おどろおどろし大国見山
平成15年 6月 1日(日)
【天候】曇り
【同行】単独
石上神宮駐車場手前付近から大国見山(中央)


 季節はずれの台風がやって来た。大阪付近は幸い雨も風も大したこともなかったが、翌
日も通常のスカッとした台風一過と云われるのとは程遠い天気。というわけで、遠出は止
めにして、またまた気軽に歩ける所を物色。今日は大和高原の大国見山。

 西名阪で奈良に入ると、東に長々と山並みが見えてくる。その山腹を名阪国道はつづら
おれに登って行くのだが、一際高い山頂にアンテナ施設があるのが高峰山。その南に見え
るピラミダルな山が大国見山である。天理ICで降りて天理市内に入り、石上神宮を目指
す。清浄な天理教の施設の横を抜けると、鬱蒼とした神宮の森の前に駐車場がある。

 石上神宮は一度初詣に訪れたことがある。物部氏の氏神で剣が御神体の社。参道を進め
ば鳥居の奧は休憩所と拝殿に続く楼門で、ワタカという珍しい魚がいる鏡池はその横。山
の辺の道はここから南に桜井、北に奈良へと続いている。
「石上 布留の神杉 神さびし 恋をも吾は 更にするかも」 柿本人麻呂
 神域奥、拝殿の前を抜けると、杉の木に囲まれ、昨夜来の雨に濡れた石畳の道となるが、
直ぐに神域を抜けて外周道に合流する。散在する民家の前を歩く。道は徐々に林道然とな
って山裾に近づいていく。と、左に道標があって「白川池 下の道」とある。それにして
は草むした道だなと、ここは林道を直進したがどうも変だ。折り良く田植え時。左手の水
が引かれた田圃のあちこちでは、耕運機で代掻きの最中。20mほど離れた田で耕運機を
操作していたお兄さんがいたので尋ねてみたら、さっきの下の道だと云う。やっぱりなあ。
御礼を云って廻れ右。

 狭くておまけにクズが繁っているので、余計に心細げに見えた道だが、元々は梅林の様
である。やがて川の左岸沿いになると、雑草に隠れてしっかりした鉄製の手すりまである。
前から水音が響いてきたと思えば、錆びた橋の向こうに小さな滝が懸かる。ただ少々水が
濁っているのが難。欄干に新聞の切抜きらしい説明が掲げてあったのを見ると「布留の高
橋」というらしい。ちらっと読む内に少し驚いた。「えっ、これ山の辺の道?」
「石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞふけにける」作者不詳(巻12-2997)

 そうなのであった。辿っているのは現在は東海自然歩道の一角であるが、日本書紀の悲
劇のヒロイン影媛も通ったという山の辺の道。それにしては橋を渡ると民家の庭先をかす
めるふうで、何かそうっと歩かねばならない雰囲気である。路地の先という感じで車道に
飛び出すと奈良交通の二本松バス停が目の前であった。

 車道は旧R25。右手は布留川。眼前には昔はどこでも見られた懐かしい山間の田園風
景が展開する。水の引き入れられた田圃からゲコゲコと蛙の声。岸辺には卯の花が満開で
テイカカズラが巴形の花びらを散らしている。

 天理市の浄水場を過ぎると蔵谷口橋で、下滝本の集落には大きな地蔵の石仏。そして民
家の板壁には今時珍しい殺虫剤アースの琺瑯看板。なんとモデルは由美かおるに水原弘。
「おいおい。時間が止まってるー。」

懐かしいアースの琺瑯看板。これに浪花千栄子の
『オロナイン軟膏』があれば鬼に金棒
 更に進むと平木橋。ここで旧道は再び新しいR25と合流する。この国道、両サイドに
歩道があるので助かる。梵字の彫られた石碑等を見ながら進めば、やがて桃尾の滝と大き
な石碑の立つ分岐に到着する。

 漆喰の白壁が眩しい古い民家の前を過ぎると鬱蒼とした山懐へ潜り込むように道が延び
ていく。滝があって、その向こうの高みには木の鳥居。ここも石上神社というそうな。帰
りに寄るとして更に傾斜を増した道を登ると、東屋のある広場に出る。ザーザーと高い水
音に、そこが桃尾の滝と知る。町内会の集まりだろうか、子供らとその母親らしい団体さ
んが東屋に集まっている。

 桃尾の滝は深い釜は無いが、なかなか立派な滝で高さ20m位はあろうか。滝を中心と
して如意輪観音や不動明王が彫られた岩、日蓮宗独特の髭文字の石碑などが林立する。残
念なのは水がやや白く濁っていること。やまとの水百選に選ばれたとあるが、一寸飲む気
がしない。

 息を整えて歩行を再開。廃屋を左に見て、急傾斜の狭いセメント舗装の道を登る。濡れ
ていて油断すると滑る。横にロープが張られているのも道理だ。それにしても何か陰気な
感じがする。唯でさえ鬱蒼とした杉や桧で暗いのに、天候も一向に回復せずどんよりとし
ているから、夕方のような錯覚を覚える。更に、宗教的雰囲気とじっとり濡れた路面から
受ける感情には少なからずメゲルなぁ。(^^;

