金山〜鐘ヶ坂峠旧道探索
 平成15年 2月 9日(日)
【天候】曇り
【同行】はりまお(しまだ)さん
426.7m峰(点名『鐘ヶ坂』)手前から見る金山
城跡である事が一目で分かる


 土曜は天気悪しとみて大人しく家に居て、散髪、古本屋、酒屋とうろうろ。でも意外に
天気は持ったじゃないの。どうなってるの、気象台殿!。それなら今日は何処か行かなぁ。
でも当てもない。はて?悶々。そこへ丹波の金山へ、セツブンソウ見物に行くというはり
まおさんの情報。これ幸いと便乗させて戴く。

 高速道を使うと丹波迄は存外速い。約一時間後には大山宮の公民館。携帯で電話すると、
はりまおさんも直ぐ近く。十分後には現れた。公民館に駐車している事を知らせておこう
と近所に声を掛けようとするが、みんな何故か留守。「まっ、ええかぁ」

 大山荘付近は古い宿場町のようで、旧街道沿いに古い家並みが連なっている。その中の
追手神社付近がセツブンソウ、アズマイチゲ等のキンポウゲ科の野草の群生地になってい
るそうだ。地元の方々の保護活動が活発に行われ、天然記念物ともなっている。

 追手神社は4年振り。幹廻り7.8mの日本一のモミは健在。前回は気付かなかった本
殿の透かし彫りも素晴らしいものである。左は天女、右は仙人だろうか、笠形神社の本殿
の透かし彫りも見事であったが、素人目にはそれに匹敵するような気がした。

 境内の奧のロープが張られた部分に保護している旨の注意書きがある。ここら辺りなの
だなと、目を皿にして探すが、花らしい物は何もない。神社から南へ裏山の山裾に沿って、
探してみたけれど、それらしい葉はあるが花は皆無。時折、オオイヌノフグリの青い花が
ちらほら見られる程度である。仕様がない。消防施設の倉庫裏に、篠山市の説明板がある
のを確認し、公民館へ戻る。

 さて、このまま解散するのも芸がない。はりまおさんと思案投げ首。当初、小生は虚空
蔵山でもと思っていたのだが、はりまおさんが金山から鐘ヶ坂の旧峠へ出て、旧国道のト
ンネル探しが面白いかもと云う。はりまおワールドの未知のルートもいいなぁと、渡りに
船とその話に乗る脳天気の小生である。

 車をR176沿いのチェーン装着ゾーンに移動する。準備を終えて、しっとりとした古
い民家の間の旧道を南へ向かう。金山へは4年振り。追入神社の境内横を奧へ。山肌に古
い墓が並んでいる。その前を過ぎると下からジグザグに上がってくる参道に突き当たる。
直ぐ上は赤坂観音堂。千手観音を安置する小さなお堂と、これもまた小さな鐘撞き堂があ
る。更に登った先に稲荷社跡。大正時代に建てられた石碑からみると、その当時にもう稲
荷社はなかったらしい。

 NHKのケーブル埋設標が立つ、良く踏まれた落ち葉道の途中には一部崩れた石鳥居。
それをくぐって結構きつい斜面を登る。滝跡への荒れた踏み跡を右に見送って、左に折れ
てなおも進むと、大乗寺へT字路である。右に折れて間もなくで大山荘を俯瞰できる場所
に出る。ここから監視していれば攻めてくる軍勢が丸分かりだったろうなあ、なぞと考え
ながら、以前もここで小休止したのだった。

 明るい尾根道を北へ歩く。やがて現れる杉が鬱蒼と茂る小広場が園林寺跡。大正時代ま
では現存したらしい日蓮宗の尼寺だが、今は朽ち果てて石段以外は跡形もなく、何となく
うら寂しい感じがする。

 ここから北の尾根は金山城の『馬駈け場』と呼ばれる。本当に馬を繋いだか否かは定か
ではない。そしてその突き当たりが三差路になっていて、左は『鬼の架橋』、中央は金山
山頂、右の踏み跡はトンネルへ。だが、「トンネル」への案内標識は地面に倒れている。
山に来たなら頂上へってなわけでもないが、とりあえず我々は山頂へ向かうことにした。

