西行法師のこと
 
平成18年12月30日(土)
天候:晴れ
西行入寂の地、弘川寺の西行堂



 以前から、西行法師のことがなんとなく気になっていた。

 大峰の鋭峰大普賢岳の登山道途中にある「笙の窟」に立ち寄った時、ここに西行が籠っ
たと知って「ほおっ」と思ったことがある。そして今、偶然本屋で目にした辻邦生の『西
行花伝』を手にしている。 

 『願はくは 花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃』

 その入寂の地、河内の弘川寺へは昨年の早春、大和葛城山への登り口として訪れた。墓
は小高い広場にある丸い塚で、西行に憧れた似雲法師の塚が寄り添うようにあった。

 その『西行花伝』を読んで最も印象に残ったのは、義清(後の西行)がある時、従兄の
佐藤康憲と流鏑馬まがいの騎射を愉しんでいた時、偶々通りかかった源重実に『雅』とは
何かを問う場面である。源重実は鳥羽院の四天王と呼ばれた北面の武士で、重実曰く「弓
を射て矢を的に当てようと努力して当たれば、人は満足し余裕が出る。その余裕から周囲
を愛でるゆとりが現れる。そのゆとりからこの世を楽しもうと思う。その心が雅だ」とい
う。更に曰く「荘園(土地)を一つ手に入れようと一心不乱に努力して手に入れれば、さ
らに人は第二、第三の荘園(土地)を欲して手に入れようと我を忘れてついに際限が無い。
満足とはとは立ち止まること、分をわきまえ、自分の居場所に気づくこと、そういう人こ
そが雅である人なのだ」と。
西行の墓といわれる塚

 まことに今の日本人が無くした心なのではないか。日本は戦争に負け、武装放棄する代
わりに経済成長することを選択したけれども、物質的に敗戦したというよりも、精神的な
無条件降伏を欧米に対して行ったのではないだろうか。日本を洗脳すること、アメリカの
真の魂胆はそれだったのではないか。精神的な荒廃、わざわざ「美しい日本」と叫ばねば
ならない昨今、つくづくそのことを考える。

 そしてもう一つ印象に残ったこと。辻邦生は西行をしてこう言わしめている。「たんな
る蒼い山襞、たんなる黒い林に埋まった谷、たんなる水しぶきをあげる谷川であった。に
もかかわらず、そのままの姿で落ち着いた素朴な魅力があった。たまらなく美しかった。
山肌の雪を刻む蒼い色が、そのままで、なんといいのだろう、私は吐息をついた。」
「谷についても同じことがいえた。 (略) 別にとり立てて変わったもの、珍しいもの
があるわけではなかった。しかしその土地の窪んだ形、斜面の傾き、林の霜枯れた黒さが
何とも言えずよかった。心が安らいでくるのであった。そういうものを見ているというこ
とが、ただひたすら嬉しかった。」

 まさに野山を歩く時の心境はこれだと思った。山々を歩くだけでいいんだよねぇ。そし
て西行のこの無心さに一歩でも近づきたいと思う。筆者の様な凡人には到底叶わないまで
も...。

『仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば』

定家の父、俊成が西行を偲んで詠んだ歌
『願ひおきし 花のしたにて をはりけり 蓮の上も たがはざるらん』

 さて、年末の休み。前に読もうとしてそのままになっている白洲正子の『西行』をもう
一度紐解こうか。



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