行仙岳・笠捨山〜緑陰そよぐ南大峰
平成16年 7月11日(日)
【天候】曇りのち晴れ
【同行】別掲
八大童子石標の痩せ尾根付近から笠捨山


 大峰は一度訪れるとまた行きたくなるから不思議だ。週末はどうしようかと考えている
と、今度はまだ歩いたことのない大普賢岳へという案が浮かぶ。でも岩場が多いらしいの
で、そろそろ梅雨明けの印かな?と思えるような、雷を伴ったゲリラ豪雨があちこちで降
るらしい土曜よりも、日曜の方が良かろうと思案していたら、南大峰の行仙岳、笠捨山へ
という話が舞い込んで来た。こちらは遠くて今後も滅多に足を向けないであろう山域。
「うーん。こっちも魅力的やなぁ」。
気持ちはあっという間にぐらついて、気がつけば「お供します」のメールを出していた。
Mさんからは電話で連絡を頂いていたようだったが、携帯はたまたま鞄の中。応答できず
に申し訳なし。m(_ _)m

 集合地の桃山台駅には5:55到着。偶然Sさんと同じ電車である。駅前のロータリー。
Nさん、Mさんは既に車の中である。挨拶を交わして早速車中の人となる。

 近畿道から西名阪の針経由でいつものように南下する。しかし今日は流石に遠い。大台、
天川、小処への道を過ごしてひたすら南へ。左手に大きな池原ダムが見える頃、ようやく
R425に出て右折する。こんな高い所にこんな大きな池がと不思議な明神池(池神社の
御神体らしい)やゴルフ場のある池の平公園、下北山村の役場を過ごすと、いよいよ大峰
の懐へ縫うが如く道は入り込んで、その途端に狭くなる。これが国道かと思えるくらい。
左側は岩を噛む奥地川の清流。見上げればはるか上にガードレール。「あんなとこまで上
がるんかいな」が偽らざる心境。峨々たる荒々しい岩肌も見え隠れする。

 「かなうなぎ」とか何とか面白い名前のトンネルや幾つかのヘアピンカーブをこなすと、
そろそろ峠かなと思える程に傾斜が緩くなって、大きくカーブを曲がりこめばコンクリ壁
面に金属階段が設置されている。傍にプレートが幾つか架かるのが目に入る。路肩には2
台の車。ここが登山口らしい。車道の前方を確かめると、約150m先に狭い白谷トンネ
ルが見えたので間違いはなさそうだ。(註 トンネルの右にも踏み跡があるが険阻です)

NTTの管理道もかねる登山道

 流石に高度900m超え。車外へ出れば湿気も少なく涼しい。ガイド本によると夏はマ
ムシやヒルに注意とあるが、地面も乾いているみたいで大丈夫そう。でも念の為、スパッ
ツを装着。虫除けスプレーもついでに噴霧しておく。

 登山コースは本来、NTTの管理道で関係者以外通行禁止なのだそうだ。しかし、黙認
してもらっている様子で、南奥駈整備で有名な「新宮山彦ぐるーぷ」のプレートもある。
中に面白いのがあって、笠捨山は富士山の見える山と説明がある。

 のっけからの階段歩きである。道は稲妻型に付けられてはいるが、それでも結構きつい
登り。ゴロゴロとした石混じりの道と金属階段が交互に現れる。植林を抜けると、コウヤ
マキやホンシャクナゲの幼木、ミヤマシキミ、モミ、ヒメシャラ、イタヤメイゲツなどが
目立ついい感じの自然林になる。惜しむらくは金属製の電柱が目立つことだ。行仙岳山頂
のアンテナ施設への電力供給の為であろうが、周囲にそぐわず艶消しではある。でもまあ、
そのお蔭でこんな整備された道を歩けるのだけれど...。(^^;

一つ目の物置小屋横を登る

 そのうちに一つ目の物置小屋が右手に現れる。やがて小さな尾根に乗ると左右が開けて
きて、二つ目の物置小屋を抜ける頃には、金属階段から右手に、奥駈道が走る倶利伽羅岳
から転法輪岳にかけての山並み、前方にはアンテナ施設のある行仙岳が現れてくる。下を
覗くと流石、大峰。緑濃く谷も深い。

