海を見つつ須磨アルプス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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須磨アルプスの主峰、横尾山(奥) |
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タイヤがノーマルなので、冬場は凍結路を避けて、必然的に近場の低山徘徊が主。でも なかなか行き先が決まらず。天気がいいのに勿体無い。苦し紛れにピラッと開くガイド本。 おお?面白い所がある。アプローチも便利。決めた。それはスリルもありそうな須磨アル プス。高速使えば豊中から1時間もかからない、海の見える山域でした。 ロープウェイの乗り場横の駐車場に車を置いて、まずはハイキングの案内地図を確かめ る。遊歩道はロープウェイの左側にあるらしい。敦盛橋を渡った右手の山際にコンクリの 階段道。道標には鉢伏山近道とある。
ながら登るにつれて背後に須磨の海が広がってくる。所々には展望台があっていい景色。 明石海峡大橋の先には、淡路島が文字通り指呼の間。建物の輪郭まではっきり見える。 登る間に地元の方であろう、初老の人達と何人もすれ違う。近場にこんないい散策路が あるとは、本当に羨ましい限りだ。いただけなかったのはロープウェイ山上駅の下付近ま で来た時だ。屎尿の悪臭がひどかったこと。何とかしてもらいたいものだ。
登るというより上がると、備え付けのテーブルではご夫婦が昼食中。 山上遊園のリフトを横目に、小さなアップダウンをこなして行き着いた旗振山は、摂津 と播磨の国境で、江戸時代は堂島の米相場の成行きを知らせる旗振り場があった所だとい う。ややこしいのは鉢伏山とこの旗振山の関係。旗振山にある四等三角点の点名は『鉢伏 山』で、旗振茶屋横に建つ無線中継所の名前も「本四連絡橋公団鉢伏中継所」なのだ。本 来、ここら一帯を鉢伏山と呼んでいたものが、米相場の旗振の方がポピュラーになり、一 つの山の名前になったのだろう。ここには塩屋からの旧六甲全縦路も上がって来ていて、 昭和6年創業の旗振茶屋からは今日も笑い声が漏れていた。 快適な尾根道だ。しかし、山際まで市街地が迫り、しかも低山なので喧騒がワーンと沸 き上がってくるのはしようがない。周囲はヤマモモ、シャシャンボ、カゴノキなど常緑樹 が多いが、一際、目だったのがウバメガシ。その純林もある。総じてウバメガシは海岸べ りに生育する樹木だそうで、この付近も昔は海岸べりであったと説明書きにある。確か西 光寺山にもウバメガシの群落があったように思うが、そういえば西光寺山の近くに海の神 を祭る住吉神社があったなぁ。あの辺も海だったんだ。なーるほど。
で狭い山頂。"FK"と刻まれた復興基準点と神戸市の三等多角点が置かれている他、ベン チが一脚。その山頂から左に折れてこちらは急階段。下りきって急に車の騒音が大きくな ったと思ったら、なんと第二神明道路のトンネルの上を歩いているのであった。 道のそばの高みに置かれた点名『立原谷』の四等三角点を確かめて、縦走路に戻ると、 そこは公園に良くあるコンクリの階段道。その先は東屋もある広場になっていてこれはも う「公園」である。丁度、正午。ベンチもあり、展望もいいので第二神明の料金所や神戸 の市街地、更に大阪湾を眺めながらの昼食とした。
の手前には高倉台団地が広がる。少し奇異な感じがするのも道理。今、団地が建つ辺り一 帯は、昔は元々標高291.5mの高倉山という立派な山があったのだ。それがポートア イランドを造成する為に跡形もなく削り取られたのだという。一山完全になくなってしま ったのである。そんな神戸市の錬金術も今や時代から取り残されている。にもかかわらず、 土建国家の幻影を追う神戸空港。結局その付けを払うのは市民なんだがなぁ。何だかやり きれない。お蔭で狭くて急なコンクリ階段を一気に100mも下らねばならない。非常階 段みたいに狭くて急なコンクリ階段である。 「さつき橋」なる陸橋で車道を跨いで、団地の中のカラー舗装の道路を歩く。「近隣の 迷惑になるので静かに通行して下さい」云々の掲示があるが、六甲全縦の時はさぞかし煩 かろう。 大丸ピーコックの脇の広場を抜けて、今度は一戸建ての家々の横を進むと、前方の山の 手前には大きな6車線の道路。これを再び陸橋で渡って山肌の突き当たりを左に折れる。 100m程進むと、これまた恐怖の階段道が待ち構えていた。ガイドによれば標高差は1 40m。先ほどの6車線道路を取り付けた際に削った跡なのであろう。大きな木は無く、 土止めに植えたらしい茶色い実をつけた帰化植物と思われる雑木が目立つ。登るに従って、 背後には鉄拐山、旗振山などの山塊と瀬戸内海が広がる。下から湧き上がってくる車の騒 音が煩わしいが、眺望はなかなかのもの。
