金毘羅山から翠黛山〜初冬の大原を往く

戸谷バス停から時雨雲被る金毘羅山を望む
虹が懸かっているのが判るだろうか?
平成19年12月 9日(日)
【天候】晴れ
【同行】別掲


 ブラブラと山を歩き出してほぼ10年。その間、北摂の低山から何のポリシー?も無く
あちこちと徐々に触手を伸ばし始めて今日に至っているわけであるが、考えてみるとあま
り足跡を残していない山域というものがあるものだ。狭義でいう北山がその例である。川
端康成の古都ではないけれど、北山の名前から何となく杉林の人工林を思い浮かべてしま
うのだ。そのおかげで北山を訪れたのはなんと今年5月の天ヶ岳が初めてだった。今回も
その時にお世話になったAさんのオフのお誘いに乗ったもの。電車で行く山も久しぶりだ。

 前回5月の天ヶ岳と同様に、京都市地下鉄の国際会館前駅のバスターミナルで集合。や
っぱり上出石行きのバスを待つ。国際会館駅の改札からはザックを背負った中高年が沢山
吐き出されたが、何処へいったのかバス停前には20人くらいの列があるだけ。そういえ
ば東山36峰巡りなる山歩きの会があったようなので、そちらに向かう人が大方だったの
だろうか。

 大原行きの臨時バスが出たが、乗ったのは我々を入れて10人位だ。後の人は上出石ま
で行くらしい。それにしても5月の連休とは較ぶべくもなく、紅葉の季節もほぼ終わりに
近くなって、寒くなってくるとマニアックな人以外は敬遠するらしい。ゆったりと空いた
バスは高野川沿いにR367を北に上がって行く。

 やはり12月ともなれば京都は冬型独特の気候である。北の山に近づくに従って、陰鬱
な色をした雲がかかり、地面が濡れている所を見ると時雨れたみたい。バスもワイパーを
時折動かして、大原手前の戸谷のバス停で降りた時も霧雨のような雨である。その時だ。
薄日が射して土産屋の駐車場から眺めると山の端に綺麗な虹がかかっている。

 虹にそう見惚れてばかりもいられない。さて、取り付きはと。その虹のかかる北西方向
の露岩が目立つ山が金毘羅山だろう。ということはその左、山と山が重なる辺りが江文峠
に違いない。で、とりあえずそちらに向かうことにした。土産屋の駐車場の北側に道らし
きものがあったので辿ってみれば、造成地というか作業地というか荒地への作業道だった
らしく、道はその荒地で消えてしまう。でも荒地の向こう側に犬を散歩させている小父さ
んの姿があり、集落の生活道が荒地の横を抜けている。

 橋を渡るとすぐに京都一周トレイルの道標が見つかり、後はそれが導いてくれる。モズ
が電線に止まって甲高い声で啼いている。小さな流れに沿って進むと江文神社のものだろ
うか古びた木の鳥居があって、御旅所のような建物もある。その向こうは府道で、江文神
社前バス停横の参道脇に立つ道標には、神社まで0.8kmとある。しばらくは杉林の中の
舗装路だ。すぐに東海自然歩道の道標のあるY字路に出る。荒れた作業場前だ。折角なの
で直進して江文神社に寄っていこう。

 江文神社は境内はこじんまりとしているものの、立派な神社で大原一帯八ヶ村の郷社と
いう。ただ、さっきの荒れた感じの作業場が神寂びた雰囲気を壊しているのが残念だ。境
内から奥へ延びる林道風の道は岩登りのゲレンデに通じるのか、転落事故注意の看板があ
った。

 鞍馬へ抜けることが出来る江文峠へは一旦引き返して作業場前のY字路を西に向かう。
細流を渡ると古い山道だ。洗掘された道は時雨の為か湿っている。時折、左手の高みを自
動車が通る。いつの間にか府道がすぐ傍を走っているのだった。と思うまもなく山道は府
道と合して江文峠に出る。バス停があるが時刻表は真っ白。すなわち1日の内にバスはほ
とんど走らないということだ。(笑)(家で調べると季節運行らしく、この時期は運休中。)
峠は金比羅神社の参道や鳥居もあって、昔なら茶店の一軒も建っていようというものだが、
車道が出来て今は全く風情がなく、お決まりの石仏も無い。こうして一つ一つ風情が消え
ていくのもいささか寂しいものがある。

江文峠

 石の鳥居をくぐって杉林から落ち葉の積もる金毘羅社の参道の自然石の階段道を進む。
右手は涸れた小さな沢である。ヒサカキが多く茂る中、ようやく角度を増した斜面を左か
ら沢を横切って右に山腹を辿れば南向きのやや広やかな台地に出る。石が積まれており、
建物でも建っていたらしい痕跡に、案の定、江文寺跡の石碑を見つける。昔は江文神社と
合祀され毘沙門天が祀られた寺だ。余談だが毘沙門天といえば京都の北側に多いような気
がする。鞍馬寺にも毘沙門天が祀られているのは、都から鬼門の方角に当たる為らしい。

