柔らかき春を箕面五山巡り | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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堂屋敷から北方。鉄塔の立つ鉢伏山と奥に 明ヶ田尾山が覗く。奥左は妙見山、手前が天台山 |
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箕面の市政だよりに『箕面五山』と題して、天上ヶ岳〜堂屋敷〜長谷山〜鉢伏山〜明ヶ 田尾山を巡るコースが紹介されているという水谷さんからの情報。久しぶりに箕面の山も 良かろうと、参加の手を上げ、暖かさに恵まれたこの日曜に巡ってきた。近場でもあり、 小生に山歩きの良さを教えてくれ、何度も足を運んだ山域だけれど、未踏の山に登り、新 しいルートも歩き、京都の芦生にも劣らぬいい雑木林も見つけて、なかなか充実した山歩 きになったのでした。 五山の中で長谷山(ながたにやま)というのは初耳。よくよく聞いてみると、天上ヶ岳 の分岐から北方を望んだ時に、鉄塔のある端正な山であると判明。そういえば以前、寒い 冬に、EXPO記念の森と鉢伏山を結ぶルートと自然研究路6号線の出会う峠から、東に 尾根を歩こうとしばらく進んだ時だった。突然、鹿の群れに目の前を横切られて、びっく りしたと同時に、なんとなく気勢をそがれ、引き返した覚えのある山であった。久々に北 摂のそれも大阪の山で未踏の山に行くことになる。(笑) そして他の四山も変わりはな いであろうか。 7時半、千里中央駅近くのローソン集合。今日のメンバーは3名。車2台に分乗して、 まずは下山地の豊能町高山の公民館の駐車場に1台をデポ。もう1台で箕面ダムの堰堤に 向かう。 空気はひんやり冷たいけれど、日差しは流石に着々と春の気配。箕面ダムの西から自然 研究路に合流して、第一番目の天上ヶ岳へ。ウォーミングアップの急登が所々にある道は 体を温めるに好都合。日陰に雪の残る道が雑木林に変わったら、天上ヶ岳分岐は近い。 天上ヶ岳は主稜線から外れた尾根の出っ張りでしかないのであるが、大宝年間に役行者 が昇天した場所という伝説があって、滝安寺の奥の院でもある。新しい勧請掛を潜ると山 頂の小さな広場で綺麗に掃き清められている。中央には珍しく柔和な役行者像があって、 その頭巾は皆に撫でられてテカテカと光沢を放つ。広場はまた大阪方面の展望台でもあっ て、大阪市街の向こうに金剛山や葛城山が遠望できる。小休止した後は次の堂屋敷だ。
箕面公園の領域には三角点は2つあって、一つが勝尾寺南山と仮称される山で、もう一 つがこの堂屋敷。これらの山は山歩きを始めた頃、宝探しみたいに三角点を探したものだ。 天上ヶ岳から車道へ出る登山道を歩いていくと、掘っ立て小屋が木の間越に見えるちょっ とした台地に出る。北には堂屋敷に連なる峰。堂屋敷跡といわれるところである。ここも 以前、堂屋敷を南から攻めようとして鞍部に降り、笹薮に撤退した経験があるのだが、そ の時には気がつかなかった明快な小道が北へ向かっている。こんないい道が当時あったか なぁ? (^^; 刈り取られた形跡のある枯れ笹の間を進めば、直ぐに東西に走る関電巡視 道に合流。今は鹿の遊び場のような刈り払われた斜面を右斜めに登れば、植林との境目に 堂屋敷の三角点がある。訪れるのはこれで3度目だ。ここは三角点よりも伐採された斜面 からの北の展望が良い(冒頭の画像)。これから向かう鉢伏山や明ヶ田尾山、EXPO記 念の森にある木製展望台。遠く妙見山、高代寺山。更に遠く剣尾山、横尾山、大船山、大 野山、千丈寺山、銀山と北摂の主な山々が居並んでいる。それにつけても止々呂美付近の 工事現場は赤土むき出しで無惨なことよ。
PO記念の森のゲート横にある箕面有料トンネルの通気口工事の為に取り付けられた車道 を辿り、途中から植林の中の道に折れる。そのまま小さな尾根上を進むと、時ならぬ闖入 者に驚く小鳥の鳴き声。枯れた松の幹にとまった姿はコゲラの群れらしい。コツコツと幹 を叩く音も聞こえる。そして梢を飛び回りながら、次第に離れていく。 芝生広場のトイレを右下に、自然研究路と出会う峠。ここから東の植林された尾根の上 を歩いていく。鹿の群れ遭遇地点を過ぎる。右手は植林、左手は雑木の境目、頭を赤く塗 られた境界石が目印。やがて一寸した急登に出て登りきった所には関電の火の用心マーク。 更に進むと高圧鉄塔山下線bR2。その先の高みにも何の目印もない。うーん。長谷山が 見つからない。 諦めて、山下線bR2の鉄塔下で小腹休めの休憩。ここは東方向の展望が良く、府道が 走る谷筋を隔てて、雛壇状の北摂霊園の墓地が一望。その左のゴルフ場は北摂唯一の一等 三角点のある石堂ヶ岡だ。直下は激斜面でなかなかの高度感。清水谷園地の駐車場がミニ チュアの如く眺められる。