道となる。そして巻きながら登った最初のピークが栂尾山。木製の小さな展望台がある。 ここも眺望絶佳だ。一旦、下って水平道。再び登りになって、前方で数人の話し声が聞こ えたと思ったら、中央に二等三角点が鎮座している横尾山の狭い山頂だった。三角点の写 真を撮ろうと先着のパーティの移動を待ちながら小憩する。ヤッケを着ていたら暑いし、 脱いだら寒いし。中途半端だぁ。(笑) 雑木が茂っているので市街地方面以外は展望も無く、デジカメにも納めたし、三角点も タッチしたことだし、先を急ぐことにする。 道は北側へ。ここからがいよいよ須磨アルプスの核心部だ。ピンクがかった花崗岩とそ れが風化した砂が目立ち始める。蓬莱峡に似た雰囲気で、周囲に展開する白く荒涼とした 世界は、すぐ向こうに見える市街地のマンションや学校の建物とは好対照だ。
呼ばれる激痩せ尾根。風化が激しくザラザラしていて、その上、一木一草も無いことで、 結構、高度感とスリル感を醸し出す。雑木の茂っていることが如何に安心なことか。(笑) 少し、登り返せば東山と呼ばれるピークで、説明板の天狗にまつわる昔話が面白い。横 尾山より展望が良く、海も眺められるので南向きにベンチも置かれている。一休みだ。 尾根道を鷹取支線bUとある高圧鉄塔を過ぎて間もなく、板宿分岐に出る。直進すれば 地下鉄の妙法寺駅。こちらでもいいが、なにせ電車賃が高くなる。(^^; 素直に板宿へ降 りるにしくはない。 ヤブツバキの多い道である。色彩の乏しい山道に紅色は鮮烈。再び高圧鉄塔があり、三 等基準点の埋まる横を進めば、再び分岐になるが、ここは左。元治年間に勧請された春日 社の祠横を抜ける。やがて市民農園横のあぜ道っぽい道になって、点名『板宿』の四等三 角点は、禅昌寺への分岐のすぐ先のようだから登っておく。 分岐に取って返し、板宿八幡方面に進む。1m幅位のいい道が続き、須磨学園のフェン ス横を通る。須磨千歳町線bRの鉄塔で勝福寺分岐を過ごせば、やがて社の甍が下に見え てくる。 板宿八幡に到着。こじんまりとしているものの清々しい神社で、境内のベンチからは、 摩耶の山並みや市街地が一望できる。板宿の地名は、何でも菅原道真が藤原時平の讒言に あって、大宰府へ左遷されて下る道すがらこの地を訪れた時、里人が粗末ながらも板囲い した宿を供したことが由来とか。小生の住まう近辺にも服部天神社があって、同じく道真 が西下する時、足が痛くなって逗留した所から、今では足の神様になっている。道真も弘 法大師に似て、あちこちに言い伝えがあるものだ。更に板宿八幡社には飛松天満宮も合祀 してある。これまた道真にまつわる話で、丹精していた梅や桜は名残を惜しんでくれたの に引き換え、松はと道真が嘆いたのを伝え聞いた松が、ここまで空を飛んできたという。 付近の町名にもなっている有名な松だそうだけれど、付近を探してもそれらしい松は無か った。(笑) 面白い言い伝えに苦笑しつつ、参道の石畳を下りる。しかし、この付近の路地の入り組 んでいること。山の中より歩くのが難しい。しかも切れ切れに折れ曲がり、一度来たくら いでは覚えられない。幸い、要所の曲がり角の電柱に「登山道 板宿八幡」の標識がある のに助けられ、育英保育園と書かれた立派な保育園の前から、ようやく妙法寺川沿いの幹 線道路に出る。後は板宿商店街を南へ歩いた先が山電板宿駅であった。 高速、名神と乗り継げば自宅までほんの40分。意外に近い須磨浦公園。風はまだ冷た いけれど、海を見ながらの山歩き。楽しめる山域がまた一つ増えたような...。
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