 江文寺跡を出るとすぐに右から江文神社からの道と合する。しっかりした道をむつみ地
蔵前から100mも行けば琴平新宮社である。色褪せたヤマモミジが散り敷いた境内。二
週間も前に来れば赤や黄に染まって文字通り錦繍だったのではないか。建物の奥の人の気
配は信者の方らしい。神前に座って熱心に祈念されている様子。蝋燭はこの信者の方が点
したのか。邪魔せぬように我々は右側の坂道を辿る。

色褪せた紅葉散り敷く琴平新宮社

 ようやく山道らしくなる。露岩が多い。ジグザグに刻んでいくとまもなく尾根に出る。
ここには岩のゲレンデからの道が合わさってきていて、折角だからとゲレンデを見に行こ
うとそちらへ向かったけれど、尾根はどんどん下り始める。登り返すのも嫌なので途中で
諦め合流点の岩場に戻る。「相変わらずの軟弱者と嗤って下され。各々方」。

 小休止。Aさんから林檎を戴く。硬めの果肉は甘酸っぱく美味い。

 日本庭園風の岩がちの尾根からは大原の里も見通せなかなかの景色。左右にある巻き道
を過ごして真ん中の高みを登ると、石柱に囲まれた三壺大神の祠である。金比羅山のは最
高峰はここらしいが、三角点は150mほど西の峰。早速向かうことにしよう。それにし
ても、海も無いのに京都には金毘羅神崇める風習でもあるのだろうか。亀岡の牛松山にも
山上に金毘羅神社がある。

 さて、三角点峰までは小さな吊り尾根風な箇所もあり岩の埋もれた楽しい道だ。途中に
ある展望岩にはハングルに似た文字が刻まれた石柱がある。でもよく見るとハングルとは
似て非なる文字だ。神代文字の一種だというが、どちらかといえば西洋風な感じもする。
しかもコンクリート製。何だか胡散臭いなあ。 (^^; (これは阿比留文字といわれるもの
らしく、「アメノミナカオヌシオカミ」と書かれてあるそうだ。途中の石碑にあった「天
之御中主之命」のことで、岩は古代の磐境でもあったのだろう)しかし、ここから南方向
の展望は一級品で、大原の南から比叡山や比良の山並み。遠く洛中の市街地、生駒まで見
渡せるのである。

金毘羅山の神代文字らしい石標

展望岩から大原井出の集落方面と比叡山

 展望地からは岩も姿を隠し平坦な山道を少し登ると山名プレートが何枚もぶら下がる三
角点峰に着く。壊れかけの小祠がポツンとあるだけの小さな台地で植林に囲まれて展望は
ない。南に向かうテープがあるが、江文峠の西に出る尾根を辿る踏み跡だろう。じっとし
ていると寒いので記念撮影の後、すぐに取って返す。

金毘羅山三角点

 食事は最高峰の岩場辺りが一番良かったが、後から来た団体さんが食事を始めるような
ので、先を急ぎ最高峰の北の斜面を下って翠黛山へ向かう。東峰の山頂の北側を巻きつつ
北へ向う部分は直ぐに急な下りになる。ツツジの類やヒサカキ、赤松が目立つ。まるで丹
波や北摂の山を彷彿とさせる感じで、どこかで見かけたなあ...くすんだ緑の...と
思ったらヒカゲツツジだ。やっぱり丹波に似ている。シャクナゲも見かけるので、江文峠
の石碑に不動明王とも刻まれていたこともあるし岩場もあるから、往古は行者の山だった
のかもしれない。当然、今までの道に比べれば狭くなるが、さっきまでの道が参道を兼ね
ていて良すぎたわけでこれが通常の山道である。(笑)

北側から双耳峰の金毘羅山。左が東峰で右が三角点峰

 少しパラパラと雨がやって来るがすぐに止む。中間のピークへの登り。振り返ると金毘
羅山が双耳峰なのがよく分かる。なかなか峨々としていい形をしている。中間ピークを過
ぎればややのっぺりとして、やがて大原と翠黛山との分岐が現れる。左の翠黛山への踏み
跡に入るとゆっくりと登り始めるが、この辺りはヒサカキが多い。右に振れながら尚も緩
斜面を登ると、潅木の生えた翠黛山の山頂。あまり特徴が無く、北神戸の丹生山系にある
金剛童子山に似た感じがする。展望が無いところもそっくりだ。

 正午。ここらで食事と用意を始めると、北からどどどっと20名位の団体さん。同じ場
所で食事とあいなった。コンビニで買った冷凍鍋。なんとか溶けずに済んだ。沸騰するの
に時間がかかったが卵も入れてホカホカだ。(笑)

