春霞む丹生山から帝釈山ついでにシビレ山
 
平成17年 3月27日(日)
【天候】晴れのち曇り
【同行】単独
丹生山系縦走路にて


 今週末は暖かい好天。どこか出かけないと後悔しそう。(^^; だが、こういう時に限っ
て、えてして行き先が決まらない。ああでもこうでもないと考えすぎるからかなぁ。朝に
なってもまだ悶々、イライラ。そんな時、ふいに頭に浮かんだものは...。

 六甲山系の北側に、それと並行に東西に伸びる山域がある。丹生山系或いは帝釈山系と
呼ばれ、最高峰でも600m足らず山並みだ。どういうわけか今まで足を向けなかったの
だが、先頃、裏六甲の地獄谷西尾根を歩いた折、北側に柔らかい起伏を重ねていたのが印
象に残っていたのと、阪神高速北神戸線を使えば、大阪からでも1時間余りで行けると聞
いたのを思い出したのだ。名案!それじゃ一度出かけてみるかぁ。

 宝塚までは例によって地道。中国道から山口ジャンクションで阪神高速北神戸線。空い
ていて快適、快適。^^)/  箕谷で降りて衝原(つくはら)方面に向かう。右手に目指す
丹生山系が柔らかい起伏を見せている。サイクリングターミナルの案内で右折すると駐車
場。速い。途中、コンビニに寄っても1時間だ。(^^)/

 準備して志染川に架かる丹生前橋を渡る。それにしても沢山の路駐の車。(みんな山に
登ってるんかいな?)と思ったら、衝原湖でのバス釣の若者らの車らしい。それはともか
く、まず取付きはどこだろう。とりあえず左に折れて、山へ向かう道を探して寺の墓地ま
でやってきたけれど見つからない。墓地の中へ入っていく道はその先で消えているしで、
一旦戻って、ジモティにでも訊くかぁと思い直した時である。サイクリングウェアに身を
固めた小父さんが声をかけてきた。
「何処行くの?」
「丹生山方面へ行こうと」
「それやったら橋の向こうの赤っぽい屋根見えるでしょ。あの横に登山口あるよ」
礼を返してそちらに向かう。

つくはらサイクリングターミナルの前から
登山道は始まる。

 あった、あった、登山口。赤っぽい屋根の建物はサイクリングセンターの管理棟。登山
口の路地を挟んで隣は箱木さんという民家。そう。箱木千年家の持ち主さんの家のようだ。
そういえば10年位前だったかに、箱木千年家を訪れたことなぞを思い出した。武家屋敷
の様な、農家の様な。棗の木があったっけ。続けて、(なんや、「丹生山登山口」と立派
な案内標識まであるやないの。それやったら橋渡ったT字路に設置してもらわんとねぇ)
心の中でブツブツ、ブーたれる小生である。

 地元ではそう呼ばなかったらしいが、今では義経道と呼ばれるのが一般的になった道で
ある。由来を示す説明板まである。三草からこの道を通って鵯越を一の谷に向かったとの
こと。「フーム。なるほど」。

 最初は竹やぶ。濁った溜池を左に見てクネクネと高度を上げていくと、雑木に囲まれた
いい雰囲気の道になる。プーンと懐かしいにおい。ヒサカキの花のにおいだ。見れば光沢
ある常緑の葉の影に、びっしり黒っぽい小さな花が群がっている。アセビも満開。アラッ、
コバノミツバツツジまで赤紫の花を咲かせている。数日前の寒さも何処へやら。一気に春
めいた感じだ。そして下草のない清々しい感じの雑木の斜面が左手に。茶色一色だったそ
の雑木の枝先も、いつの間にか黄緑。ああ、いいなぁ。

義経道途中の雑木林

 額が汗ばんでくる。阪本と小さく書かれたプレートのある分岐を右に見送って、ややザ
レた斜面を登れば尾根道である。『従寺八丁』と刻まれた標石がシダの中に立つ。中世に
栄えた明要寺への参道の一つであったらしい。

 道は一転、手入れの悪い細い桧の林となる。すると前方に石仏が現れた。六地蔵だ。左
手が狭い台地になっており、卵塔や五輪塔が並んでいる。明要寺の墓地のようだ。砂岩が
摩滅していてよく分からないが、墓碑銘を見ると○○法印などとあって、安政2年の墓も
ある事が分かる。