 汗が額を流れ、目にも入り込んで痛い。しかし所々で涼風がふんわりと身を包んでくれ
て心地よし。そして雑木の中に奥駈道との合流を示す紅白の派手な道標を見つける。ここ
まで少しジメッとした所があったけれども、幸いヒルやマムシには遭遇せず。一安心だ。
(笑)

 まずは行仙岳へピストン。緩い傾斜を凡そ5分も登れば頂上だ。大きな枯れ木にプレー
トが賑やかにある。その下には碑伝(ひで)。北方面が伐採されて大峰主稜。倶利伽羅岳
や転法輪岳の尾根の向こう遠くには、半ば雲に隠れてピラミダルな釈迦ヶ岳や八経ヶ岳の
姿。西に移動してみれば、NTTの施設の右手に中八人山、奥八人山が居並んでいるのが
指呼。その向こうは十津川の波打つ山々。しばし山座同定に時を過ごす。

行仙岳山頂にて暫しの憩い

 再び先程の奥駈道合流点。直進すると小広場を左にした後は、ああ、勿体なや、折角得
た高度をずんずんと吐き出していく。道は左右のクマザサが刈り広げられ良く整備されて
歩き良い。因みに前鬼から南の奥駈道は「新宮山彦ぐるーぷ」と呼ばれる人達の尽力に負
う所が大きいそうだが、そういえば所々に「○○次千日刈峯行」と書かれた札が目立つ。

 物珍しくあっち見こっち見して歩いていると、「継窟」(ままのいわや)と私製の札が
掛かったブッシュに気づく。なんでも、明治時代の役行者といわれる実利行者が修行した
という場所らしい。奥駈道からは窺えないが、尾根下の茂みの奥に岩屋でもあるのだろう
か。テープはあったが、いかにも藪々していて何かが出てきそうで確かめるのは遠慮した。
(笑)

 鹿ネットを左にして進む内に次第にはっきりしてくる人声と木槌の音。まず赤い幟が目
に入り、次いでどっしりした建物が現れる。行仙宿山小屋だ。二人の小父さんが道普請さ
れている。聞けば新宮山彦ぐるーぷの方々。何処から来た?と尋ねるので「豊中から」と
答えると、豊中から奉仕に来る人が一人いるそうな。行者堂のある南側の小屋の入り口に
廻ると「浦向」からの道が合流していて、してみるとここが佐田辻と呼ばれる場所だろう。
そして浦向への道が「笠捨越」の古道であろうか。ここもヒルが出るという噂がある。

行仙宿山小屋行者堂

 小屋を後にしてすぐ。左に大蛇伝説のあるカラ池。文字通り水はない。その後、すぐに
前方が開けて高圧鉄塔の立つ台地に出る。周囲は緑深い山々。小生のテリトリである北摂
ならどこかに集落があるのが目に付くのに...。大峰の奥深さを感じさせる一瞬だ。

 次の鞍部から登り返した小広場は行仙宿跡で周囲を圧する様な大桧が立つ。根元には八
大金剛童子の石塔。ここも靡の一つらしく碑伝が幾つか置かれてある。ここで丁度正午。
昼食にしようとの声もあったけれど、やや遅れていることもあって軽く虫宥めをしておく
だけに留め、先へ進むことになった。

 二つばかり瘤を越える。木の根の浮き出た激登りもあるが、鞍部から涼風が吹き上げ、
存外暑くない。Ca1170m峰はなかなか雰囲気の良い所。ヒメザサ、シャクナゲが目立
つ。ブナの倒木に生えたブナシメジらしいキノコが気になったが、一寸危なっかしい場所
にあるので諦める。(笑)

 要所で小憩を重ねつつ、これも小さな瘤の1246m標高点峰を越える。単独小父さん
が降りてきた。聞けば登山口の1台はこの人の車らしい。笠捨からここまで25分で降り
て来たそうだが、登るには険しさから見てあと40分位は掛かりそうだなと計算する。こ
の人が後にも先にもお会いした今日唯一の登山者であった。

