侮りがたし音羽三山
 
平成18年10月20日(土)
【天候】晴れ時々曇り
【同行】単独
倉橋付近から望む音羽三山


 桜井や橿原から南を眺めた時、大きく根を張る山並みが目に入る。音羽三山だ。ここも
一度は足跡を残したい山の一つであった。ガイド本では難易度★一つ。地形図を眺めれば
なるほど、距離もそれ程でなく、自宅を7時半頃に出ればゆっくり廻れるだろうとタカを
くくって出かけたのであるが、なんのなんの。結構、骨のある山で、クマザサに手こずら
される山でもありました。

 西名阪道からR169、県道37号と乗り継いで、国宝の十二面観音で有名な聖林寺を
過ぎると、やがて観音寺(善法寺)の参道口が見えてくる。駐車地に困ると矢問さんのH
Pにあったが、確かに駐車地を探すうちに、降りる予定の不動滝まで来てしまった。Uタ
ーンの為に針道への道に曲ると不動滝だ。その横に民家があって道幅が広くなっている。
どうせここへ降りてくるのだ。先にウオームアップで車道を歩く方がいいであろうという
わけで、車を停めると、丁度、玄関前に出て、爪にヤスリをかけているお爺さんがいる。
「今日は。車止めさせてもらっていいですかぁ?」
「その前に止めていいよ。車止め退けたらええ。」
不動滝の横には2、3台駐車可能とガイド本にはあったが、柵で囲まれた広場には10台
は優に止められそうだ。(私有地へは許可を受けて駐車しましょう。)

 準備を終えて県道を戻る。下り勾配で楽だわ。と、地図が手にない。あれ、落としたの
か。慌てて戻る小生である。
県道から観音寺(善法寺)参道への分岐付近

 百市(もものいち)を過ぎて下居(おりい)のバス停近く。寺川に架かる橋のたもとに
は『右 よしの 左 ...』と刻まれた石碑が立つ。渡った先の二股は右の道を採る。
民家の前をゆるゆると登っていけば、動物の似顔絵を書いた板があちこちに置かれた斜面
に出て、左に折れて進む。善法寺までは17丁およそ1.8km。一丁毎に置かれている丁
石に導かれて進めばよい。さっきから吠え声がうるさかったが、南音羽の集落に入る手前
の民家前に犬がこっちを見ている。幸い繋がれていて安心。案外気の弱い犬で、こちらが
目を合わせようとすると、あらぬ方向に顔を背けて唸るのだった。

 南音羽の集落を過ぎた所で、再び道は二分する。寺までは約1km。今度は左の狭い道へ。
思ったよりきつい坂で、無風の為もあって噴き出す汗を拭き拭き喘げば、祓堂の前に出て
ここで丁度半分なのだった。まだまだ奥に見える音羽山の稜線は高い。左にカーブしてか
なり高度を稼いだ頃、跨げば渡れる程度の溝に架かった無常橋という名の石橋を渡った後
に左に登っていく道が善法寺への道である。参道の石段の草むしりする女性がいる。寺の
関係者かと問うと、信者の方だった。「犬がうるさいでしょ」と仰るように、ここの犬も
良く吠える。小振りの山門のすぐ奥がこれまた小振りの本堂。その横に名物のお葉付きイ
チョウの大木。目通り4.8m、高さ25mという。ギンナンを実らせているが、葉はま
だ少し黄ばんだ程度だ。ここは尼寺で、良く手入れは行き届いている。ベンチにザックを
置いて休んでいると、ポトッ。見れば銀杏が地面に落ちた音なのだった。

音羽山へは不動堂横から登る

 音羽山への登山道は、お葉付きイチョウの前を過ぎた不動堂の向かって左。音羽山と書
かれた小さな木切れが置かれている。少し荒れ気味のジメッとした所で、踏み跡の左右か
ら雑草が多い被さるように生え込んでいる。そこを抜けると植林帯。その中を流れる小さ
な沢が道を兼ねている。ごろごろとした石を滑らぬように進む。淡いピンクのハガクレツ
リフネが盛りである。ようやく沢から離れると踏み跡は山腹をジグザグに登り始める。幹
に「堂上山」と書かれた杉があちこちにある。尾根に出ると緩やかなアップダウン。ここ
が山頂と思う尻から次の高みが現れる。幾度かだまされながら沢山のコシアブラが生える
場所を過ぎ、また現れた高みに登ると、やっとそこが山頂で、初老の単独ハイカーが一人
先着しておられた。熊ヶ岳の方へ行くと云って、小生と入れ替わるように頂きを後にされ
た。
音羽山山頂は見通しが効かない