 ほぼ平坦になった道を辿れば、まもなく林道然とした道に合流する。丹生神社バス停付
近から上がってくる表参道である。左に進むと箕面の勝尾寺や高野山のに似た町石。それ
には三丁とある。竹が覆いかぶさる下を進むと、右は石垣で左は開けて明るい。やがて、
広場に出、正面には立派な鳥居(享保12年とあった)。潜った先にはこれまた想像以上
に立派な丹生神社の社殿があった。丹生神社は日吉山王社ともいい、平清盛が丹生山を比
叡山の山王社になぞらえて信仰したともいわれるそうだ。さっきの石垣は城跡らしく、別
所長治の三木城の出城があったが、秀吉の三木城攻めで明要寺もろとも灰燼に帰したらし
い。その際、殺された稚児達を村人が哀れに思い葬ったのが稚児ヶ墓山だという。またま
た「フーム。なるほど」。

丹生山山頂の丹生神社

 昼食は帝釈山でとることにして先を急ごう。道標に従って鳥居の右手のコンクリート道
を行く。すぐに下へ降りて行くその道を見送って直進すると道標分岐。直進はシビレ山、
右の尾根に上がるのが帝釈山に向かう丹生山系縦走路である。ここもなかなかいい道が続
いている。少し登って桧の植林の537mピークを越えると、ザレ気味の鞍部に出る。裏
参道らしい道が上がってきていて、南へ下れば丹生会館へと書かれたオフィシャル道標が
ある。ここからまた雑木の山道。ヒサカキ、ミツバツツジ、アカマツ、イヌツゲ、アセビ
にコシダ。もう一つCa560mピークを越え、再び下って登り返すと、ポッカリ空いた小
さな広場。帝釈山の山頂である。

明要寺奥の院のあった帝釈山

 明要寺の奥の院があって、帝釈天が祀られていたことが山名の由来というだけあって、
石の祠が点在。それに混じって二等三角点。見晴らしが悪いとガイドにあったが、南が開
けて結構素晴らしい眺望ではないか。麓の里や溜め池にゴルフ場。遠くうっすらと淡路島
の島影も浮かぶ。
帝釈山から南方面。横尾山や須磨アルプスが見える

 ポカポカと柔らかい日差しの中、食事していると、10名位のグループがやってきて、
とたんに賑やかになる。更にやって来たのは目の不自由なハイカーをボランティアする山
登りの人たち。そんなこんなで、余り広くもない山頂はいっぱい。お先に撤収。広げたも
のを片付けて場所を空け、来た道を戻る。

 往路では気づかなかったが、里山らしく『鉱山跡、清棟山』とマジック書きのテープが
ある踏み跡や、『シビレ山』への近道などがあって、色々バリエーションルートが取れる
ようだ。
帝釈山と丹生山の間の山道

 20分少しでシビレ山分岐に戻って、折角なのでシビレ山を目指すとしよう。右に折れ
て山腹を鉢巻を巻くように、殆んど起伏のない道を行く。右手の斜面から下ってくる踏み
跡は、先程のシビレ山の近道がものらしい。次に出てきた古い石標が2つあるY字路は右
が淡河本町への分岐。ここにも『従寺○丁』の丁石が立っていて、北からの参道であるこ
とを示している。

 5分も歩くとまたまた分岐。右に下がっていく道を見送って、左の尾根を行く道に入る。
明るくなって、左側が見通せるようになる頃、雑木の枝に私製の小さなプレート。右、朝
日山とある。メインルートはこの三角点峰の山腹を巻いているらしい。モミジイチゴらし
い棘のある雑木が多い踏み跡を、少し登れば朝日山。四等三角点が置かれているが、点名
が『シビレ山』とややこしい。ほんの小さな頂であるが、展望は丹生山や帝釈山より余程
いい。呑吐ダムで堰き止められた衝原湖、湖を横切る淡路連絡道。シブレ山。須磨アルプ
スの横尾山、鉄拐山も青い。