一息ついたところで再度の長谷山探し。もう一度、南の高みからその先まで進んでみる が、尾根は徐々に西に振り出して下り始める。その先にもいい道がついている。長谷沿い につけられた自然研究路にでも合流するのであろう。 結局、火の用心標識のある峰が高そうだということになり、そこへ戻って、とりあえず ここを長谷山にしておこうと話していた時である。水谷さんが見つけた。細い木の梢に蒲 鉾板位の大きさに「長谷山」の名前があるのを。何となくモヤモヤしていたけれど、これ で吹っ切れた。(笑)
最高点への道は年々明確になる。気になるのはササが全部、どうしたことかほとんど枯れ ていること。おかげで歩き良いが少し気になるところではある。
道を行く。関電ルートから北に少し入った斜面。ああ。こんないい所だったかなぁ。落ち 葉の絨毯の中に白い雑木が林立する様は、えも言われない。堪能しつつ一歩一歩、歩を進 める。 「ん?」 止々呂美に下る道が分岐する峠を過ぎた頃、谷筋に降りる道から分かれて、以前にはなか った『廻り道』の道標。黄色いテープが煩いほど勧誘する。 「それじゃぁ、行ってみますか」 ところがこれが最高の道。芦生の三国峠から野田畑峠の間を歩いているような素晴らしい 雑木林が眼前に展開したのだ。あの芦生の柔らかくカールした谷の源頭風景。それがその まま、目の前に再現されているのだ。青い空に木の葉を全て落として、少し芽が膨らみか けたリョウブをはじめとした雑木の群れ。各人、「これはいい!」の連発である。ツツジ の頃にまた訪れたい誘惑に駆られる。
立つ。立ち木に分かりにくい手製の案内図。いつの間にか、あれだけあった黄色いテープ も掻き消えた。どっちへ行ったものだろうか。後から考えれば、正規の道への復帰はどう も少し南へ戻って東へ向かうようであったけれど、明ヶ田尾山は北にあるということと、 赤テープが一つ、梢に巻かれていたのに惹かれて、そのまま北に向かってしまった。しか し、古い炭焼窯跡を見て、50mも行くと下りになってしまう。元へ戻る事も考えないで はなかったが、東にトラバースすれば正規の道に復帰できるだろうと考えて、コンパスで 確認しつつ、東側の斜面に取り付いた。あとはひたすら東へ向かうのみ。そして見込み通 り、二つほど尾根を越えると、見覚えある正規の道に飛び出した。凡そ200mも北へ歩 けば高山公民館からのルートが合流する峠で、そこからはのっぺりした明ヶ田尾山の南斜 面だ。雑木の明るい斜面を2、300m歩いて、見慣れた明ヶ田尾山の山頂に至る。三角 点の周囲は刈り払われて、標石の横にはなんと小さな観音さんの像まで置かれ、どこかで 見た覚えのあるような山名板も立てられている。そうそう、戸知山にあったのと同じ筆跡 とペンキの色だ。ということは豊能町が立てたものだろう。
丁度正午。昼食のはここで。木の切株がいい椅子になる。準備している間に、熟年男女 2人組と、単独男性がやってくる。熟年女性はなかなか元気で、昭和58年版のエアリア マップを所持しておられた。 1時間もゆっくりした後、帰路は峠から高山公民館の方への最短路。この道は古くから 間道としてよく使われていた道であったろう。植林帯を下っていけば、伏流水が現れて道 か沢か分からなくなるが、簡易水道の取水口辺りからは道らしくなって民家の裏手に出て くる。コンクリート舗装の農道を右手にとって、シキミ畑沿いに歩いて本道に合流する。 暖かい。オオイヌノフグリの青い可憐な花。畑の中に一際光沢のある黄色い花を咲かせ ているのはフクジュソウ。そして、西方寺の境内には幾つも花を開いたフクジュソウの大 きな株が庭石の陰に匂い立つようである。キリシタン禁制の高札場などを見ながらバス道 へ出れば高山の公民館は目の前であった。
り、政の茶屋へ寄り道。建物の前庭にはフクジュソウ、ミスミソウ、セリバオウレンが花 開いている。カタクリは流石に花はまだで、葉を一枚地上に広げているのみである。 ゆっくりビジターセンターの中を見学するのも、箕面の動植物の生態系が分かって面白 い。久々にじっくり見せてもらう。 暖かい春も間近と思わせる3月最初の日曜。これも久々にじっくり歩いた北摂でした。 以前から鉢伏山から明ヶ田尾山は好ましい山域ではあったけれど、芦生に劣らぬ美しい林 もあって、ますます好きな山域となった。ツツジの季節にまた歩こう。そんな気にさせる 箕面五山巡り。同行の水谷さん、幸さん有難うございました。
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