平成16年初山は干支の山〜高山・猿藪
平成16年 1月 4日(日)
【天候】晴れ
【同行】別掲
猿藪から眺める高山。右手前の山稜付近に、猿藪と
けやき峠との分岐がある


 例えば子年なら子の泊山、辰年なら龍王山等々、山名に干支の含まれた山がある。それ
で毎年その年の干支に因んだ山に登るという人がいる。小生は元来、そういう事にはあま
り拘らない方だったけれど、今年は申年、初山はその申年に因んだ山にしようという考え
がふと何気なく湧いた。そこでどんな山があるのだろうかと調べてみたが、近場ではなか
なかこれといったものがない。和泉の槇尾山近くに猿子城山というのがあるが、気付かず
に通り過ぎてしまう程度らしく余り相応しくない。そこでネットで調べてみると兵庫県山
南町に『猿藪』と呼ばれる山があるらしいことが判明。しかも付近の最高峰である高山と
セットで歩けるらしい。加うるに低徘の仲間のログもある。「これは行ってみるべぇ」と
いうことで、三が日明けの4日、歩いてきた。展望も良く歩いた距離はそれ程長くはなか
ったけれども、そこは丹波の山の例に漏れず急登急降下の連続。正月に鈍った体には些か
きつ〜い?試練でありました。(笑)

 同行メンバのもぐさん、のりかさん、水谷さんを次々にピックアップして、中国道から
舞鶴若狭道。丹南篠山ICで降りる。R176で少々北上、県道で西に向かい、山南町の
谷川付近で南に折れて、たたなづく山々の懐へと潜り込む様に進む。所々にある首切地蔵
尊の標識が目印である。山田川沿いの一車線程の道は狭いが舗装されていて、数km走ると
一帯が明るく開ける。地蔵の森公園だ。車はここに置いても良いが、前方の木立の間に建
物が見えるので更に進むと『地蔵茶屋』という名の茶店である。その前が駐車場になって
いてここに駐車することにした。

 準備を整えていると、「お参りか?」と茶店の小父さんが声をかけてきた。
「山に登るんです」と答えると、近頃、登る人がちょくちょくあるのだという風なやり取
りの後、参考地図があるからあげると云う。頂いて眺めてみると高山登山の案内図で、裏
は『兵庫丹波の山』の著者慶佐次さんが新ハイに寄稿した高山の山行記である。但し、こ
の資料、山行記はともかく概念図の方は、後刻判明したことだが記載が甚だ不正確。詳細
は後述するけれど余り参考にしなうほうがよろしい。(笑)

首切地蔵尊。願掛けのよだれかけで満艦飾です

 さて、安全祈願も兼ねてまずは首切地蔵尊へ。当初は山懐にある小さな祠程度と思って
いたのだが、なかなかどうして。こじんまりとはしているが、参拝者用の東屋や管理する
建物まである立派なもの。一列に並んだ数体の石地蔵は奉納されたよだれかけで埋め尽く
されていて見た目には判らないが、首がないのだという。昔、源氏との戦いに敗れた平氏
の姫君や女御達がここまで逃れてきたが、残党狩りに遭い、悉く首を刎ねられたのを哀れ
に思った村人達が供養したのが始まりとか。首から上に霊験があるとされ、今では受験生
に人気があるだけでなく『リストラ地蔵』との呼び名もあるそうだ。建物から出てきた小
父さんには熱い薬草茶まで頂く。他の方々のHPにも指摘されていることであるが、丹波
には従前の日本が持っていたほのぼのとした人情がまだ脈々と生きている感じがする。体
のみならず心までほっこりする瞬間である。

 谷川沿いの、地蔵尊の前を通る地道の林道高山線を辿る。起点に丹南町が立てた真新し
い道標があり、それにはわざわざ「未整備」との断り書きがある。暫らく歩くと作業小屋
が現れ、橋を渡った所で、道は川と別れて小屋の前を緩く登っていく。左右は桧の植林。
前方の山も植林帯で、雑木歩きを期待していた我々は少々失望の態。しかしこれは後に良
い方に期待が外れる。

