インクラインの謎
 
平成17年10月22日(土)
天候:曇り
インクライン跡(提供:中津氏)



 大学同期の有志が集まって、京都で一泊することになった。ほとんど30年ぶりに会う
面々。会う前は果たして分かるかなぁと少々不安も、会って見ればとんと杞憂でありまし
た。髪の毛は多少薄くなったり、白くなってはいたものの、体型も変わらない。誰かが、
「同期会は時代を遡るタイムマシン」といっていたが、なるほど言い得て妙である。

 翌日は時代祭。折角なので見物していこうということになったが、時代行列は12時に
御所を出発だそうな。それまで時間があるので平安神宮周辺を散策しようということにな
る。旅館からまずは三条通に出て東へ向かう。紅白の幕と椅子が道路沿いに並べてあるの
は有料観覧席であろう。市役所の向かいまで来ると、目の前が本能寺である。

 天正10年、本能寺の変が起こった当時とは場所が異なるそうだけれど、大講堂と幾つ
かの塔頭に当時をしのぶことが出来る他は、ホテル、駐車場、保育園も経営していて一大
複合企業の様相。「うーん」と唸らざるを得ない。ただ日蓮宗とは知らなかった。

 なおも東に歩く。京都は目抜きより路地を歩くに限る。なぜなら、京ならではの店、た
とえば、悉皆屋、三味線、お香の店などがひょいとあるのだ。更に幅1m程度の小さな路
地であっても、その奥に10軒以上の家が軒を接していることも珍しくない。そんな場合
は、路地の入り口に住人の氏名が列挙された看板があがっているのが面白い。そんな路地
を伝って、再び大路に出て、平安神宮の朱色の大鳥居前を通過。大きな鯉が悠然と泳ぐ白
川を渡ったところで南に折れる。すると大きな建物が右手に見える。琵琶湖疎水記念館。
無料だというのでブラッと見学してみた。ここは京都市水道局が管理しているもので、ジ
オラマや建設当時の古地図などが展示されていて興味深い。その記念館の裏手が広場にな
っていて景色がよい。右手が岡崎動物園。目の前は疎水から流れてくる水が集まって、ま
るで城の堀のようである。覗き込むと鯉に混じって大物のブラックバス。目を左に転ずる
と、なにやら線路の跡がある。これがインクラインの跡らしい。でも、そもインクライン
とは何なんだろう。

 さて、記念館を後にして、南禅寺前から名物湯豆腐を出す店の前を抜けて、「浜の真砂
は尽きるとも...」でお馴染みの石川五右衛門で有名な三門、法堂と歩き、南禅院の方
へ曲がると、モダンなレンガ造りのアーチ橋がある。延長93.17m、幅4.06m、水
路幅2.42m。1888年(明治21年)田辺朔郎の設計になる。南禅院の真横を切り分
け、出来た当座は如何にも場違いだったろうと思えるが、今は南禅寺の境内の木立に完全
に融け込み、いや、むしろそのまろやかな曲線は寺院の創建当時からそこにあったような
錯覚さえ覚える。アーチを潜って右手に鐘楼へ登る道がある。5m程上がれば今も水道と
して利用されている水路を見ることが出来る。

水路橋を下からアーチを見上げる。今も
現役で水が流れている(提供:中津氏)
水路橋のアーチ下から縦に。
美しい曲線の連続だ(提供:中津氏)

 水路に沿って遊歩道があるので歩いてみよう。東山連峰の山すそを忠実に辿る。豊かな
水量の疎水は300m程でトンネルに入り、道はそこで右に折れる。関西電力蹴上発電所
である。足元注意の看板のあるフェンス沿いに発電所を過ぎると、民家に囲まれた小さな
広場に出た。水路は日向大神宮の参道の橋を潜って再びトンネルに消えている。っていう
か、水はそっちから流れてくるのだが...。その向こうはもう琵琶湖だ。広場には古い
舟が置かれ、超広軌の錆びたレール。そうかインクラインとは舟を運ぶケーブルカーなの
か。説明板によれば、最初は疎水の水力を利用していたのを、疎水で発電した電力を用い
るように変更したとのことである。そして驚いたことに、米や魚以外に人間も運ばれたそ
うな。あの狭いトンネルをねぇ。それにしても、明治維新から高々20年。純国産の力で
良くこれだけの工事を完遂したものだ。

 先人の偉業に感心しながら、インクラインの跡を下ってみる。左は蹴上から大津に抜け
る府道と都ホテル。車道の喧騒が気になるが、敷石をゆるゆると下れば、再び南禅寺の前
に戻ることが出来る。ふと疑問に思ったインクラインの謎。少し賢くなりました。

 ところで、案内板にあった「ねじりまんぼ」とは何だろう。結局よく分からずであった
が、帰宅して調べたら、レンガの積み上げ工法の一つで、螺旋状に積む方法だとのことで
あった。もう一つ賢くなったなぁ。(笑)



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