 標高点ピークから5分位進んだだろうか。南無八大童子と刻まれた石柱の立つ痩せ尾根
の東側はかなりの高度感があって少し怖いくらいだ。前方にようやく笠捨山の不規則な台
形に似た姿。直下は吸い込まれそうな文字通り緑滴る自然林の絨毯に覆われている。その
狭い痩せ尾根を抜け、最低鞍部に達すると、いよいよ笠捨山への最後の直登に入る。ガラ
ガラした大きな石が多く歩きにくい。左右はブナの古木、太いシロヤシオ。ヒメシャラの
白い花が足元にこぼれているが、余り愛でる余裕はない。一気に汗が吹き出て眼鏡を曇ら
せる。山頂に着けば食事だと気持を鼓舞して、何とか乗り切ると西峰と東峰の鞍部に登り
つく。ここは三叉路になっていて、道標と共に東峰から蛇崩山への明瞭な踏み跡がある。
奥駈道はここで右に曲がって西峰へ向かう。それに従うと、ほんの1分でトンボが群れ飛
ぶ西峰。「ヒンカラカラ」。すぐ近くでコマドリが吃驚する位の美声を聞かせてくれた。

笠捨山山頂。三角点横に碑伝が

 笠捨山西峰には二等三角点と、比較的新しい道祖神の石像が祀られた祠がある。あまり
眺望が利かないとガイド本にはあったけれど、なんのなんの。南北は伐採されて見晴らし
は頗る良い。北には雲が取れた釈迦ヶ岳に八経ヶ岳。手前には最初に登った行仙岳がアン
テナ施設を戴いて鎮座している。南には蛇崩山。玉置山の姿があって、山襞の中に下北山
村のどこかの集落。遠く地平線には那智の烏帽子山らしい淡い三角形の山。それにしても
山また山、胎蔵界曼荼羅の世界だぁ。

笠捨山から奧駈道の稜線。アンテナのある行仙岳。
その奧に左、倶利伽羅岳、右、転法輪岳。
最奧は左、釈迦ヶ岳、右八経ヶ岳

 汗まみれのシャツを立ち木に引っ掛け、大分遅い昼食。やっと人心地。Nさんから漬物
やパイナップル、Sさんからグレープフルーツを頂く。その甘酸っぱさが心地よかった。
今回は弥山の例があったので水分は計2リットルを持参したが、ここまででお茶1リット
ルと予備の水を0.5リットル消費。残りは0.5リットル。まあこんなものか。

 なんだかんだと四方山噺が弾み、腰を上げたら山頂には1時間あまりいたのだった。帰
りは東峰に寄っていくことにする。クマザサを掻き分けながらだが、すぐに切り開かれた
小広い東峰に飛び出す。電源開発が設置した反射板が2つ。ここからの北方向の眺望はこ
の東峰の方が勝っていよう。北東には池原ダム湖の湖面まで眺めることが出来る。蛇崩山
へはシロヤシオの枝越しに案外いい道が続いているようである。

 一同、そろそろ戻ろうかとしている時である。東峰に向かうクマザサの道に熊の糞があ
ったとNさん。小生らは気づかなかったが、東峰から戻る時に確かめたら、確かにポロポ
ロとした黒い糞。熊の糞を見た経験がないので何ともいえないが、確かに肉食獣の糞に間
違いはない。それほど古いものでもなかったが、これだけワイワイガヤガヤとかまびすし
い4人組なら、例え居たとしても熊の方が逃げていくこと請け合いであろう。(笑)

 陽もやや傾いて、山々の陰影もやや濃くなり始める。ヒグラシが鳴きだした。今年初め
て聞く涼しげな鳴き音を耳にしつつ、1246m峰、Ca1170m峰と過ぎる。帰路のア
ップダウンは結構堪えるものだ。疲れで足取りもやや重くなった頃、行仙宿山小屋が見え
てくる。往路で会った小父さん連中は引き上げた後。別の小父さんとおばさんがおられた
から、断って小屋の中を見学させてもらう。

 快適に宿泊できそうな新しい建物は約50人が宿泊可能なのだそうである。中央には魚
の彫刻のある大きな自在鉤がぶら下がる囲炉裏。隅には朱塗りのお椀が多数伏せてある。
奥の壁にはなぜか「桧塚云々」と書かれた横断幕がかけられ、志納千円お願いしますとの
貼り紙があった。