 それにしても取付きがはっきりしない。右手の山側に作業用らしい踏み跡がちょくちょ
く現れるのだが、「口ヤギリ谷」とか「奥ヤギリ谷」等のプレートの他、それらしいプレ
ートもテープも無い。登山口に山南町の標識があったのだから取付きにもあるはずだろう
とはいうものの密かな不安がよぎる。GPSで現在地を確認した後、最悪の場合は林道終
点から尾根へ突き上げればいいだろうと思い直して、一旦戻るも再び奥へと歩き始める。
するとそこから5分位だろうか、左に大きくカーブした辺りに『大呂坂口』と書かれた茶
色の標識が立っており、明瞭な踏み跡が植林帯へ吸い込まれているではないか。ホッと一
安心だ。一息入れた足元には関電の火の用心の赤い標識が草叢に倒れている。

林道途中にある高山登山口(大呂坂口)

 左は小さな沢。関電巡視道を兼ねた道は最初、緩い傾斜で甘く見ていたが、次第に険し
さは増し、最後は胸突き八丁の一本登り。林道歩きで暖機運転してきたとはいうものの、
これはきつかった。時間的に短いので救われるが、しんどいのは正月のぐうたら生活の所
為ばかりではなかろう。

 漸くして乗った尾根はT字路で、左にbV3の高圧鉄塔が直ぐなので行ってみるとこれ
が展望良し。これから向かう高山のどっしり構えたピラミダルな姿が眺められる。鉄塔左
手にあった踏み跡は、先の作業小屋付近にも「火の用心」標識があったから、そこへ下っ
ていくのかもしれない。それとも林道終点だろうか。

 T字路に戻って再び傾斜の増した尾根を登って行くと、三叉路のある小さなピーク(Ca
480mピーク)に出る。右が大呂坂(峠)への道。150m程、緩やかに下って行くと、
大きな木の下に石仏がポツンと佇むのが見えた。

 大呂峠は尾根道と峠道が十字に交差する典型的な峠で、南への明瞭な道は西脇市の住吉
への道。北へ向かう道は地蔵尊へ降りていくのだろうが、どの辺りへ降りるのか調べてみ
たい気がする。また西へも鹿ネットの張られた尾根伝いに踏み跡があり、大樅峠を経てテ
ンロク(天徳山)へ続いているようだ。峠に置かれた石には蓮弁が刻まれた上部に南向地
が柔和な顔でおわし、像横には『奥谷川施主中」と彫られてあったから、江戸末期か明
治初頭に谷川の住民が安置したらしいことがわかる。

 石仏を撮影した後、三叉路の小ピークへとって返し東へ向かう。丹波と播磨を分かつ尾
根道の左(山南町側)は植林、右(西脇市側)は雑木と両側で対象的に植生が異なる。間
もなく現れたのはbV4の高圧鉄塔。更に5分程で再び三叉路。ここは左に採る。右は5
13m標高点ピークへ向かう尾根道らしい。ここまで小さなアップダウンはあるもののほ
ぼ平坦だったが、この付近から道は下りだす。王子製紙の古い火の用心標識がある。これ
は大峰や八ヶ峰でも見かけたことがある。王子製紙が如何に沢山の山を所有しているかが
判るというものだ。「○に王」と刻まれた王子製紙の石標も見つけたがこちらは初めて見
るものである。
高山山頂手前の清々しい雑木林を行く

 鞍部を過ぎると高山への最後の登り返しだ。此処もきつい。息も荒くなって途中休憩が
必要。その急傾斜もやや緩んでくると山頂は近い。少し切り開かれた東西に長い山頂には
誰も居らず、山南町の山名標識杭と四隅が欠けた四等三角点が埋まる。展望は360度と
は行かないが、南から東にかけては頗る良い。一際目立つのは西光寺山。丹波槍と呼ばれ
るとんがり山と西寺山。遠くには六甲連山。その左手には大船山や羽束山。三田の街並み
近くには、ちょこんと尖った有馬富士も認められる。手前には田畑に囲まれた住吉の集落
が望める。次の猿藪へのルートを確かめていると、山頂北側の木立の中に赤い○柿布を発
見する。近づいてみるとテープにマジックで首切地蔵とあった。地蔵尊への最短ルートら
しいが、見るからに急傾斜であると同時に踏み跡も薄そうで、あまり手を出さない方が良
さそうだ。
高山から南東方向を望む。中央はとんがり山、右は
西寺山。遠くの稜線には大船山、羽束山はじめ六甲
連山も
西光寺山。麓は西脇市住吉の集落

