秋色の高野山町石道〜慈尊院から二つ鳥居 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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柿畑の中の百六十七町石 |
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去る7月に世界遺産に登録された高野山町石道。九度山の女人高野、慈尊院から山上の 大門まで180町。一町毎に建てられた町石に歴史の深さを感じさせる、しっとりした道 だという。ようやく秋らしくなったこの日曜、その前半部を歩いてきました。 いつものR309。外環状線からR371に出て、今日は紀見峠のトンネルを抜けて和 歌山県に入る。どんよりした空は今にも泣き出しそうな雰囲気がある。和泉山脈はガスの 中だ。R24から外れて紀ノ川の南岸沿いを走り、高野山道路との分岐を尚も西進する。 真田庵の案内標識を過ぎ、丹生川を渡り、新しい道路を少し進めば慈尊院の門前道である。 慈尊院の駐車場に車を駐めようとすると、作務衣を着た坊さんが近づいてきた。 「山登り?。だったら、この上の勝利寺の前の芝生の駐車場あるから使うて」 指示に従って、狭いコンクリ道を登る。ひょっとしてこれも町石道?(勝利寺までは車で 町石道を登れます) 勝利寺の門前の石段下に駐車場はある。案内図があったのでまず確認。『右 厄除観世 音菩薩』と刻まれた石碑の立つ十字路からおしょうぶ池と呼ばれる池の横を木々の茂みの 中へ入っていくのが町石道の続きのようだ。折り畳み傘をザックのサイドポケットに用意 して出発。
さは3mばかりはあるだろう、結構大きいものだ。殆どが鎌倉時代のものというが、頭部 に梵字が彫られ、「百七十八町」などと刻まれている。大門まで約20キロ。数字の一つ 一つの減り具合に、幾多の善男善女が一喜一憂しただろうか。 右手が谷となり、黄色く色づいた柿畑を通る。この間、小さな作業小屋や作業用の小道 が錯綜する。百七十五町石を過ぎた頃、初めて眼前の景観が広がる。右下に新池。10羽 程のカラスが鳴き交わしながら飛び立って行く。目立つのは山の突端の大きなアンテナ施 設に高架道路。その高架道路はウルグアイラウンドの資金で建設したというが、農家さえ も使っていないようで、何か巨大な無駄遣いという感じ。その農道を横切ると、周囲は見 渡すばかり全くの柿畑。町石に導かれながら、山腹をジグザグに高度を上げていく。 取水小屋を右手に見て、右に大きく曲がるといよいよ山道、更に傾斜が増してくる。登 るに従って眼下に九度山の町並みが広がっていく。蛇行する紀ノ川。目を上げると屏風の 如き和泉山脈。下から運動会のスピーカーの音。綱引きでもやっているのだろうか。「赤、 頑張れ、白、頑張れの声」 百六十七町石の辺りからは東方面の見晴らしがよい。丹生官省符神社の鳥居や慈尊院の甍 が見える。
朝日夕日百選に選ばれただけあって確かに抜群の展望だ。そして東屋には展望写真のパネ ルが設置してあり重宝なのだが、今日は余り役に立たない。本来なら金剛、葛城は云うに 及ばず、去年歩いた高野三山や高見山まで見えるというのに。 風が出て冷えた汗が寒い位なので、早々に辞去して町石道へ戻る。ここからは柿畑の中 の作業道。この辺りも作業道や山崎へ降りる農道が錯綜していてややこしい。町石と近畿 自然歩道の道標が無ければ間違いかねない感じだ。アンテナ施設への十字路を過ぎて、百 六十町石手前からは、舗装が途切れて地道。杉林と竹林が現れる。どこからかシシオドシ の爆音が鳴り響く。
い伝えがあるそうな。確かにさっき見た頂上はガスで隠れていた。鬱蒼とした竹林に雑木 林や杉林が連続する。周囲の薄暗いことと相まって、この頃低下気味のテンションがまた また下降気味だ。気合いを入れ直す。 すぐ止むだろうと多寡を括っていたら、だんだん雨足が強くなってきた。木の葉に当た る雨粒の音が喧しくなる。ザックカバーを取り出すが、木々の下だし、傘まではまだいい だろう。右に小さな溜め池を見る。 暗い中にボワーッと赤い二つの鳥居。横に新旧の百五十四町石。そのすぐ先、雨引山分 岐に着く。雨引山へは400m。四等三角点があるが雨を引きずるのも嫌なのでそちらに は向かわず。
像だ。とりあえずデジカメに収めておく。ガスが出て更に暗い杉林。綺麗に撮れただろう か? この辺りは広い尾根上の、林道と見まごうばかりの広い平坦道。百四十四町石横にある 更に大きな石柱は一里塚である。慈尊院から36町だ。 六本杉峠へは石で葺いた階段が整備されている。暫く息を弾ませて登ればその小広い峠 に出る。六本杉峠というが杉が6本立っているわけではなかった。(笑)その代わり周囲 は杉林。大きな案内板と柴灯護摩の石碑がある。ここは十字路になっていて町石道と分か れ、天野へ下る道がある。丹生都比売神社はこちら。1.3qと標識がある。雨で滑る急 坂を20分足らず。唐突な感じで車道に出ると、山に囲まれた隠れ里と思しき天野の集落 である。貧者の一灯お照の墓に寄ったりしながら、稲穂が垂れる中を車道を進むと、左手 に鬱蒼とした杉林と朱塗りの反り橋が目に入る。丹生都比売神社である。全国に138あ るという丹生神社の総社。キンモクセイが馥郁と香る中、お参りしておく。尚、丹生都比 売神社については白洲正子の『かくれ里』に詳しい記述がある。
