早春賦の金山から馬頭、高畑山縦走
 
平成19年 3月 3日(土)
【天候】曇り
【同行】別掲
セツブンソウ(篠山市大山宮)


 そろそろ春の訪れを告げる花の季節がやってきた。それを愛でに小生が毎年訪れるのは
篠山市のお花畑。今回はその近くの金山周辺と合わせて巡ってみた。

 千里中央から1時間ほどで着いた篠山市大山宮の追手神社だが、意外なことに誰もいな
い。まだ9時と早いし、おまけに曇り空だし。お蔭でゆっくり楽しめそう。ここにはユキ
ワリイチゲ。2月に来た時には、姿もほとんどなく一つだけ固い蕾をつけていたかいない
か分からぬ程であったのが、薄青い花をうつむき加減に咲かせている。境内の日本一のモ
ミの木は今年も超然と辺りを睥睨しているようだ。

 山裾の畦道を南下すると、消防倉庫の裏からその横の民家にかけてが群生地だ。流石に
こちらには数人の見物客がいる。その人たちのいる方へ行くとセツブンソウがタイミング
よく、ばら撒いたように花を咲かせているではないか。何度も訪れているけれど、これだ
けの時期に来れたのは初めてである。キクザキイチゲやアズマイチゲなどは日がまだ射し
ていない所為か、花をやや閉じている。セリバオウレン、ヒメリュウキンカ。スプリング
エフェメラル達の競演に、オニシバリもジンチョウゲに似た黄色い花で脇役を演じている。

セツブンソウ

セリバオウレン

キクザキイチゲ

 あれが良い、これが美人だなどとカメラに収めていると、南から団体さんがやってきた。
そろそろ場所を譲った方がよさそうである。気がつけば1時間近くもうろついていたのだ
った。

 さて、ここの花とペアを組ませた金山へのハイキング。本来ならば追入神社か大乗寺か
らノーマルに登るのだけれども、そこはそれ近頃流行の「チョイ悪親父」ではないけれど
「チョイバリルート」を好む面々。工場敷地の北側、大乗寺への取付け道路の分岐、すな
わち地形図の石碑記号の所から支尾根に取り付くことにした。石碑とあったが、5、6基
の石仏が並んでいて、それらと並んで『荒岩』と刻まれた石がある。思い出すのは近くの
鐘ヶ坂を南に下ったR176沿いにも幾つかの石が並んでいて、刻まれた字から憶測する
に旅の浄瑠璃語りの慰霊碑のような印象を受けたこと。ひょっとするとこれも客死した地
方場所の力士の慰霊碑なのかも知れない。
追手神社北側の倉庫敷地の更に北側にある
尾根に取付く(矢印の方向)

 その石の横に茂りの薄い部分があって、潜り込む形でとりつくと、案外、下草もない歩
きやすい尾根である。よく見ればうっすらと踏み跡らしきものもある。サルトリイバラが
煩いが、2、3つ持参のミニ鉈で切れば大丈夫である。歩けそうな所を選りながら進む。
ひょいと振り返れば、神社からセツブンソウの群生地にかけての旧街道筋は、つい先程ま
で誰もいなかったのに、いつの間にやら人が増えてそぞろ歩く人達で心斎橋状態。(笑)。
早く来て良かった良かった。(^^)

 植林帯に出れば下草もほとんどなくなり、踏み跡も薄くなったり明快になったりを繰り
返すが、支尾根ははっきりしていて迷う心配も無い。しかもポツポツとある赤プラ杭がい
い目印だ。そんな中にセメント杭があって、『ソノタ』と刻まれているのは地名なのか、
山主さんの名前なのか判然としない。

 ぱらついた雨も上がり、左から上がってきた明瞭な道に合流する。大乗寺からのノーマ
ルルートだ。それはすぐに追入神社からのメジャールートとも合わさって、つづら折れを
上がれば、NHKのアンテナ施設前に出る。ここは大山荘の好展望地。更に尾根をゆるゆ
ると登ると、背後に白髪岳や松尾山、西光寺山などが競り上がってくる。やがて小広い台
地に出た所が園林寺の跡地である。日蓮宗の尼寺だったようで、今も残る石碑の文字は住
持だった尼さんの筆になるものらしい。大正年間に麓に下って廃寺となった後、建物はほ
とんど朽ち果てて残ってはいないが、石垣はまだしっかりしたもので、五右衛門風呂の釜
だとか茶碗類の破片に往時が偲ばれる。

 馬駈場を過ぎれば本丸まではすぐで、左に鬼の架け橋への直接路を過ごし、明るい雑木
林を登っていけば、右に二の丸。本丸の台地はその左側である。枯れたカヤトの原である
本丸跡は展望が良い。西多紀アルプスを始め、黒井城址や譲葉山に五台山方面。遠く粟鹿
山の電波塔も霞んでいる。しかし、どうしてこんな戦略上重要な地点を大した抵抗もせず
に丹波勢は明け渡したのだろうか?機を見るに敏な連中が、大軍の光秀勢に勝ち目無しと
みて、早々と見切りをつけたのだろうか。

