至高の芦生〜五波峠から権蔵坂、櫃倉谷へ

権蔵谷の源頭を行く(モデルはSさん)
平成19年12月 2日(日)
【天候】晴れ
【同行】別掲


 天候や体調がいまいちで延び延びになっていた芦生の若狭越探訪(須後→櫃倉谷→権蔵
坂→五波峠)。どうにか体調もほぼ元に戻ってきた感があるので、小春日和が予想される
12月最初の日曜日に歩いてきた。近頃は地蔵峠からの入山が禁止されたこともあって、
旅行社も別ルートからの入山に知恵を絞っているようで、権蔵坂へはツアーもあると漏れ
聞くが、まだまだ擦れていない若丹国境尾根は予想通りの清浄さで我々を迎えてくれたの
でした。

 日曜日の午前6時。まだ星が光る中、いつもの千里中央に集合。今日のメンバは3名、
現地集合1名の計4名である。日の出も遅くなったものだ。ライトを付けて車を走らせて
いると、能勢辺りでようやく東の空が白んでくる。今日も霧が濃く亀岡盆地は乳色の海の
下。予報は晴天のはずなのに一見、今にも雨が降りそうな暗い雰囲気だ。(^^;

 ほぼ2時間で芦生の須後に到着。もう数台の車が駐まっていて、その中にSさんの四駆
もある。当初は前述の如く須後からの予定だったが、既にSさんの車もあることなので五
波峠スタートに変更。Sさんも同乗して駐車場を後に五波峠に向かうことにする。

 五波の林道を走るのは今日で2度目。”遊車道”と銘打つだけあって走り易い林道だ。
五波の谷も霧が深く深山幽谷の趣。落ち葉が深く敷き詰められた舗装路をグングン登って
林道開削記念碑のある五波峠の駐車広場に着く。まだ一台の車もない。ドアを開けると流
石に寒い。途中の国道では3℃の気温表示であったから、おそらく0℃近いのではないだ
ろうか。すぐに指先がかじかむほどに冷えてくる。耳の隠れる化繊の帽子を持ってきて良
かった。
霧深き五波峠の石碑の横から東の尾根に取付く

 薄日が射す中、準備を整えて出発。染ヶ谷へ降りていく林道脇に立つ記念碑の横から、
霧が漂う尾根の雑木林に分け入る。枝先についた水滴が風に揺れてバラバラと頭上へ降り
かかって冷たい。唯、ブッシュが無いので、足元はスパッツをつけずとも大丈夫だ。

 昔は尾根を蔽っていたと思われるササも枯れていて、思ったより明らかな踏み跡が付い
ている。前述したが、近頃、権蔵坂までツアーがあると書いたが、そのお蔭なのかもしれ
ない。しかし尾根の広まる辺りでは踏み跡は薄くなり、テープも屈曲点付近以外は疎らだ。
歩く場合は府県境を示す黄色いプラ杭があるので、これを目印にするにしろ地形図とコン
パスは必携であろう。振り返れば木の間越しの五波谷は猛烈な雲海だ。「ワーッ」と皆さ
んから歓声が沸く。

霧の中、分厚重なる落ち葉を踏みしめCa680mピークへ

 最初はCa680mのピーク。ここで東へと方向を変えてユズリハが常緑の葉を揺らす尾
根を歩き、中山谷山への分岐があるCa720mピークに到着する。若丹国境縦走路の案内
板が立ち木に架けられている。「五波峠0.7km 1時間」これはまだいいけれど、なん
と「杉尾峠4.5km 6時間」。(@。@) どんな悪路だ?(笑) 多分、ササが尾根を覆って
いた頃の歩行時間を計測したに違いない。なにせ五波峠からここまで30分足らずなのだ
もの。(笑)

 さて、中山谷山(田歌山)へは若丹尾根縦走の標識では×印となっているが、歩いた人
のHPを読むと中山谷山へ踏み跡がついていて、その先は笹が茂っているそうだが何とか
歩けるらしい。でも今回はパス。左に折れて標識にあったように急斜面をズルズル、ザラ
ザラと半分滑りつつ下る。すぐに鞍部、坂谷の源頭と呼ばれる所だ。

 その坂谷源頭から200m。南東に張り出した尾根を持つCa690mピークは「坂谷の
頭」とも呼べる小ピーク。ここで若丹国境線は北にほぼ90度方向を変える。なるほど「
第二迷点」の標識がある。その標識には「飯場跡」の記述もあるが、さっきの尾根筋に錆
びついたワイヤ等が転がっていたけれど、あの辺りがそうなのだろうか?