その先の観光客相手の店だったらしい建物も、庭に雑草が生え、過疎化がどんどん進んで いるのが分かる。そういえば、黄金色に稔った田圃の側に、草が繁るにまかせた休耕田がモ ザイクの様に交じる。盛りを過ぎて色褪せたヒガンバナがそんな事情を問わず語りに告げて いるようだ。 さて、そろそろ昼食の時間だと食事に良さそうな場所を探しながらも見つけられず、1 0分程歩いただろうか?唐突に道標が現れる。八町坂へは道標が無ければ絶対に分かりっ こない、民家の私道と間違える程の狭い路地に入りこむ。本当に民家の庭先をかすめる道 だ。直ぐ左手に『院の墓』と案内が出るが、古い五輪塔が二つばかり。西行の妻女の墓と はこれだろうか?更に進むとコンクリ道で、右手にある廃屋を過ぎると再び山道になる。 八町坂とあるから800m位の坂道だろうか?かなりきつい坂だが、『金剛童子杖の跡』 を過ぎれば緩やかになって、右に曲がれば靄の漂う中に立派な二つ鳥居が現れた。平安時 代に木製の鳥居が建てられたが、後、1649年、石製に代えられたという。生憎今日は 駄目だが、ここからは天野の里が俯瞰でき、参詣者は町石道から丹生都比売神社を遙拝し たのであろう。横に格好の東屋があったので昼食はここで。
ープがやって来て賑やかになった。一寸早めに切り上げて場所を譲る事にする。 二つ鳥居から古峠まではすぐそこ。少々ぬかるんだ道を少し北へ向かった所である。余 り峠という雰囲気はなく、薄暗い中に上古沢への道標が立っている。このまま六本杉峠か ら往路を戻るのも少し芸が無いし、かといって上古沢へ下りると、九度山から慈尊院まで 車道を歩かねばならないし...。持参した案内マップを眺めると、車道歩きは30分程 度で大したことはないらしい。その時丁度何かが軋る音が聞こえてきた。急勾配を下る電 車の制動音らしい。「それじゃぁ」と町石道と分かれて上古沢へ下ることにした。 ガイドにある通り、杉林の中の急降下が始まる。しかしジグザグを切っているので、傾 斜はそれほどでもない。まもなく作業小屋が現れた。土壁の古い小屋だ。その周辺にはそ こいらじゅうに掘り返した跡。イノシシらしい。それにしても矢鱈めったらという感じ。 沢山いるのかしらん。出くわすのもいやなので、熊除けの鈴を一際高く鳴らす。 突然という感じで柿畑に飛び出す。以後は殆ど柿畑で1m幅程度のコンクリ道が続く。 下古沢への道を見過ごし、小さな渓谷に出ると直ぐそこに小滝が懸かっているのを見る。 その前を横切って向こう側に出て左に曲がり、谷沿いに下っていくと、やがて眼前が開け て上古沢の駅が見える地点に出た。その時だ。 「ええっ?」 なんと上古沢の駅は高野山道路が走る眼下の不動谷川の谷を挟んで、向かいの山の中腹に あるではないか。 「あちゃー」 深い谷からかなり登り返さねばならない。どっと疲れる。(^^; が、今更仕方が無い。畑 の間の狭いコンクリ道を進むと民家で、私道が入り組んで分かりにくい。とりあえず只管 下へ下へと進む。かなりの急斜面だ。車も1速でなければ上がるまい。行き着いた先は上 古沢のドライブインの裏である。 ドライブインのお姉さんに駅への道を聞いて、高野山道路をやや北に進み、不動谷川に 架かる橋を渡る。ここからがまたまたややこしい。民家の庭先やら、柿畑を通っている間 に少し迷って墓場へ出てしまった。100m位戻って、脇道のような手摺の付いた1m幅 のコンクリ道を上がってようやく上古沢の駅である。「ふーっ」。思えば、駅までが一番 つらかったような...。(笑)
ゃんと駅員さんがいた。代わりに切符の自販機がない。なんと今時珍しく窓口で切符を買 うのである。200円也を支払って九度山駅までの切符を買う。電車は1時間に2本。電 車が来るまで20分余り。丸い傘に裸電球が光る駅の玄関付近でブラブラする。ハイキン グ案内図に見入ったり、歩いてきた山並みを眺めたり。そうする内に快速急行がやってき た。(といっても林間田園都市駅までの単線区間は各停です)
人販売所で7個2百円の柿を買ったり、農協の柿の集荷場を覗いたり。慈尊院の境内から 丹生官省符神社の石段を上がれば、勝利寺の駐車場は意外に直ぐ近くであった。 町石道の前半部。機会があれば後半部の大門まで歩いてみたいものだ。小雨にも降られ たけれど、秋色のしっとりした町石道に満足の一日でした。
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