廃村八丁〜北山最奧の癒しの森へ
 
平成16年 9月12日(日)
【天候】曇りのち一時晴れ
【同行】Nさん
陽光漏れる自然林のダンノ峠


 京都北山は小生にとって何となく縁遠い地域であった。ところが芦生に時々、足を伸ば
すようになった今日この頃、その芦生の南側に広がるのが北山であることに今更ながらに
気づいた。その中にあって、厳しい自然には逆らえず、戦前に住民が全員離村したという
廃村八丁には以前から関心を抱いていた。北山手始めということでまずはその八丁を歩い
てみた。

 晴れ時々曇りの予報とは裏腹に、どんよりとした灰色の空。6:45。待ち合わせ場所
でNさんをピックアップしていると、ついにポツポツと。名神に乗る頃には本格的な雨模
様。気勢を殺ぐ雨に「どないなってるの?天気予報でなくて天気誤報?や」と思わず毒づ
いてしまう小生である。(^^ゝ 幸い雨は地域的らしくて京都から北には及んでおらず、路
面は乾いており少々安堵する。

 梅ノ木で左折、安曇川を渡り、針畑川を遡る。芦生に行くのに右折する所を今日は直進。
やがて隠れ里の様な久多の集落を抜ける。ここから広河原能見に抜けるのは府道とは名ば
かり、峠越えの細い道だ。ジモティーの車は対向車など滅多に来ないとの思いからか、見
通しの悪いカーブでも突っ込んでくるから危ない。こういう時は時々警笛を鳴らすが無難
だ。能見口で合流の花脊から来る府道がやけに太く見えた。

 佐々里方面へ暫く北上すると、今日の起点の菅原である。京都バスのバス停付近で駐車
場所を探していたら、ほんの先に空地があり、お借りする。風があって一寸寒いくらい。
でも歩けば丁度いいかも。などと考えながら歩く準備である。

桂川に架かる菅原大橋と長閑な菅原の里

 歩き始めた頃だ。ここでもぱらつき始めた。いやーな予感が頭を掠める。というのは、
八丁についてのあるレポを読んで、雨催いにヒルに悩まされたとあったし、近くの峰床山
でも前日、ヒルがいたと聞いていたからだ。さもあらんかとスパッツを着け、靴にも虫除
けを噴霧したけれど、大丈夫だろうか?(^^;

 桂川に架かる菅原大橋を渡って西へ向かう。菅原はこれがとても京都市内とは思えない、
未だに藁葺きの農家も混じった十軒程の民家が集まる懐かしい感じの集落だ。衣懸坂から
の林道を左に見て、オリ谷にかかる橋を渡って、澄んだ仏谷川に沿って林道を歩いていく
と、稲刈りを始めるらしい老夫婦。挨拶して軽四輪の横を抜ける。少し他と離れて立つ立
派な農家の前に出る。ガイドにある「最奥の民家」とはこれらしいが、雨戸が閉り無人の
様である。電柱もここまでしかない。

尾根道(左)と沢道(右)の分岐

 すっくと立つ立派な北山杉の林には下草も無く清々しい。やがて二股。右手の古い湿っ
た感じの林道横に標識がある。曰く、「左 尾根コース good、右 沢コース 暗く、
険しい」。ヒルのこともあったので迷わず尾根道を選択だ。取っ付きにいきなり倒木があ
るので面食らうが、それを越えるといい感じの小道が続いている。絨毯のように地面を覆
うイワウチワの群落。ツルアリドオシの赤い実がそこかしこにある。但し、一本調子に登
っていくので、あっという間に噴き出す汗。それでもいつしか尾根に出て、周囲の山並み
とも背比べが出来る位の高さになると、涼風が吹き上げてきて心地よい。シャクナゲや、
中くらいのダイスギが立つ辺りで小休止。でも幹のウロから蜂が出入りしているのを見つ
けた。クワバラクワバラ。

 尾根から逸れて山腹を巻く水平道になると、右手から谷が上がってきた。小さな道標が
ある。さっきの沢道がここで合流しているのだった。そこからは植林の中の厳しい登り。
しかし昔の古道らしくジグザグを切って登っていくので存外楽。斜面を登りきった所が植
林と雑木の境目みたいなダンノ峠である。ここは十字路で北に行けば品谷山の尾根へ。南
に行けばやや踏み跡が薄いけれども、市町界尾根を衣懸坂へ出られるらしいが、今日は直
進。小休止をとって再び歩き始めることにする。