 頂上へは150m程だが、そこへ来て驚いた。なんと一面、掘り返しの跡なのである。
これは一体何の仕業なのだろうか?イノシシ?人?標識が倒れているところを見ると人間
じゃなさそうだ。それにしても平坦な本丸跡地全てを掘り返しているのだから恐れ入る。
前夜の雨でぬかるんだ土に靴がめり込ませ、鹿の糞を除けながら、隅に立って展望を愉し
む。譲葉山、黒頭峰、夏栗山、松尾山、白髪岳、高山。600m足らずの低山にも関わら
ず、丹波の主だった山々が一望。北の山はまだまだ雪の中。千ヶ峰や三岳山も白い。更に
丹波の古城の黒井城、八上城も、高見城も指呼。何故こんな重要地点をいとも簡単に明け
渡したのだろう?内通者がいたのだろうなぁ。

 ここでは食事もできないので『鬼の架け橋』へ。北からの風を避けて湯を沸かす。

譲葉山と「鬼の架橋」をバックに記念撮影

 さて、後半のお楽しみは鐘ヶ坂の旧道探索である。現在、鐘ヶ坂を抜ける新トンネルが
建設中であるが、今供用中のトンネル、その前にあった旧国道、更に明治時代以前の街道
を合わせると、都合4世代の道があることになる。その初代と二代目の峠越えを探そうと
いう趣向である。急遽なので地形図なし。だが、そこはそれ「はりまおワールド」。コン
パスで方向確認し、尾根を外さねば峠に出ると踏んで出発進行。

 金山山頂を横切って三差路への道を過ごして直進し、金山城の二の丸跡に出る。小広い
台地に雑木の中に岩が転がっている、やや荒れた風景。ここも剣戟の響きが木霊していた
のだろうか。

 流石に二の丸跡。台地の縁はすぐ急傾斜。ここを東に向かって急降下する。急降下の先
で、尾根が北に方向転換し、やや判り難いものの、幸い大柿布があり、「(財)大山振興
会」の白い杭、篠山市・柏原町の市町界を現すのであろう赤プラ杭もあって、迷うことは
ない。手入れの悪い桧の植林帯と雑木の境目はかなり煩いヤブらしいと、はりまおさんが
云っていたのだが、意外や最近手入れされた跡。鉈目が入っていて歩きやすい。古いプラ
杭が抜かれて転がっていて、その代わり真新しい赤プラ杭がある。目を上げると、黒頭峰、
夏栗山のなだらかな姿が優美である。

金山北東稜線から眺める黒頭峰(中央)、夏栗山(右)

 元ヤブ地帯を抜けると、下草もない桧の植林に囲まれた快適な尾根歩きとなる。朽ちた
アンテナ施設の木製の台が転がっている所を過ぎると左に高み。道は二分する。高い所へ
登らねば済まない我々は勿論、高みを目指す。と左にさっきまで居た金山が雑木の向こう
に見え隠れしている。ここから見ると、ほんに城跡だったことが歴然である。
(冒頭写真)

 直ぐに山頂。はりまおさんの云う通り、新しい四等三角点が狭い頂に埋設されている。
R176や新しいトンネル取り付き道等が望め、柏原盆地も一望であった。

 小休止の後、降って再び尾根を辿る。突然、切り通しの様な地形が現れた。直接はとて
も降りられないが、左に降る道があった。

鐘ヶ坂峠を越える旧道

 先頃歩いた氷上の「由良坂」に似た雰囲気である。深く掘られた道は多紀郡と氷上郡を
結ぶ重要なものであったことを示している。柏原側は倒木だらけだが、幸い篠山側はいい
道が続いている。ぶらぶらと降ることにする。

 幅一間はある地道だが、やたらにプラ杭。おまけに植林の手入れが悪く倒木だらけ。じ
ゅくじゅくした感触から夏はいやだなぁ。マムシが出そう。

 降ること約20分。前方に明るみ。急に車の騒音が高くなる。ぱっと飛び出たところは、
なんと鐘ヶ坂トンネルの篠山側入口付近のレストラン「デリシャス亭」の裏。「えっ?」
ていう感じ。やはり地形図のない悲しさ、思ったより南に振っていたようだ。そういえば
コンパスも南東方向に振れていたような(^^; レストランの敷地の縁を通って国道に戻
る。(現在閉店中)

