小塩山・大暑山〜風光る
              お手軽ピークハント
 
平成19年 5月 4日(金)
【天候】晴れ
【同行】単独
田植え前の外畑付近から小塩山。左に見える
無線施設の右に淳和天皇陵付近の杉林が見える


 今日もいい天気。何処へ行くというあてもなしではちと勿体無い。それではとお手軽ピ
ークハントへ向かうことにしよう。行き先はなぜか取りこぼしていた小塩山と大暑山。ポ
ンポン山から北側に根を張っている山だ。

 例によってのんびりと一寸遅めの出発。みんな遠出をしたのか近場はスイスイと走れる。
途中で食料を仕入れて、1時間半ほどで大原野森林公園近くにやってくる。もう暑いくら
いの陽気だ。木々は青みを増し、幹元にはもう赤いヤマツツジが咲いている。

大原野森林公園向かいの小塩山取付き

 ポンポン山の北の登り口、大原野森林公園の入口の前に関電の巡視路入口がある。これ
が小塩山の取付き。お馴染みの火の用心標識に小塩山と丁寧にマジック書きもある。沢を
ユサユサ揺れる丸木橋で渡って左に折れ、桧の植林下を登っていく。この尾根への取り付
きが一番傾斜の厳しい所。といっても大したことなく直ぐに収まって、あとは雑木に囲ま
れた感じのよい山道になる。巡視道なので至って整備された道で安心。但し、一箇所だけ
ガレて西側が崩落して狭くなった箇所がある。しかもアンテナを戴いた黒柄岳や、木々が
伐採されてモヒカン刈みたいな湯谷ヶ岳等が好展望なので、見とれて足元に注意だ。そこ
から間もなく、最初の高圧鉄塔、西京都線bUの台地に着く。南が開けてポンポン山が指
呼である。汗をかいた額に皐月の風が心地いい。ウグイスが直ぐ側で笹鳴きしている。

 まもなく現れる巡視路の分岐は左へ。山腹に水平につけられた道はついで右にUターン
して次の尾根に乗り、雑木のトンネルを抜け出れば西京都線bTの高圧鉄塔の下で、今度
はポンポン山も西京都変電所もよく見える。変電所は上から見れば高圧線が入り組んで宇
宙基地みたいで面白い。そしてまた潅木帯を潜り抜けると、派手な赤白鉄塔(北河内線
4)が現れる。ここから見る愛宕山はなかなかいい。さらに捩れた木の多い潅木帯に突入
すると、左下からやってきた外畑(とのはた)からの道と合流する。このあたりはもうほ
とんど傾斜はなく楽なものだ。

 マツタケ山を表すのか無粋なPPテープが左手に続きだすと、いつの間にか古い杉林が
左手前方に現れている。神社か?そうだ、小塩山には天皇陵があったはず。五十三代淳和
天皇陵だ。という事はもう山頂に近い?左手上方を見れば石の鳥居と石垣が見える。登っ
ていく踏み跡があったので辿ればそこは天皇陵の周回路だ。

淳和天皇陵。この裏手が
648m標高点となっているが...

 小塩山には三角点は置かれていないが、地形図をみればこの辺りに648mの標高点が
あるはず。そこで周回路をグルッと廻てみたものの、それらしいプレート類も見当たらな
い。まさか陵墓の石垣(高さ1.5m位か)を乗り越えて登るわけにも行かず、まあこの辺
りだろうと納得することにした。(笑) なお、現在の円墳は幕末に完成したもので、それ
まではこじんまりした塚みたいなものだったという。

 一周して陵墓参道の石畳を行くと閉じられた小屋がある。宮内庁の管理小屋らしい。そ
こに張られた紙で『陵印』というものがあることを初めて知る。三十三箇所の集印みたい
なものだろうか。因みに淳和天皇は桓武天皇の御子で、崩御後、火葬にされ、陵は正式に
は『大原野西嶺上陵』という。通常、天皇陵は南面するものだが、珍しく東方向、即ち京
都市街を向いている。陵のある西山は京から見れば西方。夕日が沈む場所。つまり死を意
味する場所だ。なんだか大津皇子の二上山と相通ずるものがありそうに感じたけれども、
物の本によればそんな悲劇はなさそう。ただ、立太子した実子が政争に巻き込まれること
を痛く心配していたとか。死んでも御所を見守っていたかったに違いない。

 さて、淳和天皇陵の裏手はカタクリの群生地だそうだ。至る所に保護団体の注意書きが
張ってあって、シーズン中は一方通行にまでなるらしい。もうこんな低山ではカタクリの
花は無かろうが、話の種に寄ってみると、綺麗に整備され斜面にロープが張られている。
注意しながら歩くと、カタクリの特徴ある一枚葉がチラホラと落ち葉に混じって見られる。
ギフチョウも見られるのだというが、心無い人の採集を免れて、末永く残ってもらいたい
ものである。