 些かシャリバテ。正午には早いが適当な石に腰掛けて昼食とする。その食事もほぼ終わ
りかけた頃、東から二つのグループが相前後して到着。一気に賑やかになる。それと共に
狭い山頂が更に狭くなったので、後片付けもそこそこに撤収することにする。それにして
も『大阪周辺の山250』にもないマイナーな山なのに。やっぱり申年でハイカーの脚光
を浴びているのだろう。(山渓の京阪神ワンデイガイドには記述があります)

 さて次はいよいよ干支の山、猿藪へ。5、6分の下りをこなすとまた三叉路。山南町の
設置した道標には左は『けやき峠』とある。その道標裏手に踏み跡と残置テープ。猿藪へ
の分岐である。右に折れて猿藪を目指す。

 高山の登山道に比べるとやや不明瞭かなといった程度のいい山道が続いている。所々に
倒木はあるものの「猿しか歩けない藪」とは正反対。樅の木やリョウブ、ミツバツツジが
適度に生え、落ち葉が分厚い明るい道である。とりわけ、途中の鞍部付近はなだらかで心
地よい。この鞍部へ降りる付近から前方にやっと猿藪が木の間隠れに顔を出し始める。高
山に劣らずピラミダルな姿だが、すっきりと姿を現さないのがもどかしい。ここもきつい
登りであるが、高山の頂上直下の時よりも時間は短い。この辺りであっただろうか、はり
まおさんから電話が入る。今日は仕事だそうだ。ご苦労様です。

 やがて露岩が目立ってくると踏み跡は直登からやや斜めになり、上がっていた呼吸が少
落ち着くと猿藪の標高点ピークに飛び出る。狭い事の比喩で「猫の額」というが、誠に「
猿の額」である。平らな部分がなく、しかも潅木が生えた頂だが、西の小さな露岩の上か
らの眺めが良い。正面に高山、左に西光寺山が居並び、西の奥には雪を戴いた千ヶ峰らし
き峰も霞む。東の尾根続きの平石(点名消防山)へは崖とも思しき急斜面(テープ有り)。
一旦降り出したら戻るのが嫌になるのは請け合いである。

 暫らく憩って三叉路へ戻ることにする。猿藪の山頂直下の急傾斜では滑るかなと懸念し
たが案外、楽にこなせる。鞍部で小憩しながら三叉路へ帰る。ここでけやき峠への道を確
かめるべく、茶屋で貰った案内図をつらつら眺めてみる。すると「?」何か変だ。けやき
峠が天狗山のピークの北側になっているではないか。そういえば大呂峠や大呂坂口の位置
も違う。ということは高圧線との位置関係も違うわけである。これが取付き探しに時間を
要した主因ではなかろうか。一般のハイカーに配るならもう少し正確に願いたいところで
ある。

 『初めチョロチョロ中パッパ』というご飯を炊く際の諺がある。「こりゃぁいいプロム
ナードやぁ」との思いもつかの間。最後に待っていたのは劇下り。立ち木に掴まらねばと
ても降りられたものではない。その上、降り積もった落ち葉。掴んだのが朽木でないのを
確かめながらエッチラオッチラ、一歩ずつ。雪や雨の日でなくて良かった。

けやき峠手前の激下りを慎重に下る

 露岩を越え桧の植林が近づいてくると漸くこの劇下りも収まる。その植林下を歩いてい
くと、東の斜面が伐採された箇所に出る。ここからの展望も素晴らしい。多紀アルプスを
南西から斜めに見ることになるのだ。西から黒頭峰、夏栗山。恐竜の背に似た鋸山。西ヶ
岳、三岳、小金ヶ岳。眼下に奥山の集落と、まるでカシミールの展望図さながらである。
暫し見とれる。
伐採地から東の多紀アルプス(最奧の稜線)。左から
黒頭峰、夏栗山、鋸山、西ヶ岳、最高峰が三岳、小金ヶ岳。
手前の谷は奥山の集落

