往く秋惜しむ竹田城址
 
平成17年11月26日(土)
【天候】晴れ
【同行】のりかさん
竹田の街並みから竹田城址(古城山)


 夏の海水浴、冬のカニと、その麓を何度となく行き来していたのだが、気にしつつもつ
いぞ訪れる機会を逸していた竹田城址。それが、ひょんなことから和田山に野暮用が出来
たついでに寄ってきました。台風による登山路の消失に、少しうろうろさせられたけれど、
登ってみて予想以上の規模に吃驚。小春日和に恵まれて、麓の竹田の町並みと人情にも触
れてのブラリ散策もいいものです。

 和田山の一本柳交差点から円山川沿いにR312を南下、播但道の和田山ICを過ぎる
と、右手に小高い山が見えてくる。その山頂付近は平らに削られ、緻密に積まれた石垣が
目に入る。国指定史跡の竹田城址である。別名「虎臥城」。山名はそのものズバリ、古城
山。因みに和歌山城も字は異なるが、別名を「虎伏城」という。

 円山川を渡ってまずは竹田の集落へ。目抜き通りに空き地を見つけ、車を駐める。向か
いの家の玄関先に小母さん。ことわりを入れると、
「そこのおうち、姫路に住んどられるから留守だけん、少しの間ならいいんじゃないかね
え」
うむうむ。お言葉に甘えることにする。(^^;

 但馬街道の旧道なんだろうなぁ。南北の筋の両側に家が並んでいて、いかにも街道筋と
いった風情。街灯の看板には米屋町とある。その辻を曲がってまずはJRの竹田駅を目指
す。清らかな水が勢いよく流れる水路沿いに行くと播但線の線路が見えた。あら、水路沿
いに小路があって線路を潜っているみたい。でも小腰を屈めないととてもじゃないが歩け
ない。しかも通路の部分だけ、ほんの申し訳程度に波板をかけてあるだけなので、列車が
通過する時は、車輪などがすぐ目前。その時はちと怖いだろう。それに今は幾らなんでも
散布式のトイレを有する列車なんてないだろうし...。(^^;    幸い、列車が来る
こともなく無事通り抜ける。すぐ横が竹田駅のプラットフォームであった。

JR播但線を潜る道。屈まないと
通れません(のりかさん提供)

 さっきから見えていた目も覚めるような色鮮やかな紅葉の林は八幡社の境内らしい。そ
の下、某陸軍中将が揮毫した忠魂碑の立つ広場に案内板があったので確かめる。『日本一
の山城の森』とある。徒歩道は3本あるという。@表米神社コースA駅裏コースB竹田小
学校コース。どれも30分もあれば登れるようだ。今立っている場所が駅裏コースの登り
口。そのコースで登るにしくはない。しかし石鳥居に立てかけられた気になる標識。曰く、
「昨年(平成16年)の台風で土砂崩れで通行不能。復旧は平成17年春になる。竹田小
学校コースは通行可能、云々」
まあ、今年の春が目処ならもう復旧しているだろうと、とりあえず行ってみることにする。

 道まで紅く染まったような八幡社の紅葉林を右に見て舗装路を進むと、また小母さんが
いたので確かめてみる。
「この道で竹田城へ登れますかねぇ?」
「お爺さんが数日前に行ったけど、木が倒れとって帰ってきた云うとったがねぇ」
「そうですかぁ。まあとりあえず行けるとこ迄、行ってみますわ」
そんなやりとりを交わした後で、舗装路から分かれる直登の山道へ入る。鹿避けの扉を抜
けると桧林。そこまでは道あり。しかしその先は凄い山抜けの跡。その先は重機が出て復
旧工事の真っ最中なのであった。ヘルメットに作業姿の小父さんに大声で声をかけるも、
返ってきたのは胸の前で腕を大きく交差させるジェスチャー。こりゃぁ、駄目だ。仕方が
ない。工事用の取付道路をすごすご退散。途中から古い墓場に下りるあぜ道を見つけ、軒
先をかすめるようにして竹田の集落に戻る。

完全に崩壊した駅裏コースの登山道

 30分はロスしただろうか。こうなれば唯一通行可能という小学校を目指すしかない。
また駅に出て、今度は線路沿いに北へ歩き、畑で野菜の世話をしていた、これまたおばさ
んに道を確かめつつ進めば、ほんの10分もかからずに小学校が見えてきた。折りよく専
眼谷踏切とかいう名の小さな踏切。小道から車道に出ると、すぐに登山口の案内があった。
それにしても、出会う小母さん、みんな親切だなぁ。

 小学校を西から見下ろす車道から、斜めに上がっていく遊歩道は、すぐに切り返して、
尾根筋を登る道になる。手入れされた桧林だ。『樹徳塔』と刻まれた石造りの五重塔があ
る。山主が木々の恵みに感謝して建てたものだろう。それを過ぎると、一本調子の階段道。
結構きつい。といっても10分も喘いではいないのだが。(笑)

 尾根の突端に出る。やや平坦になって、ベンチが置かれている。標高はほぼ200m。
竹田小350m、城450mと道標。小憩。額の汗を拭う。

 しばらくはいい雰囲気の尾根道。コシアブラ、タカノツメなどが目立つ褐色の落ち葉道
だ。それが再び急傾斜となって登りきった台地が観音寺山。石がゴロゴロしているなと思
ったら、やはり出城のようなものがあったそうだ。ここまで、登りになっては平坦、登り
になっては平坦を2、3度ばかり繰り返したように思うが、曲輪の跡なのかもしれない。
ここまで来ると、前方に竹田城址の石垣が大きく横たわるのが見えてくる。規模は南北4
00m、東西100mという。なんとも壮大な山城である。

