蒸し風呂の猪ノ口山(黒井城址)に登る
平成15年 8月31日(日)
【天候】曇り時々晴れ
【同行】単独
黒井駅付近から猪ノ口山(黒井城址)。山頂手前直下、
やや左に見える切開き台地が「足踏の段」


 またまた天気予報は外れて、当地は夜半の雨も無く、どんよりした空からは時たま陽射
しまで射す。立てた予定通り、今日は久方ぶりの丹波方面へ出張ってみることにする。城
址巡りでもということで氷上郡の黒井城址と高見城山の二山を目的地としたが、へばりつ
くような蒸し暑さに、軟弱で鳴らす小生は大した抵抗もするでもなく、あえなく完敗した
のでありました。(^^;

 夏休み最後の休日にも関わらず、高速道路は平常よりも空いている。宿題に忙しいのか、
夏休み最終日は家でゆっくりしているのか。1時間程で春日IC。県道を西に向かい、大
きな電気部品工場の横から右折する。黒井城址・興禅寺の案内板に従って狭い路地をぐる
り。興禅寺の下の駐車場に車をとめる。先着していた十数人の小学生は子供会だろうか。
先導する先生が黒井城の歴史を一くさり。黒井城、別名保月城は建武年間、播磨の守護赤
松氏によって砦が築かれたことに始まる。その後、丹波の赤鬼と呼ばれた赤井直政の居城
となり、幾度となく明智光秀の丹波攻めを挫折させた名城である。巧みに地の利を生かし
た縄張りに、さしもの明智勢も苦戦の連続だったという。和田山近くの竹田城、篠山の八
上城、三尾城、霧山城と丹波は名城が多い。
「地元の黒井小の子供達は20分で登るけど、大人は40分懸かる云々」
準備しながら漏れてきた言葉に耳を傾ける。

 ここ興禅寺は一昔前になるが父と次女同伴で一度訪れたことがある。NHKの大河ドラ
マで春日局が取り上げられた時だった。山号大梅山、曹洞宗の寺。春日局の生誕した寺だ
というので、多くの観光客が訪れていて、町も村おこしに懸命であったが、今もその名残
がちらほらある。駐車場の北の高台にある記念館の様な木造の建物には、大河ドラマのパ
ネル写真が飾られてある。そうそう主役の局は大原麗子だっけか。思い出した。

 興禅寺の白い練塀と七間濠と呼ばれる堀沿いに西へ出ると黒井小学校。そこを右折して、
民家に沿って山へ向かう。町内会か何かの掲示板に掛時計が架けてあるのが何ともユーモ
ラス。道は直ぐに山の麓に出て行き止まりで、数台とめられる駐車場がある。正面は稲荷
社、左手の細流沿いと右手のコンクリ階段の二手の登り口があるようだ。だが、左手の道
は湿って陰気、何となく長い物が出そうだなどと理屈をつけて敬遠、右手の階段を行くこ
とにする。早くも軟弱気分が顔を出した格好だ。(笑)

 数十段の階段を登ると「本丸まで800m」の標識。以後100m毎に標識が立つ。ず
ーっと階段かなと思ったが、直ぐに普通の山道になった。ワンワンと蝉の大合唱の真っ只
中に入った感じだが、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクホウシが主であの煩いクマゼ
ミが皆無なので助かる。

 脆い岩肌のガレた緩斜面を登ると三段曲輪の跡でベンチが置かれている。早くも噴出し
た汗を拭う為、ザックをベンチに下ろし一息入れる。振り返ると結構いい展望が得られ、
向かいの向山連山や春日の街並みが見て取れるようになっていた。

 「太鼓の段」なる標識があったので辿ってみることにした。シダが繁る小道を山腹を巻
いて100m程進むとワラビの繁る台地に出、そこが「太鼓の段」。なるほど見晴らしが
良く、危急の時や連絡の為にここで太鼓を打ち鳴らしたんだろうか、良く聞こえたに違い
ない。そこから先へ「ツバキの原生林、東出丸」などと書かれた標識があったが、蜘蛛の
巣が多くヤブっぽく、余り歩かれた形跡が無い様子である。緩やかだけれど割に涼しい風
が吹き上げてくる。暫らく涼を入れ、道を戻る。