 行仙岳の南尾根を登り返し、奥駈出会い近くで小休止を取っていると、行仙岳の方角か
らブオーブオーッと高く低く響くほら貝の音が流れてくる。それから下山を始めて周囲が
眺められる金属階段の部分を降りていたら、行仙岳の北側の尾根道を貝を吹き鳴らしなが
ら歩く白装束の修験者の一行が見えた。てっきり行仙岳の上から聞こえてきたものとばか
り思っていたけれども、ほら貝とは遠くから良く響くものだ。

 降りる時は速い。30分足らずで登山口に戻ると、和歌山は九度山から来たという小父
さん二人組と先着している。聞けば、行仙岳から倶利伽羅岳方面を歩いてきたそう。する
と突然、若い方の小父さんが叫んだ。「靴の中にヒルが居る!」
ラッキーにも吸血されていなかったようで、地面に落ちたヒルは獲物を探して尺取虫よろ
しく這っていく。意外に速い。ストックで刺激すると頭?を高く持ち上げる。弾力豊かで
踏んでも堪えない。まるで茶色のゴムである。最後は「ええいっ」とばかり靴で始末して
しまった。

 シャツが乾くと白い粉を吹いたよう。最初の計画通り、下山後は温泉だ。行き先は小生
も含めて、皆さん初めての下北山村「きなりの湯」。ナトリウム含有量の多いすべすべの
湯はなかなかのもので、皆さん気に入ったらしい。ここで少々懺悔の時間。男連中は先に
風呂から出て、こっそりとアルコールで喉の消毒をしてしまったのでした。すみません。
(^^;

 まだ薄明かりが残る7時前。ヒグラシが鳴く山々に別れを惜しみながら、我々を乗せた
車は北に進路を向ける。緑深い南奥駈の山々に、いい温泉。これ以上ない山行に満足の一
日。同行の皆さんありがとうございました。Nさん運転お疲れ様でした。


■同行: 幸さん、なかいさん、もぐさん(五十音順)


【タイムチャート】
6:00桃山台駅前(集合地)
9:40〜9:55白谷トンネル東口(登山口)
10:08物置小屋(1)
10:34物置小屋(2)
10:47〜10:49奧駈道出合
10:54〜11:15行仙岳(1226.9m 三等三角点)
11:20奧駈道出合
11:45〜11:48行仙山小屋
11:50カラ池
11:52高圧鉄塔(熊野幹線bQ2)
12:02〜12:15行仙ノ宿跡
12:28〜12:40Ca1170mピーク
12:55〜13:001246mピーク
13:05〜13:10八大童子石標
13:24笠捨山頂上鞍部
13:25〜14:20笠捨山西峰(1352.3m 二等三角点)
14:24〜14:30笠捨山東峰
14:55〜15:001246mピーク
15:15〜15:25Ca1170mピーク
15:35〜15:40行仙ノ宿跡
15:48高圧鉄塔(熊野幹線bQ2)
15:53〜15:56行仙山小屋
16:15〜16:30奧駈道出合
16:58白谷トンネル東口(登山口)


行仙岳のデータ
【所在地】奈良県吉野郡下北山村、十津川村
【標高】1,226.9m(三等三角点)
【備考】 大峰山脈南部の山で75靡の一つです。山頂から北方の
眺めは素晴らしく、釈迦ヶ岳、弥山へと続く大峰主稜線
が一望です。新宮山彦ぐるーぷの尽力で南の尾根に行仙
山小屋が建てられています。
笠捨山のデータ
【所在地】奈良県吉野郡下北山村、十津川村
【標高】1,352.3m(二等三角点)
【備考】 大峰山脈南部の雄峰です。双耳峰で、釈迦ヶ岳方面から
眺めると、台形上の特徴ある姿をしており、一目で同定
できます。山名の由来は余りにも淋しい所であった為、
西行法師も笠を捨てて逃げたから等諸説があります。ア
プローチは非常に不便で、マイカー登山以外は前泊の必
要があります。

■近畿百名山■関西百名山
【参考】2.5万図『弥山』



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