雪野山〜万葉の里でマンサクを愛でる
 
平成18年 2月25日(土)
【天候】晴れ
【同行】単独
龍王寺と雪野山

 最近、里山づいている。今日は湖東のロマンあふれる里山の雪野山。300m程度の低
山だけれど、立派な一等三角点の山。読売新聞にも紹介されたというマンサクを愛でがて
ら歩いてみよう。

 竜王ICで降りる。コンビニで食料を仕入れた後、「妹背の里」の標識を目印に東へと
向かう。ようやく青さを増した田は広やかで、その向こうになだらかな稜線が起伏してい
るのが眺められる。額田王と大海人皇子の相聞歌
「あかねさす紫野行き 標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
「紫の匂える妹を憎くあらば 人妻ゆえに我恋いめやも」
が詠まれた蒲生野はこの辺りなのだという。白洲正子は近江山河抄の中で、紫野行きや標
野行きの「行き」に「雪」がかかり、野守の「野」に相通ずると解釈している。伸びやか
な風景は如何にも王朝風な鷹揚さがある。

 綿向山に源を発する日野川を渡ると、雪野山の懐に抱かれて龍王寺の甍が見えてくる。
右に運動場があって、左は付属の大きな駐車場である。止まっている車は少年野球の関係
者のものらしい。リアゲートを開けて準備を始める。日差しが暖かい。運動場では少年達
の掛け声。目の前の竹やぶからは今年初めてのウグイスの鳴き声。

 ガイド本は龍王寺から登るように解説されているが、生来の天邪鬼、天神社から登り始
めることにしよう。駐車場の前は車道だが、もう一本、山よりに旧道があるのでこれを辿
る。里山らしく、所々に山に分け入る道が整備されている。いずれも雪野山古墳を指して
登るようだ。付近は竜王町であるが、新巻の集落は近江八幡市。立派な造りの農家が多い。
ロウバイが薄黄色い花を咲かせている。集落の奥の深い杉木立は日吉神社だ。

 民家が途切れ、右に女坂の道を過ごすと、雪野山トンネルへ向かう車道の高架。潜った
所には、なぜか閉鎖された駐車場に解説板がある。それによれば向かいの大杉の下に石地
蔵があるというがどこだろう。通りすがりの女子中学生らしい自転車に乗った女の子に聞
いても、はにかみ笑いで首を捻るばかり。そこで向かいの畑の中に降りると、あったあっ
た。土手の裾に聳える直径1m程もある大杉の下に、前垂れをかけたお地蔵さんの石仏。
別名は縁切地蔵。南北朝時代の作とか。光背を含めれば1mもの大きな石仏である。一寸
失礼、前垂れをめくって写真を撮らせて貰う。

天神社への参道。雪野山への登山道の一つ

 さて、取付きだが、車道がカーブする所に天神社の参道が山へ向かっている。石の鳥居
を潜って立派な参道を登っていくと、拝殿と思しき建物に行き当たった。近所のおばあさ
んだろう、境内を掃き清めて降りて来られるのとすれ違う。

 「石塔の小径」と案内がある。左右は常緑樹の多い雑木林。石段は結構、急で少し息が
切れる。まもなくT字路。右に山道があるが、ここは左に曲って付近の産土神、天神社を
見学する。まず目立つのは鎌倉末期のものだといわれる七重石塔。社殿はその奥で、創建
は朱雀帝時代の940年頃。綾戸の苗村神社と関係が深く、春の例祭には渡行があるとか。

 社殿を辞すと、どこからかコンクリート道が上がってきている。天神社の取付け道らし
いが、その道沿いにもう一つ建物が見える。近づくとこちらも天神社であった。

 コンクリート道は緩やかに麓へ降りているような雰囲気で、雪野山への道ではなさそう
なので、他の道はと周囲を見廻すと、上へ向かう道が一筋。しばらく登ると尾根と思しき
辺りに新しいあずまやが建ち、それを起点とする南への尾根道が延びている。

 去年の間に延びたコシダが道を覆うが、幅1mほどの道は坂の部分はコンクリート擬木
の階段が整備されていて、うねりながらゆっくりと下り始める。前方にはヒサカキなどの
常緑の雑木に覆われた277m標高点ピークがだんだんと大きくなってくる。そうして下
りきった鞍部には、左右から遊歩道が横切っている。右(南)は女坂に通ずるのであろう。