 再び植林となり、一旦下った鞍部から小さな高みを越えた次の鞍部がけやき峠である。
天狗山48分のマジック書きがある。昔はケヤキの木でも聳えていたのかも知れないが、
今は植林の中、何の変哲も無い。しかも東の奥山への道はほぼ廃道らしい。遠くでチェー
ンソーの音が聞こえていたから、下るに従って明瞭な道が現れるのかもしれないが....。

 良く手入れされた植林下、結構、馬鹿に出来ない急斜面を下っていく。この辺り踏み跡
がやや乱れて分かり辛いが、すぐに明快な道が現れ、凡そ10分で林道高山線の終点に行
き着く。右手は何処からともなく現れた谷川。ここからはススキの穂に頬をなぶられなが
らの舗装林道歩き。沿道のサルトリイバラのたわわな赤い実、ムラサキシキブの実は盛り
を過ぎて色褪せ始めている。下るに従って周囲は台地状に広がる。大きな堰堤があるそう
だが見逃した。すっかり葉を落とした桜の並木が続き、車止めのゲートを越えると地蔵の
森公園の入口となる。

 公園入口から2、3分の地蔵茶屋前の駐車場には朝とは異なり10台近い車。ザックを
下ろしている間にも1台の車が上がってきた。茶店も営業している位だから、近在ではか
なり聞こえた霊験あらたかなお地蔵さんなのだろう。

 まだ時間もあることとて、猿藪を下山している時に電話が入ったたぬきさん宅へ乱入す
ることで衆議一決。谷川から奥野々トンネル経由で石生へ。そのたぬきさん邸には思いも
かけずはりまおさんがいるではないか。4ヶ月ぶりだ。というわけで薪ストーブの前で、
期せずして酒抜きの俄か新年会と相成ってしまった。たぬきさんにはお世話に成りっ放し
だ。多謝。m(_ _)m

 平成16年の幕開けを飾る干支ミニオフ。登山口探しにやや手間取ったけれど、好天にも
恵まれたし、たぬき邸でのひと時もあったし。『終わり良ければ全て良し』今年もそのよ
うにありたいねぇ。と思う一日でありました。(笑)


■追伸:道標に未整備とありましたが、徘徊派としてはあれ以上整備して欲しくはありま
    せん。(笑)


■同行 のりかさん、水谷さん、もぐもぐさん(五十音順)

【タイムチャート】
7:10自宅発
8:50〜8:58首切地蔵尊駐車場
8:59〜9:06首切地蔵尊
9:38〜9:45この間、林道うろうろ
9:50〜9:53高山登山口(大呂坂口)
10:02尾根のT字路
10:03〜10:08高圧鉄塔(bV3)
10:15Ca480mピーク(大呂峠分岐)
10:16〜10:23大呂峠
10:24Ca480mピーク(大呂峠分岐)
10:28高圧鉄塔(bV4)
10:34道標のある分岐
11:15〜11:52高山(659.9m、四等三角点)
11:58猿藪分岐
12:07〜12:09高山・猿藪の鞍部
12:19〜12:26猿藪(591m)
12:40高山・猿藪の鞍部
12:50〜12:56猿藪分岐
13:25けやき峠
13:34林道高山線終点
13:50地蔵の森公園
13:55首切地蔵尊駐車場


 高山のデータ
【所在地】兵庫県西脇市・多可郡山南町
【標高】659.9m(四等三角点)
【備考】 白髪岳、松尾山の西、篠山川の南に位置し、播丹を分け
る山塊の最高峰で、山南町の最高峰でもあります。最近、
山南町が整備を始め、歩き易くなりました。北東の麓の
首切地蔵には平家の悲しい伝説があります。
 猿藪のデータ
【所在地】兵庫県西脇市・氷上郡山南町
【標高】591m
【備考】 高山の東に位置する標高点ピークです。高山同様、ピラ
ミダルな雑木山で頂上直下は急登です。干支の山として
H16は歩く人も増えているようです。
【参考】 2.5万図『谷川』、
慶佐次盛一『兵庫丹波の山(下)』ナカニシヤ出版



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