高野三山女人道
平成15年 8月13日(水)
【天候】曇り
【同行】単独
摩尼山から楊柳山に続く女人道(黒河峠手前にて)


 蓮の花弁の如く弘法大師廟のある奥の院を囲んでいる山々。その内の摩尼山、楊柳山、
転軸山という主要な三つの山を高野三山と呼んでいる。高野山は発祥当時から明治初期ま
では、弘法大師の母でさえ立ち入れなかったという女人禁制の山で、お山に入れぬ女性達
は高野三山を巡る尾根を辿ったという。お盆でもあり、今日はその古道を巡ってみた。

 ところで小生が子供の頃の関西では、林間学校といえば高野山。実はこの三山には、中
学二年の頃であったか、林間学校で高野山を訪れた時にハイキングで歩かされた記憶があ
る。杉の幼木が植えられた尾根から高野の山々を眺めた覚えが朧気ながらあるのだが、そ
れがどのあたりなのかを確かめてみるのも今日の目的の一つである。

 例によって遅い出発。帰省ラッシュを懸念したけれど、それ程のこともなく、高野山ド
ライブウェイを走る。車窓から入る風は涼しいを通り越して半袖では寒いくらい。空から
はポツリポツリと小さな雨粒も落ちてきた。今年は変な夏だ。

 お盆とはいえ大して混まないであろうとの目論見通り、奥の院前の中ノ橋駐車場も空き
がある。無料で利用できるのは何といっても有り難い。用意を整えて奥の院参道へ向かう。

 樹齢数百年の大杉に囲まれた参道の両側には、昔は大名、現代は企業がその巨大さで覇
を競う墓石が並ぶ。その間を観光客がさんざめきながら思い思いに歩いていく。

 御廟橋の右手に並ぶ水掛地蔵。そこを右に曲がると、よくニュースにも取り上げられる
水行場。それを過ぎて更に建物の角を左に曲がると、無縁仏の山がある。その先は奥の院
の建物で行き止まり。はて、取付きはどこだろう?こういう時は訊くにしくはない。護摩
木か何かを売るプレハブ建物に係のお坊さんがいる。
「駐車場があったでしょう。そこを道なりに行けば右手に道があります。」

 成る程、戻った駐車場の横から車道が延びている。それを道なりに進むと直ぐにコンク
リート道が右手の山裾に入っていくのが目についた。道標がないが『有田みちくさクラブ』
と書かれた小さなプレートが木に懸けてあるのが目印。道はやがて砂利道に、それもすぐ
に地道に変わると、左からやってきた林道に合流する。ここにも道標はないが何となく道
なりに右手に歩いていくと、小さな辻の様な部分に出た。大きな木に『山火事注意』の看
板と『摩尼山入口』の板切れが打ち付けてある。

 林道と分かれて山道に入る。台風以後のすっきりしない天候で湿りが抜けない道は、大
きな杉の木が並び、いかにも何かが出てきそうな雰囲気がある。そこから10分。大した
登りもなくあっけなく小尾根に飛び出したと思ったら、そこが摩尼峠。『高野七口女人道』
と勘亭流もどきの案内板。高野六木の一つに数えられる大きな樅の木の下に祠があり、覗
くと三鈷を右手に持った弘法大師が祀られていた。(以後、主な峠や山頂には小祠が置か
れてありました)
摩尼峠。樅の大木の下に弘法大師を祀る祠が

 小さな尾根沿いにつけられた道は、先週の台風で落ちた枝が邪魔なものの、よく手入れ
されていて歩き良い。ようやく登り勾配がきつくなって、木の根が浮く斜面を登りきると
摩尼山の頂上に着く。

 摩尼山には如意輪観音の祠がある。展望は老杉と雑木に阻まれて木の間越しに東側が少
し。しかし、山頂を少し下った辺りから楊柳山の形の良い姿が望まれる。また、所々西側
が開けて、高原状のなだらかな起伏が眺められる。そうだここだ。木が生長しているけれ
ど、記憶にあったのはこの風景に違いない。その緑に包まれた中に唯一ヶ所、学校と思わ
れる建物と校庭らしき広場が見え、多宝塔の屋根も見えたのだが、いったいどの辺りなの
だろうか?
摩尼山頂直下から眺める高野山の最高峰の楊柳山

 枯れた花びらをつけたウバユリ、キンミズヒキの黄色い花が目立つ小ピークを過ぎた辺
りで道は西に方向を変えて下りになる。若い杉林の中の道は今日は誰も歩いていないらし
く、時々、蜘蛛の巣が顔にかかり鬱陶しい。そんな時、ふと目の前に動く物が。よく見る
と、それは大きなオニグモが巣にかかったセンチコガネを器用に転がして、吐く糸でがん
じがらめにしている最中なのであった。昔あったB級映画『恐怖のハエ人間』を髣髴とさ
せる光景だ。暫く眺めて、邪魔せぬように巣を潜りぬける。

 坂を下りきった所に祠が建つ。黒河峠。高野七口の一つの黒河道が北へ延びるのだが、
誰も使わないらしく、今は猛烈なブッシュである。尚、南へはいい道があって森林鉄道跡
から奥の院へ戻れるということだ。

 ここから暫くは登り基調。クマザサの中にササユリがあちらこちらに見られる。季節に
は白やピンクの姿と馥郁とした香りに包まれるのであろう。今は少し早めのヤマジノホト
トギスがちらほら咲いているのみである。