 東方向にもテープがあったが、大人しくもと来た分岐へ。翠黛山の山腹を巻くように、
タカノツメの黄色い落ち葉が多い踏み跡を辿る。注意していると尾根に出た所で左から踏
み跡が合する。山頂の東にあったテープの道に違いない。その辺りで雑木が小窓のように
開いている所があり、焼杉山らしい大きな山が北を圧しているのを見る。この付近から再
び植林が現れる。すぐに分岐が出るが、ここはコンパスを見て左を採る。

 大原へは木の根が浮き出した劇下り等もある楽しい道で、途中にあった岩峰からは翠黛
山や眼下の大原の里が一望。クヌギかアベマキの群落があって、その茶色い葉っぱが渋い。
この辺りにあったテープに”北村”とマジック書きがあったので意図せぬ集落に降りるの
かもと、念の為、地図でチェックしてもそんな集落はない。どうも人の名前だったみたい。
(笑)
 
 里山なので枝道が結構ある。方向などに気をつけながら、基本的に東方向に降り続けて
いけば、やがて眼下に屋根が見えてくる。大原の集落に出てきたようだ。地形図の表示ど
おり墓地がある。卵塔があるので寂光院ゆかりの墓地なのだろう。その板碑の一つを見る
と慶安年間のものである。丁度、由比小雪が世間を騒がせた頃だ。

 針葉樹の大木の下に散在する小さな五輪塔。川を渡ると左から林道と合流するが、翠
黛山から焼杉山に向かう峠から分岐する道だろう。鹿避けネットの扉を開けると土産物
屋の裏手の路地で、寂光院はすぐそこである。
墓地から下りて草生川の橋を渡ると寂光院だ

 寂光院は聖徳太子の開基というが、やはり有名になったのは源平合戦で敗れた平氏ゆ
かりの建礼門院が主となってからだろう。因みに建礼門院の産んだ安徳天皇は壇ノ浦で
入水して身罷ったというのが定説であるが、命を永らえて山奥に隠れ、悲嘆の内に生を
終えたという伝説は各地にある。所謂、流離譚の類だが、大阪北部の能勢にも似た話が
あって、その話を絡めた私の山行記(来見山から高岳〜安徳帝潜幸伝説の地を行く
があるので興味ある方はどうぞ。

建礼門院陵


 近年、失火で全焼し本尊まで類焼したのを再建した為か拝観料が高いので入山はパス。
観光客の行き来するメインストリートを大原バス停へ向かう。建礼門院陵の石畳。モミ
ジはあらかた葉を落とし、落ち葉の色もくすんでいる。もう2週間早ければ、さぞ綺麗
だったろうけれど、観光客は凄かったろう。(^^;

 「三千院近道」と書かれた道標に導かれ山すその道へ。杉林に焼杉山への取付きがひ
っそりとある。畑には京野菜が植わっているのも京都に来た感を強くする。車通りの少
ない大きな道(これは江文峠へ行く府道だ)を横切り、高野川を渡ると大原小中学校の
建物が見えてくる。そこから大原バス停はすぐで、観光客に混じり京都駅行のバスを待
つことにした。これで2回目の京都北山。案外交通至便。これから少し研究してみまし
ょうか。(笑) 同行の皆さん有難うございました。



■同行: あかげらさん、もぐとれさん(五十音順)

【タイムチャート】
7:20自宅発
9:00〜9:20京都地下鉄国際会館駅バス停(集合地)
9:35〜9:45戸寺バス停
9:55府道出合(江文神社前バス停)
10:02〜10:08江文神社
10:26〜10:28江文峠
10:43〜10:45江文寺跡
10:45江文神社からの道との出合
10:53〜10:55琴平新宮社
11:05〜11:12ゲレンデ道出合(小休止)
11:20〜11:21金毘羅山東峰
11:23〜11:25展望岩
11:31〜11:34金毘羅山西峰(三角点峰)
11:52中間ピーク(Ca570m)
12:03〜12:45翠黛山(577m)(昼食)
12:51翠黛山分岐
13:38〜13:40
13:44〜13:50寂光院
14:20大原バス停



金毘羅山のデータ
【所在地】京都市左京区
【標高】572.7m(三等三角点)
【備考】 京都大原の西の山並みにあって、焼杉山、翠黛山と合わ
せて大原三山と呼ばれています。京都北山には珍しく岩
のゲレンデがあり、京都国体の登山競技の会場にもなり
ました。双耳峰で東峰には金毘羅さんを祀る小祠があり
ます。
翠黛山のデータ
【所在地】京都市左京区
【標高】577m
【備考】 大原三山の一つで、金毘羅山の北に位置します。平家物
語にも出てくる由緒ある山だそうで、寂光院に隠棲した
建礼門院が、仏前に供える花を摘みに登ったのではと説
明板にあり、山名に相応しい雅な話ですが、勿論定かで
はありません。(笑)
【参考】
2.5万図『大原』




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