ。また一つお気に入りが増えた。天 増川集落に戻ると、畑の手入れに勤しむご夫婦がいる。川音以外は聞こえない相変わらず 静かな集落でした。同行の皆さんに感謝。とりわけセッティングして頂いたリーダーのひ ろぴぃさんに感謝です。 ■同行: さかじんさん、たらちゃん、ひろぴぃさん、水谷さん、もぐさん
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