 少し下って左へ折れるとなだらかな小さな谷の源頭に出た。カラ沢だった谷底に水音が
しだし、進む内にそれははっきりした音になり、水の流れは進行方向に変わる。八丁川の
源流で、やがてそれは由良川に合流する。ということはダンノ峠は日本海と太平洋を区切
る分水嶺であるわけだ。
ダンノ峠を越えると癒しの森が

 緩く下り基調の雑木林の中のプロムナードだ。ハウチワカエデ、ミズナラ、トチノキな
ど、芦生と同じ植相。秋は文字通り錦織り成すことだろう。大きなミズナラがゴロリと倒
れているが、それでも葉は青く、その生命力に驚いたりしながら、作業場でもあったのか、
古い一升瓶がゴロゴロ転がるやや広まった部分に出る。その近く、浅い水溜りに鹿の足跡
を見つけた途端に「ピーッ」という鋭く甲高い鳴き声。鹿の警戒音だ。時ならぬ人間の声
にびっくりしたに違いない。その声は何度も何度も森の静寂を切り裂きながら遠ざかって
いった。
同志社大学新心荘前のモミ。
巨大なサルノコシカケが

 周囲を圧する如き大きなモミの木がある。直径1.5m近い幹は、残念ながら10mの
高さ位で折れて枯れている。文字通りサルが腰掛けても大丈夫な位の大きなサルノコシカ
ケが生えている。ふと下を見ると木道がある。その先、木立の中に屋根が見える。同志社
大学の新心荘で、なかなか立派な建物である。

 道はここで刑部谷コースと四郎五郎峠コースとに分かれるのだが、分岐を見落として、
いつの間にやら四郎五郎峠へ向かう道に入ってしまったらしい。沢沿いに高さ2m程のイ
チジクみたいな大きな葉をつけた雑木の間のやや薄い踏み跡をたどるが、すぐに右手の山
すそに取付く。進入禁止らしいロープを上に見て、角が鋭い大きな石ころだらけのガラガ
ラとした、小さな沢か道か分からない道を登る。少し流れていた水もやがて消える。植林
帯の薄暗い道だ。その一番の高みが四郎五郎峠である。プレートが無いと見逃す感じの場
所で、大きな杉が生えていてやや陰気な感じだ。

 小休止を始めてすぐである。Nさんの声。見れば袖口にヒョロヒョロと蠢く物が。つい
に出た。ヒルだ。暗い茶色の吸血動物は獲物を求めてキョロキョロしている。Nさん、慌
てて払いのけ、虫除けをスプレーするとびっくりして固まったとのことだった。となれば
長居は無用だ。あらためて虫除けを靴やスパッツ、腕、首筋に噴霧して防備を固めておく。

 ジグザグを切りながら数十mの急降下。沢音が徐々に高まり、四郎五郎谷に降り立つ。
ここからは流れを右に左に渡渉するが流れが浅いので登山靴で十分。しかし濡れた道にヒ
ルはいないかと些か戦々恐々。それより濡れた岩に注意する方が余程大事なのだが。ヒル
は命はとらないけれど、こっちは下手すりゃ致命傷だ。

 沢の合流点。吃驚する位のトチノキの巨木が数本。足元に小さな道標があって、「品谷
山直進、村長」とあった。ここは八丁からダンノ峠に向かう場合は注意が必要。北から合
流してくる沢に引き込まれやすい感じがした。

四郎五郎谷の巨大なトチノキ

 岩をへつったり、なかなか面白い沢沿いの道は続く。左手から大きな谷が合流してくる。
刑部谷だ。刑部谷へは丸太を渡した橋があるが、何とその丸太の木(実はモミジ)はまだ
生きていて、緑の葉を茂らせているのには驚いた。刑部谷を合わせて流れは一段と大きく
なり、登山靴ではとても渡れなくなってきたが、よくしたものですぐ下流には対岸へ渡る
丸木橋があった。