 そろそろ元に戻って次の目的地、大暑山へ向かわねばならない。地図を見ながらとりあ
えず電波塔の取付け車道を進んでみる。国交省小塩山国道工事事務所無線中継所やドコモ
の中継所の前をくねくねと歩く。後から考えれば金蔵寺や南春日町へという道標に従えば
ショートカットできたのだが、急ぐ旅でもなし、往路はとりあえず確実な方法を採用。(^^;
その余禄かもしれないが、京都市街が一望できる所もある。但し霞んでいたのが玉に瑕。
そうして20分近く歩いて地図に記載された最後の無線中継所。茶色に塗られていて、何
処の施設か分からず標識も無い建物。秘密めいた施設だ。それを右に見て、道が右にカー
ブすると、大原野市有林の看板と共に左に入っていく道がある。大暑山へはこれだと当た
りをつける。(カーブの手前に支尾根を登る踏み跡があるがこれは違うらしい。)「赤外
線監視装置作動中」なる物々しい私製看板も立っていてなんだか気持ちのいいものではな
いが、そのまま登って行くと、Uターンしながら別荘風の建物の横に出る。これがまた何
だか異様な感じの家で、周囲を電柵で囲ってある物々しさなのだ。番犬でも出てきたら嫌
だなと思いつつ通過。門にはやはり某政治団体の研修所の表札がある。

大暑山(大枝山)の取付き。手前は車道

 林道位の幅広道だ。随分と古い廃車が放置されている。更に進んだ所で関電の火の用心
標識がある。良く整備されていると思ったらやはりこれも巡視路だったのだ。ここで道は
二つに分かれるが、地形図を見て笹の中の右手の道を選ぶ。

 山際をヘつる様な道は右に折れて行き、前方には平坦な台地状の雑木林の中に高圧鉄塔
と松に囲まれた高みが見えてくる。あれが山頂らしい。一旦、少し下って登り返せば西山
団地から上がってきた道と合し、左手の松に囲まれた小広場に三等三角点がひっそりとあ
る。
若葉の萌える大暑山が見えてきた

大暑山(大枝山)の三角点
左の看板にマジック書き

 営林署か何かの注意看板に大暑山とマジック書きされただけの至ってシンプルな場所で、
山頂らしくない場所ではある。見通しもないから人気もないのだろうなあ。(笑)まあそ
れでも三角点フェチの小生は、標石の頭にタッチして満足。すると急に腹が減ってきた。
気がつけばもう12時半も廻っているのだった。というわけで鉄塔(西京都向日町線bW)
の下で小鳥の声と松籟をご馳走に食事とした。カップ麺を作る間にもワンワンと羽虫みた
いなのが顔の周りを鬱陶しく飛び回る。やあ、もうそんな季節だ。

 帰路はショートカットで小塩山に向かう。くだんの茶色の電波施設近くに山頂方向を示
す道標がある。それに従ってぐいぐい高みを目指す。左右の小さな木にこれまた可愛い絵
馬がぶら下がっている。いずれも自然を大切にすべしの意が込めてあるようだ。

 この付近にもロープが張られた箇所があり、カタクリの群生地のようである。それを抜
けて行き着いた先はドコモの中継所の横。大原野への道がある淳和天皇陵の参道口はそこ
からすぐで、かなりショートカットできたみたい。(^^)

 後は大原野へのんびり降りるのみ。登山口へ戻ってみると、まだ、数台の車が路肩に止
まっている。ポンポン山方面を散策しているのか。森林公園の事務所の方を眺めていると、
金属音が響く。「ジャジャーン!」。異様な音の方向を見れば、ししおどしの代わりに、
ドラムのシンバルが鳴ったのだった。

 シーズンが終わって静かさが戻った小塩山。出遭ったハイカーは数組のみ。勿論、大暑
山では誰にも会わず。至って静かなピークハント。三時前、お茶を飲み干し帰路に着く。
 
咲いていたシュンラン



【タイムチャート】
9:30自宅発
10:55〜11:05大原野森林公園前(駐車地)
11:10小塩山大原野登山口
11:30〜11:31高圧鉄塔(西京都線bU)
11:40高圧鉄塔(西京都線bT)
11:42高圧鉄塔(赤白)(北河内線bS)
11:45外畑(とのはた)分岐
11:52〜11:56小塩山(642m(淳和天皇陵))
11:58〜12:10カタクリ斜面
12:30大暑山取付き
12:45〜12:47大暑山(567.9m 三等三角点)
12:48〜13:25高圧鉄塔(西京都向日町線bW(昼食))
13:40大暑山取付き
13:47淳和天皇陵横
14:57高圧鉄塔(赤白)(北河内線bS)
14:25小塩山大原野登山口


 小塩山のデータ
【所在地】京都市西京区
【標高】642m
【備考】 京都西山の主峰です。京都側から見ると西山には珍しく
独立峰に見えますが三角点はありません。山頂に多くの
アンテナ施設が林立しているので直ぐに判別できます。
東側(京都側)に金蔵寺などの古刹を擁すると同時に、
山頂付近には淳和天皇陵があり、またカタクリの群落が
あることでも有名です。
 大暑山(大枝山)のデータ
【所在地】京都市西京区
【標高】567.9m(三等三角点 点名『大原野』)
【備考】 小塩山の北にあります。大枝山とも呼びますがこの付近
一帯の総称だったようで、大江町にある大江山と紛らわ
しいことから、明治初期に大枝(おおえ)山と呼ぶよう
になったとのことです。尚、大暑山はエアリアマップの
著者が命名した名前ですが、地図のお蔭で今ではこちら
が一般的になっています。
【参考】
2.5万図『京都西南部』




   トップページに戻る

inserted by FC2 system