春の足音近づく山下古道

平成14年 3月 3日(日)
【天候】 晴れ
【同行】 単独
山下古道にあった手製の道標


 最近、低山徘徊派のMLで話題となった山下古道。先頃、一庫ダムからアプローチした
のだが、突然の雪とヤブに阻まれリタイアした経緯がある。今日は正攻法でそのリベンジ。

 R173の向山トンネルの手前に川西市郷土館の標識が出ている。それに従い、住宅地
の中の狭い道を辿れば郷土館の駐車場に出る。今日はここに車を置かせてもらう。

 さて、取り付きである。東側に杜がある。平野神社。保元2年(1157)多田源氏の
源満国が創建したという古社。その末裔の塩川氏が荒木村重に滅ぼされた後、荒廃してい
たのを村人が整備したのだとか。祭神は日本武尊と素戔嗚尊。

 その本殿の裏手を巡ってみるが、取り付きが分からない。隣の大昌寺も探ってみたが判
然とせず。再び平野神社に戻って丹念に探すと、神社と寺の境目に沿って道らしきものが
見つかった。

 落ち葉が分厚く重なった道を暫く進むと、傍らに石仏。ジグザグにつけられた道は西国
三十三カ所巡りのミニ巡礼道である。登っていくと祠や鳥居も現れる。南の多田方面が眼
下に広がる明るい山道である。

 南斜面なのでぽかぽかと心地よい。冬の日溜まりハイクには持ってこいの道だ。三十三
番まであるのかと思ったら、二十四番かそこらで石仏は現れなくなってしまった。右に普
源寺への分岐を見る頃には、尾根というより台地状の場所に出る。傾斜はもうほとんど無
い。

 手入れの良くない杉林もあるが、概して雑木の林。深くえぐれた道は古道と言うに相応
しい。私製の道標が所々に架けてある。「キラク会」と書かれた黄色テープも散見される。
早くもアセビが白い壺状の花を開いていた。

 左にやや広い谷が見えてくる。左に笹部駅への分岐を過ぎる。道が狭まってくるとやが
てまた分岐。重要地点と見えてここには沢山のテープが巻かれている。右は光風台への道
で、暫くは北へ向かうが、右の谷の源頭を巻いてやがて東へ向きを変える。その辺りでは
木の間越しに高代寺山が望めるのだが、ここは左へ、城山・展望台方面を採用する。(地
形図の点線路は実際と若干の相違あり)

 雑木の中を暫く進むと北に開ける場所に出る。ここで道は直角に左折、西向きになる。
再び分岐。私製の標識に今度は茶色の地に白で「城山、下財、山下」と書かれてある。ま
ず展望台へ向かうことにし、ここは右。山腹を巻くように進めばすぐにダムを見晴るかす
場所に出る。前後からここが展望台らしいが、プレート類は何もない。どうも私的に命名
されたものらしい。やや木々が生長しているものの、眼下に知明湖、知名山に赤い鉄橋、
雨森山。遠くの三角形は剣尾山だろうか。左に三草山や大船山、宝塚の奥の山々も姿を現
している。
『大昌寺』の三角点の直下から眺める知明湖
右は知明山、中央奧は剣尾山

 道端に赤いテープがあるので数メートル登ると、四等三角点『大昌寺』。なぜか保護石
4個で囲われたコンクリートの中央に標石の穴と、そこから約1m離れて南向きの三角点
がある以外は雑木の切り開き。
四等三角点『大昌寺』

 展望地から西へ少し辿って、一庫ダムからの道を探したが道も細くしかも少々ヤブっぽ
く判然とせず。あまり利用者はいないようであった。

 一息ついて、先ほどの茶色のプレートが懸かる城山分岐へ戻る。こちらはのっぺりとし
た特徴のない雑木林をくねくねと行く道である。テープはあるが、踏み跡が錯綜している
こともあってやや迷いやすい。まあ里山なので迷っても知れてはいますが...。(^^;

 左に谷を見下ろす尾根の先端部分に出てくると、低い松が生えた砂地になる。稜線越し
に山下方面が見える。この後はどんどん下って行くようなので、この辺りが頃合いだろう
と見て引き返す事にする。(後から考えるとこのまま下っても郷土館付近に出たらしい。)

 少々道を間違えたり等して光風台分岐に戻る。来た道を引き返して笹部方面の分岐を過
ぎ、次に現れた普源寺分岐を左に降りていくことにする。普源寺が何処なのかよく分から
ないが、地形図の大昌寺の右の「卍」だろう。