 縦走路の続きはT字路からやや左に進むと道標がある。古墳まで1180m。ここもコ
シダやウラジロが左右から少しかぶさった擬木階段道だ。登りきった山頂はのっぺりした
感じで見通しもなく、マツタケの為の立入禁止の白いPPテープが目立つ、やや荒れた感
じの頂である。くねくねと曲がりながら再び下降。雪野山本峰がようやく視界に入る。

 高圧鉄塔(新北陸幹線bS94)が鞍部にある。八日市の古墳公園からの道が上がって
きていて、ベンチもあってまあまあ展望が良い。西には雪野山と同じくなだらかな鏡山が
あって、その肩から三上山が覗く。左の特徴ある三角形は十二坊らしい。遠く白い雪をか
ぶって霞んでいるのは比良の武奈ヶ岳のようである。北には太郎坊の岩峰に観音寺山。こ
ちらもうっすらと白いベールの伊吹山が中空に浮かんでいる。それにしても近江平野はま
だまだ集落間に田んぼがあって、それぞれ孤立している。そうして、少し大きな集落には
必ずといっていいほど寺院と社があるのだ。小生が小学生の頃は今も住んでいる豊中南部
でもそうであったから、なんとはなしに懐かしい風景である。ここから雪野山山頂までは
490m。しかし、展望いまいちとの情報から、風もないので食事はここでとる事にする。

 ザックを下ろし、カップ麺用に湯を沸かしていると、雪野山方面から単独小父さん。聞
けば愛知県の方で、この辺には良く来るそうだ。綿向山でも名古屋の人と一緒になったが、
確かに滋賀県はどちらの側からも便利な地域である。
「こっちはどこへ降ります?」と尋ねるので、八日市の古墳広場のようだと答えると、ひ
としきり雑談の後、面白そうだと降りていかれた。

 1時間ものんびりして、やおらザックを持ち上げて雪野山へ。最初のちょっとした登り
の後は所々に埋まった岩が露出しているなだらかな尾根道だ。

鉄塔より西に鏡山。三上山(近江富士)が顔を出す

鉄塔より北東。左が箕作山で中央の岩山が太郎坊

 右に向きを変えると雪野山の山頂の小広場に出る。大きな一等三角点が保護石もなくポ
ツンと埋まっている。ここには全長70mにも及ぶ前方後円墳があって、奇跡的に未盗掘
で発見され、発掘調査の結果、三角縁神獣鏡ほか多数の副葬品が出土した由。今は埋め戻
され、ちょっと見には古墳があるとは思えない。

雪野山山頂。小さな広場になっているが
この下は古墳らしい

 南に「龍王寺の東側へ」と記された道標と明快な道が降りているが、もう少し稜線を辿
ることにして、「行者堂、梅の木」と書かれた竜王町の道標に導かれて東方向へ進むこと
にする。
雪野山馬の背付近の明るい山道

 「馬の背」と呼ばれるから岩稜かと思っていたら、岩がちの尾根道ではあるものの、赤
松やリョウブ、ツツジ類の茂る潅木帯である。南向きだけに明るい。布施山の丘陵帯や名
神高速道がちらちらと垣間見え、遠くに鈴鹿連峰がこれまた白い稜線を浮かべている。で
も、そよぐ風は春の暖かさである。

 10分ほど歩いて行者堂分岐通過。徐々に高度を下げてあずまやに行き着く。やや大き
な露岩があるが、案内図にある大岩とはこれだろうか。標識に従い、ここで右に折れてジ
グザグの山道を下る。あちこちと道が錯綜しているが、とりあえず下に下りていけば良い。
前山との鞍部あたりは気持ちの良い里山の雑木林である。コナラ、ツツジ、ソヨゴ、コジ
イ、ヤブツバキ等々。ところで、もう一つの目的、マンサクをまだ見ていない。「マンサ
クの小径」と表示があったので木があるのはこの辺りだろうが、唯一、マンサクとプレー
トが架かっていた木は惜しくも枯れている。キョロキョロ探す間にコンクリートに固めら
れた小川に出てきてしまった。首を捻りながら小川沿いに歩くと、梅の木が植わる広場の
横から車道へ出てしまう。龍王寺から150mほど南の地点である。

マンサクの小径付近はいい里山の風景

 結局、マンサクは見つからない。すると林の中で人声が聞こえた。見れば龍王寺の坊守
さんらしい年配の婦人と、長男らしい僧侶が墓地の清掃をしている最中である。ちょっと
訊いてみよう。
「すみませーん。マンサク咲いてませんかねえ?」
「ここらは寒いからまだまだやろう」
「そうですかぁ。六甲で咲いていると聞いて、ここらは標高低いからと思って来たんです
けどねえ...」
(諦めきれんなぁ...)そんな思いを胸に駐車場へ戻ると、偶然にも馬の背におられた
ご夫婦が戻ってきた。確かめてみよう。
「マンサク咲いてました?」
「ああ、ありましたよ。2本。満開でした」とデジカメを見せてくれる。
「???」
折角なので、戻ってみることにして、場所を教えていただく。