 先を急いでいると、突然足元の岩陰から青く輝くものが飛び立った。カワセミである。
やや深くなった淵の小魚を狙っていたのであろう。もっとしげしげと見物したかったのだ
が残念。

 前方の木々の間に四角錐の建物があるのに気づく。と同時に草むした石垣も見受けられ
るようになってくる。八丁に着いたらしい。くだんの四角錐の建物の前には廃村八丁の由
来が書かれた説明板を始め多くのプレートがあり、その中に金剛山の剛友会の例会プレー
トまである。「土蔵跡」と記された標識。かつて銀座の絵が白壁に描かれていたという土
蔵も今は瓦礫のみであった。
八丁の山小屋。右奧に土蔵があった。奧を
進めばスモモ谷から品谷山へ

 青空も顔を出し、一寸早いが四角錐の建物横で昼食。今日は蒸し暑いとラジオでは言っ
ていたけれど、ここは標高600m。生駒山とほぼ同じ高さで、乾いた涼風が吹きぬけ昼
寝でもしたい位だ。その内に山慣れた雰囲気の単独小父さん、中年女性3名を引率したメ
ガネの小父さん、若者2人組が次々に現れて横切って行く。流石、北山の人気コース。そ
れでも静かなものだ。

 昼食後は、八丁を探検?してみる。八丁川を飛び石伝いに渡る。お地蔵さんらしき古い
石仏が祀られた祠が石垣に納まっている。渡った先のトタンの三角屋根の建物は京大の山
小屋で、その先の右手に木の鳥居がある。参道を登っていくとイワウチワに囲まれて朽ち
始めた八幡宮の祠。古いものでは明治時代の祈願札があるが、鈴に付けられた白布の束の
中には昭和50年代の新しいものもある。

八丁の八幡宮の鳥居と参道

 更に八丁川ぞいに進み丸木橋を渡ると、平屋の建物が2棟あって、3人の中年男性が談
笑中。自称村長がベースにしているのはこの建物らしい。八丁温泉なる掘立小屋まである。
件の男性が天然温泉だというので、Nさんが覗くとドラム缶の風呂だった由。(^^; 建物
の中には囲炉裏まであり、大川橋蔵扮する銭形平次のポスターが貼ってあったのは懐かし
かった。こうしてみると廃村があった場所は結構広い平地なのである。

自称村長の小屋横にある八丁温泉?

 帰りは四郎五郎峠コースとの分岐を確かめることもあって刑部谷コースをとることにし
た。往路の合流点まで戻って、今度は橋を渡って直進である。暫くは岸辺の平坦な踏み跡
を行くが、次第に狭まって岩混じりのやや険しい谷になる。谷の出合いを左に折れると再
び杉林の中の平坦道になるが、前方に滝が現れると、今回のハイライトの一つ、崩れた桟
道歩き。といってもトラロープが渡してあり、岩に庇状の突起も出ているから危険という
ほどでもない。だが、足を踏み外せばただでは済む筈も無く気をつけるに越したことは無
い。張り出した岩を超えて再び右に曲がると、左手奥に滝が現れた。刑部滝らしい。くの
字に折れた想像以上に大きく優美な滝である。暫く眺めてマイナスイオンを浴びておく。
(笑)
崩れた桟道。ロープ沿いに進めば
見た目ほど大したことはありません

優美な刑部滝

 道は刑部谷に沿わず、支谷の奈良谷に入っていくがすぐに左手の山腹に取り付く。ここ
は道標がなければ分からない所だ。この山腹の登りがこれまた急で例によってジグザグ道
だが、それでもかなりの急傾斜で道も30pあるか無きかの幅。上がるに従ってシャクナ
ゲの群落が現れ、晩春、下の谷から望めば花園ではあるまいか。登った先は狭い尾根で向
かい側の四郎五郎峠の緑の山並みが見える。

 道しるべのテープに従い尾根を斜めに降りていく。徐々に左手の谷が浅くなり、柔らか
い感じがするようになる。何処かで見かけた感じがすると思ったが、それもそのはず同志
社の山小屋に向かう木道が左奥に見えるではないか。なんのことはない。同志社の山小屋
前にもう分岐はあるのだった。分かってみれば簡単明瞭。しかしこれは見落としやすい。
分岐横にそれを示す小さな道標があるにはあるのだが、四郎五郎峠コースが直進で「KG
C」と書かれた赤白の正方形プレートと青いビニール紐があること。刑部谷コースの踏み
跡が薄いことが見落とす原因だろう。