 山仕事に使ったのか、古いビニール袋が劣化して砕けたような破片が土に埋まったりし
て少し汚らしく見える地面に、角が欠けて丸くなった三等三角点。立ち木に架けられたプ
レートがあり、北方向から登ってきている明快な道は、何処から上がってくるのだろう。
しばらく憩って経ヶ塚山へ向かう。

 直ぐに左に折れて杉林の中を下る道は次第に南にふる。それからは大したアップダウン
もなくたんたんとした尾根道。15分も歩いて、右に見える高みに登れば雑木に囲まれた
経ヶ塚山である。安永4年9月に建立された石塔が名の由来。石塔が置かれたのは談山神
社の鬼門に当たる為という。四面に刻まれた梵字の意味は何だろう。大日如来か何かの種
子だろうか。丁度頃合い。昼食にしよう。
 
経ヶ塚山の経塚。談山神社の
鬼門に当たるので埋めたといわれる

 やはり秋。山頂に1時間近くいると汗が冷えて寒くなってくる。砂糖を溶かした湯を飲
んで、そろそろ行こうかと腰を上げる。経ヶ塚山の山頂から再び北方向へ。しばらくは快
適な道だが、しばらくすると一気に下る道となる。岩混じりで倒木などもある。このコー
スで展望が開けるのはこの辺り。左手遠くに大宇陀付近のゴルフ場が見える。目の前には
熊ヶ岳の正三角形の姿があるが、その前には深そうな鞍部もある。

経ヶ塚山の南面から眺める秀麗な熊ヶ岳

 予想した通り、稼いだ高度をどんどん吐き出す。鞍部からは徐々にクマザサがはびこり
出して、それが薄くなったり濃くなったり。細い尾根に出ると右からも細い尾根が合わさ
って、杉の木に黄色いペンキが付けられ目印になる。それからはどんどんクマザサが濃く
なる。所によっては泳ぐように進まねばならない箇所も。これも矢問さんのHPにあった
ので予想はしていたがかなりのものだ。でも昔の多紀アルプスの三岳と西ヶ岳間のクマザ
サに比べれば、背丈がやや低く、背の高い箇所でも顔が出せるのはありがたい。904m
の標高点ピークを越えた辺りで前方のクマザサがザワザワと揺れるのに気づく。「あれっ」
と身構えたら、音羽山で顔を合わせた初老の方だった。

熊ヶ岳山頂はクマザサの中の切開き

 904mピークから50mほどでプレートの架かる熊ヶ岳に到着。ここだけはササが刈
られているのは山仕事の為だと、初老の方。やたら詳しいなと思えば桜井在住の地元の方
だった。これ幸いとこれから先の状況を聞くと、クマザサが茂って同じようなものだと仰
る。「えっ?まだ泳がなくてはならないの」(^^;
深いクマザサ原に覆われた熊ヶ岳南面

 ここから引き返すという小父さんと別れて大峠へ向かう。山仕事でのクマザサ刈りもほ
んの10mだけ。後はやっぱりクマザサに覆われた道である。次の目標は近鉄の無線反射
板のある三角点ピーク。下るに従って左前方にその施設が見えてくるが、結構遠い。そう
して小さなピークで左に折れた辺りからがこのコースで一番荒れた場所であろう。ここま
ではあまり人が来ないのか踏み跡は細く、ササに隠れ、しかもササの下に倒木や木株が隠
れているのだ。オフィシャル標識は一切無く、古い赤テープのみが目印だ。それでも尾根
が細いので外さねば迷うことはなさそうだ。

 なかなか近づかなかった反射板が、気がついたら目の前である。トレースを追うのに力
が入っていたからだろうか。四等三角点はフェンスの横である。

 ここから先は、反射板の管理の為に近鉄の管理が入って、いい道になるだろうとの予想
通り、さっきとはうって変わっていい道になった。傾斜の増した尾根筋をどんどん下る。
祠が見えてくる。大峠に着いたらしい。ほっと一息。再び水分補給。

大峠。神武天皇伝説の女坂はここだという


 峠は四辻で尾根に沿っては北が下ってきた熊ヶ岳方向。南は細峠から竜門岳へと続く道。
東は宮奥への峠越えの道である。「女坂伝承地」の碑が紀元2600年の記念に昭和15
年に建てられていて、祠にはひっそりと摩滅したお地蔵さんの石仏が祀られている。