 教えてもらったのは里山の林。さっき歩いてきた「マンサクの小径」。あちこちをキョ
ロキョロ。と、
「ん?おおっ!あるやん...」
何のことはない。てっきり人間の身長程度の高さに咲いているものと予断していた為に、
上を見ていないものだから見逃したのである。高さ4m位の木が2本。言われるとおり満
開だ。「豊年満作」、「まず咲く」の転といわれるだけあって、まだまだ茶色っぽい周囲
の景色に先駆けて、細い枝に捩れてややくすんだ黄色い花弁がびっしりと。苞が赤いのが
アクセントである。何枚かシャッターを押したけれど、足場が悪いので果たしていい写真
が撮れたやら。(^^;

 帰りに寄った雪野山龍王寺はまたの名を雪野寺という。奈良期に行基が開創したという
古刹。しかしながら京や奈良にも近く、室町期以降、戦乱の時代は六角佐々木氏の居城観
音寺山も指呼であることもあって、只では済まず、幾度か灰燼に帰し、今では寺域も小さ
いが、喘息封じの寺として名がある。本堂前の株立ちの松は、根元から分かれた太い幹が
地を這い、光沢やかな緑が日の光を照り返し、なかなか見事である。

 再び駐車場。少年達は熱心にまだ練習の真っ最中である。山道具を仕舞い、歩いてきた
雪野山を仰ぐ。

 帰途は近くの式内社苗村(なむら)神社にも立ち寄っていこう。雪野山の西2kmにある
綾戸の集落。道路を挟んで西宮と東宮がある。その道路からも西宮の壮麗な桧皮葺の楼門
が見える。
苗村神社の楼門(重文)

 子育ての神だそうで赤子を抱いた神像がある。玉砂利を踏んで進む本殿は三間社流造り
で国宝で重厚。拝礼してから境内をぶらっと歩いてみる。それにしても小生が知っている
神社は普通、玉垣などで囲まれているものだが、この神社は何処からが境内か良く分から
ない。社務所の裏の広壮な民家。おりしも中学生くらいの男の子が玄関から顔を出したの
に目が合う。彼がはにかむ様に頭を下げたのにこちらも答礼する。どうも神職の私邸らし
い。そして榊の育成畑の横は、嫁いできた長男の嫁さんが副業でやっているような、農家
を改造したパーマ屋さんなのだった。小生はこういう雰囲気がなぜか好きなのである。

 車道をはさんだ東宮は老杉に囲まれて、西宮に較べて鬱蒼とした感があるが、本殿は小
ぶりなものであった。しかし、車の騒音が煩い。神様もゆっくり鎮座できないのではない
かと、要らぬ心配をしてしまう。

 駐車場に戻ると、横のゲートボール場のベンチでは、ツーリングのオートバイ小父さん
が休憩中。のんびりと缶コーヒーで一服している。うらうらと暖かい早春の万葉の里、蒲
生野。例年になく寒かった冬も去って本格的な春も間もなくである。

 マンサク小景



東近江市(旧八日市市)葛巻町から雪野山。左の鉄塔付近で昼食

【タイムチャート】
8:10自宅発
9:40〜9:50龍王寺手前駐車場
10:15笠地蔵
10:18天神社鳥居
10:26天神社
10:35あずまや
10:40T字路
10:52277m標高点ピーク
10:58〜11:55高圧鉄塔(新北陸幹線bS94)(昼食)
12:07〜12:12雪野山(308.8m 一等三角点)
12:22行者堂ルート分岐
12:27あずまや
12:40梅ノ木広場登山口
12:53龍王寺手前駐車場


雪野山のデータ
【所在地】滋賀県近江八幡市・東近江市・蒲生郡竜王町
【標高】308.8m(一等三角点)
【備考】 額田王と大海人皇子の相聞歌で有名な蒲生野にある里山
です。頂上には古墳があって、卑弥呼の鏡といわれる三
角縁神獣鏡が出土しましたが、流紋岩の山で、頂上付近
には大岩もあり、西に蟠る鏡山同様、古代から神奈備山
であったと思われます。最寄は近江バス川守バス停です。
【参考】
2.5万図『日野西部』


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