 左に山腹を稲妻型に上がって、平坦道になると前方に見える石垣は大親寺。ここも帰り
に寄るとして寺への分岐を左にとる。羅漢の石像が点々と置かれた先に雨戸が締め切られ
た建物とその先には広場がある。真新しい墓所の住職の卵塔は昭和58年入寂とあった。

 広場の奥、水道ポンプ横に木橋があって、そこから先は本格的な山道となる。暫らく小
さな細流沿いというか沢か道だか分からない部分を辿ると、道はおもむろに細流に別れを
告げて左に山腹を巻き上がるように登っていく。その先は植林の中、深くえぐれて、古く
からの道のような感じがする。

 小さなコブを乗越すと下草にヒメザサが現れ、小さな峠に出る。更に少し下った峠が岩
屋との分岐で道標が立つ。この辺りから漸く清々しい、いい雰囲気の道となった。尾根を
辿ったり、山腹を巻きながら、時折の急登をこなしつつ北東方向へ進む。

 全く無かった展望だが、左手に奈良盆地が垣間見えるようになって気分が和む。巨岩が
所々に現れだして、再び急登を我慢した先に祠が見えてくると山頂に到着。

 誰も居ない。もっとも桃尾の滝から先、往路復路とも誰にも会わなかったのだが....。
しかし、プレートは結構賑やか。よく目にする「山想遊行」の黒いプレートも。ガイドに
あった烽火の為の油を溜める直径およそ10pの穴が、『御山大神』と彫られた岩等に二
つ確かにあった。
祠と巨石の転がる大国見山の山頂、石上神社の奥宮?

 流石に大国見。古代の中心地、大和盆地が一望。金剛、葛城、二上、生駒と続く山並み。
木の枝が邪魔だが南方向には畝傍山。大きな白川溜池の横に名阪国道が蛇の様に延びてい
る。歩いてきた滝本の集落も良く分かる。

 山頂には1時間程いただろうか。昼食後、双眼鏡で暫し風景を楽しみながらのコーヒー
ブレークであったが、風が強いので寒くなってくる。広げた荷物を整理して下山にかかる。
猪が後ろから乗っかかったような岩や面白い形の岩が転がる山頂から下る時に気づいたが、
意外にも南の竜王山方面が眺められた。

 先程の岩屋との分岐。クサイチゴの実が鈴なり。少し頂いて帰ることにする。行きは長
く感じた距離も帰りは思いのほか早いもの。大親寺は奈良時代にあった龍福寺跡に建った
寺で、山中の寺にしては立派な本堂がある。が、今は無住なのだろうか庭も荒れた感じが
否めない。建物の雨戸は閉まったままである。そこここに比較的新しく作られた石仏がポ
ツンポツンと忘れられたふうに立っていた。

 帰りのセメント道は濡れて良く滑る。油断大敵、ロープを片手に慎重に下る。下から子
供の喚声が聞こえてきたら滝は近い。町内会の人たちも帰り支度。捕まえたサワガニを沢
に放しているところである。

古今集にも詠われた桃尾の滝

 桃尾の滝は古今集にも詠われているとかで、天理市の説明板があった。滝左手にある不
動明王の線刻は鎌倉時代中期のものとされる。カメラにと思ったが、信者の方が一心に祈
っておられるので遠慮する。
「今はまた 行きても見ばや 石の上 ふるの滝津瀬 跡をたづねて」 後嵯峨天皇

 石上神社へ廻る。戦果報恩碑とかなんとかと刻まれた石碑がでんと構えている。先の戦
争の時のものであろう。そういえば石上神社の祭神は「剣」で戦の神だった。

 神社の参道沿いには古い石仏らしい石が並んでいるが摩滅してよく分からない。大きな
サカキの枝を担いできた小父さんと挨拶してすれ違う。

 ぶらぶらと旧国道を戻る。振り返るとえらいものだ「ああ。あれが大国見山だな」とよ
く分かった。

 布留の高橋への分岐を曲がらず直進する。豪壮な天理教の施設の間から、再び旧R25
へ出て、石上神社の駐車場へ戻る。空の暗さと相まって、少しおどろおどろしく感じた大
国見山山歩でした。



【タイムチャート】
9:30自宅発
10:30〜10:35石上神宮駐車場
10:35〜10:45石上神宮
10:55道標(白川溜池)のある分岐
11:00R25旧道の二本松バス停
11:08天理市豊井浄水場
11:23平木橋
11:27桃尾の滝分岐
11:35〜11:37桃尾の滝
11:47大親寺
12:00岩屋分岐のある峠
12:12〜13:05大国見山(498m)
13:18〜13:24岩屋分岐のある峠
13:35〜13:40大親寺
13:50〜13:55桃尾の滝
14:00桃尾の滝分岐
14:40石上神宮駐車場



大国見山のデータ
【所在地】奈良県天理市
【標高】498m
【備考】 奈良盆地の東縁をなす大和高原の形成する一峰で、天理
市の東に位置します。山頂には小祠があり、狼煙を上げ
る為に油を溜める穴が残っています。また、西側が開け
天理市内を中心とする奈良盆地、生駒、二上、葛城、金
剛の山並みが見渡せます。
【参考】 近鉄てくてくまっぷ(56)大国見山コース
カシミール2.5万図



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