 大峠から西方向、針道への良く踏まれた山道はジグザグに降りていく。典型的な古い峠
道だ。ほの暗い桧、杉林の左下に白っぽい小さな平地が見える。砂防堤の上の部分かなと
思ったら、林道の終端の車両の転回場であった。

 小さな流れを右、左に見ながら下る。虫が喰って殆んど網状になったミカエリソウの群
れの中に簡易水道の取水口なぞもある。ドドッと足元から飛び立ったのは2羽の大きなヤ
マドリだった。コンクリート舗装をどんどん下ると、真新しくのり面がコンクリート補強
された新道が見えてきた。大きなトンネルの口が右上に見える。「大峠トンネル」とある。
谷の上を高架橋が跨ぐ。その下にポツンポツンとある針道の集落の民家が息を潜めている
ようだ。棚田のある穏やかな大和の山村の姿はもう無い。

 前方に御破裂山の特徴ある姿を眺めつつ下るに従って、何度も高架橋の下を潜る。流れ
は次第に太くなってきて、出口が見えてきた。すると電柱に「児童多し、通行注意」の注
意書きが目に入る。
「へっ?こんな所で児童多し?」思わず笑ってしまった。

 水音が高くなり、駐車した車も見えてきた。水音は不動の滝。行場でもあって、水は二
手に分かれて一つはあらぬ方向から流れ落ちていてちょっと不思議な滝だ。

針道へ通ずる林道(不動滝付近)

 車に戻って、靴を脱いでいるとお爺さんがいた民家からおばさんが出てきた。駐車のお
礼のついでに滝について聞いてみる。案の定、上から水を導いているのだった。霊験あら
たかで京都、大阪からも滝に打たれに来る人が多いそうだ。滝の横手には破不動の岩があ
り、お不動さんが彫られている。多武峰が鳴動した際に真っ二つに割れたのだそうだ。こ
のお不動さんにあやかろうと行場が開かれたのであろう。おばさんは人のよさそうな方で、
針道の呼び方も教えてくれる。ガイド本などには「はりんど」と書かれているのに、道路
の行き先表示板には「はりみち」。果たしてどっちが正しい?聞けば、地元の方々は「は
りみち」と呼んでいるそうだ。「はりんど」なら、往路の善法寺の手前の「祓堂」(はら
いど)の転化したものかも、なんて下らぬ想像をしていたのだけれど。(笑)

苔むした岩に浮き彫りされた破不動

 音羽三山の姿を写真に収めようと車道を下っていけば、倉橋付近にいい所があった。廃
された小さな神社の猫の額ほどの境内であった。最初は簡単に三つのピークを踏破できる
と考えていたけれど、なかなか侮れぬ音羽三山。神社跡からは大きく根を張る姿が秋の青
空に映えていました。



【タイムチャート】
7:30自宅発
9:05〜9:15不動滝前(駐車地)
9:40〜9:42下居(観音寺参道口)
10:20〜10:35観音寺(善法寺)
11:15〜11:25音羽山(851.7m 三等三角点)
11:40〜12:20経ヶ塚山(889m(昼食))
12:50熊ヶ岳904m標高点
12:55〜13:00熊ヶ岳(山名プレートあり)
13:15〜13:20点名『熊ヶ岳』(859.0m 四等三角点)
13:25〜13:30大峠
13:35林道終点
14:00不動滝前(駐車地)



音羽三山のデータ
【所在地】奈良県桜井市・宇陀市
【標高】 ■音羽山 851.7m(三等三角点)
■経ヶ塚山889m
■熊ヶ岳 904m
【備考】 奈良盆地の南、竜門岳の北に延びる山塊を形成する峰で
南の経ヶ塚山と熊ヶ岳と共に音羽三山と呼ばれます。万
葉集にも、「くらはしの山」と呼ばれる名山ですが、全
山ほぼ植林で、僅かに経ヶ塚山付近に自然林が残されて
いるのみで、展望も余り良くありません。その為に登る
人も少ないようで、特に経ヶ塚山から熊ヶ岳、近鉄の反
射板が立つ三角点ピークまではクマザサが踏み跡を覆い
倒木もあって非常に歩き難くなっていますので、注意が
必要です。
■関西百名山(音羽山)
【参考】
2.5万図『古市場』『畝傍山』



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