北千畳から三の丸に続く石垣

 観音寺山と本城を繋ぐ尾根を渡ると、道は自然に北千畳を支える石垣の東斜面の裾を辿
るようになる。石垣は高さ5m位だろうか。丹波や播磨に多いピンクがかった自然石(花
崗岩だそうだ)を少し反りを持たせて、穴太積みにしてある。よくまあこれだけ緻密に積
み上げたもの。そうして脳裏に浮かんだのは、そう、インカ帝國の古都マチュピチュの遺
構である。

 二の丸から本丸へと進む。天守台へは本丸から丸太の梯子で上がるようになっており、
ソロリと上がると、そこは中央に四隅の欠けた三角点(三等三角点『城山』)が埋まる1
0m四方の台地で、遮るもののない360度の大展望が広がっている。西に金梨山、朝来
山。その中腹にある立雲峡は桜の季節はさぞかし霞みたなびく風情なのであろう。その左、
遠くアンテナ施設を戴いた三角形の山は粟鹿山。足元には円山川が日の光を反射させて悠
然と流れる。北は和田山の盆地。床尾山らしい高みも眺められる。西は大路山。南には段
ヶ峰も笠形山もあるのだろうがよく分からない。天守台から降りた本丸の広場からは、播
但道の虎臥城大橋や、麓の都市・農村交流施設「山城の郷」から上がってくる車道が一望
である。そして、城の縄張り。ここから見る南千畳は松の木を配して整然として綺麗だ。

天守台から金梨山。奥は粟鹿山

天守台から南千畳の遺構

 天守台はやはり風があって汗ばんだ体には寒い。風を除けて本丸の芝生で弁当を広げる。
車で上がってきた家族連れや、カップルでそこそこの人出がある。でも、下からまじめ?に
登ってきたのは我々だけらしかった。(笑)

穴太積みの石垣

 古い知り合いとの約束があると先に下りた法香さんと別れて、帰りは竹田新町へ降りる
車道で下ることにした。駐車場へは『花屋敷』と呼ばれる西側の遺構から下る。雑木の中
の小道を5分も下れば、立派な駐車場である。隅にある供養塔は室町時代から戦国時代に
かけて相争った山名氏・赤松氏の霊を弔うもので、それぞれの子孫の方々が共同で建てた
ものということだ。そんなことから戦国に思いを馳せるのも面白い。

 北側に下りる車道周辺をブラブラして、大手門を復元したらしい門から階段を下りる。
すぐ横にトンネルを出た播但道が見えて、少々、車の騒音が小うるさいこともあって、車
道歩きは長く感じたが、計ってみたら高々10分程度であった。

 車道に出合って山裾を東から北へ曲がれば竹田の集落で、復旧作業の取付道路が降りて
きている。寺町通りに入ると、復旧工事のドタバタ感は消えて、しっとりとした趣に変わ
る。表米神社の前を過ぎてすぐ、大きな鯉が悠然と群れている水路で、何やら洗っている
小母さん。見れば笊一杯のムカゴであった。その小母さんに聞くと表米神社コースもやっ
ぱり歩けないらしかった。

 寺町通りと言うだけあって、寺が隣接して並んでいる。その一つ、法樹寺には竹田城最
後の領主、赤松広秀の墓があるというので入ってみると、去年の台風で墓石百数十が流さ
れたのを弔う真新しい供養碑。本堂も新しく、隣の寺も何やら普請中であったから、この
辺りも軒並み台風の被害を受けたのだろうか。結局、広秀の墓には行かなかった。

 14時過ぎ、竹田駅裏へ戻ってきた。八幡社の紅葉林の下に行ってみる。本当に、大袈
裟ではなく、地面も顔も紅く染まるほどの鮮やかさである。ささやかな八幡社の境内も、
復旧工事の車両が入っていて興ざめなので引き返す。再び、水路沿いの小路で線路を潜っ
て駐車地へ戻る。

 野暮用のついでに寄った但馬の街道筋。往く秋を惜しむが如くの紅葉も楽しめ、期待以
上の儲け物の半日だったと思ったけれど、最後は高速で事故渋滞に巻き込まれ、散々。人
生万事塞翁が馬でありますなぁ。(笑)

八幡社の目も覚める紅葉

こちらは稲荷社の紅葉



【タイムチャート】
11:25JR竹田駅前付近(駐車地)
11:30〜10:35駅裏の八幡社下
11:45山抜け復旧工事付近(撤退)
12:22竹田小学校登山口(Ca100m)
12:30〜12:33尾根突端のベンチ(Ca200m)
12:44観音寺山(Ca310m)
13:00〜13:35竹田城址本丸(353.4m 三等三角点『城山』)
13:45〜14:05駐車場付近うろうろ
14:15城址への車道と市道の分岐
14:40JR竹田駅前付近(駐車地)


竹田城址(古城山)のデータ
【所在地】兵庫県朝来市和田山町
【標高】353.4m(三等三角点)
【備考】 朝来市和田山町の南、但馬街道に沿った竹田の集落の西
に盛り上がる峰に造られた山城で、別名虎臥城とも呼ば
れ、国史跡にも指定されています。山名宗全の部将であ
った太田垣氏によって築かれた当初は砦程度であったの
が、現在の形になったのは豊臣時代の文禄年間だといわ
れ、穴太積みの壮大な石垣が往時の姿を忍ばせます。車
道が中腹まで通じていますが、登山道は平成17年11
月現在、表米神社コース、駅裏登山道コースが台風の為、
通行不可で、竹田小学校コースのみ通行可能です。
【参考】
2.5万図『但馬竹田』



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