 楊柳山は、先程遠望した通り最後の登りはきつい。だが、それも距離は短い。初めは植
林主体だが頂上直下は雑木林に変わる。吹き出した汗も拭わずに一気に頂上に上がる。

 高野の山々の最高峰といっても展望は無く、小広い台地に三輪明神と楊柳観音の小祠と
があるのみ。その観音石仏の光背には明和8年(1771)の銘。楊柳観音と刻まれた石
柱は天保5年とあった。面白いのはこの石柱の奉納者の住所。大阪北久太郎町二丁目とあ
った。てっきり明治以降だとばかり思っていたが、江戸時代から『二丁目』という住所表
示があったとは。因みに三等三角点は祠の裏である。

雑木に囲まれた楊柳山山頂の楊柳観音

 良い頃合いなのでここで昼食とする。奥の院の喧噪をよそに、今まで全く人に会わず静
かなものであったが、昼食の間に初老の男性2人組と単独小父さんが登ってきた。これが
本日逢ったハイカーの全てである。

 楊柳山からはやや降って暫くは平坦な尾根道。『奥の院ちかみち』の石柱があるが、こ
こから北に見える金剛山は富士型でなかなかのものである。

楊柳山西尾根付近からはどっしりとした金剛山が

 右に雪池山の小尖峰を見ながら、徐々に降り、少々登り返すとベンチのあるCa980m
ピークに着く。ここからは和泉山脈や紀ノ川が見晴るかせた。

 ピークを越えると丸木階段の一気の降り。ぐんぐん降ると湿った窪地に出る。子継峠で
ここにも祠があるが、湿気で傷みが激しい。光背からは『北○○』と読めたので北辰に関
係のある妙見菩薩でも祀られているのかと思ったが、実は子安地蔵だそうである。

 ここで直角に南に曲がる。初めは坂道だが、降るに従って、極く細い流れが幾つか集ま
り、やがて水音を立てだし、橋を二回渡る頃には確かな流れとなる。やがて広谷と呼ばれ
る平原状の荒れ地に出ると、辺りはじゅくじゅくと靴で踏むと水がしみ出す湿原となり、
おりしもチダケサシが満開である。あちこちでコオニユリも目立ち、季節のサギソウでも
無いかと探したがこれは見つからなかった。

 遠くで微かな子供の声が聞こえたなと思うと、それがだんだん大きくなり、すると前方
に数名の小学生の姿が現れた。奥の院裏の車道に出たのだ。女人道はここで車道と合し、
50m程度西へ行った先で再び分かれる。この杉木立の高みへ向かう道が転軸山への登り
である。

 幅50cm位の綺麗な山道は疎らな杉林の下で明るい。赤紫のゲンノショウコが可愛い花
を咲かせている。えっちらおっちら、今回のコース最後の登りで高低差100m足らずを
登り切ると転軸山の山頂である。ここの祠には弥勒菩薩。手前に宝篋印塔が一基。残念な
がらここも展望はない。

 ここからは道は二つに分かれる。南に向かうと転軸山森林公園へ。東は奥の院へ。ここ
は奥の院コースを採用した。

 木の根道の急坂である。降って行くに従って抹香の香りが鼻腔に漂ってきだす。ジグザ
グを切って降りきった辺りは沢の微かな水音がする湿った平原である。巨杉の間を抜けて
行くと、石垣とその上の伽藍が姿を現した。その手前は澄んだ玉川の流れ。その幅5m程
の流れを飛び石で渡って石垣を上がった所は、奥の院裏側の納骨堂の横であった。

 弘法大師廟から奥の院へ廻る。今日の無事と家内安全、無病息災を祈って建物を後にす
る。御廟橋を渡って参道を下っていると、左手に無料休憩所が見えたので持参の豆大福と
お茶で一服することにした。ほっとするのと同時に、今日も終わったという風な何か名残
惜しい一時だ。

 再び参道。地元の青年団や中学生だろうか、奥の院の参道の両側に発泡スチロールの上
にアルミ箔を敷き詰めているのにでくわす。そういえば今日は万燈会。万余の蝋燭に揺ら
めき浮かぶ苔むした墓石群は、さぞや幻想的なことであろう。そんな思いに耽るも暫し、
気付けばそこはバスや車が行き交う車道で、あっという間に現実に引き戻されたのである。

 三十有余年振りの三山巡り。夏とは思えぬ涼しいお盆の高野三山女人道でした。

【タイムチャート】
8:00自宅発
10:30〜10:40中ノ橋駐車場(Ca780m)
10:55林道分岐
11:00摩尼山登山口
11:10摩尼峠
11:26〜11:32摩尼山(1004m)
11:57〜11:58黒河峠
12:12〜12:40楊柳山(1008.5m 三等三角点)
12:55〜12:57ベンチのあるピーク(Ca980m)
13:01〜13:03子継峠
13:22車道出合
13:34〜13:40転軸山(915m)
13:52奥の院納骨堂
14:20中ノ橋駐車場(Ca780m)


 高野三山のデータ
【所在地】和歌山県伊都郡高野町
【標高】 摩尼山 1004m
楊柳山 1008.5m(三等三角点)
転軸山 915m
【備考】
弘法大師の廟所を囲繞する山々の内、最高峰の楊柳山、
摩尼山、転軸山を高野三山と呼んでいます。高野山は明
治の初めまで女人禁制が守られ、高野三山を巡る道は女
人道として数多の女性が歩いた道です。主な山頂、峠に
は祠が置かれ、その中で今も石仏が静かに人々を見守っ
ています。
【参考】『大阪周辺の山250』、『関西の山100選』



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