682mピーク北東の雑木林を行く

権蔵坂への若丹国境尾根から八ヶ峰を望む

 682m標高点から692m標高点までが一番分かりにくいかもしれない。谷の源頭と
思しき窪みに出来たヌタ場を過ぎると、南東のCa720mピーク方向へ引き込まれて登り
やすい一寸した広場がある。テープを確かめて東方向へ。北方向の展望の良い692m峰
では、青葉山らしき双耳峰が目に入る。先週は西からこの青葉山を眺めたけれど、今日は
南東側からの眺めだ。定かではないけれどうっすらと白いのは日本海らしかった。

 692m標高点を過ぎれば間違いようの無い明確な尾根となる。福井側が疎らな細い杉
林、京都側が雑木林の斜面をぐっと下った鞍部が権蔵坂だった。今は余程のハイカーしか
来ない殆ど廃道と化してはいても、伝統の重みというのかなかなか雰囲気のある峠である。
立ち木に掲げられた説明板は地元の研究家のものらしい。曰く『この坂は江戸時代、美山
町の芦生と名田庄村の染ヶ谷をつなぐ峠であった。雲ヶ畑−祖父谷峠−井戸−小塩−ソト
バ峠−八丁−品谷峠−佐々里−出合橋−芦生から櫃倉谷を歩き、この峠を越えて染ヶ谷−
堂本−久坂−小浜に通じる街道であった。当時、名田庄村から米をこの峠まで牛が荷車で
曳き、ここから芦生へは人の肩で運んだとか。また、その米を運んだ若狭の馬方、権蔵と
いう人がこの峠を開いたという言伝えもある。大正十二年に美山町の田歌−芦生間に車道
ができてから、この峠は廃道と化した』。峠には往古を見守ってきたと思しきブナらしい
大木が寂しく葉を落としている。
権蔵坂は明るい雑木林だ

柔らかいU字型。権蔵谷の源頭にて

 人馬の行き来によって形作られたと思われる滑らかなU字型にくびれた道といってもい
いような踏み跡が須後に向かって降りてゆく。歩けば落ち葉でフカフカだ。権蔵坂の位置
と権蔵坂から下る道が先人のHP等を見ても、推定は出来てもこれだと明確でなかったこ
ともあって、少々手間取るかも知れないと些かの危惧も無いではなかったが、峠の位置も
事前の推定通りなのでそんな思いも雲散霧消である。「こりゃあいいわ」 だが、それは
甘かった。はっきりした道も、水が湧き出し、流れはじめて(これは由良川の源の一つだ
(^^)/)からは全く消えてしまう。但し、谷筋は明瞭であるから下っていけば櫃倉谷と合流
することはわかっているのでそういう意味では安心なのだが、その谷筋が狭い為に、小さ
くとも滝などがあったら少し面倒だ。岩の歩き良い部分を選りながらへつるような部分も
あり、こりゃ米俵担いで歩くのは並大抵じゃないだろうと思われる箇所も多々ある。それ
でも谷は狭くとも傾斜が緩やかなので助かる。なるだけ濡れないようにと足元を確めなが
らだから1時間弱と少し時間はかかったものの、無事、櫃倉谷と合流した。ここから振り
返っても権蔵坂は狭い谷筋。櫃倉谷から来た場合は見過ごしてしまいそうだ。

下るにつれ、流れが現れた権蔵谷。由良川の源流の一つだ

 櫃倉谷には杉尾坂への古道があったので、権蔵坂からよりもしっかりした踏み跡がある。
フーッ。ヤレヤレ。ここから先はMさんもSUさんも一度歩いているから少し余裕も出る。
となれば急に空腹感が。適当な所で昼食の大休止だ。GPSでは717m標高点の東南東。
谷が”く”の字に屈曲している辺りである。途中で収穫した○○コ汁は美味かった。

櫃倉谷のトチノキ。雪の為か鍵状に曲っている

櫃倉谷にて

 櫃倉谷は芦生でも屈指の谷といわれるだけあって澄んだ水が流れている。谷沿いの道だ
から踏み跡は岸辺にはっきりしたかと思えば消えたりを繰り返し、その間、何度渡渉を繰
り返したことか。その度にやっぱり芦生は長靴が必要だと思う。最後はいささか面倒にな
り「ええい!ママよ」とばかり、ジャブジャブといってしまった。(^^; それでも岩が点
在し、日本庭園のような谷や両側の雑木林には素晴らしいものがある。しばし見惚れる。