 直ぐに「足踏の段」なる広場に出る。木造の赤い門が建ち、立ち枯れた大きなアカマツ
が目立つ。奥に石碑。赤井悪右衛門直政の招魂碑とあった。

 本丸への道は「足踏の段」の手前。ここからはやや道が狭くなる。

多田からの道と合わせて直ぐに広場に飛び出す。東曲輪跡の標識があり、野づら積みの石
垣が現存している。更に三の丸、二の丸と明らかに人為的な段のついた台地を進むと、保
月城址と彫られた立派な石碑の建つ本丸跡であった。

東曲輪跡ののづら積みの石垣
二の丸広場から本丸。ワラビの原です

 ミヤコグサコナスビの黄色い花、ワラビの目立つ広場の周囲には桜が植えられてい
るが、他に高い木は無く、低山なのに360度の展望が得られるのは一寸した驚きである。
流石であるなと、城を築いた先人の知恵には脱帽せざるを得ない。ベンチ前の三等三角点
にタッチした後、風景に見入る。意外に高度感がある。直下には兵主神社や黒井小学校。
町役場にスーパーと手に取る様で、攻め寄せる軍勢の動きも一目瞭然であったに違いない。
向かい側はヒカゲツツジの向山連山。北の麓を豊岡自動車道が工事中。左に目を移せば、
西多紀アルプスの三尾山、夏栗山、黒頭峰から鋸山。遠くの三角の山は白髪岳か。西は千
丈寺山から五大山に続く稜線。氷上町方向には千ヶ峰らしい山並みである。汽笛が聞こえ
たと思ったら、三両編成のクリーム色の普通列車が黒井駅に到着したところであった。

本丸から西側。千丈寺山の向こうは五大山

 さっきまでとはうって変わって涼しい風が吹き抜け、座り込むと立つのが億劫。桜の木
の木陰の入って、少々早いがここで昼とした。

 タヌキさんや山南町の高山山頂のはりまおさんに連絡したりして時を過ごす。その間に
犬同伴の小父さんが上がって来られた。ワラビの多さに驚いたと云うと、業者が採りに来
る程ですと笑っておられた。この後、山頂を一巡り。千丈寺山への縦走路や曲輪跡を確か
める。

 汗も引き、腹も膨れて人心地ついた。木の枝に干したシャツやタオルも少し乾いたこと
とて、さて、次の目的地に向かうかと腰を上げる。が、降る内にまた暑くなってきて、さ
っきの折角回復した意気込みも何処へやら。麓に出る頃にはすっかり意欲を失う始末。興
禅寺の本堂の縁先に座り込んだらもういけない。「高見城山は涼しなってからや」次の行
先は全く脳裏から消え去ってしまったのである。

於福(春日局)産湯の井戸(興禅寺)

 となると、少々時間が余る。春日局産湯の井戸だとか、局幼少のみぎりの腰掛石などを
見学。綺麗に箒目のついた石庭、形良く剪定された庭木を暫らく眺める。戸が少し開いて
いた庫裏には雲水始め坊さんがよく被る編み笠が壁に架けられ、花活けには青紫のキキョ
ウが一輪、土間の角にはススキが甕に活けられ何とも清々とした感じが印象的であった。
珍しかったのは山門。両脇は仁王さんではなくて、四天王らしい姿。それでも一応、阿吽
の像であった。

 車に戻り、シャツを着替える。まだ時間があるのでタヌキさんちへ押しかける。高山を
下山したはりまおさんも集合して夕方まで四方山話に時を過ごす。タヌキさんには、冷た
いものや果物を頂き恐縮です。有難うございました。

 久々に訪れる丹波。また次行かねばと思う山が増えた一日でした。



【タイムチャート】
9:10自宅発
10:25〜10:30興禅寺前駐車場
10:35登山口
10:43三段曲輪跡
10:57太鼓の段跡分岐
11:00〜11:02太鼓の段
11:05石踏の段
11:12東曲輪跡
11:17〜11:57本丸跡(猪ノ口山(356.8m、三等三角点))
12:15登山口
12:20〜12:35興禅寺
12:40興禅寺前駐車場


 猪ノ口山(黒井城)のデータ
【所在地】兵庫県氷上郡春日町
【標高】356.8m(三等三角点)
【備考】 日本一低い分水嶺の北側を形成する、五台山から連なる
山並みが最後に盛り上がる山です。400m足らずの低
山にも関わらず360度の大展望が得られ、明智勢を散
々悩ませた丹波の強豪、赤井直政が拠った山城が在った
だけのことはあります。南麓の春日局の生まれたという
曹洞宗興禅寺はこぢんまりとした清楚な佇まいの禅寺で
す。
【参考】2.5万図『黒井』



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