 本丸から西へ降りた場所にある鬼の架け橋は、江戸期の浮世絵画家安藤広重の六十余州
名所図会にも紹介されているという天下の奇観。岩と岩の上に、平たい岩が蓋をしたよう
で、長さは3m位だろうか。はるか直下の鐘ヶ坂を通るR176からも仰ぎ見ることが出
来る。大江山の鬼が架けたとの言い伝えもあると聞くが、本当のところは500年位前の
地震が生みの親だそうだ。ここで記念写真を撮る団体さんが多いらしく、我々もご他聞に
漏れずだが、岩の上に登ると○○が引き攣るのが分かる。(笑)

 ひとしきり奇観を楽しんでから、本丸のすそを巡って園林寺跡の広場へ戻る。今回の後
半のメインイベントはここから馬頭、高畑山までの縦走であるが、まずはそのルートの取
付き探しである。園林寺跡の広場を良く眺め渡すと、その西端に大山振興会の白い杭が立
っていて、テープが巻かれているのに気がつく。他に標識らしきものはなく、馬頭方面へ
のルートは多分これに違いない。すぐ先に歴代住職の墓地があり、その前を鐘ヶ坂からの
踏み跡が登ってきている。更に西へ進むと次第に道は不明瞭となってくる。地形図でもこ
の辺りは入り組んでいて明瞭な尾根筋は見当たらず、要所に先行者のテープや大山振興会
の杭はあるものの、それほど頻繁ではないので地形図とコンパスは手放せない。ここが今
日一番の難所だろう。尤も、しばらく我慢すれば馬頭らしき高みが西南に見えてくるから、
迷ってもそれを目指せばよさそうだ。

 早春なのでそれほど生えこんでいず助かる。一時見失った杭も再び現れ、馬頭手前の市
界尾根にも無事乗れたようだ。ここまで来ればひとまず安心。適当な所で昼食としたが、
調べてみると馬頭の北東200m付近の尾根上である。東側にはシカネットが張られてい
るが、その向こうに古坂辺りから延びる深い谷筋が見られた。

馬頭北東の尾根上で昼食

 昼食の後片付けを終えてザックを担ぎ直す。尾根なりに右に折れてながら桧林を30m
程度、急登すると馬頭の山頂である。プレート類は一切なく、大山振興会の白ポールに『
馬頭』と黒マジックの拙い走り書きのみ。三角点も無い標高点ピークだけに、展望も無い
ときては不遇なのもしようがないか。(笑) しかし、ここは昔、金山城の出城だったとい
う。曲輪跡といえばそれらしい部分も残っている。それにしても"馬頭"とは誰が名づけた
のであろうか?不思議といえば不思議な名前ではある。

 山頂から南側に下りると細い尾根で、小さなアップダウンを繰り返しながらも緩々と下
っていく。東の篠山市側は雑木、丹波市側は植林が続き、早々と鈴なりのアセビの白い花
が目を愉しませてくれる。30分と少しでやってきた406mピークでは西南が開け、箱
庭みたいに小さく見える農家は丹波市山南町上滝の集落らしい。またセメント柱が現れ、
今度は『タルタニ』とある。付近にそれらしい集落がないのでやはり山主の名前なのだろ
うか。

 406m標高点の次の小ピーク(Ca400m)から古坂への下りは半端ではない。枯葉
と土砂が混ざったものを山靴でズリズリと蹴立てながら、朽ちていない立ち木を支えに降
りて行く。高度差は70m近くはある。行き着いた古坂はいかにも"タワ"という感じの場
所で、山南町側は山腹に沿って踏み跡が続き、丹南町側は谷の源頭の雰囲気がある。昔は
伐採した木を加古川で筏を組んで流す為に人力でこの古坂や南の助兵衛坂まで運び、山南
町側へ落としたそうで、これを『木ずらし』と呼んだと慶佐次さんの本にある。親不知近
くのコケズラシもそうだが、山仕事の大変さが思い知れる場所だ。

Ca440mジャンクションピークからは
歩いてきた稜線が眺められる

 古坂からの登り返しは最初は緩斜面だがジャンクションピーク(Ca440m)への登り
はきつい。丹波の山は朽木が多いので注意しながら立ち木にすがりつつ高度を稼ぐ。「S
43 大山振興会」の白ポールが立つジャンクションピークは南の助兵衛坂との分岐点。
東方向へ直進すると顕著な尾根を通って5分くらいで高畑山に着く。これで高畑山は三つ
目だ。(笑) 南側はブッシュ、北側は植林帯である。山頂はヤマツツジや黄色い花が盛り
のダンコウバイの生える小さな円形の広場で、三角点がその真ん中にある。焚き火の跡は
山仕事の人のものだろう。