 すぐに伐採地。南斜面が大きく切り開かれていて明るい。檜の苗が植えてあるのでその
為の伐採らしい。しかしいい眺め。今しも笹部駅に電車が着くところ。ゆるゆると停まる
電車。右手に中山連山に続く稜線、左手には舎羅林山と箕面五月山方面の緩やかな曲線が
目に入る。

 この伐採境界に沿っていい道があり、ずんずん下っていくと、突然、以外と近くで犬の
鳴き声が。古宝山と一緒で、ひょっとして放し飼い?。となるとこりゃうるさいなぁ。い
やだなぁ。というわけで先手を打って踵を返すことに。弱気です。

 再び伐採地を登り返す。すると左手の灌木の間に石仏がちょこんと鎮座しているではな
いか。二十五番清水寺とある。往路途中で石仏が現れなくなった理由は、さっきの分岐で
こちらに折れるのが巡路だったからなのか。ふーむ。こちらの伐採境界沿いにも踏み跡が
ある。20mおき位に鎮座する石仏を眺めつつ再び雑木林に入ると、すぐに眼下に屋根が
見えた。
大昌寺と普源寺の裏山の西国三十三カ所巡りの石仏
伐採地付近にあった二十五番清水寺の石仏

 コンクリートの堰堤の上で最後の石仏を見て、降り立った所は民家風の寺。人の身の丈
程もある地蔵さんが立っているので寺らしいと分かるが、表札もあがっていない。下の畑
で作業するおばさんに確かめると、普源寺とのこと。案内標識にあった寺はこれか。ふむ
ふむ了解。

 教えられたとおり狭い車道に出て、大昌寺へ戻る道すがらである。小学生の女の子が二
人、楽しそうに何かを摘んでいる。手元を見ると数本の土筆。もう顔を出しているのか。
そういえば、日当たりの良い場所では、オオイヌノフグリやオドリコソウ、タンポポが花
をつけている。農家の軒先の梅も満開だ。春の足音はいつの間にかついそこまで来ている
ようだ。

 大昌寺、平野神社の前を抜けて郷土館の駐車場。折角なので郷土館に道草することにす
る。案内に従い、狭い住宅地の路地を進むと、枝振りの良い松が軒先に植わる郷土館があ
る。ここには昭和の初めまで銅の精錬を生業としていた旧平安家を中心に、英国カントリ
ー風の洋館平賀邸、美術館が並んでいる。平安家の屋敷は良い。こんな所へ住みたいもの
だ。平賀邸を抜け、美術館へのアプローチ横には、精錬で出た溶岩に似た残滓が今も転が
っている。溶鉱炉の煉瓦の残骸も埋まっていて、大正時代の記録写真と相まって、在りし
日の精錬施設の姿が浮かんでくる。ところで鉱害は無かったのだろうか?因みに入館料は
300円。

 駐車場へ引き返す。ふと思いついて、駐車場の横を通過して山裾へ行くと、山中へ2本
のいい道が吸い込まれている。と、傍らにあるのは古い道標ではないか。風雨で消えた文
字は判然とせず、かろうじて「山下駅」と読めたが、もう片方は不明。「一庫」と書かれ
ているようにも見えた。城山の分岐からはここへ降りてくるのだろうか。

 縦横に張り巡らされた道は流石、里山である。人家の近くにこんないいトレースが隠れ
ていたとは。昔はこれらを伝って、国崎、千軒、黒川辺りで採鉱された銅の運搬や、能勢
妙見参詣に使われたのだろうか。光風台まで行き電車で戻ってというコースも悪くないな、
などとぼつぼつ考えながら駐車場を後にした。



【タイムチャート】
12:10自宅発
13:10〜13:15川西市郷土館駐車場
13:20西国三十三カ所石仏登り口
13:35善源寺分岐
13:41笹部分岐
13:46〜14:01城山・光風台分岐(この間うろうろ)
14:10城山・展望台分岐
14:13〜14:25点名『大昌寺』(242.2m 四等三角点)
14:40松の尾根の突端
14:46城山・展望台分岐
14:51城山・光風台分岐
15:02善源寺分岐
15:20善源寺
15:30川西市郷土館駐車場



点名『大昌寺』のデータ
【所在地】兵庫県川西市
【標高】242.2m (四等三角点)
【備考】 川西市の一庫ダムの南側に広がる低山の中の最高峰です。
三角点からやや北に下った辺りからは、眼下に一庫ダム、
知明湖が広がり、北摂の山々見渡せます。
付近には銅の鉱脈があり、昭和の初めまであった精錬所
は、今は郷土館になっています。また、尾根伝いの城山に
は多田源氏、源満国の末裔塩川氏の城があったと云われて
います。最寄りは能勢電車笹部駅です。
【参考】2.5万図『広根』



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