朝日山から帝釈山

 朝日山から西に下ると、再び山陽自然歩道に合流する。すぐにロープの設置された急斜
面。向こう側にシビレ山らしい高圧鉄塔が立つ高まりがある。再びなだらかな道になると
シビレ山200mの標識が出る。分岐を右に、少し登り返すと岩がゴロゴロ転がる裸地。
そこより先にまだ高い部分があったので行ってみるが、繁みばかりでここにもお馴染みの
山名板がない。ただ、錆びて判読不能のプレートが1枚、木に引っ掛けられている。やや
下ってまた少し登った先にある高圧鉄塔まで行くがここにもプレート類はない。はて、ど
こがシビレ山の頂なのだろうか。多分、さっきの繁みだろう。(岩ゴロの裸地に以前は兵
庫登山会の山名板があったらしいが、見つからず)

 さて、展望はこの高圧鉄塔(西神支線20)の立つ台地が最高。先程の朝日山からの展
望に加えて西側の雄岡山、雌岡山が古墳さながらである。目の前は谷を隔てて杉林が目立
つ丹生山。遥か遠くには明石海峡大橋の支柱らしきものも微かに眺められる。誰もいない
と思ったが、台地の端に稲美町から来たという単独小父さんが座っていた。稚児ヶ墓山ま
で歩いてきたそうな。あの古代祭祀跡という岩ゴロの所は、多分雨乞いの跡ではないかと
おっしゃっていた。

 丹生山に戻って好物の赤飯結びをぱくつきながら一休み。帰りは表参道で下るとする。
義経道を右に、広い道を下っていくと徐々に石段も出てきていかにも参道という雰囲気。
丁石の数字がどんどん増えていく。紀元2601年とあるから昭和16年に造られた丹生
山橋と名づけられた石橋を過ぎると、川沿いの舗装林道が下に見える。大きな石のお地蔵
さんを左にその林道に降り立った。後はぶらぶら林道を下るだけ。千年家を目指して川沿
いに歩いていけば、巨大なクレーンのある建設資材置き場の横から、3時過ぎ、県道に降
り立った。

 春めく丹生山系を眺めながら草餅で一息入れる。人気の六甲に隠れて地味だけれど、植
林も少なく、数々の歴史にも彩られたなかなかいい味の山ではないか。また近々お邪魔し
ようかなどとつらつら考えながら、車を東に向け帰途につく。


【タイムチャート】
9:30自宅発
10:35〜10:45箱木千年家前駐車場
11:28〜11:33明要寺墓地
11:37表参道、義経道出合
11:40〜11:50丹生山(丹生神社)(515m)
11:52シビレ山分岐
12:02丹生会館への分岐のコル
12:15〜12:57帝釈山(585.9m 二等三角点)
13:10丹生会館への分岐のコル
13:20シビレ山分岐
13:26淡河本町分岐
13:35〜13:36朝日山(512.8m 四等三角点 点名『シビレ山』)
13:43シビレ山(465m)
13:45〜13:52高圧鉄塔(西神支線20)
14:10淡河本町分岐
14:19シビレ山分岐
14:21〜14:27丹生山
14:33表参道、義経道出合
14:42林道出合
14:52千年家、丹生会館分岐の四辻
15:06県道出合
15:12箱木千年家前駐車場

丹生山のデータ
【所在地】神戸市北区
【標高】515m
【備考】 丹生山系の西側に位置します。山頂には、かつて明要寺
と山城がありましたが、秀吉の播州攻めで焼け落ちまし
た。現在は丹生神社の社殿があります。また、南麓の志
染川を堰き止めた衝原湖周辺には箱木千年家、サイクリ
ングロードなどがあります。
帝釈山のデータ
【所在地】神戸市北区
【標高】585.9m(二等三角点)
【備考】 丹生山系の主峰です。往時、明要寺の奥の院があった名
残の石の祠と石垣が山頂にあります。山頂からは南の展
望が良く、明石海峡大橋などが一望です。
■関西百名山
シビレ山のデータ
【所在地】神戸市北区
【標高】465m
【備考】 丹生山の北に位置する尾根上の一峰です。鉄塔の立つ台
地は丹生山、帝釈山よりも展望が良く、東播磨方面が一
望できます。面白い山名の由来は、山頂の古代祭祀跡と
関係するのではないかと思われます。尚、点名『シビレ
山』は東の朝日山のことです。
【参考】
2.5万図『有馬』、『淡河』



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