道なりに進むと四郎五郎峠(右の矢印)
刑部峠へは左の斜面(左の矢印)分かり難い

 同志社の小屋前で小休止。ところがこの後ほっとしたのか少し方向を誤ってしまう羽目
に。(^^; 歩く内に踏み跡が消えてしまった。更に横の沢に水が無い。往路ではもっと先
まで沢に水があったはず。こりゃ間違ったらしいというわけで戻って事なきを得る。そう
いえば、そこは往路で引き込まれるかもねと話していた場所だった。

 ダンノ峠で水分補給の後、今度は沢コースで下ることにする。最初は枯れ沢だが、やが
て水流が現れ、滑って歩きにくい道となる。いやこれは道じゃなく沢そのものだ。時たま
岸に踏み跡らしきものが現れるが、殆どが沢の中の岩伝い。どちらかといえば登りに使っ
た方がよかろう。やがて、クラマゴケに覆われた廃道に近い林道が現れ、歩きよくなる。
そこからは5分ほどで尾根コースとの合流点であった。

 沢に下りて顔を洗う。冷たくて気持ちいい。すっきりしたところでゆるゆると林道を下
る。夏から秋へ。花々も端境期なのかそれほど目立つものは無いが、それでもオタカラコ
ウ、オトコエシ、ゲンノショウコ、カタバミなどが草むらに。そんな時、小さな祠を発見。
涎掛けで殆ど隠れてしまう程小さな石仏が納まっていて、この道の歴史を感じさせる。

 菅原近辺も過疎化の波で空家が多い。往路で見かけた最奥の民家もそうらしく、Hさん
と表札はあるが人の気配は無い。Hさんは八丁に最後まで居た住人だったという。八丁周
辺は昔、公儀領であったが、江戸時代中期に初めて山番が定住者として入ったという。そ
の後、明治となって上弓削村の地域となり、分教場も設置されたのだが、昭和8年、大雪
に見舞われ、食料もなく医者もおらず困窮を極めた末、昭和11年廃村となったという歴
史がある。今も住まわれていたなら少し話しでも聞きたかったところ。元は田圃だったと
思しき所も今は草が生い茂る。何か切ない感じがする。それでもオリ谷にかかる橋近くの
農家では、刈り取った稲を干す作業の真っ最中。豊かに実った黄金色の稲穂が印象的であ
る。

 桂川に架かる橋を渡れば駐車地はすぐそこ。スパッツを取り、靴下を調べたけれど幸い
ヒルの被害に遭わずに済んだ。ラッキー。

 帰途も往路と同じ久多峠を越えて梅ノ木へ出る。途中峠から下った伊香立の里は彼岸花
が盛りを迎えている。間もなく秋本番。その錦繍の時季は更に素晴らしいだろうなと思わ
せる廃村八丁は癒しの森でありました。満足、満足。


【タイムチャート】
6:45自宅発
8:45〜8:50広河原菅原町(駐車地)
9:15沢道、尾根道分岐(尾根コースへ)
9:42沢道、尾根道出合
9:52〜10:00ダンノ峠
10:30同志社大学新心荘前
10:40〜10:42四郎五郎峠
10:55大トチノキの沢出合
11:10〜11:12刑部谷、四郎五郎谷出合
11:25〜12:45廃村八丁
12:55刑部谷、四郎五郎谷出合
13:17刑部滝
13:39〜13:45同志社大学新心荘前
14:06〜14:20ダンノ峠
14:25沢道、尾根道出合(沢コースへ)
14:45〜14:50沢道、尾根道分岐
15:25広河原菅原町(駐車地)


廃村八丁のデータ
【所在地】京都府北桑田郡京北町
【標高】600m
【備考】 北山の最北に位置し、由良川と淀川の分水嶺をなす山々
に囲まれた盆地にあった集落です。余りの僻地であった
ことから、昭和の初めの大雪の為、廃村となりました。
それが今では北山好きのハイカーのメッカになっていま
す。
【参考】 2.5万図『中』、『上弓削』
エアリアマップ『京都北山2』



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