 次は初代トンネル探しだ。国道を横切って田圃沿いの舗装路に入る。左にエッソのガス
スタンドの看板のある地道が分岐しているがこれが旧道らしい。が、我々探検隊はもう少
し先まで舗装路を進んで、やおら左手の廃田の畦に登り、小川を越えた桧林から土手に上
がって、旧道にとりついた。この土手で発見した、神棚に備える白い磁器の容器があった
のはいささか不気味であった。

 じめじめした地道だが、路肩に溝がある。そして左へ大きくカーブした山裾に目当ての
トンネルを発見。
「あったーっ!」と先行していたはりまおさんの喚声。黒々と口を開けた入り口の向こう
には意外に近くに出口が見える。入口には立入禁止の錆びたフェンスが張ってある。でも
禁止されれば行きたくなるのが人間の性。単独じゃ遠慮したいところでも、そこは2人連
れ、勇気を振り絞って突入だ。

旧国道の明治16年完成のトンネル入口
奧に出口が見える。モデルは熱心に撮影中
のはりまおさん

 懐中電灯を出す。地面は細かい砂利。ということはその当時は舗装されたなかったんだ。
その地面に幾筋もの筋がついているのは何故?ああ。水滴が落ちた跡かぁと納得。思った
より長い。行けども出口が近づいてこない。それもそのはず全長は268mもあるのだと
いう。しかも向こう側には深く水溜まりが出来ており、通り抜けは残念ながら無理であっ
た。おまけにお茶のペットボトルを落とす。拾ったら届けてね。(笑)

赤煉瓦作りのトンネル内部
水が溜まって向こうへは行けない

 帰宅して調べたところ、初代の鐘ケ坂トンネルは、明治16年、2年10カ月の歳月を
かけて完成した、本格的にレンガを使用したトンネルとしては日本最古のものだそうだ。
全長は268m、幅員3m。約28万枚のレンガが使用されていて、工事に延べ6万3千
人が従事、総工費は約4万円だったとか。篠山側の入口に『事成自同』と有栖川宮熾仁親
王筆の銘板、向かって右には寄付した人達の氏名が列挙してあったのをみても、人々の期
待度が判ろうというものだ。昭和40年代に現在のトンネル完成と同時にその使命を終え
たが、約百年の長きにわたって重責を果たしてきたのである。尚、新トンネルが完成した
あかつきには、記念公園としてこのトンネルも整備されるそうである。

倒れて腐食するに任されていたカーブ標識

 トンネルから出て旧国道を戻る途中、それが現役であった頃の交通標識を見つける。
(写真)カーブ注意の標識。道も狭くて運転も大変だったろう。

 現国道に合流してデリシャス亭の前に来ると、何やら説明書きがあった。例によって
読まずにいられない我々一行。詳しい内容は忘れたが、和泉式部の伝説らしい。そして
R176を車に戻る途中には、今度は道端に石仏と共に古い墓があるのが目に入る。墓
標には「竹本○○太夫」の文字が。化政時代の頃の墓らしいが、地方の浄瑠璃語りの墓
なのだろうか?歩いているといろんなものが目について、空想は尽きないのである。

 5分程で駐車地。今日はここで解散。はりまおさんのお陰で面白い半日が過ごせまし
た。またよろしくです。



【タイムチャート】
10:15自宅発
11:30〜11:50大山宮公民館駐車場
11:55〜12:25追手神社
12:30〜12:35R176鐘ヶ坂トンネル手前のチェーン装着場(駐車地)
12:42〜12:48追入神社
13:00滝跡分岐
13:05
大乗寺分岐
13:15園林寺跡
13:20〜13:25三差路
13:28〜13:32金山山頂(540m)
13:33〜14:05鬼の架橋(昼食)
14:30〜14:33点名『鐘ヶ坂』(426.7m 四等三角点)
14:36〜14:40旧道鐘ヶ坂峠
14:55デリシャス亭横
15:05〜15:25旧国道鐘ヶ坂トンネル
15:40R176鐘ヶ坂トンネル手前のチェーン装着場(駐車地)



金山のデータ
『「平成11年初山行は縁起を担いで「金山」』」をご覧下さい。
【参考】2.5万図『柏原』



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