雑木に囲まれた高畑山の三等三角点

 夜には街オフが控えていることから、北に延びる薄い踏み跡や遠回りになる助兵衛坂へ
は廻らず、直接神社へ戻れ、しかも今通過してきて勝手が分かっている古坂経由で下山す
ることにする。ところが小休止の後、ジャンクションピークへとって返して下りにかかっ
たが、ここからが少しややこしかった。古坂へは東寄りの尾根を歩かねばならないのだが、
北から北東に延びる尾根の方が顕著で、ついついそちらに引き込まれてしまう。もっとも、
少々ずれても北方向を採ってさえいれば古坂からの谷に突き当たるので問題は無いのだが、
テープも見当たらなくなり、ここはもう北を指して強引に斜面を降りるのみ。後で調べた
ら、わざわざ最も急峻な斜面を降っていたようだ。(^^;

 滑り降りるように急斜面を下った所には『大山振興会の趣法山bR0』の看板が立つ。
谷は薄暗く先程の古坂のイメージとは些か異なって、思った以上に急峻なV字型を呈して
いる。本当に古坂から続く谷なのかいぶかしいほどだけれども、他にこれほど顕著な谷筋
は無く、手元のGPSもそれをもの語っている。どうも古坂の150m位東側にいるよう
である。とすれば谷は今、北を向いているが徐々に北東に振って、200m足らずで林道
始点に出るはず。倒木が行く手を塞ぐように見えたが大したこともなく、湿った土の斜面
に注意しながら進めば、果たして先に斜面を進んだNさんの旦那のSさんから「林道あり」
の声だ。それにしてもこの谷筋。犬の首輪らしいチェーンに熊除けの鐘が落ちていたり、
鹿の大腿骨の破片もあって(まさか人間のじゃ?背筋が寒いッ。)なかなかのものだった。

林道始点にやってきた

 後は神社まで一直線だ。手入れされた植林から抜けると大きな灌漑池。そこから地道も
舗装路に変わり、隠れ家のような家を左に過ごす。そして間もなく神社横の見覚えある資
材置き場の建物が見えてきて、追手神社はすぐそこである。

 甘酒を作っていて十分花を愛でられなかったTさん、Hさんが花を楽しみに行っている
間にコーヒーブレーク。なんだかんだ四方山を話している内にそれらのメンバーも戻って
くる。夜は定例街オフだ。予約の時間に間に合うよう引き上げよう。スプリングエフェメ
ラルの観賞に、予想通り誰も居ない静かなバリエーションルート。今日も充実の一日でし
た。皆さんにに感謝、感謝。



■同行 Oさん、スミレさん、たらちゃん、二輪草さん夫妻、ハム太郎さん、水谷さん、
    もぐさん、レオンさん

【タイムチャート】
8:00千里中央(集合地)
9:10〜10:05 追手神社(ユキワリイチゲ等群生地)
とスプリングエフェメラル群生地
10:10工場北側の尾根取付き
10:43大乗寺コース合流
10:45追入コース合流
10:55〜10:57園林寺跡
11:05〜11:10金山(540m)
11:12〜11:20鬼の架橋
11:20園林寺跡
11:40〜12:05馬頭北北東200m付近の尾根(昼食)
12:15〜12:17馬頭(502m)
12:51406m標高点ピーク
13:05〜13:06古坂
13:24〜13:27ジャンクションピーク(Ca440m)
13:32〜13:39高畑山(461.8m 三等三角点)
13:44ジャンクションピーク
14:00〜14:05古坂東150mの谷
14:12林道始点
14:35追手神社(駐車地)

金山・馬頭・高畑山縦走GPS軌跡 (罫線間隔は10秒=約300m)
 国土地理院2.5万地形図閲覧サービス、フリーソフト『カシミール』を利用しました)


馬頭のデータ
【所在地】兵庫県篠山市・丹波市山南町
【標高】502m
【備考】 氷上郡と多紀郡を分かつ南北に連なる山塊に属し、金山
の西南にあって、金山に城があった際には砦あるいは出
丸が気づかれていたようです。植林で展望はありません。
尚、金山から馬頭へは尾根が複雑な為、地形図とコンパ
スは必携です。
高畑山のデータ
【所在地】兵庫県篠山市
【標高】461.8m(三等三角点)
【備考】 馬頭の南にある三等三角点の山です。古坂、助兵衛坂に
囲まれていますが、いずれも伐り出した木材を加古川沿
いに転がし、筏を組んで流す為に使われた所謂「木ズラ
シ」の峠であったとのことです。
【参考】
2.5万図『篠山』



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