 中ノツボ谷の合流点は人が住み地名がつくとしたら、差し詰め”川合”とでも名づけら
れそうな広やかな地である。幕営にはもってこいの場所だ。鹿の糞が落ちている所を見る
と鹿もここが居心地がいいみたい。風が吹くと柔らかな日の光に照らされて、ブナやナラ
から黄葉が舞い落ちてカサコソと音を立てる。

櫃倉谷と合流する中ノツボ谷方向を見る

 目の前の高みが横山峠のある尾根。櫃倉谷はこの尾根を避けて西に大きく蛇行する。ち
ょっと見には在りかが分かり難いが、少し東へ中ノツボ谷側へ歩いた辺りに大きな二本杉
があって、その付近に斜面をジグザグに登っていく踏み跡がある。横山峠はあまり峠らし
くは無いが、杉尾坂に向かう尾根上にあって、そちらに向かう微かな踏み跡らしいものも
ある。オオイワカガミやイワウチワが地面を覆っていて、春にはさぞかしピンクに染まる
だろう。

 峠を越えると遥か下の櫃倉谷から盛んに水音が響いてくる。道は山腹を巻きつつ下って
行き、細い滝の前を横切って櫃倉谷に降りていく。大分広くなった流れの向かい側は植林
でその向こうに林道終点らしい広場が見えている。幾度流れを渡ったか知れないがこれが
最後の渡渉だろう。細い丸太が二本、流れの中に渡してあってその上を歩けということら
しい。丸太が回転するかと思ったけれどもそんなこともなく何とか渡りきると、杉木立の
間の掘れた踏み跡を数mも歩けば櫃倉林道の終点部分と合流である。

 ダートの林道にも落ち葉が深く積もり、トキワイカリソウやイワナシ、イワカガミが常
緑の葉を見せている。春もいいよと呼んでいるようだ。30分くらい歩いただろうか。南
へ真っ直ぐ延びる部分を過ぎれば内杉谷林道との合流点は近い。やがて橋が見えてくる。
内杉谷林道だ。この林道は山歩きを始めて間がない春時に、ブナノキ峠に登る為に歩いた
事があるのだけれど、当時の記憶は薄れている。それは兎も角、管理事務所まではあと2
km。あと30分弱の道のりである。

 櫃倉林道と内杉谷林道との合流点から下は最近舗装されたらしく、まだアスファルトは
黒々としている。こういう舗装林道歩きはえてして味気ないものであるが、ここ芦生では
刻々変化する風景を眺めて歩けばそれほど苦にならない。炭焼き窯跡らしきものがある。
橋から見える川の中には、SUさんはウグイだろうと言うが割りに大きな魚もいる。ムラ
サキシキブやサワフタギ、クサギの実も鮮やかだ。

 前方に民家の屋根がちらつきだすともう須後だ。鎖のゲートを跨いで右に折れ、川を渡
った所が駐車場。若丹尾根と古道歩きも終点だ。これで芦生周辺の若丹尾根は、東の若走
路谷の源頭、ナベクボ峠から地蔵峠、野田畑峠、シンコボ、杉尾峠と繋いできて、五波峠
まで、いつのまにか杉尾峠−権蔵坂を残すのみとなった。春にはこの残りも歩いてみたい。
Sさんの車に乗り合わせて再び戻ってきた五波峠。もう朝霧はかけらも無くうらうらした
小春日和に黄葉した五波谷は広く深い。面白かった今日の山歩きもここで解散。同行の皆
さん有難うございました。



■同行: 幸さん、スナフキンさん、水谷さん(五十音順)

【タイムチャート】
6:00千里中央ローソン前(集合地)
8:35〜8:45五波峠
9:10〜9:11Ca720mピーク(中山谷山分岐)
9:25坂谷源頭
9:34第二迷点
9:45〜9:50682m標高点ピーク
10:13〜10:20692m標高点ピーク
10:32〜10:35権蔵坂
11:20櫃倉谷出合
11:35〜12:05櫃倉谷(717m標高点東南東400m地点)(昼食)
12:26坂谷出合
12:45中ノツボ谷出合
12:50横山峠
12:59櫃倉林道終点
13:33内杉林道出合
14:00須後駐車場



権蔵坂のデータ
【所在地】 福井県大飯郡おおい町(旧名田庄村)
京都府南丹市(旧美山町)
【標高】Ca640m
【備考】
若狭と丹波を結んだ所謂、若狭越えの街道の一つでした。
名田庄村の馬方権蔵が拓いた道ともいわれます。若丹尾
根は昔に比べて格段に歩き良くなったとのことですが、
地形図、コンパスは必携です。
【参考】
2.5万図『久坂』『中』




   トップページに戻る

inserted by FC2 system